前回取り上げた興銀、第一勧銀、富士銀の統合に関する私の見解を読んだ読者より複数の質問が届きましたので、今回はその中からいくつか選んで、私の回答をお送りします。
大手銀行の統合について(2)
1. 今回の三行の再編を当事者は「合併」ではなく、「統合」と呼んでいるがその違いは何か。
回答: 「統合」も「合併」も大差はないように思う。共同持ち株会社により事業を再編し「統合」によって行員を6,000人削減し、2万9,000人体制とし、店舗数も約150ヵ所削減すると発表しているのであるから、その6,000人分および150ヵ所の支店分の仕事を残った行員、支店でカバーできるようにするためには、三行がただ単に統合されるだけではなく、整理縮小される形で合併されるのは確実であろう。
実際、海外紙に掲載された今回の三行の再編に関する記事の中にも、合併を意味する‘merger’という単語が使われていたものがあった。例えば、『ロサンゼルスタイムズ』紙は次のように報じている。「今回の日本の例のように、不健全な銀行の合併から、健全な巨大銀行が誕生する確率は低い。日本政府は、今回の大規模合併を手本にするよう他の銀行にいう前に、それぞれが抱える小規模な問題が巨大な問題に膨らまないようにすべきだ」
2. 前回引用されていた三行の純益は違っているのではないか。三行ともに利益はマイナスだったはずだ。
富士銀 -3,929億円
第一勧銀 -3,762億円
興銀 -1,957億円
回答: この数字は当期利益(最終損益)であり、確かにマイナスである。しかし私が引用したのは業務純益であり、17行合計で2兆5,000億円以上に達している(以下参照)。私が最終損益ではなく業務純益の数字をあえて用いたのは、これが預金利子と貸出金利子の利ざやなど、銀行本来の業務の儲けを示すものだからである。最終損益には有価証券や投資不動産など、本来の業務以外の損益が含まれており、それがご指摘の通りマイナスであることは私も承知している。つまり、以下の表は、金融機関が本来の業務では利益を出していながら、バブル期に投資した資産や、融資に対する担保がその価値を失っていることを如実に表している。また業務純益と最終損益の差こそ、金融機関が博打で招いた負債であり、土地や株、通貨、デリバティブなどに対する博打や不良債権を清算した結果である。
大手銀行17行の99年3月期決算 (単位:億円)
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業務純益 当期利益 公的資金 法人課税
(最終損益) 注入額 納税額
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総合計 25,509 -35,924 72,592 1,906
(都市銀行)
富士 1,928 -3,929 10,000 3
第一勧業 1,786 -3,762 9,000 50
さくら 1,729 -3,753 8,000 66
三和 2,465 -3,944 7,000 372
東海 1,631 -1,857 6,000 29
住友 2,202 -3,741 5,010 208
あさひ 839 -2,200 5,000 24
大和 919 -1,165 4,080 9
東京三菱 5,591 454 - 899
(長期信用銀行)
日本興業 2,121 -1,957 6,000 1
(信託銀行)
三菱信託 562 -1,440 4,002 11
三井信託 1,223 -1,196 3,000 225
住友信託 1,665 -1,071 2,000 1
東洋信託 344 -1,277 2,000 1
中央信託 274 -487 1,500 1
安田信託 280 -3,758 - 5
日本信託 -50 -841 - 1
(出所:『赤旗』、99年5月27日)
3. 前回、提示されていた表「産業別正社員平均給与(月額)」は現実を反映していない。1997年、1998年頃から状況は変わり銀行員の給与は減少しており、また労働時間は他の産業と比べても長時間労働である。統計数値の表面的な単純比較だけでは実態を反映できないのではないか。
回答: 長時間労働であるがゆえに、銀行員が高額な賃金を得て当然だと思う気持ちはわかる。しかし客観的に見るためには統計値で比較するより他ない。例えば、以下の労働省の「毎月勤労統計調査」の数字で比較してみても、金融・保険業が他の産業に比べて、実労働時間に対する月額給与が高いことが理解できるはずだ。私個人としては、労働者が一生懸命働いただけ十分な報酬を得ることは良いことだと思う。しかし税金をほとんど納めず、さらに過去7年間に他の国民が支払った税金から約70兆円もの公的資金を得た業界が、その税金を提供した他の業界の労働者よりも高い給与を得るというのが、私には合点がいかないのである。
産業別正社員平均給与(月額)と月間労働時間 (1997年)
給与総額 月間総労働時間 内、所定外労働時間
(単位:1,000円)
全産業平均 421 158.3 12.5
鉱業 461 178.7 20.7
建設業 468 171.7 14.2
製造業 413 165.5 15.9
電気・ガス・水道業 602 155.3 12.0
運輸・通信業 433 169.5 19.8
卸売・小売業・飲食店 357 147.5 6.5
金融・保険業 554 149.6 8.8
不動産業 432 153.7 9.6
サービス業 422 150.0 9.1
(出所:労働省「毎月勤労統計調査」(従業員30人以上の事業所))
4. 「博打」という表現は極端すぎる。銀行は当時、政府や他の業界が設定した環境の中で、不動産業界への融資他、銀行の業務を行っていた。銀行は自分達が行ったことは通常業務だと考えている。博打ではない。実際、今では、当時と同じことは行えなくなっている。
回答: 「博打」という表現は本当に極端すぎるだろうか。一番早く走る馬に賭ける競馬と、価値が最も速く上がると思われる資産(株、債券、土地、通貨、デリバティブ)に賭けることと、いったいどこが違うのだろうか。それとも読者は銀行の無能さや臆病さを釈明しようというのか。日本の銀行は政府が奨励したことをいわれるがままに行うほど、愚かなのだろうか。政府からの影響や圧力に抗する能力や勇気もないのか。だとすれば以下に読者がいうように「金融機関は私有の企業である」と本当にいえるのだろうか。
この読者は銀行が政府にお膳立てされたことを行ったに過ぎず、それは通常の業務だったと銀行の行動を正当化するが、そうした発言には注意を要する。例えばドイツ人がユダヤ人を皆殺ししようとしたのも、当時のドイツ政府がそのような環境を設定したからだ。しかし、ドイツ人の行った行為は「通常のこと」では決してなかったではないか。
実際のところ、私は「博打」という表現が極端すぎるどころか、まだ足りないくらいだと感じている。自分のお金で博打をし、負け分を自己負担するのであれば大した問題ではない。しかし、日本の銀行が行ったことは博打よりもさらに質が悪い。というのも、日本の銀行の場合、預金者に許可を得るどころか警告も与えずに、彼らが銀行に預けた貴重な財産で博打を行い、さらに、博打に勝った時にはその利益を預金者に分け与えず、博打に負けると政府を買収して納税者にそれを転嫁させたからである。これでは博打どころか略奪ではないか。
最後に、今の状況ではバブル期のようなことを銀行は行えないと読者はいうが、これも誤りである。様々な統計を見ると、銀行は株式、通貨、そしてデリバティブなどにバブル期以上の金額を投じていることがわかる。日本の銀行は日本企業に対して貸し渋りをしながら、日本国民の預金を海外で融資したり博打に投じることによって日本経済をひっ迫させている。その結果、日本における倒産件数や失業率は過去最高を記録しているのである。
5. 規制に保護された金融部門は経済の拡大を助けることにはならない。金融機関は私有の企業である。筆者が述べている理想的金融機関とは、国有銀行のことのように思える。その点で私は筆者の意見に賛同できない。
回答: 税金を支払わず、70兆円もの公的資金を得ている金融機関は、実質的に私有の企業であるとはいえない。日本の金融機関は、博打の儲けは「私的」な利益とし、博打の損失は「公的」なものだとして国民に負担を求める。私企業として行動し、博打の儲けを保持する自由を望む一方で、博打の負け分や借金の責任は社会に転嫁している。このような私企業である銀行の行動によって国民の負担が増えるのであれば、厳しく規制された銀行か、または国有銀行にしたほうが、社会のためにはまだましといえるのではないだろうか。