No.326 経済企画庁発行の白書は国民はリスクに挑むべきだと提言

 OWメモ「富の移動(2)」(No.312)で、米国における株価の高騰から誰が利益を得ているかとして、最上位1%の米国人がその42.5%、次の9%が43.3%、つまり最上位10%の米国人だけで85.8%の利益を手にし、下から80%の米国人は高騰した分のわずか11%しか手にしていないということを取り上げました。

 この事実を心に留めた上で、経済企画庁が去る7月に経済白書で行った提言について書かれた、『デイリーヨミウリ』の記事2つを、お読みいただきたいと思います。皆様からのご意見をお待ちしております。

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経済企画庁発行の白書は国民はリスクに挑むべきだと提言
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『デイリーヨミウリ』 1999年7月21日
読売新聞 経済部長 太田宏

 経済企画庁が発表した本年度経済白書は、副題が「経済再生への挑戦」であった。1947年に第1号が発行されてから今年で第53号白書になる。第1号白書は、戦後経済の混乱を要約し「政府は赤字、企業は赤字、そして家計も赤字」と記した。

 それを例にとるなら最新の白書は「リスクへの挑戦」という副題にすべきであった。

 バブル崩壊による不況を分析した今年の白書は、「経済で誰もリスクを負おうとしないがために景気が悪化した」と記している。

 また白書はこの不況の原因を、長期的な信用に基づきリスクに挑むという暗黙のルールが破られたためだとしている。つまり、リスクを冒すことを容認できる制度、例えば銀行は絶対に倒産せず、誰も債務不履行を行わないというような、日本人がこれまでずっと信じてきた制度が崩壊したことを意味する。

変化の波

 根本原因は、史上最大規模のバブルの崩壊による社会基盤の大変革、ベルリンの壁の崩壊により単一市場が誕生したこと、そして市場経済のグローバル化であった。

 ベルリンの壁の崩壊がもたらした影響は特に強かった。それは、今まで15億人の労働者しかいなかった資本主義地域への25億人もの低賃金労働者の流入を意味した。それがデフレ傾向とメガ競争の先導役となった。

 そのような競争に生き残る鍵は、市場原理の採用である。市場は、価格、効率性、透明性といった単純な指標に基づき価値を決定する。

 従来のビジネス慣行や長期的な信頼関係は、成果をもたらさない限り捨てられるであろう。規制のない市場経済の採用は、従来秩序の崩壊を意味する。日本が誇ってきた「信頼社会」の崩壊は、このような観点から解釈する必要がある。

 白書は企業に新しい領域で競うことを求め、「もし我々が守りの体制をとって提供されるだけの豊かさに満足していれば、日本は老いたる発展途上国になってしまう」と堺屋企画庁長官は序文に記した。

 白書はまた、家計に「企業にリスクマネーを供給」することを求め、経済の回復は家計がお金を銀行口座から株式投資に移動させるというリスクを冒すかどうかにかかっており、それによって会社が活性化し、ベンチャービジネスが育成されると述べた。

リスクを冒す

 これこそまさにビッグバンによる金融の規制緩和の目的である。市場メカニズムを完全に尊重することは、金融用語である証券化に要約される。つまり日本経済の資金を銀行融資が主役を演じる間接金融から、証券市場が主役の効率的な直接金融に移動させることである。

 証券投資によって、家計は信用リスクや株価変動の波に晒される。これは預金が保証される銀行預金にはなかったことである。白書は、家計は市場原理と自己責任のなかに飛び込む用意をすべきだと述べている。

 1997年夏に発行された白書も同じようなアプローチを求めた。日本経済がバブル後の不況から抜け出し、持続可能な回復基調を辿っているという信念に基づき、「リスクを負うことによって将来の展望を形成すること」を企業や家計に奨励したのだった。

 白書が引用したのは、1970年代の第一次石油ショック後の日本と、1990年代初期の米国の成功例であった。

 当時の『読売新聞』の社説は、日本人、特に家計が、白書が提言するリスクに直面する能力を持っているかどうか、さらには白書が提言する社会基盤が実現できるのかに疑問を呈した。また第一次石油ショックでは、企業がリスクを負ったのではなく、ただ単に危機的な環境に適応したに過ぎないとも述べた。

 
予測的中

 その後その社説は正しかったことが証明された。97年11月、山一証券と北海道拓殖銀行の倒産が引き金となって金融パニックが起こり、経済は再び深いデフレ不況に突入した。

 その状況をさらに後押ししたのが、自分の党派の利益しか考えない政治家たちが、歴史観や展望を欠いていたという点である。強い企業が弱い企業を守るという護送船団方式が崩壊する一方で、政治家たちは新しい安全網を作ることを怠った。

 企業も国民も自信を失っただけでなく政府と政治に対する信頼を失い、自分の身を守ることに専念した。これによって過ちの連鎖反応が生まれた。これが不況が深まった最大の原因である。

 国民にリスクに挑むことを提言する前に政府と政治家は、まず始めにそれができるような社会の安全網を整備しなければならない。すべてを市場の原理に委ねる代わりに、国民生活の安定を守る責務を果たしているという信頼を取り戻す努力をすべきである。

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      経済フォーラム:国民が貯蓄でパチンコをすることを求めるな
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           『デイリーヨミウリ』 1999年8月18日
              読売新聞 経済部長 太田宏

 去る7月21日、このコラムで家計がもっとリスクを負うべきだと主張する今年の政府の経済白書を批判した後、読者から数多くのコメントが届いた。中には白書の通りだというものもあったが、大部分は白書に疑問を投げかけるか、または批判的であった。

 白書の提言を簡単にまとめれば、家計はただ単に銀行に預金するのではなく、株を買ったり投資信託に投資すべきだというものである。

 この提言の裏にある論理は、元金と利子を保証する預金ではなくリスクを伴う商品を購入すれば、国家の金融制度が間接金融から証券市場を介する直接金融にシフトするだろうというものである。

政府 対 読者

 白書によれば、これによって企業が活性化し、ベンチャービジネスが生まれ、日本経済の再構築と復活が導かれるという。しかし、読者からの反応は、このような考え方に強い抵抗を示すものであった。日本人は主に銀行や郵便局の口座に1,300兆円もの個人金融資産を保有しているが、これらは教育費や定年後の生活費を賄うものであるため、こうした資産管理で日本人がリスクを冒すことはできない。

 さらに、サラリーマンの大部分は住宅ローンの重い負担を背負っており、株やその他の金融商品に投資する余分な資金など残っていないのが現実である。

 日本人の間には伝統的に、株やその他の投資で得た不労所得は罪悪だとする強い信念がある。正しい生き方というのは、早寝早起きをして、貯蓄に励み、本を読むことだとする考え方がいまだに広く浸透している。

 定職に就かず朝から晩までパソコンの前で投機的な株取引きに興じる、デイ・トレーダーと呼ばれる15万人もの個人投資家がいると聞けば、大部分の一般の日本人は、生活費を賭け事で稼ぐプロのパチンコ師の通称であるパチプロを思い浮かべるだろう。

 北米証券管理協会がデイ・トレーダーの7割が損をしていると発表すれば、多くの日本人はそれは当然だと、溜飲を下げるに違いない。

ガルブレイスを思い出せ

 日本人にとってはそれ以外にも気にかかることがたくさんある。例えばジョージア州で、株式投資で40万ドルを損した男が、その腹いせに銃を乱射したというニュースの後、米国株式市場のブームの終焉が始まったのではないかとの懸念が持たれていることである。

 確か米国のエコノミスト、ジョン・ガルブレイスだったと思うが、金融の世界において革命的な発明などというものはない、そこにあるのはただ何十年間も続いている失敗についての記憶の喪失だけだといった。どんなにPCやソフトウェアが進歩しても、リスクという要素は株式市場から決してなくならないだろう。

 個人金融資産の60%が預貯金であり、25%が生命保険、そしてわずか7%が株式であるという事実に、日本人のこのような性質が端的に表れている。一方の米国では、株式やその他直接証券の関連商品が50%で、預金は16%に過ぎない。

貸付残高の格差

 銀行の貸付残高もまた日米両国間の明確な差を表している。日本のGDPは米国のわずか半分にすぎないが、金融機関の貸付残高は日本が約6兆ドルのところ米国は3兆ドルである。これは都市銀行のような日本の金融機関が米国の銀行の4倍の影響力を持つことを意味する。

 日本でも直接金融の機能が主に証券市場を中心に将来拡大される方向にはあるが、現在、日本の株式市場は銀行の融資と比較して補完的な機能しか果たしていない。

 外資証券会社の外国人アナリストなどがしばしば、日本にはそのGDPから考えて、総合金融機関はわずか3~4社しか必要ないというが、これはただ単に日本の金融制度の現実を理解していないことを示すものである。

 日本国民が株への投資を敬遠するもう1つの理由は、金銭への執着を露骨に示すことへの根強い不信感である。しかし、市場メカニズムの神髄はそこにある。

 多くの日本人は未だに、ウォール街の証券会社で働く社員が米国において究極のエリートとして尊敬されるという考えに不快感を覚える。

 そうした尊敬の念が現実かどうかは別として、日本人はアメリカンドリームをどれもこれも採択しなかったことは確かである。

普遍性の限界

 経済および金融制度は国の特性、いい換えると、その国の国民と歴史を基盤としている。したがって普遍性には限界がある。

 もちろん、証券市場を改善し強化する必要はある。しかし、急務なのは金融制度の中核である銀行制度を再建し強化することなのである。

 預金者や企業を市場のリスクから守るべき銀行がしっかりした基盤を持たない限り、日本の経済は決して復活しないであろう。日本家庭がリスクに挑むのは、そのあとでも十分である。