今回は『ジャパンタイムズ』紙から米国の大統領選に関する記事をお送りします。パリ在住の政治アナリストである著者のパフは、米国が民主主義国家ではなく金権政治の国であることを指摘するとともに、テレビやラジオを使った選挙広告絡みの既得権益者の影響力、中でも現在の選挙制度から最も恩恵を受けているのが現役の政治家であることから、米国の金権政治を変えることは不可能に近いと結論づけています。日本でも状況は同じではないでしょうか。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
金に支配される米国政府
『ジャパンタイムズ』紙、 1999年7月17日
ウィリアム・パフ
米国史上最多の選挙資金が投じられるであろう2000年の大統領選を前に、米国がもはや民主主義国家ではなく、金権主義の国になったという事実に目を向けなければならない。
金に支配される金権政治へと向かう流れはもはや止めることはできないであろう。改革を受け入れない新しい政治制度の頑強さは構造的なものであり、選挙運動規制や選挙資金に関する一連の政治決定や裁判の判決で生まれたものである。その結果、もはや選挙には一握りの人間以外、誰にも用意できない額の資金が必要になった。
選挙資金を集めるには、企業や特別利益ロビイ団体といった金のあるところに物乞いに行かなければならない。共和党の大統領指名候補であるアリゾナ州の上院議員、ジョン・マッケインはそうした状況を、政府内での自分の地位や影響力を売って商談をまとめる体制に他ならないとし、両政党は最高額の入札者に国を売ることで政権を奪い合っていると述べた。
選挙に途方もない費用がかかるのは、米国の選挙運動がほぼ完全にテレビとラジオのコマーシャルを通じて行われているためであり、世界の主要民主主義国の中でも米国独特のやり方である。
テレビやラジオで流される短い広告を信用して、政治討論の質が低下したことは誰もが認めるところである。人を惑わせたり、騙すことを意図的に狙ったのではないにせよ、それによってほぼすべての選挙運動は知的に空虚なスローガンや非難、操作されたイメージで構成されるようになってしまった。
その結果、選挙は放送/広告関係の企業にとって定期的、かつ莫大な収入源となった。選挙のたびに、こうした企業の金庫には、政府および民間から巨額の富が流れ込む。この選挙制度で生計を立てる放送/広告企業や選挙運動コンサルタント、世論調査員、選挙資金調達者、政治評論家など多くの関係者が大幅な変革を阻止したいと考えるのは明白である。
選挙にあまりに巨額の資金が絡んでいるため、いくら選挙制度を変えようと試みたとしても成功する見込みは少ない。また多くの場合、この制度から最も恩恵を受けているのが現職の政治家であり、彼らは選挙制度に不満を持っていたとしてもその変革を諦めているため、現行の選挙制度支持の立場をとっている。米国の政治は確かに挑戦と討論にあふれてはいるが、選挙改革の提案は、テレビやラジオ放送での有料選挙広告という問題の核心からすべて外れている。
ワシントンのジャーナリズムもこの制度の一部であり、政治家の人格やスキャンダルの方面から政治を取り上げる流れ、さらにはディズニー、フォックス、タイムワーナー、ジェネラル・エレクトリックなどの巨大企業にメディアの所有権が集中する最近の傾向により、ジャーナリズムの役割はますます複雑化している。政府の政策に影響を与えたいという巨大メディア企業が持つ大きな権力は、公正な情報提供というメディアの名目上の責任と相反する。
法律で効果的に選挙資金に制限を加えようとする試みは、選挙で勝つために資金を投じることは憲法が保証する言論の自由の行使であり制限できないとの理由から、これまでに何度となく最高裁判所の判決で無残にも阻止されてきた。その顕著な例が、1976年のバックレー対バレオの裁判である。
テレビやラジオでの選挙コマーシャルの禁止法案は、たとえ議会を通過することはあったとしても、宗教、言論、集会、請願などの自由への干渉を議会に禁じた憲法修正第1条の前で、廃案になることは明らかである。
放送局は電波を自由に使う代わりに、政見放送や公的問題の検討など公共の利益となる放送を提供しなければならないと規定した通信法が、1934年に立法化されたものの、レーガン政権時代には廃止された。
通信法の復活は議会によって阻止され、今後もその実現は政治的にほぼ不可能であろう。『ニューヨークタイムズ』紙のマックス・フランケルは最近、デニス・モリソウの訴訟を思い出し、かなり絶望的になった。1970年代にバーモンド州議員候補だったモリソウは選挙資金が不足したために、テレビが持つ大きな影響力と、公衆電波を使った政治コマーシャルに膨大な費用がかかることを憲法違反だとして、地元のテレビ局と連邦通信委員会に対して訴訟を起こしたのである。訴えは却下された。
米国の選挙制度に対する批判が広がっているが、国家レベルでの不満の域には達していない。ましてや、金による米国政府の支配に対する反乱が醸成されていないことは確かだ。多くの米国人は例外なく、米国だけが他の諸国とは異なる方法で国を治めていることや、米国では標準になりつつある政治に賢明な代替案が存在することに気づいていないことは明らかである。
しかし、米国人が理解していない最も重要な事実は、彼らが現実に気づいて金権政治から民主主義の政治に戻りたいと望んだとしても、さらに正確にいえば、共和国の政府の形態の民主的基盤を回復させたいと考えたとしても、何も変えることはできないということである。すでに確立された憲法上の解釈、裁判の判例、さらには立法過程における金の力は、根本的な変化を妨げることができるのである。