No.333 米国の脱工業化の悪夢

米国経済のすべてがうまくいっているかのような報道であふれる昨今、『フィナンシャル・タイムズ』および『フォーブス』の元編集員で東京を拠点に活動しているイーモン・フィングルトンがそれに否定的な著書を出版しました。『In Praise of Hard Industries』というこの本の中で彼は、金融、コンピュータ・ソフト、インターネット・サービスと、産業の脱工業化が進んでいる米国では主要製造業の基盤が崩れ始めているという警告を発しています。今回は、このフィングルトンに対してアマゾン・ドット・コムが行ったインタビューを取り上げます。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

米国の脱工業化の悪夢

(アマゾン・ドット・コムによるイーモン・フィングルトンへのインタビュー)

――米国企業が製造業を海外に移転させている主な理由は何か。ウォール街が短期利益の追求を迫り、それが製造基盤形成への投資を減退させているのか、それとも米国政府の政策なのだろうか。

フィングルトン: それはイデオロギーだ。すべてを自由市場に任せておきさえすればうまくいく、という信念なのだ。これは18世紀には論理的に正しい原理であったし、純粋に国内の問題に限った経済政策策定の多くの分野では今なお正しいといえる。しかし、広くグローバル化した市場で高度な工業製品での競争を余儀なくされている現在、一方的な自由放任主義のアプローチをとることは、米国経済の将来を左右する権利を外国政府に委ねることを意味する。米国以外の国では、主要な先端的製造業を将来の繁栄の柱に据えている。その直接的な影響として、米国のそのような業界は外国企業との価格競争で粗利引き下げへの厳しい圧力に晒されるようになる。市場の法則に忠実に従い米国企業は投資を削減し、海外からの調達をどんどん増やした結果、もはや米国内では設計とマーケティング以外はほとんど何も行っていない。具体的な社名は伏せるが、米国の貿易統計を分析してみれば、かつての世界第一級のハイテク・メーカーがその工程の大部分を空洞化させ、最も高度な製造部品を高賃金諸国に大きく依存していることが簡単にわかるはずである。高賃金国として最も目立つ国が日本であり、ここ数年、金融破綻が取りざたされてはいるものの、日本人の賃金は米国水準より20~40%高い。それにもかかわらず日本は、部品や素材、完成品の主要供給元となっており、米国の工業製品生産高といわれるものの大部分が日本からの輸入で占められている。

――米国企業が短期的利益に集中するのはグローバル化が理由なのか。

フィングルトン: グローバル化の情勢の中では、それが何千人もの米国人労働者のレイオフにつながろうとも、米国企業は海外からの供給によって高い収益を上げようとする。エレクトロニクス産業を例にとれば、米国の大企業は日本からの調達をますます増やしており、その結果、かつては熾烈な競合関係であったものが緊密な協力関係に変わってきている。実際、この分野では、米国が設計およびマーケティングを担当し、日本が高品質製品の大量生産や競争価格を提供する方法の考案など下請け作業のすべてを担当するという世界的分業体制となっている。それがこれまで米国の粗利を強力に押し上げてきた。しかし、大企業が高収益を上げるだけでは国は豊かにならない。メキシコ人に聞くといい。ここで忘れられているのは、米国が急速に高賃金国ではなくなりつつあるという事実である。私は企業のせいにするつもりはない。というのも企業は利益の最大化を目指すよう予め仕組まれているからである。しかし、社会全体の幸福に注意を向けなければならない立場にあるメディアは、現在の為替レートに換算し比較した場合、米国が他のいくつかの工業国に追い抜かれた点を指摘すべきである。日本とドイツだけではなく、シンガポールやデンマークにも追い抜かれているのである。  

――大半の米国人が抱いている最近の日本のイメージは、経済がひどく病んでいる国というものである。そうした見方の代表例がレスター・サローで、その著書『Building Wealth』の中で「日本は環太平洋地域で最も病んでいる。日本のバブル崩壊は1990年に起きたが、以来8年たっても一向に回復の兆しは見られない」と記している。あなたの日本経済の見方はサローとはまったく違うようだが、それはなぜか。

フィングルトン: 私は1985年以降東京を拠点としているため、日本を語る上でサロー氏よりも有利な立場にある。サロー氏を深く尊敬しているが、日本に関する記述については、新聞から悪影響を受けているようだ。米国のメディアは、日本の株式が1929年の大恐慌時の様相を呈したことから、日本経済が1930年代の米国と同じ道を辿ると考えた。しかし、日本経済は米国とは大きく異なるため、この論理は日本にはまったく当てはまらない。私は日本の不動産および株式の大暴落を予言した数少ない評論家の1人だった。したがって大方の評論家より日本で起こっていることをよく理解しているといえる。実際には、何人かのかつての富豪が金融機関破綻の痛手を被ったことが目立って取り上げられているものの、大半の日本人はかつてないほどの恵まれた状況にある。道路を走る車がいかに高級か見るといい。近年、海外旅行者数が増えていることにも注目して欲しい。その数は1980年代に比べて約70%も増えている。米国のメディアは、これら日本の実態を表す数字を無視している。経済政策研究所のエコノミスト、ジョン・シュミットとロレンス・ミシェルは、1990~98年では、国民一人当たりのGDP成長率は、好景気といわれていた米国より日本の方が高かったと指摘している。

――前著『見えない繁栄システム』の副題は、「それでも日本が2000年までに米国を追い越すのはなぜか」であった。まだこの予言を確信しているとすれば、日本はどのような点で米国を追い越すのだろうか。

フィングルトン: 従来の定義では、経済の規模は現在の為替レート換算の総生産量に相当する。したがって、一般的に考えて、私の予言が的中するには、ドルの対円為替レートが70円前後まで下がらなければならない。長期的にドルは必ず下がると見込んでいるが、70円まで急激に下がることはないであろう。しかし、総生産量よりも重要な経済指標のいくつかにおいて、日本はすでに米国を追い越している。例えば貯蓄である。公表されている最新の数字である1997年のデータを見ると、日本はOECD諸国の貯蓄の3分の1以上を占めている。一方、米国は4分の1未満に過ぎない。輸出から輸入を引いた残りである純輸出でも、日本は米国を追い越している。恐らくここ数年で米国が日本に追い越されたものの中で最も目覚しいのは、海外における経済力の誇示能力である。IMFの数字によれば、1990~97年に日本の純海外資産は2,940億ドルから8,910億ドルに急増した。対照的に米国が有しているのは純海外資産ではなく債務であり、その額は1990~97年の間に710億ドルから8,310億ドルに膨らんでいる。これらの数字は歴史的に重大な意味合いを持つにもかかわらず、私の知る限りでは、米国のメディアでこれを取り上げたところは1社もない。 

――ソフトウェア業界を典型的な脱工業化産業であるとしながら、米国においてその成長の見込みが過大評価されていると見ているようだがそれはなぜか。

フィングルトン: ここ数十年間にソフトウェア産業が飛躍的な成長を遂げたことは間違いない。しかし、私が懸念するのはこの産業の輸出能力である。米国のソフトウェア産業の規模からするとその輸出額はかなり低い。その原因は、海外の著作権侵害を始めとするいくつかの理由により輸出能力が著しく損なわれているからである。私のもう1つの懸念は、米国ソフトウェア業界の賃金の長期的な展望に関係する。ソフトウェアは極めて労働集約的な業界である。ここ数年の国際通信コストの下落に伴い、米国のソフトウェア会社はインド、ロシア、さらには中国といった低賃金国へ開発の仕事を移し始めている。日本がソフトウェア産業の育成にほとんど注力していないことはよく知られているが、その理由は、高賃金経済国である日本は脱工業化の産業よりも製造業に力を入れた方が国際競争力の維持および向上を果たせる可能性が高いことに日本人が気づいているからである。なぜならば、少なくとも日本人が行っているような製造業は極めて資本集約的であり、資本集約型の産業では高賃金経済国が高い生産性を享受し、それによって超高賃金を支払えると同時に、世界市場を独占し続けることができるからである。

――米国の金融サービス業界を、他の鳥の巣に卵を産んで自分では育てないカッコーのようだと評し、あまり好意を持っていないようだが。

フィングルトン: 私はウォール街で働いていたことがあるので、ウォール街の大部分の人は礼儀正しく、また悪意もないということを知っている。しかしウォール街は、世界で比類ないほど優れていた米国の製造能力を自己満足のために、黙って放棄するよう米国に奨励した主要イデオロギーの源泉の1つである。また、規制緩和後の金融活動の爆発的増大に関しても、私はウォール街に批判的である。ここ数年間に開発された多くの新しい金融商品がよい例である。ウォレン・バフェットが指摘するように、そうした金融商品がもたらす主な影響は、人々を投機に駆り立てることである。つまり、一般的にいってそうした金融商品には、ウォール街の利益を膨らませる以外の効果はほとんどあるいはまったくない。 

――米国の市場の評価をどう思うか。大暴落が近づいていると思うか。

フィングルトン: 米国の株式市場は非常に高く評価されている。市場がさらに上昇することがないとはいわないが、現在の株価レベルで投資を行っている人々はすべて、長期的な収益には失望するであろう。ただし、私はウォール街に東京が経験したような暴落が起こると予言しているわけではない。私の予測では、いかなる停滞も軟着陸となるであろうし、特定の小資本株などの中に狙い目はまだまだ残されている。 

――米国人は海外、中でも日本に投資を行う時機なのであろうか。

フィングルトン: 昨年10月、日本の株式市場は約10年間の弱気市場の後上向きに転じたと自分の見方を変えたことを発表した。以来株価は30%上昇しており、時機を得た予測であったようだが、近々深刻な下落があっても私は驚かないであろう。また日本の株は分析が難しく、よくてわずかな配当しか得られないことも忠告しておく。しかし、それでも長期的には強気市場であると見る。しかし、真に賢明な米国の資金は最近、日本の株式市場を迂回して不動産へ流れている。不動産では手堅く5%以上の賃貸料収入が得られるからである。

――製造の重要性を認識させるのに必要なのは何か。

フィングルトン: 良い質問だが私にも答えはわからない。何らかの大きな衝撃が必要であろう。ウォール街の壊滅的な暴落や、米国の失業率の急増でも起これば認識されるかもしれない。しかしそうした大きな衝撃が近い将来起こることはないであろう。そして米国のメディアや知的コミュニティが目を醒ます頃には、おそらくもう手遅れとなっているにちがいない。

[アマゾン・ドット・コム(http://www.amazon.com/)の許可を得て翻訳転載]