No.342 【日本よ】 自分で決めることの出来ぬ国 (石原慎太郎)

日本の米国への従属に対し、私と同様に警告を発する石原慎太郎氏の『産経新聞』の記事をお送りします。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

【日本よ】

自分で決めることの出来ぬ国 

- 石原慎太郎 -

1999年11月8日 『産経新聞』(東京朝刊)
 

 もうじき紀元二千年の大台、そして再来年は新世紀二十一世紀の始まりとあいなるわけだが、世にいうミレニアムなんぞよりも私には自分の過ごしてきた六十年余の過去の方がよほど劇的だったような気がする。中世だったら二、三百年はかかったろう変化を一生の内に味わってきたのは、人間として、多分幸せだったといえるのだろう。

 戦前、戦中、戦後とは簡単にいうが、特に戦後は敗戦後のあの荒廃から復興、発展、そして高度成長の結果のある意味での頂点、そしてさらに、それからの衰退の今日。その途上に、近代と呼ばれた歴史は文明の大きな変化とともに歴然として終わり、近代の延長ならざる、明らかに新しい文明が支配する現代の中に私はいる。

 時間的、空間的に狭小となった世界の中で周囲の国々との関わりを通じて、この国、日本はこれからどのような役割を演じ、どこに向かおうとしているのだろうか、それがどうもよくわからない。ということに、そろそろ多くの日本人がいらだち始めている。

 トインビーはその著書『歴史の研究』の中で、すべての国家は衰退するが、その原因は必ずしも不可逆的なものではない。しかし一番致命的な要因は、国家が自己決定が出来なくなることだといっている。その証左は歴史の中に枚挙に暇がない。あの大ローマ帝国も自らの国を守るという国家にとって致命的な仕事を、外国人にまかせてしまったために、あっという間に亡んでいった。

 数年前、隣の中国の李鵬首相はオーストラリアの首相との会談の中で、日本などという国は二十年たったら消えてなくなっていると揚言していた。アメリカの国際政治学者ブリジンスキーは最近の論文の中で、日本は所詮アメリカのvassal(下僕)でしかないと記している。なんとも口惜しい話だが、日本の政治家なり外交官がこれに抗議したという話を一向に聞いたこともない。

 しかし、いわれて見ればむべなるかなという気持ちがしないでもない。彼等から眺めると、経済の図体はいくら大きかろうと、日本という国の存在感はひどく希薄なものに違いない。

 なぜなら、日本という国は第二次世界大戦後このかた国家としての自己主張なるものをしたことがない。主張というものの背景には必ずそれを口にすべき自らの意思決定があるはずだが、それが一向にうかがえない。だから演繹していえば、国家のいかなる戦略も在りえない。特定の友好国の意向に百パーセント従うなどという姿勢はとても戦略とはいえまい。独自の強固な戦略をかざしてそれへの同調を押しつける相手へのただただの迎合は、友好などではなしに隷属としかいいようない。

 そんな相手が一つではなし二つになるという事態はますます厄介で、国益の保証はますます希薄になってくる。この国の政治家ではなしに、相手の国の政治家がそれをいくら口酸く説いてくれようととても安心も得心も出来るものではない。

 私にはどう考えてもこの国の政治家が自ら決定したとはとても思えぬ、訳のわからぬことが数えきれぬほどある。

 水爆を開発している隣の中国に毎年一億数千万、すでにのべ三兆をこす金を用立てている、非核を悲願にしているという国、この日本。

 アメリカが協定を結び正式に返還した領土の一部の尖閣諸島に日本人有志が折角建てた灯台を、返還後突然自国のものだと主張してはばからぬ中国に気がねして、運輸省は認知したのに、時期尚早とかで海図への正式の記載をはばかる政府。夜間遠目にも確認できる発光物を正式に記載していない海図は、航海する船舶にとってはむしろたいそう危険なものなのに。

 ただのアメリカンスタンダードをグローバルと自称されるままに受け入れた金融市場開放なのに、アメリカの保険会社が考え出した癌保険を日本の生命保険会社も売り出そうとすると、かつての合意文書を強引に曲解してそれは許さぬとアメリカ側が主張し、大蔵省も同調して、日本人が日本の生保に癌の保険をかけられないような国。それを一向に問題ともしない国会。

 ASEANの蔵相会議で東南アジアの国々から再度の要請によって発進する円建ての援助基金が、日本の金を使うのにアメリカの意向を汲まぬと運用出来ない仕組みの面妖さ。

 日本の持つ唯一の力ともいえる、世界の総量の三分の一に近い潤沢な金融資産の運用に、この国の意思なるものはほとんどうかがえはしない。物を作るのが旨い日本人には貿易で稼がせても、その上がりの金はアメリカのために使おうという巧みな戦略に翻弄され、低金利を押しつけられるまま日本人は利回りの低い自国の金融商品を買わずにアメリカの商品を買うように追いこまれている。

 土台、世界一の債権国日本の経済が振るわず、世界一の債務国のアメリカが今までにぎわってきたという理の通らぬ現象に日本人もそろそろ首を傾げるようになっていいのではないだろうか。

 せめて自分で苦労し稼いだ金くらい周囲のために、自分の意思で決めて使う国になりたい、と私は思うのだが。