昨年5月のユーゴ爆撃中に起きた中国大使館誤爆事件について、米国側は誤爆の原因を地図が古かったためだと説明しました。しかし、以下の『オブザーバー』紙の記事によれば、アーカンと呼ばれる起訴中の戦犯が、セルビア人の暗殺隊へ情報を送るために中国大使館を中継所として利用していたことを米国側が知っていて、まさにそこを狙って爆撃したのだといいます。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
米国の中国大使館への空爆は意図的だった?
『オブザーバー』紙 1999年11月28日
米国はベオグラードの中国大使館への爆撃は誤爆であったと主張する。しかし、北京の米国大使館とイギリス大使館を暴徒が取り囲み、中国の江沢民国家主席がクリントン大統領からの電話を拒絶する中、まったく異なる説が浮上した。(『オブザーバー』紙)
1999年5月7日、一機440億ドルという世界で最も高価なB-2爆撃機が、光る黒い機体にミサイルを搭載し、ホワイトマン空軍基地を飛び立ちベオグラードに向かった。大西洋と西ヨーロッパ大陸上空を横断し、アドリア海の上で爆弾の扉をあけ、世界で最も精度の高い飛行爆弾JDAMを投下した。 JDAMは7つの衛星からの距離を確かめながら、4つの調節可能な尾翼を使って機体の位置を調整する。非常に精度が高く、標的から誤差2メートル未満の武器なのである。
B-2に搭載されたその爆弾はセルビアの首都の上に雨のように投下され、その攻撃目標である中国大使館の南端に向かった。そしてそこにあった大使館付陸軍武官の執務室を破壊し、3人のジャーナリストが死亡した。真夜中の攻撃にしてはあまりにも正確で、大使館の北側の端は無傷で、大理石とガラスでできた入り口も4つの植木鉢さえ割れることはなく、大使のベンツも無事だった。
CIA、米国国務省そしてイギリス外務省は、爆弾が間違った建物に当たったと主張し、その大きな過ちを嘆いた。1兆ドルもの兵器を展開していながら、標的を選んだ諜報アナリストが古い地図を使っていたという。
中国大使館への攻撃はユーゴスラビア大統領、スロボダン・ミロシェビッチに対するNATO 軍の軍事作戦にとってタイミングが悪かった。無防備なアルバニア避難民への誤爆が西側世論にこの戦争の正当性を疑問視させ始めていたところに、今回の米国の戦争マシンは、考え得る限り最も外交的に敏感な対象物を誤って攻撃してしまったのである。
しかし暴徒が北京にある米国とイギリスの大使館の周りで罵声を上げ、また中国の江沢民国家主席がクリントン大統領からの電話に出ることを拒絶する頃、世界の反対側ではまったく異なる話が浮上していた。
5月8日の朝、北イタリアのヴィンセンザの統合航空作戦センターでは、イギリス、カナダ、フランスの攻撃目標担当官たちが米軍大佐を取り囲み、「なんてへまをしたんだ」と非難していた。大佐はそれに対して落ち着いてこう語った。「とんでもない。あれは絶好の標的だった。我々はJDAMを2発、公使の執務室にぶち込み、本当の目標に命中させたのだ。これでもう中国人はあの部屋を無線の中継地点に使えなくなる。これであのふざけたアーカンのやつは困ったことになるだろう」
1999年10月、『オブザーバー』紙は初めて公式発表に対して異を唱え、最初から大使館が標的だったと主張した。米国のオルブライト国務長官はこれを「たわごと」と一蹴した。以来、『オブザーバー』紙のジャーナリストたちは取材を続け、さらに多くの証人を集めた。
オルブライト米国務長官、英外務大臣ロビン・クック、米CIA長官ジョージ・テネットら誰もが否定したが、真実は、米国は自分たちが行っていることを理解していた、ということである。ベオグラードの中国大使館は計画的に、米国の持てる兵器の中でも最も精巧な爆弾の攻撃目標にされた。なぜならアーカンと呼ばれる起訴中の戦犯ゼルコ・ラズナトビックが、コソボにいるセルビア人の暗殺隊である仲間へ情報を送るため、中国大使館を中継所として利用していたからである。
意図的な爆撃
誤爆の直後、NATOの米国人以外のスタッフの中に誤爆を疑う者がいた。1999年5月8日、彼らはNATOの目標物コンピュータに入り込み、衛星座標で中国大使館の位置を調べた。その座標はコンピュータ内にあり、位置も正しかった。CIAが古い地図を使ったという言い訳を世界が聞かされている間に、NATO担当官たちはCIAはまさにその中国大使館を対象として攻撃したという証拠を目にしていたのである。
10月末、『オブザーバー』紙はNATO内のいくつかの情報源から得た証拠を報道した。身元がわかれば即座に解雇されるであろう現役の陸軍将校たちである。しかし、この新聞報道はCIAにも、オルブライトにも、クックにも「そんな話はでたらめで、なんの証拠もない」と否定された。
『オブザーバー』紙は当初の情報源に立ち戻るとともに、NATO大佐から諜報部員、さらには陸軍将官にいたるまで、現役の士官にもインタビューした。そして全員が中国大使館が標的だったということに同意した。
これら情報源の一人によれば、実際、中国大使館はアーカンと彼のホワイト・タイガーと呼ばれる仲間たちへの無線中継所として使われており、これが大使館攻撃の理由となったという。「起訴中の戦犯であるアーカンの活動拠点であったという事実は、米国人が攻撃するのに充分な理由だった。もし大使館がユーゴ軍側の中継所だったら、爆撃は免れただろう」
アーカンの亡霊はコソボの戦いの前に大きく立ちはだかった。ボスニア戦争で死の分隊を組織したかどで起訴されたアーカンのコソボでの役割は未だ明らかではない。しかしハーグの旧ユーゴスラビア寄りの国際刑事法廷の捜査官は、コソボの大半を占めるアルバニア人を民族浄化するミロシェビッチの計画「馬蹄作戦」に、アーカンの暗殺隊が残虐な役割を果たしていると疑うだけの充分な理由があるとしている。
しかし傍受した信号がアーカンか、彼の部下か、またはただ単にユーゴ軍やユーゴ警察(両者ともコソボでの残虐行為に関わっている)のいずれにせよ、1つ明らかになったことは、NATOが傍受した無線が中国大使館内から発せられたものだということだった。
当時は強い疑いという程度だったが、『オブザーバー』紙はそれを確認した。この戦争で中国大使館がユーゴ側に荷担していたことが、1999年10月、パリで明らかにされたのである。フランス防衛庁の高官ははっきりと、1999年5月7日に攻撃された建物はユーゴの無線を中継していたため攻撃目標になったと述べた。ただし、フランスはその建物が中国大使館とはまったく知らされていなかったという。
「我々の誰一人として、その攻撃目標が大使館だとは想像だにしなかった。我々が聞いたのは、その軍事標的の地下からユーゴ軍に対して無線が送られているのがモニターされたということだけだった。我々には、破壊しなければならない通信施設の標的だと説明されただけだった」。しかしフランス人は、米国人が実際はどこまで知っていたかということに、ますます疑いをもった。「米国が本当に知っていることについては、触れたくない」と同じ情報筋は語る。
オルブライト、クックなどが口裏を合わせた、古い地図で攻撃目標が決められたために大使館が爆撃されたというCIAの最初の言い訳を覆したのは、『オブザーバー』紙が報道したNATOの証言だけではない。米国で最も著名な中国研究者であるエズラ・ヴォーゲルを含むほとんどすべての専門家も、これは信用できないと判断している。米国の国家画像地図局は、誤った地図の話は「ふざけた嘘」だといい切った。
CIA長官ジョージ・テネットが1999年7月22日に議会の諜報特別委員会で主張した内容は、新たな詳細調査の対象となったが立証はされなかった。テネットは委員会のメンバーに対し、建物が大使館であることを示す目に見える印や旗は何もなかったと述べたが、事件直後に撮られた写真は、まったく異なる状況を示していた。正門には赤い旗が翻り、建物の両脇には中国文字ばかりの掲示板が写っていた。大使館にははっきりとセルビア語で中華人民共和国大使館と表示が出ており、CIA長官が真実を語っていないことを如実に示す証拠となった。
さらに、人気のなくなった新しいベオグラードにおいて、中国大使館の位置が国家秘密であることはあり得ないという事実も動かしがたいものであった。平和と友好という名の公園の反対側、チェリーブロッサム大通り3番地にある中国大使館は、片端をミサイルで破壊されたが反対側はほとんど無傷である。内部に閉じ込められた外交官、ジャーナリスト、スパイ、その他の職員のためにシーツを結んで間に合わせで用意された避難口が、かつてはすりガラスで覆われていた窓穴から、風になびく白い日除けと不揃いの青緑のカーテンとの間にぶら下がっている。
応接室は今もそこにあり、南側の外壁が爆撃によって破壊され風雨にさらされている。ルイ14世時代を模したソファは豪華なシャンデリアの下に並び、大使官邸だった隣接の建物にあるクレーターほどの穴の方を向いている。その部屋やソファは、かつてこの建物で定期的に開かれたパーティで米国の外交官と会ったベオグラードの外交団にとって馴染みのあるものだった。CIAはこの建物に親近感を持つ外交団には、大使館攻撃を次のように公式に説明している。「爆撃するはずだったのは兵器供給調達庁であり、その建物の位置を探る技術に不備があった」
しかし、そんなことはあり得ない。攻撃目標担当官が発見したようにNATOコンピュータに大使館の座標があっただけではなく、『オブザーバー』紙が確認したように中国大使館は長いこと西側諜報組織の第一標的であり、したがって極めて正確にその位置が確認されていた。
それだけ監視されていたのは、中国共産党政権が長年にわたり、軍事力増強においてセルビア人に協力してきたからである。西側世界の目であり、耳である米国国家安全保障会議とイギリスのGCHQは、それを見聞きしてきたのである。
さらにもう1つ問題がある。空爆に参加したNATOの航空管制官もそれを認めている。「NATOが突き止めた中国大使館の詳細な位置が電子データとして存在していた」。この情報筋によれば、その電子データはヨーロッパにあるNATO本部、モンスの統合諜報作戦センターに転送されたという。米国の軍部と民間の役員が最初に調べたところその領域はユーゴ軍将校基金所有の公園の一部とされていたが、ヨーロッパ人が提供した最近の地図によると、大使館の位置がはっきりと記されていた。上級士官によると、それは攻撃禁止リストに挙げられており、そのリストからはずして攻撃目標にする場合は、米国最高司令官、すなわちクリントン大統領の承諾が必要だという。
大規模なスパイ活動
米国とヨーロッパのNATO同盟国、特にフランスとの間で最も論議をかもしたのはこの問題である。米国がNATOの統合指令構造外で任務を与え、それを仲間の戦闘員に隠していたことである。1999年10 月、この問題は米仏両国の間で苦々しい対立となり、フランスは米国が陰に隠れて指令を出していると非難し、米国は攻撃目標を拒否することでNATO軍パイロットの命を危険にさらしているとフランス政府を非難した。国連やワシントンなど米国在住のフランス政府の高官たちは、コソボ紛争中、NATOが攻撃目標を選択する方法について、フランス政府は極めて慎重だったと個人的に発言した。
「米国空軍と諜報サービスは、ブリュッセルのNATO司令部と緊急直通電話回線でつながれていたが、彼らは共同協議のプロセスに影響されず、独自の選択をした」とニューヨークの国連ミッションのフランス外交官は不満を述べた。
誤爆だとするCIAの説明に対して、フランス外交官は依然として「極めて懐疑的」と見ていることをより率直に語る者もいる。また「まだ偏見を持っていない」とある高官は述べ、「バルカンにおける中国の役割と位置付けが、今回の攻撃につながったと信じる理由がある」と続けた。
その高官に意図的な攻撃をする動機は何だったのかと尋ねると、「軍事的なものを含め、中国がいくつもの方法でユーゴスラビアを支援している可能性である。そして、米国諜報部の間には、中国が米国に対して大規模なスパイ活動をほしいままにしているという懸念があった」と答えた。
しかし、『オブザーバー』紙の情報源が明らかにしたところによると、ヴィンセンザの統合空軍作戦センターは大使館爆撃計画を知らされていなかった。なぜなら、ステルス爆撃機および他の特別なシステムを使ってなされるすべての軍事行動は厳しく秘密にされ、米国人の胸に秘められたからである。「我々に連絡がくるのは行動を起こした後だけだった」。
未だに疑問とされていることは、なぜ米国がそのような物議をかもす攻撃でリスクを冒したかということである。「その目的はミロシェビッチに対し、中国のみならずいかなる外部からの支援も受けるべきではないという明白なメッセージを送ることだった」とNATOの諜報部員は語った。
情報源の1つであるNATOの空軍将校は、「空爆で亡くなった民間人とされる中国人は諜報部員だったということに賭けてもいい。米国人は何をどうやって攻撃するか、明確に理解していた。攻撃目標が大使館だと知っていたばかりか、設計図さえ入手していたに違いない」
ある諜報専門家は『オブザーバー』紙にこう語った。「もしこれが間違った標的だったら、なぜ彼らは地球上で最も精巧な兵器を使って、“違う建物”であるにも関わらず、正確な場所を爆撃できたのであろうか」