No.355 「日本人を幸せにする企業経営とは」に対するご意見と私のコメント(1)

No.353、354で、私の経営理念として「日本人を幸せにする企業経営とは」をお送りしました。今回は、それに対してお寄せいただいたご意見やご質問に対する私の回答をお送りします。

「日本人を幸せにする企業経営とは」
に対するご意見と私のコメント(1)

<社会および会社の目的>

* 理念はすばらしいが、バランスが難しい。いざ赤字、またはそのような状態になるとリストラしかできない経営者に問題があることを認めていく必要がある。最大のコストは「無能な経営者」だと思うがどうだろう。日産の社員は……。

回答: リストラの必要がないように経営者は企業の成長をコントロールしなければいけないと思います。リストラが必要になった企業は、おそらく好景気の時にあまりに多くの利益を貪りすぎたのでしょう。金融機関も同様の理由で行き詰まったに違いありません。また現在では、コンピュータ会社、ソフト、インターネット関連の企業が同じ理由で持続不可能なほどの急成長を遂げています。人々は生きている間生活を支える収入が必要です。したがって、維持できないほどの急成長を目指し、その結果社員をリストラするような企業は社会によく貢献しているとはいえないと思います。

* 戦前は一部の階級(財閥、地主)に資本が集中していたと理解しています。

回答: 日本の戦前の歴史について無知であることをお許し下さい。しかし私の推測では、江戸時代の終わり、あるいは徳川幕府の没落以降、日本は間違った方向に進み始めたのではないかと考えます。明治時代には、独裁君主が帝国主義を始めとした欧米流のやり方を模倣しようとした結果、多くの日本人がその犠牲になりました。こうした見方は推測でしかなく、これを実証するには私自身もっと勉強しなければなりませんが、江戸時代および高度成長期の日本と西洋とを比較すると、日本人の方が圧倒的に西洋人より豊かに暮らしていたことだけは確信を持っていえます。

* すばらしい考え方だと思うが、競争が激しくなれば生産性や効率中心に動かざるを得ない時もあると思う。そのバランスをどうとるかが、本当は一番困難なことではないだろうか。

回答: 国民の幸福を犠牲にしてまでバランスをとることには反対です。生産性や効率と国民の幸福との間のバランスという観点から、最も裕福で権力のある人々がさらに多くの富や権力を要求している最近の傾向を見るにつけ、これはまさに階級闘争であると感じざるを得ません。なぜならば、富裕者や強者がさらに自分達の取り分を増やすためには、同じ社会の仲間である貧困者および弱者を犠牲にするしかないからです。

* 殺人企業の話:タバコについてはまさにおっしゃる通りと思います。私はさらに付け加えたいです。

食品産業: 遺伝子組み換え、農薬、添加物などなど、タバコなみにじっくり利きそうです。
甘い物、脂肪も体に悪いですよね。
自動車産業: 交通事故死、年1万人。
人は歩くことをやめ、体力低下をもたらしているでしょう。
家電: かつてテレビを一億総白痴化といった人がいました。
もしそうなら、テレビは心の破壊者でしょう。

回答: 確かに上記のような産業も悪影響をもたらしているかもしれません。しかし、タバコはそれらとは基本的な違いがあります。タバコ産業は、ニコチンの常習性および喫煙が人体に及ぼす危険性に関する科学的な裏付けを、過去約50年間にわたり意図的に隠してきました。またその一方で、巨額の広告宣伝費を注ぎ込んでその有毒性に気づいていない何百万人もの人々を誘惑し、彼らをタバコ中毒にしてきました。

遺伝子組み換えへの取り組みは、消費者に与える潜在的な危険性に関する調査や消費者に対する警告が十分に行われぬまま、あまりにも性急に進めすぎていると思います。確かにこれは間違った、無謀な行為だと思いますが、タバコの生産と販売に見られるような意図的な殺人行為とは異なると思います。

農薬や添加物も遺伝子組み換えと同様、潜在的な有害性は認められるものの、慎重かつ十分な調査や警告が不足していると思います。しかしこれもタバコのような意図的な殺人ではありません。

甘い物や脂肪もタバコ同様、消費者をそれなしにはいられないようにして収益を上げるために、意図的に使われています。ただしそれらの有害性は、タバコの有毒性とは比較にはならないと思います。

テレビなどの一部の家電も、確かにテレビなしの生活ができないようにさせて利益が上がるよう、意図的に作られているとは思いますが、タバコほど、有害とは思えません。

自動車は欠点よりも利点の方が多いと思います。自動車事故が起こるのは、主に利用の仕方によります。さらに大気汚染や交通渋滞は政府の失策、つまり政府が自動車メーカーの利益や雇用を優先させた結果だと私は考えます。

* 顧客の幸福につながる製品、サービスの提供の話:おっしゃる通りとは思いますが、「幸福」の定義は何でしょう。農薬を使うことによって野菜は安くなり人は幸福でしょう。だけど? エビを食べる人は幸福でしょう、だけどマングローブの林は養殖のため伐採され……。甘い物を食べるのは幸福でしょう。だけど虫歯や糖尿病をもたらすでしょう。自動車は楽に遠くへ速く移動できます。だけど運動不足をもたらすでしょう。テレビは人々に世界の様子を知らせるでしょう。だけどそれは生の情報でしょうか。

回答: 農薬の社会的悪影響と、個人に与える影響は切り離して考えなければなりません。農薬が我々の環境に及ぼす悪影響、つまり、我々が共有しなければならない社会的影響は、政府が抑制しなければならないものです。しかし、自分が農薬を消費するかどうかは、消費者個人の選択になります。すなわち、消費者が無農薬食品しか買わなければ、農薬を消費しなくても済むのです。ただしそのためには、政府が売られている商品の有害性に関して、消費者が必要な情報を得られるよう情報開示を徹底させなければなりません。タバコについても、政府は同様の措置をとれるはずです。例えば、非喫煙者に害を与えないよう、公共スペースを禁煙にするなど。そして喫煙が自分の体にどれだけ害をもたらすかを消費者が理性的に自分で判断できるよう、タバコの有害性について十分な情報が提供されるべきです。そして、エビや甘い物、自動車、テレビについても同様のことがいえると思います。

<生産性向上について>

* 貴社で販売している商品は生産性を高めるためと認識しているが、なぜ生産性を求めないのか。

回答: 社会は働く能力と意志のあるすべての構成員に対し、完全雇用を提供しなければならないと私は信じています。私が経営する会社は顧客が求める生産性を実現するための製品を提供しています。うちの社員に関していえば、社員がより多くのことを達成することで収入増につなげられるような生産性向上であれば、それに向けた投資には賛成です。しかし、社員の収入を削減したり、あるいは社員数を減らさざるを得なくなるような生産性向上のための投資には反対です。生産性を押し上げ過ぎれば、必ず社員のレイオフや賃金カットのいずれか、あるいはその両方により、生産性の大幅な向上のためにかかった投資を正当化しなければならなくなるからです。私はそうした生産性の向上は社会に利益をもたらすというよりは、害になると信じています。

* IT技術が知的支援ツールとなっているが、これは日本の信頼とか人間関係に思わぬ影響を与える。ここに書かれてあることは、ソフトウェア・ツール販売会社の社長として感じる危機感を反映しているのか。

回答:我が社が、知的支援ツールあるいは生産性向上を助けるソフトウェア・ツールを販売しているという意味で、私は危機感を感じていますし、私がここに書いたことはそれを反映していると思います。日本の生産性(GDP/人口)はここ数十年間に指数関数的に増大しています。1990年代の日本の生産性は1980年代に比べて2倍、1970年代の4 倍、1960年代の16倍に増えています。この急増する生産性を有効に活用する方法を見つけなければ、人々の生計を支える雇用機会はなくなり、ほとんどの国民が貧しくなるか、あるいは、雇用機会を奪われなくとも生産性向上の意欲を失うことになるでしょう。日本国民が生産性向上の意欲を失えば、生産性向上を助けるツールを販売する我が社は、収入が得られなくなるかもしれません。そうした意味で、確かに危機感を持っていますし、生産性向上や知的支援ツールの提供については、人にとって代わるツールではなく、その収入増につながるようなツールの提供を目指しています。

<利益追求と道徳や倫理重視>

* 個人の利益やモラルや倫理と、利益確保はどこまで両立できるのか正直わからない。

回答: 一般に個人の利益、モラルや倫理は、高利を貪ることとは両立し得ず、どちらかを選ばなければなりません。儒教、武士道、さらには高度成長期の指導者の価値観が我々の先輩たちに教えたことは、巨利の追求よりも、国民の利益やモラル、倫理を優先させることであったと私は確信しています。しかし、今の世代の日本人は祖先の価値観を捨て、国民の利益やモラル、倫理よりも巨額な利益の追求を優先させる英米流のやり方を真似ていると思います。

* 本当に企業も個人も、今は「志」(日本語の志は英語のwillの意味と同時に、道徳、精神の高さをも表している)がなくなってしまったのではないかと感ずることが多い。少し年配がこのことについて若い人に話しかけ、気づかせねば。

回答: 企業や個人が志を失ってしまったのは、おそらく日本が武士道や儒教、神道を教えなくなってしまったからではないでしょうか。1945年以降、日本は道徳や価値観といったものを教えてきたでしょうか。

<禁煙について>

* 「たばこ」については、いろいろ考えさせられる。経営者として、どこまで踏み込めるか、限界をわきまえる必要があろう。社員の幸福は考えるべきだが、押し付けになってはいけないと思う。

回答: 喫煙者は非喫煙者に害を及ぼすと思いますが、非喫煙者が喫煙者に害を及ぼすとは聞いたことがありません。当社の完全禁煙を通じて私が目指していることは、喫煙者が非喫煙者に、また喫煙者自身に害を及ぼさないようにすることです。確かに私はタバコを吸わないし、個人的にタバコが嫌いです。しかし、私は、そうした私個人の嗜好を私の家族や会社から離れた場所においてまで、他者に押し付けるつもりはありません。また喫煙に対する他社の取り組みをとやかくいうつもりも権利もありません。ですから禁煙規則のない企業の管理者がタバコを吸っても別に悪いことだとは思いません。しかし私は、夫、父親、そして経営者として家族や社員をタバコの害から守る責任が自分にあると考え、我が社においては通勤時も含めて就業時間においては喫煙を禁止しているのです。

<経営とわたしの役割について>

* 正業の1つのあり方だと思う。企業行動、従業員の行動にどのようにプラスに結び付けていくのだろうか。

回答: 私がここに記したことは、私個人が理想と考える商売や経営の理念であり、残念ながら、現時点で我が社およびその社員の行動がすべてこれと一致しているというわけではありません。しかし、会社および社員の行動を私が理想と考えるものに近づけるためにも、行動の指針となる理念を明確に示す必要があると考えました。これからの私の最大の課題は、私が理想とする理念と、会社と社員の実際の行動を一致させることにあります。それが、私が社長であると同時に、人事担当役員を兼務している理由の1つでもあります。

* 最近、安易に使われているCSについて、真剣に考える必要があると感じた。貴社では実績に基づく報奨制度を採用されていると聞いたが、その時の基準は利益ではないとすると何なのかを知りたい。

回答: それは我が社で常に問題になっていることでもあります。利益に対する現在の私の考え方は、期あたり赤字を出さなかった場合(つまり赤字は絶対に駄目だが、利益はゼロか1円でよいという考え方)は高く評価するが、1円以上の利益を上げることを奨励しないということです。したがって、確かに現在は、実績に基づく報奨制度を採用していますが、赤字を出さず、しかも利益追求に走らせないことを目標にすることが理想だと私は考えています。

* 年齢が気になります。後継者はどなたでしょうか。

回答: 私はいかなる指導者も、指導者である間およびその引退後に、自分の率いる組織がいかなる結果を残すか、さらにはその組織がいかに健全であるかによって評価されるべきであると信じています。私は自分が永遠に指導者であり続けることはできないことを承知しています。したがって、最近の私の最大の優先事項は、私が経営する会社が私の引退後も、私が直接経営していた時と同様に、あるいはそれ以上にすばらしい組織になるよう導くことにあります。具体的にいえば、私は個人的に、わが社が採用する新入社員に対し70歳までの雇用を提供すると宣伝しています。私の最終目標は、私が引退した後も、会社が私が引退する時点の社員すべて、および雇用を約束した内定者に対し、その70歳までの雇用を守ることができるようにすることです。

* 日本の基本政策そのものへのコメントを実行するためには、政治活動をせざるを得なくなるのではないかと考えていますが、あなたは御社の内向きに留まるのか、それとも日本全体にご意見を広げて、一種の政治活動にしていくのか。そのときはサポートしますが。

回答: 私の生涯の仕事は会社と共にあります。政治家になりたいとは思いません。私が唯一望むことは、民主主義社会の一員として政治家に影響力を与えることだけです。民主主義を機能させるためには、我々すべてが、自分自身のキャリアを求める一方で、地域社会の統治に積極的な関心を持つ必要があると確信しています。