今回は『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙より、米国の今日の状況に酷似した時代として、米国資本主義の勃興期であった19世紀末を描いた記事をお送りします。筆者は、19世紀末には農民や労働者の反乱が起きたのに対し、現在の米国には現状を変えようとする市民の動きは見られないと述べ、それは制限のない選挙資金が支える米国の金権政治に抑えつけられているからだとしています。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
なくなることのない米国の金権政治
『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙 1999年12月6日
ウィリアム・パフ
金にまみれた民主主義国家、米国にとって、歴史を顧みて教訓を得ることには価値がある。米国史の中で、今日の金権政治に匹敵するほど金の力で権力を手に入れられたのは、 19世紀末のいわゆる“おいはぎ貴族”の金ぴか時代(マークトウェインとワーナー共著の風刺小説のタイトル)であった。
南北戦争後、大陸横断鉄道とホームステッド法(5年間定住した西部の入植者に公有地を160エーカー(約65ヘクタール)ずつ払い下げることを決めた1862年の連邦立法)の成立によって、東部の貧困者と野心的な移民者に、ロッキー山脈の大平原が開放されることになった。
グラント政権の汚職と、大都市における組織政治(政治活動のために作られた組織の力で選挙戦の勝利や法案の成立を図るもの)の発達によって、多くの人々が米政府は完全に富裕者と腐敗したエリートの支配下に入ったと結論づけるようになった。
産業界は、企業合同(トラスト)と固定価格および競争を生み出し、最富裕層と最貧困層の間の所得格差は今日のレベルに近かった。そして、農作物の不作および大草原の干ばつによって、先のホームステッド法による定住政策は、すでにその魅力を失っていた。
1873年の金融パニックによって農産物価格が暴落し、西部の農民同盟は鉄道の規制(後に国有化)、国有銀行の廃止、所得税の累進化、銀の自由鋳造(私人が貨幣適格金属を鋳造所に持ち込んで鋳造してもらう権利)などを要求した。さらに、企業と対立し、政府の社会的介入を求める労働騎士団(米国の初期労働団体AFL(米国労働総同盟)の前身、1869年全労働者を1つの組合に組織化するために創立された秘密結社)と改革者との連合は、1890年、上院議員5人、知事6人、議員46人を選挙で当選させた。
2年後、鉄道や荷馬車、徒歩でオマハに集結した議員は、金銀貨の無制限鋳造、諸公共施設の公営化、土地私有禁止などを主張して人民党を設立した。1892年の大統領選で人民党は100万票以上を獲得した。(その時、当選した民主党のグローブ・クリーブランドは、550万票を獲得した。)
人民党の得票率が高かったことから、民主党は銀の自由鋳造を認め、1896年には、人民党と民主党は連合で、ウィリアム・ジェニングス・ブライアンを大統領候補に擁立した。ブライアンの演説は、宗教的なイメージや信仰復興論者の感情と経済および政治の変化を求める単純なメッセージとを結び付けたものだった。歴史家のリチャード・ホフスタッターは、聴衆に対する彼の演説を「福音主義に基づいて育てられ、聖書以外の文学をほとんど知らない人」のようだと描写した。ブライアンは過去30 年間の米国政治の特徴であった冷笑や無関心を一掃し、南部全州および西部の農業州の支持を勝ち取ったが、大統領にはなれなかった。
当時、米国の農民3分の1以上が自分の土地では働けず、人口1%の所有する富が、残り99%が所有する富の合計を上回っていた。1900年の選挙でも、再びブライアンは落選した。当時の『シカゴ・イブニング・ポスト』紙は次のように記している。「年商百万ドルもの企業連合が一握りの人間によって支配されるだけでも十分悪いことなのに、足を踏み入れたこともない工場を、大規模な金融ポーカー・ゲームの単なるチップの一つとしか考えない少数の人間が、合わせて年商10億ドルにもなる農民や一般労働者、小規模な企業などすべてを操作し始めたら、いったいどうなるのであろうか」
その後、より洗練された改革の波が続いた。1900年、ウィリアム・マッキンレーが大統領に選出され、セオドア・ルーズベルトが副大統領になったが、数ヵ月のうちにマッキンレー大統領が暗殺され、ルーズベルトが大統領に就任した。
米国の資本主義を今日まで規制してきた制度は、ルーズベルト大統領の就任中に策定されたものである。最初の任期中、彼の政権は消滅しかかっていた反トラスト法を復活させ、大手の一般企業連合および投資トラスト40社以上を反トラスト法の標的にし、そのほとんどの解体に成功した。
ルーズベルトの2期目の政権は、州際事業を規制し、鉄道に対する政府の規制を強め、食肉検査法や純正食品・薬品法を成立させ、さらには天然資源の保護や国立公園制度も確立させた。
ルーズベルトの価値観は、産業界の価値観とは異なっていた。彼は英雄的な国粋主義者であり、英雄の美徳や長としての個人的指導力を信じ、物質万能主義的価値観を軽蔑していた。彼は自分が階級の利害を超越していると信じ、寡頭政治を改革すべきであり、その改革とは行政府の指導力によって発揮される広範な連邦政府の力を意味すると考えていた。
ルーズベルトは自らが属す階級について次のように語っている。「富裕層、あるいは彼らが自分達の呼称として好む上流階級は、明らかに、資本主義社会の支配階級である有産者の特徴を持ちつつある。発展段階の中で有産者階級に属する個人は、正直かつ勤勉、高潔であるものの、驚異的に近視眼的かつ臆病な利己主義に陥りやすい。また商業階級には、すべてを儲かるかどうかの観点からのみ捉える傾向があまりにも強すぎる」
南北戦争と第一次世界大戦の間に米国民が経験した経済的、社会的危機および改革は、その後の大恐慌やニューディール政策よりも複雑かつ重要な社会的ドラマを形成した。1870年代、 1880年代に起きた農民および労働者による準反乱ともいえる行動は、この20世紀の米国にはまったく見られない。
また醜聞を暴露するジャーナリストや小説家、あるいは特権階級出身の政治家による改革運動に似た現象も今日にはまるで存在しない。現在の米国の状況は19世紀末期に酷似しているものの、21世紀の米国に当時のような運動が起こる気配は全然ないのである。
今日、政治における金の力は、1976年に最高裁判所が下した「選挙資金に制限を設けないことは憲法上保証されている言論の自由の表出である」とする判決によって保護され、根本的な改革はこれによって失敗に帰せられる運命にある。これは私がこれまでに書かねばならなかったことの中でもっとも悲しい分析だが、どうも真実のようだ。