米国は間違いなく世界一の偽善国家であり、その偽善ぶりを類を見ないほど押し上げ続けることにおいては超人的な力を有しているようです。3月16日の『デイリーヨミウリ』1紙をとっても、オルブライト国務長官がインドに対し各兵器の開発を削減するよう迫ったり、キルギスタン共和国の選挙の不正行為を問題視したりと、米国の偽善を示す記事がすぐに見つかります。米国を除く全世界の核兵器を合わせたよりも多くの核兵器を持ち、さらにそれを増やし続けている米国が、インドに対して核兵器開発の抑制を迫る立場にあるのでしょうか。また、自国の大統領選挙では人類史上最悪の金権主義を露わにしながら、キルギスタンの選挙を民主主義の後退だなどと批判できるのでしょうか。今回のOur Worldでは、民主主義を装う米国が、実は単なる金権主義の国であると主張するウィリアム・パフの記事をお送りします。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
選挙を勝ち抜く米国の金権政治
『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』 2000年3月11日
ウィリアム・パフ
2月のスーパーチューズデーに見る大統領予備選挙では、米国の選挙制度が、現実問題として改革不可能であることが再び露呈された。
マケイン、ブラッドリー両候補は、今の世代の米国人に、投票制度の変更を迫る最高のチャンスを提供した。2人は、政府が裕福な企業や個人に乗っ取られるのを阻止するために、制限付きではあるものの重要な選挙改革を提案したのである。
米国は金権国家になってしまった。辞書の定義通り、金の力、特に、企業の富によって統治されている。予備選の結果は、明らかにこの2人の候補者自身に責任がある。ブラッドリー候補は力が弱く、マケイン候補は自制に欠け、ライバルからの容赦ない攻撃に対して、感情的に怒りをぶつけてしまった。しかし、有権者は彼らに投票することもできたのだから、2人が選ばれなかったことは有権者の意志の表れである。
マケイン、ブラッドリー両候補が立候補したことによって、主にテレビやラジオの有料広告による選挙運動と構造的に結び付いた、特権的な政治へのアクセスと影響を維持するため未曾有の金と労力が注ぎ込まれた。
ブッシュ候補は予備選および本選向けに当初、史上最高額の73億円の預金を銀行に用意したが、マケイン候補を倒すために全額使い切ってしまい、スーパーチューズデーの予備選直前にはさらに数億円が、金権政治を維持する活動資金として、候補者の政党や政治活動委員会に寄せられた(選挙運動に際して候補者の政党や政治活動委員会に寄せられる活動資金をソフトマネーと呼ぶ。規制が緩やかなため、実際には候補者の政治資金となる)。
元海軍飛行士のマケイン候補は、2人の改革論者が禁止を目論むソフトマネーの提供者である個人や企業の格好の標的となり、選挙の争点を装った攻撃を受けた。その顕著な例として、予備選直前に、環境問題に関するマケインの履歴を攻撃する広告が流された。
規制の緩やかなソフトマネーは選挙結果を左右するだけでなく、議会の決議、大統領や行政府の政策決定にも影響を与え、南米の麻薬生産とどう戦うかといった、普通なら議題にならないような政策決定にまで影響を与えている。
『ニューヨークタイムズ』の示唆に富む記事には、コカインの原料、コカノキの生産者を保護する反乱軍と戦うコロンビア政府に対し、クリントン政権は3年間にわたり援助を検討してきたと記されている。
この問題には、米国政府がコロンビアの警察、あるいは軍を支援すべきかどうか、援助資金を開発と軍事援助の間でどう割り振るかといったことも関与する。しかし最も重要な争点は、米国がコロンビアに、ベトナム戦争時代のヘリコプターの改造機を提供すべきか、それともその7倍もの費用(総額420億円)をかけて、新品の高性能ヘリコプターを提供すべきかにあった。ヘリコプター製造会社各社がロビイ活動を行い、そのうち1社は「コロンビア政府を失脚させていいのか」と題した外交問題評議会のプログラムを連続して開催した。クリントン政権は最終的に開発援助を削減し、最も高価なヘリコプター購入を決定した。米国の麻薬政策はこのように作られているのである。
すべての民主主義政府が、企業や労働者のロビイ活動および特別利益団体からの圧力に晒されている。米国では、有料テレビ広告による選挙活動に費用が嵩むため、すべての政治家が結局、金のことばかり気にしている。ここ数年、議会で最も有能な議員の中には、選挙制度が腐敗し自分の品位を貶めるという理由で辞職した者もいる。また、他の民主主義国家では、テレビ放送は無料かつ公平に候補者の間で共有されるため、政治家や政党が必要とする政治資金は統制可能である。資金が十分だと感じる政党などないはずである。だからこそ、コール元首相でさえドイツで最近、劇的な失脚を遂げることになった。フランスやイギリスでも、政党の資金問題の醜聞は絶えない。しかし、米国ほどの規模の選挙資金およびその影響力は、他では類を見ない。
これを放置しておいてよいのだろうか。米国では、マケイン、ブラッドリー両候補の選挙運動から、かなり多くの米国の有権者が既存の選挙制度に憤激していることが判明したが、それにもかかわらずその大半の人々はその逆に投票したか、または棄権したのである。
金の力とビジネスが米国のすべてか、あるいは大部分である。フランスの政治家・歴史家・著述家・旅行家であるアレクシス・ド・トクビルから、米国第30代大統領のカルバン・クーリッジ(米国のやるべき仕事はビジネスである)、GMのチャールズ・ウィルソン(GMにとってよいことは、米国にとってもよいことだ)に至るまで、この見方に同意する人々は多い。貪欲こそ進歩のエンジンであるとの経済学者の発言もある。こうした見方に、大半の米国人は内心穏やかではないにしても、おそらくこれを認めるであろう。ただし、米国には少なくとも他にはない高い透明性が存在する。それゆえ、金がどこからどのように流れて、利害を持つ企業やロビイ団体から政治家やその友人を通じて選挙資金へ、そこから世論調査員、カウンセラー、選挙広告製作者、そして最終的な受益者である放送局へと流れ込んでいく様が一目瞭然である。
ある意味で、この金権政治には民主主義が存在する。なぜならば、お金を持ってさえいれば、誰もが自分の好きなように政府を操れる。これは単に、残りの国民は取り残されるということであり、米国が運営される方法が変わる望みはほとんどなさそうである。