No.372 イギリスはシティの鍵を海外の競争相手に渡してしまった

今回は、イギリスのビッグバンの悪影響について記した『インディペンデント』紙の記事をお送りします。外資系企業に大手金融機関の所有権を渡してしまったイギリスは、その企業の生死を外資系企業に委ねてしまったと筆者のスミス氏は述べています。さらに、外資系企業は経済的理由ではなく、国家間の対立、つまり自国の利益を優先するため、いつでも子会社の解体を決定すると指摘しています。私はこのOur Worldシリーズで、一貫してビッグバンの撤回を訴えてきました。東京を世界の金融市場にするとか、日本の市場を開放しなければライバル企業に負けてしまうなどの理由から、ビッグバンを推進した日本の政治家の決定が正しかったかどうか、一足早くそれを実行したイギリスの例を見れば明らかなはずです。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

イギリスはシティの鍵を海外の
競争相手に渡してしまった

『インディペンデント』紙 2000年3月13日
アンドレアス・ウィッタム・スミス

 これはロンドンの金融街、シティで働くある重役の話である。彼は、ドイツのドレスナー銀行の傘下にあるロンドンの大手商業銀行、クラインオート・ベンソンに勤務している。高給取りの彼の生活は、すべてが順調であった。3月6日の早朝、自宅近くの駅から地下鉄に乗り、『ファイナンシャル・タイムズ』紙を開くまでは。

 新聞の第一面は「ドイツ銀行、クラインオートを閉鎖か」という見出しで、6,000人以上の投資担当の行員や管理スタッフが職を失うことになるだろうと報じていた。同記事によれば、ドイツ銀行が競合のドレスナー銀行を接収することが見込まれる中、ドイツ銀行はロンドンに同じ商業銀行の老舗モーガン・グレンフェルをすでに所有しており、商業銀行は2つも必要ないだろうということであった。[本記事が『インディペンデント』紙に掲載された後、4月5日にドイツ銀行とドレスナー銀行の合併計画は破綻になりました。]クラインオートの銀行幹部である彼はこのことをよく理解していた。彼は、例えば余剰人員を抱えるハートランド&ウルフ社の社員に同情を示すこともなければ、共感を持つ資格もない。クラインオートは多くの企業買収を提案してきた張本人であり、自業自得といえるからである。

 翌日、ドイツ銀行のブロイヤー頭取は合併交渉が進んでいることは認めたものの、『ファイナンシャル・タイムズ』紙の記事に触れ、「ばかげている。クラインオート・ベンソンはドイツ銀行にとって貴重であり、維持したいと思っている。合併後の社名についてはまだ未定である」と述べた。しかし、クラインオートの銀行幹部のように買収について熟知している者であれば、ブロイヤーのこの発言で安心できるはずがない。この発言は、言ってみれば「君はすばらしい。我が社は君が大好きだ。でも君は必要ない」ということだ。

 ではドイツ人は、ドイツ銀行とドレスナー銀行との合併に伴いどのような決定を下すのであろうか。どうやってコストを大幅に削減するつもりなのか。その答えを探す前に、こうした疑問そのものの意味を考えてみよう。イギリスで最も成功している産業、すなわち金融商品やサービスを提供する企業の所有権は、最近次から次へと外資の手に渡っている。そして今、我々はその結果に対峙し始める時を迎えた。イギリスの主要な金融機関の生死を、我々イギリス人ではなく、国外の人々が決定するのである。しかし、それは重要な問題だろうか。

 多くのイギリスの産業が長い間、金融機関と同様の無力感を体験してきたことを承知の上で、私はこの疑問を投げかけている。例えば、イギリスの自動車産業で働く人々の職の行方は、最終的にデトロイトや東京、ミュンヘン、パリで下される親会社の決定に委ねられている。世界規模の資本主義とはそういう意味なのである。

 しかし、それでもクラインオートの例は注目に値する。世界の金融センターとしてフランクフルトとロンドンは競合関係にある。いまのところロンドンは金融取引高でフランクフルトを常に大きく引き離している。ロンドンは、豊富なサービス内容や深い知識、革新の伝統を組み合わせることで、フランクフルトを抜いてニューヨークに次ぐ世界第二位の地位を維持してきた。ロンドンは、ポンドが弱く、マルクが強かった時期でも数十年間にわたってフランクフルトに対して優位を保ってきた。フランクフルトがユーロ取扱いの中心的拠点となり、ロンドンが依然としてユーロ圏外にある今も、ロンドン優勢の状況は変わらないどころか、ロンドンはむしろ金融センターとしてのシェアを拡大している。

 ロンドンの金融街、シティへの外資参入の歴史を振り返れば、19世紀から20世紀の前半にかけて、米国からモーガン・グレンフェルのモーガンが、またヨーロッパ大陸からロスチャイルド、ハンブロ、クレインワート、シュレーダー、ワーブルグなどの優秀な銀行家がロンドンに渡り、金融ビジネスを成功させた。私が最初の就職先として、NMロスチャイルド&サンズに入行したのは、この時代の終わりであるが、当時、同社では依然として家族だけが共同経営を許され、事務所はビクトリア調であったことを覚えている。

 その次の段階では、ほぼ世界中の銀行や他の金融機関がシティに支店を構えた。実際、彼らはロンドンの優位性を理解しており、それを共有したいと考えた。顧客がシティに関する情報を要求すれば、ロンドンで自らそれを提供した。同時に、イギリスの金融機関が優位な立場を維持するためには多額の資本の新たな投入が必要だということに気づき、その結果イギリスの金融機関の設立者たちは、株式を上場させ、所有権の過半数を失った。

 野心的な外資の金融グループにとって、これは絶好のチャンスであった。シティを形成する大手金融機関の買収が可能となり、実際に実行に移された。こうしてイギリスの大手金融機関は、次々と外資の支配下に入り、新しい株主はその割合に応じ、米国、ドイツ、フランス、日本であり、所有権は競合する金融センターに本社を置く外資系金融機関の手に移っていった。もちろん外資もロンドンの金融機関に多額の資金を出資しているのであるから、意図的にロンドンの金融機関に打撃を与えたり、あるいは破綻させようとはしないであろう。しかしロンドンの子会社が無防備だと感じるのは、親会社が戦略的な問題に直面する時である。

 それゆえ、クラインオート・ベンソンの行員が将来を不安に思うのは当然なのである。同行が新しいドイツの所有者によって閉鎖されることになれば、それは他者にとっても警告となる。偉大な富を生み出す駆動力であるシティは、イギリス南東部のロンドンに位置し、そこには世界中とビジネスを行う、極めて多様な金融市場と金融機関が存在する。6,000人を雇用する投資銀行の閉鎖は、この巨大な金融部門全体から見ればさほど大きな打撃ではないかもしれないが、イギリスとして考えればかなりのものである。

 シティは過去300年間、数多くの危機を乗り越えてきた。南海泡沫事件(1711 年に英国で設立されたサウス・シー・カンパニーが株価暴落のため 1720 年倒産し、多数の破産者を出した事件)、ナポレオン戦争、ポンドの世界貿易における基軸通貨の役割を終わらせた第一次世界大戦、1940~1960年の金融市場に対する規制など、1つ消えては、また新しい危機が出現するというのが常であった。

 しかし、私は少なからず、今回は今までより大きな不安を覚えると告白する。なぜなら、われわれは事実上ロンドンのシティの鍵を世界的な競争相手に渡してしまったからだ。外資は、純粋な損得勘定ではなく、その気になれば国家間の対立からいつでも子会社の解体を企てることができる。すぐにではないとしても、また起こり得ないと多くの人がいっても、その脅威はつねに存在し、それが現実になれば、単なる現実どころか悪夢ともいうべき影響が出る。とにかく、それが不吉な将来の指針かどうか、クラインオートの行方を注意深く追っていこうと思う。