今回は、前回紹介しました『USA Today』紙の記事「日本への対応にだけ見られる米国の傍若無人ぶり」について言及した、『ジャパン・タイムズ』紙の寄稿記事をお送りします。日本に対する米国の高圧的な態度がいかに理不尽なものかをさらに詳しく分析するものです。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております
米国の日本いじめは世界一
『ジャパン・タイムズ』紙 2000年4月23日
佐藤ヒロアキ
『USA Today』紙の記者、ジェームス・コックスの記事は、記者特有の鋭さを備えた斬新な切り口で、米国の日本に対する態度がいかに言語道断なものかを思い出させてくれた。コックスは「日本への対応にだけ見られる米国の傍若無人ぶり」と題した記事の中で、米国の日本に対する高圧的なおせっかいぶりがいかに驚くべきものであるかを指摘し、それがマッカーサー元帥による占領統治時代を彷彿させることを示唆した。
コックスが占領統治時代になぞらえているのは、もちろんNTTの接続料金に関する日米交渉である。日米両国の通信関係者の多くがこの交渉における米国の態度を疑問視していると様々なところで報じられているが、日本政府に圧力をかけようと東京入りした米通商代表部次席代表のフィッシャーにとってそんなことはどうでもよかった。事実、フィッシャーは自分の要求が撥ねつけられると、世界貿易機構(WTO)に提訴すると息巻いた。
ただし、コックスが同調者としてエド・リンカーンの発言を引用したのは失敗だったといわざるを得ない。駐日米国大使の元特別補佐官で、現在はブルッキングズ研究所の上級研究員のエド・リンカーンは、日本人は自分の助言に耳を貸さないからと、日本人に反感を持つことで知られている。昨年、『フォーリン・アフェアーズ』誌に日本人からの電話には折り返しの電話をかけないようにと書いたのも他ならぬリンカーンであった。
コックスの記事からもリンカーンの日本に対する不快感は明らかだ。コックスに対しリンカーンは次のように語っている。「日本をもっと効率的にすることに、なぜ米国が口出しする必要があるのか。日本が効率を良くしたい、競争力を高めたい、生活水準を向上させたいと望むのなら、それは日本の問題だ。そろそろ米国は日本に口出しするのをやめ、自分が蒔いた種は自分で刈らせるべきである」
「米国の官僚がフランス政府に対してフランスの大店舗法をどのように変えるべきか説教するなど、想像もできない」とのリンカーンの発言には、学者としての衒いが伺われる。日本に関与した官僚や学者が最終的に日本が米国と瓜二つではないこと、あるいは日本が米国のすべての要求や助言を必ずしも快く受入れないことに気づくことになる1つの要因として(最大の要因とはいわないまでも)彼らの無知がある。
つねにやり玉に挙げられる日本の官僚機構を例にとろう。ピーター・ドラッカーが『フォーリン・アフェアーズ』誌で指摘したように、日本が手本にしたのはヨーロッパの官僚体制である。つまり、日本独自の歴史から派生したものではない。しかし、これについて知っている米国人は少ない。
また、リンカーンのフランス人と大店舗法に関する発言から、以下のようなことも考えさせられた。
終戦後まもない頃から日本政府が一貫してとってきた中心的政策課題の1つは、可能な限り弱小企業の効率を押し上げる方法を考案する一方、それらをいかに保護し存続させるかにあった。これは社会政策に関連しており、政府が政策課題として取り上げるのは道理に適っている。
大店舗法は、この課題を体現するための1つの仕組みであった。全体の効率から見れば足枷になったかもしれないが、効率だけが人間の存在目的だなどとは誰もいわないはずだ。
しかし、米国政府はわずか1社の玩具小売りチェーンの主張に促されて、日本に大店舗法の改正を迫った。最近、この玩具小売りチェーンは事業を縮小し、多数の店舗を閉鎖している。今のところこの縮小で日本にいかなる影響が出たか私は知らない。しかし、もし日本の店舗も閉鎖に追い込まれているとすれば、米国政府はその結果生じる失業の社会的代償の一端を担ってくれるのだろうか。
広大な米国では、大きな売り場空間を用意してみて、うまくいかなければすぐ明け渡すといったような社会的流動性が公然と賞賛される(事実は幾分異なっているようだが)。「カテゴリーキラー」と呼ばれる取扱商品を絞った安売り店の例を考えて欲しい。この想像もつかないほど巨大な小売り空間が輝ける可能性を持つと宣伝されたのは、それほど昔のことではなかった。この安売り店舗は今、崩壊寸前である。しかし、たとえそれが死に絶え、道路端に抜け殻のような空きビルが残されたとしても、米国ではそれに苦情をいう人はほとんどいないであろう。
ニューヨークのジュリアーニ市長が同市への大型ショッピング・センターの出店を許可しようとした時に見られたように、小規模店舗の人気は米国でも根強い。それにも拘らず、米国政府はなぜ外国に対して1つの考え方を一方的に押し付けるのか。リンカーンと同様のことをいわせてもらえば、米国政府はドイツ人に対して、小さな町村の地域的結合を維持するため厳格な地域許可証やその他の規制を敷くのは絶対に間違っているといえるであろうか。
日本の占領統治に話を戻せば、米通商代表部の議会向け年次報告書の最新版は、まさに米国による日本いじめの最新例として挙げられる。『2000年貿易予測』などと当たり障りのない題名が付けられてはいるものの、中味は米国の貿易相手国55ヵ国に対する一方的な告発以外の何物でもない。
国際貿易においては、米国が検察、陪審、裁判官の3つの役割をすべて果たしていることは周知の事実である。それにしても驚かされるのは、同報告書で各国に割かれているページ数が、中国17ページ、ロシア9ページであるのに対し、日本はなんと60ページにも及ぶことである。これにはもちろん政治的意図があるのはわかるが、日本はそれほど極悪な貿易相手国なのであろうか。
米国政府の言い分は、日本が米国と結んだ20以上にものぼる貿易条約を遵守していないというものだが、それらの「貿易条約」のほとんどは、みな同じ過程を辿って締結されている。すなわち、米国が日本に要求を突き付け、日本がそれを拒絶すると、米国が制裁をちらつかせて、最終的に日本が屈従するというものだ。
貿易条約がその通りに履行されることはほとんどないという事実は別としても、米国は飽くまで約束の強要を今後も続けるのであろうか。
※ 佐藤ヒロアキ氏は、ニューヨーク在住の翻訳家および随筆家であり、『ジャパン・タイムズ』紙に毎月コラムを掲載している。