今回は、米国の横暴ぶりに嫌気が差しているフランスを始めとするヨーロッパ諸国の様子について描写したノエル・マメールの新著、『No Thanks, Uncle Sam(米国よ、もうたくさんだ)』について、『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事を紹介します。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
高まるヨーロッパ人の米国批判
『ニューヨーク・タイムズ』紙 2000年4月9日
スーザン・デーリー
『No Thanks, Uncle Sam(米国よ、もうたくさんだ)』を著したノエル・マメールの視点は、その書名を見ただけでも明らかだ。
決して過激ではないが、自分の意見を率直に述べるフランスの議員であるマメールが、近年いかに米国社会が懸念すべき状況に陥っているかをまとめたのがこの本である。銃保有者数は世界一であり、死刑制度を採用しており、医療を必要とする貧困者を助けず、また包括的核実験禁止条約の批准を米国議会は否決し、それにもかかわらず世界にいばりちらし、全世界に米国の真似をさせようとしているとマメールは指摘する。そして本書の最終章を「完全な反米主義をとることは適切である」と結んでいる。
フランスに限らずヨーロッパ中で、マメールのように米国を批判する人は多い。フランスの書店を見てみれば、『The World Is Not Merchandise(世界は商品ではない)』、『Who Is Killing France? The American Strategy(米国の戦略がフランスを駄目にしている』、『American Totalitarianism(米国の全体主義)』など、利益が支配する社会の創造から、世界支配に向かう米国勢力の野放図ぶりにいたるまで、米国流の手法を非難する書籍がずらりと並んでいる。
書籍は専門家が指摘する反米主義の高まりを示す兆候の一つにすぎない。ヨーロッパ人は、米国を脅威として、世界を自国のイメージに塗り替えようと企む危険な勢力として描写することが多くなっている。さらに、マメールのようなヨーロッパの政界、学界の多くのリーダーおよび文化人たちは、ある種の道徳的な計算により、米国モデルにはひどく欠陥があると嘆いている。
米国批判は常にヨーロッパ人、特にフランス人の娯楽であった。過去において米国人は、初対面の人も姓でなく名前で呼び、趣味の良い生活などまるで知らない、半ズボンをはいた田舎者と笑われた。しかし今日の米国批判は、食事時に決まって行われたおもしろ半分の拒絶とは異なる。専門家は、これまでになかった憎悪と恐れの要素が含まれているという。
「ベルリンの壁の崩壊によって、米国が唯一の超大国になった。そこには、米国の偉大な経済力によって、経済的変化だけではなく、社会的変化まで押し付けられるのではないかという大きな脅威が伴う。ヨーロッパ人から見た米国は、米国の価値観、つまりヨーロッパ人が信じていない価値観を押し付けるだけの力を持つ国である」と述べるのは、報道組織に対して多数の調査を行うCSAオピニオンの専務理事、シャネ・ロズである。
ヨーロッパ人は最近のさまざまな出来事から脅威を感じ取っている。例えば、米国のコソボに対する関与を、多くのヨーロッパ人は大西洋の反対側からの支援と捉えるどころか、米国によるNATO操作だと捉えている。さらに、米空軍の参画がなければコソボ介入は不可能であったという屈辱的な事実は、米国の軍事力の優位性、およびヨーロッパの力不足を決定的にした。
しかし、他の分野においても米国に対する猜疑心は強い。例えば、米国をなくてはならない国として繰り返し描くクリントン政権の発言は、ヨーロッパ人には脅威を与える。また昨年、ヨーロッパ諸国が、成長ホルモン剤投与の米国産牛肉の輸入を禁止したことに対し、米側が青カビチーズやフォアグラなどに輸入関税をかける決定を下したことなど、最近の米欧の摩擦は、米国が弱いものいじめをしているというヨーロッパ人の意識をさらに強めている。このところヨーロッパでは、米国側の行動を是認したWTOは米国の利益を代表する機関であるとして、常に蔑ろにされている。
電子監視システム、エシュロンに関する欧州連合の最近の討議でも明らかになったように、米国が産業スパイ用に広大な衛星ネットワークを利用しているという考え方は、ヨーロッパではすでに広く認められている。米国はその告発を否定したものの、ヨーロッパ側は依然として詳しい調査を行うべきかどうかを検討している。ここでも、その監視システムの規模と監視範囲に、ヨーロッパ人は怖じ気づいている。
さらに、IMFの次期専務理事選任が難航したことについても、ヨーロッパ人は、米国はやりたいことが何でもできるのだという認識を新たにすることになった。米国の政府高官は、最初のドイツ人候補者コッフォウェザー独大蔵次官の欠点を、ヨーロッパでは1人として指摘しようとしなかったことを不服とし、その候補者に反対の立場をとった。この事実についてはフランスではあまり報道されなかったが、ドイツではコッフォウェザー候補拒否に関して、米国に対する中傷が見られた。
IMFの専務理事選任問題の真っ際中、「超大国は軍事分野だけでなく、IMFを通じたグローバル化の規則設定についても世界的な役割を果たそうとしていることがわかった」と、シュレーダー独首相の外交主任補佐官のマイケル・スタイナーは発言している。
確かに平均的ヨーロッパ人は米国からたくさんのものを取り入れている。映画、音楽、ファッションに加え、フランス人は誰も認めたくはないとしても、ファストフードもそうである。フランスの週間ベストセラー・ランキングでは半分以上が米国小説の翻訳版である。さらに、若者が新しい生活を始めるためにアメリカのシリコンバレーなどに移るのを見て、頭脳流出だという批判もよく見られる。
しかし同時に、米国を好戦的と捉える見方も増えている。過去数年間にCSAが行った世論調査によれば、ヨーロッパ人は米国に対して極端に否定的な見方をしていることがわかる。1999年4月には、68%のフランス人が、米国の超大国の地位に懸念を感じると答え、米国は賞賛に値すると答えた人は30%に過ぎなかった。また、63%の人が米国人に親近感をおぼえないと答えている。
ドイツ人、スペイン人、フランス人、イタリア人、イギリス人の米国に対する態度を比べた1998年9月のCSAの世論調査にもヨーロッパ人の深い疑念が表れていた。イタリア人が最も米国を賞賛しているようであったが、そのイタリア人も米国のやり方には強い懸念を示している。57~60%のイタリア人が、米国の民主主義および経済は賞賛に値すると答えたものの、56~62%の人が、生活様式あるいは文化について米国から示唆を受けるべきではないと答えている。
「米国にもはや敵なし、という印象を受ける。米国はやりたいことをやりたいと思った時に実行する。NATOを通してヨーロッパの問題に介入する。かつては、我々は米国の味方だといえたが、今はちがう。対抗勢力がないのだ」と、反米主義をよく取り上げるパリ政治学研究所の教授、ミッシェル・ウィノックは語る。
社会問題の中には、米国とヨーロッパで正反対の方向に向かっているものもある。多くの関心を集めているのが、死刑判決である。欧州連合では38ヵ国で死刑は今も合法だが、すべての国で廃止か、あるいは一時中止になっている。ヨーロッパでは、死刑執行予定は蛮行の例として詳しく報道されており、米国の外交官は、それについて質問攻めに遭うという。最近、テキサス州で多くの死刑が行われていることから、テキサス州知事であるジョージ・W・ブッシュ大統領候補に対するヨーロッパ人評論家の見方は否定的である。
ヨーロッパ人が米国について遺憾に感じる分野はそれだけではない。ホームレスや、手錠をつけたまま刑務所の中で出産させられた女性たち、麻薬、警察の暴力、人種差別、さらには、モニカ・ルインスキーの例に見られるような個人生活の侵害に見られるヨーロッパ人のいう厳格主義など、ヨーロッパの評論家はここぞとばかりに書き立てる。
「米国はこれまで、ここまで愛され、同時に嫌われたことはなかった。しかし、米国はある意味でそれを喜ぶべきだ。なぜなら我々はロシア人の道徳のなさを非難したりはしない。気にもならないし、ロシア人などどうでもいいからだ」と語るのは、やはり反米主義をテーマにする小説家、パスカル・ブルックナーである。
駐仏米国大使のフレックス・ロハティンは、彼がフランスに着任した1997年以降、ヨーロッパ人の態度に変化を感じるという。「今日、反米主義はイランに対する制裁といった個々の政策だけではなく、グローバル化が米国流の様相を呈しているため、ヨーロッパ的、フランス的な社会の見方にとって危険だという感情にまでつながっている。米国はすべてを米国流に破壊してしまう途方もない力を有している。今の状況には単なる反米主義というよりも、より強い挫折感および懸念が存在する」とロハティンは、インタビューで答えた。
ロハティンは他の多くの人と同様、これらの態度がもたらす影響は数多くあるが、それを測るのは難しいと主張する。「ほとんどの物事に影響を与えるが、商取引が不可能になるということではない。しかし、米国人に対する見方が変わるのは確かだ。米国の利益はヨーロッパの利益だという考え方は完全に否定される。そして、米国の弱体化だけがヨーロッパにとって良いことだという、まったく逆の見方が作られる」とロハティンはいう。
こうした見方から、例えば、米国年金基金のフランス企業に対する投資は、米国の退職者の利益のためにフランス人労働者のレイオフを促進することになるかもしれないとの強い懸念がフランスに生まれた。「しかし、実際にそうはならないし、物事はそのようには進まない。しかし、これは反米主義の見方が影響していることを示す端的な例である」とロハティンは語る。
米国人の中には、問題の一部は、グローバル化によってヨーロッパ人には馴染まない方法で海外で事業を行う米国人が増加したために生じたと信じる者もいる。彼らによれば、米国人ビジネスマンは議論をなるべく短くし、迅速な決定を重んじる傾向にあるのに対して、ヨーロッパ人はじっくり時間をかけ、結果を重視する傾向にあるという。
しかし、フランス人や他のヨーロッパ人は、米国人がヨーロッパに関する知識に欠け、それを学ぼうとする意欲がないことが状況を悪化させていると指摘する。
フランス人のブルックナーはサンディエゴに住んでいた頃(フランスには19世紀以降、女王がいないにもかかわらず)、フランスの女王の様子はどうかと大家に聞かれたという。またマメールの著書の冒頭には、スティーブ・フォーブズが、最近のダボス会議で、「ヨーロッパを200年前に統一したカール大帝」を引き合いに出したが、カール大帝は1000年以上も前に死んでおり、統一者というよりは征服者とされている、とある。マメールは第一章を「全能と無知が混在するのは問題である」という言葉で結んでいる。
マメールとオリビエ・ワーインとの共著による本書は、米国では出版されておらず、出版されることはないとマメールは見ており、次のように語った。「米国人に少しでも読んでもらえたらいいが、彼らが読むことはないだろう。米国人がヨーロッパではどのように見られているのか知ってもらいたいが、米国人は興味ないだろう。米国人はあまりにも自分に自信を持っている。自分達は世界で一番優れており、他の国を大きく引き離し、世界の誰もが米国から学ぶべきだと考えているのだから」