今回は、日本でもお馴染みのラビ・バトラの著書、『The Great American Deception』(1996年刊、邦訳は出版されていません)から「第二章 The Ugly Secret(醜い秘密)」を抜粋します。これまでこのOur Worldでは、米国の実態を読者に知っていただくために、米国経済に関する様々な統計を紹介してきましたが、米国経済が史上最高の好景気にあるとの印象を日本のメディアによって植え付けられている読者は、今回紹介する統計数値に驚かれることと思います。米国労働者の実質賃金が25%も低下しているという事実に対して、米国の経済学者や評論家がどのような反応を示しているかについても触れていますので、是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
醜い秘密:米国人労働者の実質賃金は25%低下
ラビ・バトラ著 『The Great American Deception』
「第二章 The Ugly Secret(醜い秘密)」より抜粋翻訳
上院多数党院内総務のボブ・ドールは1996年のニューハンプシャー州の予備選前夜、「ここ数日の選挙戦で、雇用と貿易、そして米国を機能させているものがこれほど大きな争点になるとは思わなかった」と困惑気味に語った。米国の労働者が長い間苦しんできたことを考えれば、明らかに共和党の大統領候補者は現実に疎かった。米国労働者の苦悩は、実質賃金が下がり始めた1972年から始まっている。
下の表1は実質賃金の変化であり、各年の購買力を正確に示すため、1982年を基準年としてインフレ率を調整してある。1982年の物価を基準にすると1972~1995年に米国の非管理職の時給は13%、週給は18%下がっている。この間に社会保障税は4.2%から7.65%に、また全州の売上税の中央値は3%から7%に上昇しており、こうした増税分を調整すれば週給は25%も減少している。
表1 非管理職労働者の平均時給および週給(1982年を基準年にインフレ率調整済み)
年 時給 週給
1972 $8.53 $315.44
1975 $8.12 $293.06
1980 $7.78 $274.65
1985 $7.77 $271.16
1990 $7.52 $259.47
1995 $7.42 $255.90
出所: 『Economic Report of the President』, 1996, The Council of Economic Advisers, Washington, DC, p. 330.
非管理職の労働者は米国にどれくらいいるのかというと、ほとんどの米国人が該当し、管理職対非管理職の割合はほぼ1対10である。専門職および自営業者を除くと、80%の米国人労働者が非管理職に分類される。米国労働省発表の数字は最も低く75%としているが、それを適用しても米国労働者の4人に3人のインフレ調整済み賃金が25%低下した。換言すれば、米国の物価上昇率の伸びが、米国のほとんどの労働者の手取り賃金を25%も上回ったということである。筆者の仲間の経済学者たちはこの分析を信じられないという。これらの統計が『Economic Report of the President(大統領経済報告)』(大統領が毎年1月に議会に提出する経済情勢の分析、見通しについての報告書)からの引用であるにもかかわらず、年金や医療給付金が大幅に引き上げられたことがデータに反映されていないとして、その信憑性に異議を唱えている。しかし、この主張もまた不完全である。マサチューセッツ工科大学のレスター・サロー教授は次のように記している。
「現金収入が年金や手当てなどの付加給付に置き換わったという理由で、過去の推移を説明することはできない。1979~1989年に、私的年金を受け取る労働者の割合は50%から43%に減少し、また健康保険を持つ労働者の割合も69%から61%に減少した。最上位25%の労働者が受けた雇用主負担の健康保険はわずかな減少にとどまったが、最下位25%の労働者のそれは大幅に削減された」
つまり、健康保険や年金給付額の減少も考慮に入れれば、80%の労働人口の賃金低下率は25%よりもさらに大きくなる。1995年に、企業年金の給付金を受け取った労働者の数は、全体の40%未満であった。
全米製造業者協会の会長ジェリー・ジャシノウスキーのように、実質賃金の低下はインフレ率の過大評価に起因する神話に過ぎないと主張する者もいる。しかしたとえそれが事実でも、1972年以前と以降は同じインフレ計算式を適用しているので、実質賃金の分析は一貫している。もし1972年以降のインフレが過大評価されているのなら、それ以前も過大評価されている。しかし大きな違いは、70年代以前とそれ以降の実質賃金の傾向なのである。
米国人家庭は実質賃金と付加給付金の減少に、労働時間の延長と働き手の増加で対応してきた。その結果、表2が示すように、税引き前の実質家計所得は1972年以降増加したものの、1990年以降減少している。しかし、税引き後の家計所得は、社会保障税と売上税がほぼ倍増したため、概ね一定であった。個人の社会保障税の最高額は1970年に374ドルであったが、1990年には3,924ドル、1993年になると5,529ドルに急増した。社会保障税の税率が増加しただけでなく、所得に対する課税対象割合も大幅に引き上げられた。1990年以降は容赦ない給与削減の影響で家計所得も減少し始めた。それにもかかわらず税率は上がり続けた。家計所得の伸び悩みによる痛手は数字が示すよりもはるかに厳しい。いくら共働きをしても、大半の家庭において出費はそれを上回った。共働きであれば通勤に車が2台必要である。それに伴い車のローンや保険、維持費も余計に発生する。さらには子守りや家政婦、外食費などもかかる。政府が規定する貧困線以下の生活をする米国人家庭の割合が1972年の9.3%から1994年には11.6%に上昇しているのも驚くべきことではない。
表2 家計所得と貧困率
年 家庭所得 貧困率
1972 $37,959 9.3%
1976 $37,319 9.4%
1980 $37,857 10.3%
1985 $38,200 11.4%
1990 $40,087 10.7%
1994 $38,782 11.6%
出所: 『Economic Report of the President』, 1983 and 1996, The Council of Economic Advisers, Washington, DC.
米国経済全体が拡大しているにもかかわらず、貧困層および中流階級は労働時間を増やしたり、仕事内容がきつくなっても生活水準を維持できないでいる。1972年以降、米国の生産性および国民1人当たりの実質GDPは一貫して上昇している。
表3は国民1人当たりのGDPである。1994年に過去最高の20,476ドルを記録し、同年の労働生産性の指標である時間当たりの生産高も過去最高となった。しかし、過去22年間にわたり、実質賃金は減少し続け、貧困率は増加している。米国の生産性はこれまでになく高くなったが、労働人口の80%が子供や家族とともに苦しんでいる。
表3 国民1人当たりのGDPおよび時間当たり生産高
年 国民1人当たりのGDP 時間当たり生産高
1972 $14,801 $75.2
1975 $14,917 $79.0
1980 $16,584 $84.1
1985 $17,944 $91.9
1990 $19,593 $96.2
1994 $20,476 $101.0
出所: 『Economic Report of the President』, 1996, The Council of Economic Advisers, Washington, DC, p. 332; 『Statistical Abstract of the United States』, 1995, U.S. Department of Commerce, Washington, DC, p. 456.
米国の生産性がこれまでにないほど上がったのに、なぜ米国人労働者は苦境に喘ぐのか。米国はどこで経済管理を間違えたのか。それは表4で説明できる。1972年と1994年を比べると、実質賃金が減少し、貧困が増加しているにもかかわらず、社会保障税率とその課税対象となる所得基盤が大幅に増加していることに注目して欲しい。
表4 1972年と1994年の米国の経済状況の比較
年 実質時給 貧困率 所得税率
1972 $8.53 9.3% 4.8%
1994 $7.43 11.6% 7.65%
出所: 『Statistical Abstract of the United States』, U.S. Department of Commerce, Washington, DC.
80%もの労働者の実質賃金が低下し、家計所得も伸び悩む中で、生産性向上の恩恵に与っているのは誰なのだろうか。それは残りの20%の労働者である。1980年代、男性の賃金上昇分全体の64%が最上位1%の労働者の手にわたった。この最上位1%の人々は、資本利得も含めると実に90%も所得が増加している。企業の最高経営責任者(CEO)の状況はすこぶる良い。『フォーチュン』誌500社のCEOの平均給与は非管理職労働者の平均給与の35倍であったのが、今や157倍となった。当然、最上位1%の米国民が所有する資産の集中化は過去最高となり、1949年の21%から40%以上に増加した。
1970年代まで、賃金削減の影響を受けた者の多くは肉体労働者であり、事務労働者、特に管理者が人員削減の憂き目に遭うことはなかった。しかし1980年代になると、事務労働者も、いわゆるダウンサイジングによる企業の買収や合併の犠牲者になることが多くなった。ダウンサイジングは余剰人員を削減して残りの労働者に最大の効果を上げさせることを意味する。企業の目的が赤字を減らすことであれば、ダウンサイジングも納得がいく。しかし、すでに利益を上げている企業がさらに収益や株価を押し上げ、CEOや経営管理者の収入を増やすために人員削減を行うことは、最終的には自滅につながる。なぜならば、結局、製品やサービスを消費してくれるのは労働者だからである。消費者である労働者を貧しくさせれば、製品需要をも押し下げることになる。これが現実になると、良くて売上減少によるGDP成長率の低下、最悪の場合には、経済不況まで起こしかねない。
ダウンサイジングは1980年代に始まり、1990年代に最高潮に達した。その過程で、それまできちんとした仕事に就いていた何百万人もの生産的な労働者が解雇された。ダウンサイジングの第一波は1981~1982年の景気後退期に見られ、事務労働者1人に対し、3人の肉体労働者の職が削られた。これは米国の不況に対する典型的な対処の仕方であった。1980年代も終わりに近づく頃には、管理者にも同様の雇用削減の波が及んだ。
ダウンサイジングの第二波は、第一波よりも急激で1990年から始まった。表5は人員削減数と大企業の税引き後の収益を比較したものである。1990~1995年のわずか5年間に、企業の収益は2,290億ドルから3,900億ドルと70%も増加した。一方、同時期に約300万人もの職が削減された。しかし、当時のブッシュ、クリントン両大統領は、こうした凄惨ともいえる大量解雇を目にしながら、尊大な傍観者でしかなかった。
表5 企業の解雇者の数と税引き後収益
年 解雇者の数 税引き後の企業収益
(単位:億ドル)
1990 300,000人 $2,290
1991 550,000人 $2,491
1992 400,000人 $2,584
1993 600,000人 $3,007
1994 516,000人 $3,312
1995 600,000人 $3,900
合計 2,966,000人 -
出所: 『Economic Report of the President』, 1996, The Council of Economic Advisers, Washington, DC, p. 379; Lester Thurow, 『The Future of Capitalism』, William Morrow, New York, 1996, p. 26.
これを、1962年4月に米国最大の鉄鋼会社であるUSスチール社が価格の5%引き上げを計画した時に、ジョン・F・ケネディ大統領がとった対応と比べて欲しい。米国は当時、不況下にあり、ケネディ政権は増える失業者を憂慮していた。インフレ率は1.2%と低かったが、大統領は人員削減が増加する中で価格を大幅に引き上げるという考えを好まなかった。大統領の要請により、USスチール社の組合は賃金を抑制したが、経営陣は鉄鋼価格の大幅引き上げを断行したため、ケネディは激怒した。そして同政権が、税務監査および独占禁止訴訟をちらつかせながら強く説得した結果、同社はついに屈服し、価格引き上げを撤回した。1980年代、1990年代の米国の大統領は、たとえ大企業が不必要な人員削減計画を次々に発表しても(そのほとんどが合併の結果である)、いかなる行動も起こしてはいない。
米国ではいかなる派閥の政治家も、なぜ米国人が今日これほど怒っているのかを理解できないでいる。『ニューズウィーク』誌には次のように記されていた。「米国の事務労働者の不安を直接感じることができる。なぜなら社員のことを気にかけているCEOは一人もいないようだ。切り捨てられたら自分は新しい職をどこに見つけられるだろう、と訴えても無駄だ。大量に事務労働者が解雇されているが、失業率はほとんど変わらないじゃないか、といわれるし、上司はストックオプション収益をもう1セント上げるために私の人生を台無しにするのか、と訴えても、元気を出せ、創造的破壊の洗礼を受けているだけなのだから、という具合だ」
米国のこの静かな危機の大きさには驚かされる。2人の記者、ルイ・ユチテルとN・R・クレインフェルドは次のように記している。
「労働省の統計を分析した『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事によれば、1979年以降、4,300万人以上の職が削られた。その多くが、店舗の閉鎖や工場の移転など、一般的企業活動の結果である。そして同時期、この数字よりもはるかに多くの雇用が創出された。しかし、男女に関係なく、給料の高い事務労働者がその経歴の最高レベルに達した段階で、職を失う例が急増した。速度を増す車の走行計のように、その数はほぼ毎日増えている」
1979年以降に削減された4,300万人という雇用者数は、カナダとオーストラリア両国の人口を合わせた数を上回る。しかし、大統領から市長にいたる米国の政治家でそれに対して策を講じた者はいない。
大半の労働者の賃金が大幅に低下しているにもかかわらず、上下両院の議員は自分達の給与をどんどん引き上げている。1980年代、彼らの給与は倍以上、年金給付額は3倍に増えた。しかし、その同じ政治家が、物価が40%上昇したこの10年間、最低賃金を全然引き上げていない。
物価が上昇しているのに最低賃金を引き上げなければ最低賃金での購買力が下がり、何百万人もの労働者の実質賃金は当然低下する。最低賃金は大半の非管理職労働者にとって賃金の最低線となる。インフレ調整済み最低賃金が1980年代に大幅に低下した結果、米国の労働者は何百万人も余計に実質平均賃金の低下を経験することになった。
本稿執筆中もダウンサイジングは止まるところを知らなかった。熟練労働者の将来は1970年代以降はるかに悲観的であり、ある予測では、製造業の雇用者数は2000年までに労働力全体のわずか4%にまで減少すると見られている。すでに製造業の仕事は大幅に減少していることを考えると、いかなる予測も当てはまるように思われる。
今日の企業の略奪者たちは、無数の中小企業を狂ったように飲み込み、悪徳資本家の異名をとった19世紀末の実業家たちを彷彿とさせる。ギルバート・フィテとジム・リースによれば、彼らは鉄道や商品を粗製乱造し、正直な投資家や肉体労働者を騙し、米国の天然資源を私利私欲を満たすために搾取した。
今日の略奪者に比べれば、19世紀末の悪徳資本家などかわいいものである。彼らは労働者をこき使ったものの、大量解雇で彼らの生活を奪ったりはしなかった。フィテとリースが強調するように、「彼らが米国人の生活に貴重な貢献を果たしたことを否定する者はほとんどいないであろう」
1996年1月29日付けの『タイム』誌は、インフレ、金利、失業率がすべて1993年以降減少しているか、あるいは低く抑えられているにもかかわらず、なぜ政治家も経済学者も同様に米国の経済状態に困惑させられているのかと大きな疑問を投げかけた。「クリントンは困惑している。彼は2期目の選挙運動を開始するに当たり、低いインフレ率や金利、さらには1期中に780万の雇用が新たに創出されたことを自慢したいであろう。しかし、彼の補佐官は、全米50州の多くの有権者がこの繁栄を金持ちだけのものであると感じており、ホワイトハウスが悠長なことをいえば腹を立てるだろうと警告した」
ニュート・ギングリッジとディック・アーミーは、共著の『Contact with America』(米国との契約)の中で、米国の文明化を再生させる方法を提案した。米国の再生に関する書籍なら、賃金の低下についても一言ぐらい触れられていて当然なのにまったく登場しなかった。大きく宣伝された本書には、個人の自由、経済の機会、制限的政府、個人の責任、国内外の安全保障など、すばらしいことばかり並べ立てられているが、賃金の低下やダウンサイジングについては触れられていない。それはなぜなのか。ギングリッジは彼のベストセラー『To Renew America』(米国を再生させるために)の中で、米国が直面する6つの課題について概要を提示しているが、その中にも実質賃金の低下は含まれていない。彼は貧困とダウンサイジングを懸念してはいるものの、大企業を非難する必要性は認めていない。他の多くの人々と同様、彼は、ダウンサイジングがグローバル経済の中にある企業の当然かつ健全な対応だと考えている。
スタンフォード大学のポール・クルーグマン教授は、『ウォールストリート・ジャーナル』紙や『ニューヨーク・タイムズ』紙に頻繁に登場する影響力の強い経済学者であるが、モーリス・オブストフェルドとの共著による1994年出版の教科書で、米国の実質賃金の低下についてまったく触れなかった。本書は教科書なので当然、国際経済学のすべての分野を網羅しており、かつ795ページにも及ぶ大作でありながら、著者の2人は、米国の賃金低下について1行たりとも割かなかった。
では、ラッシュ・リンボーやジョージ・ウィルなどのメディアの有名人はどうか。『The Way Things Ought To Be』(物事のあるべき姿)の中で、リンボーは、「企業が労働者を解雇する時、労働者側に非があったとはなぜ思わないのか」と述べている。
リンボーは貧困であるがゆえに貧困者を嫌う。彼は次のように記している。「貧しさが立派なことだと見なされるようになった大恐慌以来、米国の貧困者と下層階級は、ただ乗りを享受してきた。我々のホームレスへの対応を考えてみて欲しい。我々は彼らを賞賛し、彼らの中に空想的英雄を見出している。ホームレスに関する映画を制作し、彼らにごみ箱のあさり方を教えてさえいる」。「貧困者は米国のあらゆる給付金を手に入れている。彼らが貧乏であることを我々は奨励しているようなものだ」とリンボーは彼らを非難する。「貧困者はいくらかでも返しているだろうか。税金を払っているだろうか。彼らはこの国にまったく貢献せず、取るばかりである。その一方で、この経済に何かを提供している人がいる。毎日必死に働き、規則に従い、貢献している人がいる。それら与える人の反対で、取るだけの人は誰か。それは貧困者である」
リンボーは、政府が税控除や武器の注文、補助金を通じて、裕福な企業に何十億ドルもの施しを与えていることにはまったく言及しない。リンボーは、何百万人もの米国人労働者が極めて貧しい状態にあることについても深く追求しようとはしない。1994年、小売業界は2,090万人の労働者が従事する米国最大の産業であった。小売業界の賃金はかろうじて週給216ドルで、全業界最低であった。年間50週として年収10,800ドルになる。この中から、社会保障税826ドル、売上税864ドル、所得税約600ドルを支払っている。税額は合計で2,290ドルとなり、賃金の21%に相当する。この納税率は、税金をまったく払っていない1980年代の大企業に比べると、はるかに高い。
現実を知らないメディアの権威者はリンボーだけではない。ジョージ・ウィルは米国の3大放送ネットワークの1つ、ABCテレビの評論家であり、『ワシントンポスト』の特約寄稿家である。「これだけ好景気だというのに何が不満なのか」との見出しでダラスモーニングニュースに寄稿した記事で、ウィルは、「我々はより金持ちに、自由に、健康になると同時に、仕事も楽になっている。これまでにない功績を上げているこの時代に、米国はなぜ目の前の失敗に取り付かれているのか」
ウィルはいつも、米国が大恐慌あるいは戦争の罠にはまっていた1930~1940年代と現代とを比較する。確かに今日の小売業の労働者はその日暮らしを強いられているものの、寿命、平均所得、労働時間、車や家電製品の所有率からいって、大半の米国人の暮らし向きは戦前よりもはるかに良くなった。しかし、1930年代と比べなければならないということ自体、いかに今日、米国が悪い状況にあるかを示している。
大半の米国人は1930年代を覚えていないが、家族の中で1人だけ働けば車も家も、健康保険も、大学の授業料もすべて支払え、さらに貯蓄率が8%であった1950年代、1960年代のことはよく覚えている。それに対し、これらすべてを賄うには共働きでもまだ足りず、借金をしなければならないのが今の状況である。
1930年代や1940年代と比較しなければ今の米国を良く見せることができないのならば、今、人々がなぜこれほど不幸なのかを考えても仕方がない。1970年代初頭の、実質賃金が最高を記録した頃を思い出すべきである。米国人はなにも突然、怠け者や文盲になったわけではない。米国全体としての生産性は以前よりも高くなっている。ではなぜ、1993年に3,900万人という過去最高の貧困者数を記録したのだろうか。
大恐慌以来、政治家やエリート、経済学者の態度と、米国の一般庶民との感覚がこれほどまで乖離したことはなかった。『ニューヨーク・タイムズ』紙の特約寄稿家ボブ・ハルバートは、マリスト会世論協会の調査結果を引用して、次のように記している。「世論調査によれば、1億人以上の米国人が、家計収入が出費に追いつかないことを心配している。同時に、医療保険は上昇し付加給付金は減少している」
1億人以上の米国人が苦しんでいるという事実は、別に驚くには値しない。結局、労働人口の80%に相当する非管理職労働者の実質賃金は、1973年以降、25%も減少しているのだから。
大量の米国人が抱える現在の懸念を説明するのは、それほど難しいことではない。実質家計所得が伸び悩み、税金や家計の出費が増加しているとすれば、貯蓄や老後の生活費、娯楽にはほとんど何も残らない。加えて、次のダウンサイジングの標的にされるのではないかと悩んでいれば、夜も眠れないはずだ。
皮肉なのは、何百万人もの米国人の苦悩をまったく理解していない人々が、自分達には解決策があると主張していることだ。過去20年以上にわたり実質賃金を低下させてきた政策を米国民は引き続き信じるべきだと彼らは考えている。これはまさに鶏小屋の番人を狐が買って出るのと同じことである。
◆◇◆◇◆ 著者(ラビ・バトラ)紹介 ◆◇◆◇◆
インド・パンジャブ生まれ。経済学者。デリー大学卒業後、1969年米国に渡り、サザン・イリノイ 大学で経済博士号を取得。現在、ダラスのサザン・メソジスト大学教授。1978年に著し世界的ベストセラーとなった『The Downfallof Capitalism and Communism』 では、当時、すでに共産主義の崩壊を予言。その後も次々に国際貿易や株式市場に関しての予測を 的中させ、名声を博している。
『1990年の大恐慌』、『貿易は国を滅ぼす』、『1995~2010世界大恐慌』、『ラビ・バトラの世紀末予言』など、著書多数。日本でのみ出版された『JAPAN 繁栄への回帰』では日本経済への処方箋として5ヵ年計画が提示されている。