No.383 グローバル化と自由貿易

米国の大半の国民がいかに悲惨な状況にあるかを示した、ラビ・バトラの『The Great American Deception』からお送りする最後の抜粋です。米国では80%の労働者の税引き後の実質賃金が1972年から25%も低下しており、バトラは、米国の衰退の原因が米国社会の積弊ともいえる税制の失策にあると見て、税制を過去に遡って調べました。すると米国政府は過去100年間に外国製品に対する関税率を引き下げる一方で、それに起因する歳入の減少を補填するために、国内製品に対する税金(売上税)や、貧困層および中流階級の所得税を引き上げていました。こうして税の負担は関税から所得税へ、さらには社会保障税へと転嫁されていきました。これらの税制改定が、富裕者をさらに富ませることが本来の目的でありながら、米国の繁栄あるいは社会的安定の維持を名目に実施されたことこそ、まさに米国の大いなる欺瞞といえるでしょう。

私はバトラのいう社会の積弊は、逆進税とグローバル化あるいは自由貿易であると考えます。今回は、グローバル化と自由貿易に関する分析をお送りします。

グローバル化と自由貿易

ラビ・バトラ著 『The Great American Deception』より
自由貿易の考え方が最初に生まれたのは、イギリスの実業家と経済学者の著作物からである。イギリスは植民地にイギリス国内の産業のために原材料を供給して欲しいと考えた。そして知識人たちが、その関係が植民地に利益をもたらすという話を作り上げ、永続させた。本質的に植民地時代の経済戦略であったそれを、自由貿易という一般的体系として後に広めたのが米国のポール・サミュエルソン教授である。

1816年、デイビッド・リカルドというイギリスの実業家は、いかなる国も関税を撤廃することで恩恵を受けると主張した。輸入品と輸出品の2つの製品を比較して、貿易相手国同士がそれぞれ輸出品に特化し、他方の製品を輸入すれば労働生産性を高めることができるとリカルドは説明した。リカルドの説明は説得力があり、英米の経済学者や政治家は自由貿易を教義として捉え、以来この教義に魅了されるようになった。しかし、リカルドは生産に資本は必要なく、また貿易の前後において労働者は完全に雇用されているというばかげた仮定をしていたことに加えて、撤廃を提唱している関税が政府に多くの収入をもたらしているという事実をも無視した。そのためリカルドの自由貿易教義の信奉者たちは、関税撤廃による歳入減少分は所得への課税で相殺するという、リカルドが提唱したモデルには含まれていない要素まで取り入れたのである。

ポール・サミュエルソンは、自由貿易はすべての国に利益を与えるとする厳格な数学モデルを作成し、1970年にノーベル経済学賞を受賞した。サミュエルソンのモデルは、リカルドのものよりさらに馬鹿げている。なぜなら、そのモデルは次の仮定の上に成り立っているからである。1) 政府は存在しない、したがって政府の歳入は必要ない、2) 貿易で損失を被る者がいても、受益者がそれを相殺する、3) 資本や産業は低賃金を求めて海外に流出することはない、4) 国内の賃金はすべての業界で等しい、5) 米国に貿易赤字は存在しない、などである。これらの仮定はただ単に、関税を所得税や社会保障税に置き換えることで、問題に直面することを回避できるという前提に基づいているとバトラは指摘する。政府が存在しない経済、あるいは税収を必要としない政府など、実世界に存在し得るだろうか。貿易で損失を被る人がいて、片や受益者がそれを相殺しようとするだろうか。米国の産業が安い労働賃金を求めてメキシコやマレーシア、インド、その他の第三世界の国に移転することなどないという仮定は笑止千万である。すべての業界の賃金が等しいというが、実際には、米国の製造業の賃金は小売業の2倍である。米国に貿易赤字が存在しないなど、まったくの冗談だろう。米国は1983年以来、巨額の貿易赤字を抱えている。

1939年にサミュエルソンがこの大作を執筆して以来、経済学者たちは、上記と同様の愚にもつかない仮定に基づいて何百もの論文や書籍を執筆し、サミュエルソンの結論を裏付けると同時に洗練させてきた。

後にサミュエルソンは、ウルフガング・ストルパーとの共著で、高賃金国が低賃金国から労働集約型の製品を輸入する場合、関税を撤廃すれば、資本の所有者を利するだけで、先進国の賃金は引き下げられることを認めている。ストルパー=サミュエルソンの定理として知られるこの新事実にもかかわらず、サミュエルソンと彼の追随者たちは、自由貿易が米国など先進国の雇用を奪うことになったとしても、貿易を行わないよりは行った方がましだという主張を続けた。ほとんどの国では、資本利得だけで暮らせるのは人口の10%未満であり、残りの国民は就労所得で生活しているとバトラは指摘する。したがって、もし貿易によって10%の国民だけが所得増となっても残りの90%が所得減になるのであれば、たとえ富裕者の所得の増加額が労働者の損失分を上回ったとしても、国家の安寧が破壊されるのは間違いない。

ミルトン・フリードマンによると、「保護貿易とはつまり消費者の搾取を意味する」という。米国が2万ドルの車を輸入し、50%の関税をかけたと仮定する。米国の消費者は3万ドルを支払うことになるが、1万ドルは関税として政府の収入になる。その関税が撤廃されれば、消費者の支払額は2万ドルになり、この価格の低下こそが自由貿易の利点であると、経済学者や政治家は声高に主張する。しかしその結果、政府の関税収入の減少分を所得税や社会保障税などとして消費者から徴収しなければならないことを彼らは忘れているか、無視している。この消費者中心主義が自由貿易支持の理由として成り立つのは、政府が歳入なしで運営できる場合だけなのである。

米国における保護貿易主義者対自由貿易主義者の対立は、歴史的にも関税と所得税を巡る争いであった。保護貿易主義者は外国製品への課税を好み、自由貿易主義者は米国内の所得に課税するのを好む。国家財政に適した税制度を決定するためには、所得に関連した税金と関税とを比較分析することが不可欠である。バトラは、環境を破壊することなくすべて、あるいは大多数の国民の生活水準を引き上げるような税制構造が好ましいと考える。また、生活水準を測定するには、労働力の80%を占める非管理職の労働者のインフレ調整済み実質賃金を見るのが最も良いと考えている。実質GDPの成長や、国民1人当たりのGDPの成長も重要であるが、それらはすべてをひとまとめにしてあり、少数の人が極めて豊かになる一方で大多数が貧困化している実態が隠されてしまうため、繁栄の指標としては最適ではない。実質賃金が低下しても実質GDPは上昇し得る。例えば、ある年、4人の年間所得が2、1人が10で合計が18であったとする。次の年は、前年の年収が2であった4人が1になり、残りの1人が15に増えたとする。4人の年間所得は2から1に半減したにもかかわらず、合計は19となり、大多数の所得が減少しても合計は増えるからである。

関税が高ければ輸入品の価格が国内製品よりも高くなるため、輸入はそれほど多くならない。同様に外国も関税を課しているため、輸出もそれほどできない。高関税が課せられる世界では、貿易に依存する国はほとんどなく、GDPに占める貿易の割合はほんのわずかになる。

関税中心の税制では、歳入をもたらす、外国製品が高価になる、GDPに占める貿易の割合が低くなるという3つの影響が出る。それとは対照的に、個人および法人所得税中心の税制構造では、GDPに占める貿易の割合が高くなり、輸入品は安くなり、歳入ももたらされる。

関税は1993年のフランクリン・ルーズベルト大統領の時から削られ始めたが、その代償や貿易に与える影響が米国で実感されたのは1960年代末になってからである。1930年代は世界のほとんどが大恐慌にあり、大半の国が国内問題しか考えられない状況であった。そこに第二次世界大戦が勃発し、ヨーロッパ全土と日本がほぼ壊滅状態になった。米国の関税は一貫して引き下げられていったものの、これらの諸国は弱小すぎて米国経済に食い込むことはできなかった。戦後、西ヨーロッパと日本が復興を遂げ、自立するまでに約20年を要した。1965年には西ヨーロッパと日本が戦前の工業国としての地位を取り戻し、一方の米国産業界は独占的立場となって自国の力を過信した。関税率の低さから海外との競争による影響が出始めたのは、まさにこの頃であり、米国の輸入が輸出を上回り始めた。

1776年の建国から1970年代までは、南北戦争や2つの世界大戦、複数の大恐慌を経験したにもかかわらず、米国の労働者の実質賃金が低下することは決してなかった。しかし、表1が示すように、1972年以降の関税率の低下に伴ってGDPに占める貿易の割合が拡大すると同時に、実質賃金は一貫して低下し始めた。

表1 GDPに占める貿易の割合と実質賃金

年     GDPに占める貿易の割合   実質賃金
1950            9%    $242
1960           10%    $299
1970           11%    $344
1972            -    $378
1975           16%     -
1980           21%    $352
1990           21%    $337
1995           24%    $343

出所: 『Historical Statistics of the United States: Colonial Times to 1970』, 1975, U.S. Department of Commerce, Washington, DC, pp. 169 and 210; 『Economic Report of the President』, 1992 and 1996, The Council of Economic Advisers, Washington, DC, pp. 340 and 343; 『Statistical Abstract of the United States』, 1995, U.S. Department of Commerce, Washington, DC, p.431.

自由貿易の信奉者は、保護貿易主義は競争や革新、企業家精神を抑制するためインフレを招くと主張する。例えばサミュエルソンは、関税は労働者の生産性を低め、生活費を押し上げると述べている。しかし、バトラは、保護貿易主義には、国内に熾烈な競争が存在するものと存在しないものとの2種類があると指摘する。バトラは前者を、保護されている多数の企業が国内で互いに鎬を削ることから、競争的保護貿易主義と呼び、後者を、国内の少数の企業が海外からの競争から遮断されることを指し、独占的保護貿易主義と呼ぶ。独占的な様々な保護貿易主義は経済を破壊するが、競争的な保護貿易主義が適用された国ではすべて大きな成功につながったとバトラは述べている。19世紀から20世紀前半の米国経済の急成長の秘密は、海外からの競争に邪魔されずに繰り広げられた国内の熾烈な競争にある。米国が保護貿易主義の障壁を取り除き自由貿易を導入するにつれて、インフレ率が上昇し生産性が減少してきたことを、バトラは表2に示している。

表2  関税率と経済成長率

年 平均関税 消費者 年代   GDPに占める  年間生産性
物価指数     貿易の割合   成長率
1950  13%   24  1950年代  10%      3%
1960  12%   30  1960年代  10%      3%
1970  10%   39  1970年代  16%      2%
1980   6%   82  1980年代  20%      1%
1990   5%  100  1990年代  22%      1%

出所: 『Historical Statistics of the United States: Colonial Times to 1970』, 1975, U.S. Department of Commerce, Washington, DC, pp. 888; 『Statistical Abstract of the United States』, 1995, U.S. Department of Commerce, Washington, DC, p.824; 『Economic Report of the President』, 1991 and 1996, The Council of Economic Advisers, Washington, DC, p. 343.

これらの戦後の歴史から、米国が繁栄するためには、累進課税と少ない貿易が不可欠であるとバトラは結論づけている。

米国が世界経済を支配した20世紀を、「米国の世紀」と記した文筆家がいた。しかし、生活水準や貧困からいって、米国の世紀は基本的に1970年に終わっている。実質平均賃金は1972年に最高を記録したが、社会保障税の増加を考慮に入れると、大半の米国人の実質賃金はその前の1970年、あるいはそれ以前にすでに最高に達している。

自由貿易と逆進税の結果、米国人がいかに悲惨な状況にあるかを示す数値を以下にもう一度列挙してみる。

1. インフレ調整済みの実質賃金は1972年以降減少している。例えば、製造業の(1982年の物価に基づく)実質賃金(週給)は1972年の378ドルから、1994年の343ドルへ9%も減少している。
2. 米国家庭が生活水準を維持するために働き手の数を増やした結果、実質家計所得の中央値は1989年までは増加したが、以降一貫して減少している。1994年の物価を基準にすると、実質家計所得の中央値は1989年には40,890ドルであったが、1995年には38,400ドルに下がっている。
3. 1995年、この中央値の所得があった家庭は、社会保障税7.65%と平均売上税7%で合計14.65%の税金を支払い、残りは32,774ドルであった。1969年にはこの2種類の税金の合計は7.8%であり、これを除くと残りの所得は33,818ドルであった。この間、所得税額はほとんど変わっていないので除外して考えると、1995年の税引き後の家計所得は1969年に比べても低いことになる。

バトラは本書の中で、G7諸国、スペイン、オーストラリアなどの先進国の状況を検討した上で、彼のいう「1990年代の静かな大恐慌」は世界的現象であると結論づけている。これらの諸国すべてにおいて、政府が公的支出を大幅に増やし、低金利により金融緩和を行ったにもかかわらず、経済成長率は最低にとどまり、実質所得は大幅に減少し、失業率が大きく上昇するという状況が見られた。

さらに悪いことに、この暗いトンネルの先には明かりがまったく見えない。すべての国で、赤字財政により国債を発行して富裕者から借金をするという従来型の対応策がとられているにもかかわらず、貧困層や中流階級に巣食う暗い影を拭い去ることはできないでいる。バトラはこの病巣が、低所得者を苦しめ富裕者をさらに豊かにする歪んだ税制にあると主張している。今の税制は、低賃金国から多くの輸入をもたらし、国内の製造基盤や賃金、需要を抑制する一方で、第三世界への資本や工場の移転を促進している。これによって第三世界が環境汚染の犠牲になると同時に、乱暴な工業化を押し付けられている一方で、多国籍企業を所有する億万長者は地元の住民に基本的な必需品さえ提供せず、自分達だけがさらに裕福になっていく。つまり、今のグローバル制度は圧制的かつ非効率なのである。

バトラは、米国のすべての経済悪は、貧困者や中流階級、自営業者に重税を課しながら、海外の製造業者からの輸入品に対しては関税を軽くするという、歪んだ税制から派生していると結論づけている。米国経済を立て直すには、製造業を活性化し、国内需要を押し上げる必要がある。バトラが主に提唱する解決策は、以下の通りである。

1. 法人税率を引き上げ、法人税収が政府の歳入の現在の10%から、米国が戦後最も繁栄を極めた1950年代、1960年に一般的であった25%になるようにする。
2. 税構造を簡略化し、法人税を法人所得税から法人売上税に変換することで、様々な税の抜け穴を取り除く。1950年、企業は収益の49%を連邦政府に納税していたが、1995年にはその割合がほぼその半分の26%に減少した。これを累進的な法人売上税に変えればいかなる抜け穴も排除でき、簡略化されると同時に税に関する論争もなくなるだろう。企業の売上に5~10%の税金を課せば、法人税収の歳入に占める割合を1950年代に一般的であったレベルまで引き上げることができるだろう。大企業には税率を10%、中小企業には5%とする。そうすれば、売上税は事業の経費として考えられるようになるだろう。
3. 最高所得税率を米国が戦後最高の繁栄を極めた1950~1960年代の税率に引き上げるべきである。可処分所得が約256,500ドルの夫婦は所得税率を今と同じ39.6%、4万ドル以上100万ドル未満の可処分所得であれば50%、100万ドル以上であれば70%とすべきである。こうすれば繁栄を極めた1950年代、1960年代と同様の累進税に戻るはずだ。
4. 1960年、社会保障税収は連邦政府の歳入の16%でしかなかったが、1995年には36%という途方もない割合に増加した。この米国で最も逆進的な税金である社会保障税は、半分以下に引き下げる必要がある。
5. 1960年代の繁栄を取り戻すためには、貿易の割合を当時のレベルに引き下げる必要がある。GDPに占める貿易の割合は現在23%であるが、1960年代には、1920年代と大体同じ約10%であった。当時、ほとんどの工業製品には40%の関税がかけられていたが、今日もそれぐらいの関税率が理想的であるはずだ。繊維製品、靴など、労働集約型の製品の関税率は、工作機械や自動車、コンピュータ、電子機器などの製品よりも低くすべきだが、平均は40%にする。1920年代もそうであった。原材料や石油には一切関税をかけるべきではない。これにより工業製品の輸入は半分に減るが、年間900億ドルの関税収入が確保されるであろう。

バトラは、上記のような改革を行えば、次のような効果がもたらされるという。高関税がかけられれば、米国内の需要は海外製品ではなく国内製品に向けられる。輸入が減れば、国内の製造業が再び活況を取り戻すであろう。貿易赤字が消え、製造業に最低260万人分の新規雇用が創出される。実質賃金は最初製造業で上昇し、1980年以降、サービス業に流れていた労働者が元の製造業の職に戻るであろう。その結果、サービス業の人手が不足し、賃金も上昇する。高関税を避けるために、海外および米国の多国籍企業が先を争って米国に工場を移転させるため、米国内では雇用や賃金がさらに増加するであろう。実質賃金が上昇すれば、貧困と貧富の差が減少する。社会保障税の削減により国内需要が上昇し、需要増に応えるために投資が増加し、その投資に回される貯蓄が増加する。所得、国内需要、国内投資の増加は政府の歳入を増加させると同時に、米国の財政赤字を減少させることになるであろう。世界の貿易額が減少すれば、石油の需要も減る。石油価格が下がり、世界の大半の経済成長率が上昇する。また、世界全体の生産量を減らすことなく、海や大気の汚染を軽減させることができる。こうした利点を享受するために米国が行わなければならないのは、1960年代に正しいことが証明されている法則、すなわち累進税と貿易を抑制する政策に戻すだけでよい。

耕助: これはまったく日本にも当てはまる。米国の繁栄を崩した誤りを模倣することをやめ、日本を成功に導いた証明済みの法則、すなわち1960年代から1980年代初期に日本が行ってきた累進課税と貿易の抑制に戻るべきなのである。

◆◇◆◇◆ 著者(ラビ・バトラ)紹介 ◆◇◆◇◆

インド・パンジャブ生まれ。経済学者。デリー大学卒業後、1969年米国に渡り、サザン・イリノイ 大学で経済博士号を取得。現在、ダラスのサザン・メソジスト大学教授。1978年に著し世界的ベストセラーとなった『The Downfallof Capitalism and Communism』 では、当時、すでに共産主義の崩壊を予言。その後も次々に国際貿易や株式市場に関しての予測を 的中させ、名声を博している。
『1990年の大恐慌』、『貿易は国を滅ぼす』、『1995~2010世界大恐慌』、『ラビ・バトラの世紀末予言』など、著書多数。日本でのみ出版された『JAPAN 繁栄への回帰』では日本経済への処方箋として5ヵ年計画が提示されている。