No.391 ベトナム戦争で米国がしたことを忘れてはならない

今回は終戦25周年を迎えたベトナム戦争についての記事をお送りします。米国がなぜベトナム戦争に巻き込まれていったか、指導者はそれをどう見ていたかが書かれています。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

ベトナム戦争で米国がしたことを
忘れてはならない

『ロサンゼルス・タイムズ』紙 2000年5月2日
ロバート・シアー

 25年前のサイゴン陥落では、米国のメディアは大袈裟な報道をしたが、米国はベトナム全土を恐怖に陥れ、300万人の命を奪い、米国にも大きな傷痕を残したベトナム戦争の一番重要な点、つまり米国のしたことは悪であった、という事実をいまだに無視し続けている。

 礼儀正しく教養のある自由人であるはずの米国人は、途方もなく悪辣で愚かなことをした。しかし、我々はそれを全面的に認めることができない。なぜならそうすることは、米国がすばらしい国であるという前提、すなわち米国が最も大切にしているが侵食されやすい国家的特質を疑問視しなければならなくなるからである。今でも、ベトナム戦争は必ず「間違い」「泥沼」「悪い妥協」であったと評され、悪意のない者が道を誤ったかのように、野蛮な国に堕落したことを認めない表現が使われる。なぜならば米国民には野蛮な行為などあってはならないからである。

 米国政府は、ベトナムを植民地主義の亡霊から解放しようというフランスからの要請を無視し、ニュージャージー州のカトリック神学校の隠者ゴ・ディン・ジェムを南ベトナムの「ジョージ・ワシントン」としてベトナムに送り込んだ。そして共和国を樹立させると、フランスが認めた1956年のベトナム統一選挙をボイコットさせた。10年後、大部分が仏教徒である南ベトナムで、ジェムの仏教徒弾圧に僧侶たちが激しく抗議し焼身自殺を図ったことから、米国政府はジェムをこのまま南ベトナムに残してはまずいと判断した。サイゴンの下水道に身を隠していたベトナムのジョージ・ワシントンは米国に見捨てられ、米国の暗殺者に殺された。

 その後、戦争は米軍自ら直接行うことになった。ベトナムと呼ばれる細長い土地の上に、第二次世界大戦の時以上の破壊的爆弾を米国は投下したが、メディアはこの大空襲を重大な道義的犯罪ではなく、兵站上の失敗として扱った。そして爆撃に遭いながらも米軍機を撃ち落とした者がいたという事実は、今でも米国の完全無欠さを侮辱する行為と見なされている。

 米国は狂気じみた行動の理由を、強力な敵に直面したためと説明した。しかし、米国の指導者たちは当時、いわゆる「国際共産主義の陰謀と世界乗っ取りまでの予定表」のプロパガンダ的スローガンに描写された敵陣営には、実はベトナムは含まれていないことを知っていた。ベトナムの共産主義はユーゴのチトーがそうであったように、国粋主義的なものであり、共産主義であろうとなかろうと、その国を支配しようとすればどんな国家であっても紛争が生じることは目に見えていた。第二次世界大戦で米軍に協力したホーチミンは米国との国交正常化を求めたが、米側はそれを受入れなかった。ここで国交が正常化していれば、多くの死者や破壊を出さずに、ベトナムに現在変化をもたらしている貿易、投資、観光を、この時点で開始させることもできたはずであった。しかし、米国がベトナムに集結する以前には、中国とロシアが、脆く長い国境線を挟んで小競り合いをしていたにもかかわらず、「世界的な」共産化の阻止を名目に、ベトナムを冷戦の渦に巻き込んだのである。

 ハノイが勝利すればアジア、そして全世界に共産主義が波及するというドミノ理論は、甚だしい論理の捏造であることを米国の政策立案者は知っていた。実際、ドミノは反対側に倒れた。ベトナム人共産主義者は、米国の敗北を、かつて千年にわたりベトナムを支配した中国に宗主国の地位を復活させる口実にさせまいと、今度は共産主義の中国との戦いを開始したのである。

 ベトナム戦争は、米国の国家安全保障を目的にしたものでは決してなかった。リンドン・ジョンソン大統領は、殺し合いのために50万人もの米兵を派兵するまでは、それを十分理解していた。彼が大統領の時に録られたテープがそれをはっきり示している。「昨夜は一晩中このことについて考えた。考えれば考えるほど、戦う価値がないと思える。しかし、この戦争から手を引くこともできない。これは最悪の泥沼状態だ」。国家安全保障補佐官のマックジョージ・バンディに1964年5月27日、ジョンソンはこう語っている。

 しかし、このテープは戦争から手を引かない理由が政治的なものだということも暴露している。「共和党はベトナム戦争を政治的争点にしようとしている」と腹心の友が警告すると、ジョンソンはこれに同意し、「共和党の争点はこれしかない」と語った。こうして、米国の国内政策において利益を得ようとする利欲の権化たちのため、米国はベトナムに絨毯爆弾を落とし、暗黒時代に追いやった。

 ジョンソンの後、リチャード・ニクソンはベトナムへの攻撃を激化させながらも、ベトナム戦争の目的は共産主義の抑止だという説を決定的にあざ笑うかのように北京を訪問し、毛沢東の指導力に祝杯を上げた。

 なぜ今、このことを取り上げるのか。ホロコーストについて書いたハンナ・アレントが、人を怪物に変身させる危険な思い上がりはどこにでも存在し得る悪であるといったように、そのことに真正面から向き合わない限り、同じ間違いを繰り返すことになるということを喚起するためである。