規制緩和、民営化はすべての国民にとって良いことだとして、日本でも鉄道、電電公社などの民営化が行われて今日に至っています。ではその本家本元のアングロサクソンの国では、規制緩和や民営化によってどのような状況がもたらされているのでしょうか。今回のOWではそれについて述べられた、『ヘラルド・トリビューン』紙に掲載されたコラムを取り上げます。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
市場原理の誤りがますます明らかに
『ヘラルド・トリビューン』紙 2000年6月10日
ウイリアム・パフ
大型合併への市場からの見返り、さらにはそれに対する経済界の重鎮の崇拝は、市場原理が、万物が必ず行き着く知的支配の終焉に近づきつつあることを示しているのかもしれない。アメリカン航空とデルタ航空との合併の噂や英国航空とオランダ航空の合併計画、さらにはヨーロッパ全土における携帯電話会社の統合の話が聞かれる一方で、ワシントン連邦地裁がマイクロソフトの2分割を求める判決を下した。
このように相反する2つの動きが同時に見られるということは、当然視されている企業規模拡大の必然性が、公益にとっては現実的および政治的な障害になるという転機に我々が差しかかっていることを示唆している。これまでこうした障害は、市場が最高の公僕と考えられていたため、ここ数年間まったく見過ごされてきた。
6月初めにフランスで開かれた会議で、投資銀行家たちは、ビジネスで生き残るためにはその市場でトップにならなければならないと発言した。二番手でもなんとか生き残れるかもしれないが、三位となれば危機的状況であり、またそれ以下は閉鎖か売却だという。これは、現在の資本主義の形が必然的に独占に向かう傾向にあり、独占の地位にあるだけで巨額の利益が転がり込むという現実を、率直に描写している。
独占の存在は、より優れた製品や低価格を提供することで独占を打ち破るように競争相手を促すことになるため、最終的には、独占は自滅する運命にあると市場原理は説いてきた。しかし現実はそうならないことが多い。
裁判所の判決によれば、マイクロソフトはその独占的地位により、さらに優れた製品を提供しようとする挑戦者の出現を阻んでいるため、分割されるべきだという。競争相手の参入を促すには、政府の介入が必要だと判断されたのである。
規制緩和以前の昔、電話や郵便事業などの公的サービスが独占を許されていたのは、統制された料金で、高品質なサービスを提供しなければならないという規制の下での独占だったからである。しかし、市場原理は公的サービスにおける規制下の独占にも終焉を求めたのであった。イギリスは規制緩和によって国営鉄道を民営化し、劣悪なサービスと運賃値上げという悲惨な結果をもたらした。さらに悪いことに、改善の兆しはまったく見られない。
市場原理のもう1つの特徴は、株主の利益増加のみを目的に企業を経営することが、社員、消費者、地域にとっても最高の利益になるということが「既定事実」になっている点である。以前の企業倫理は、企業の成功から誰もが利益を得るものの、労働者や地域の利害は株主のそれとは必ずしも一致しない、という考えに基づいていた。そして経営者はすべての人々に対して責任を負っていると考えられていた。
近年、伝統的な事業や経済の通念は、一般の人々が経験する現実とは乖離している。航空業界の巨大合併により利益を得たと感じる旅行者を見つけることは難しいであろう。まして鉄道の民営化が鉄道旅行者にとって良かったと思っているイギリス人を見つけるのはさらに至難の業であろう。
様々な調査や経験談は、現在の航空会社のサービス、発着時刻の正確さ、設備、使いやすさの水準に対して消費者の不満が高まっていることを示している。これはマイクロソフトによるOSの独占をコンピュータ・ユーザーが好ましく思わないのと同じである。
米国では、議会が航空会社に対し乗客サービスの最低水準を求め、また連邦地裁がマイクロソフトの独占問題に取り組んでいる。しかし、市場原理においては、これらの問題は競争という見えざる手によって規制されるはずであった。
ビジネスの理論家が、企業はすべての利害関係者に対する責任を負っているという考えを拒んできたために、企業は消費者や国民の思いや利益を無視してきた。これが過去25年間の現象である。市場原理の支配はいずれ衰えるであろう。なぜなら、それは誤りであるだけでなく有害であることがますます明白になりつつあるからだ。