イギリスの『エコノミック・ジャーナル』誌に掲載されたウォリック大学の教授、キース・カウリングとフィリップ・トムリンソンの論文の抜粋をお送りします。二人は日本の10年間におよぶ経済の低迷および将来の不確実性の原因が、日本の多国籍企業の活動にあると分析しています。1980年代初めから本格化した日本の大企業の海外移転により、日本経済にとって極めて重要な中小企業部門への新規投資と下請け注文が枯渇し、その結果、この部門に壊滅的な影響がもたらされたと主張しています。
「特に深刻な懸念は、海外生産の拡大が日本の産業の空洞化を加速化し、それが長期的な日本経済の衰退と低迷につながるのではないかということである。日本の多国籍企業に、無制限に等しい海外生産への切り替えを許したことは、日本経済の大きな戦略的ミスだと考える」と2人の学者は記しています。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
日本経済の低迷の原因は大企業の
海外生産移転にある(前編)
『エコノミック・ジャーナル』誌 2000年6月号
キース・カウリング/フィリップ・トムリンソン
1980年代初頭から日本の多国籍企業は世界経済の主要メンバーとなり、工場設立などの目に見える物的直接投資額も今や他国の競合相手を上回った。これが日本の国内経済、特に系列下にある下請けの中小企業に悪影響を与えたために日本の国内企業の空洞化が起き、日本産業が長期的な衰退に向かう可能性を高めている。
1990年代を通して、日本経済はいくつもの経済危機に見舞われた。1989年の東京の株式暴落の後、資産価値が下落し景気後退に陥り、財政/金融危機が生じた。こうした景気停滞の問題は、戦後、奇跡的な高成長を遂げた日本にとってありがたくない初めての経験であった。日本が高度成長を果たせたのは国家として日本独特の産業戦略を求めたからであり、その政策が日本の産業組織の間に見られる特徴的な協調関係を補完するとともに、戦略産業への投資を促進し、日本の中小企業を育成したからである。事実、1970年代から1980年代にかけての日本は、工業化と経済発展において世界の模範と考えられるようになった。
西洋の多くの評論家は、日本経済が直面した危機を、標準的な経済分析ツールで説明しようとした。しかしそうした単純な分析は、2つの理由から不十分だと考える。1つは、日本経済の衰退に関する西洋の分析には、日本の政治経済の特質に関する理解がまったく、あるいはほとんど備わっていない。根本的に西洋の学者の見方は、イデオロギーに左右され、英米流の自由市場に立脚した資本主義が日本のモデルよりも本質的に優れているという先入観に基づいている。こうしたアプローチは、日本の政策、文化、さらには歴史や産業構造を無視しており、そのアプローチに基づいた日本への提案は、意図したものとは逆の結果をもたらす可能性が高い。
2つ目は、現在の日本の問題に関する標準的な解釈には、日本経済の中心的要素である大規模な多国籍企業の活動が考慮されていない。日本国内の経済が衰退しているにもかかわらず、多国籍企業は世界経済の中で依然として支配的役割を担い、その影響力はまったく変わっていない。1980年代初頭より、日本の対外投資は劇的に増加した。1980年、全世界の対外直接投資に日本企業が占める割合はわずか3%であった。1997年までにその割合は12%に増加し、全米国企業に続く第2位となり、日本企業は世界でもトップクラスの直接投資家となった。さらに重要なことに、世界の直接投資の大半が合併や買収に向けたものであることを勘案すると、物的対外直接投資では日本の多国籍企業の投資額が世界第1位であると考えられる。
日本の多国籍企業が世界中で企業利益を追求していることが、日本国内の経済に悪影響を与えたのである。対外直接投資の増加は、日本国内の産業部門から新規投資を奪うと同時に、日本の多国籍企業の海外生産調達能力を高めることになる。もちろんこれによって、日本の中小企業が供給する中間生産物に対する需要が減少する。特に、系列企業は、海外生産の増加によって、系列網から外され孤立してしまった。
日本の産業組織および生産は伝統的に二重構造をとってきた。すなわち、系列を形成する中小企業が大企業の下請けとなり、中間の生産物やサービスを大企業に提供し、一方で大企業同士も企業グループを形成するというものである。企業間には密接な協力と信頼関係が存在し、競争は価格ではなく品質と信頼性の面で行われる。この二重構造の主な特徴は、企業グループの主力企業が、需要の変動があっても、下請けに対し継続的な収入を効果的に保証するという点にある。日本の中小企業は日本経済において重要な役割を果たしている。日本の民間企業の99%以上は常に中小企業であり、日本の全労働者の78%以上を雇用している。
1990年代になると、日本の多国籍企業が世界市場で利益を追求した結果もたらされた悪影響がさらに拡大し、倒産件数、中でも中小企業の破綻が急増した。産業部門の生産性は、1990年以降、ほとんど上昇せず、1992~1996年に日本経済は、100万人の雇用が減少し、以降、2001年までにさらに125万人の雇用が削減されると見られている。
この産業基盤の空洞化が日本の戦略的失敗であり、社会全体の目標とは相容れない利害を持つエリートや経営者層が行った、投資、生産高、雇用などの主要経済変数に関する戦略的な意思決定がもたらした結果なのである。さらに、社会がエリートや企業寄りのバランスを是正し、社会全体として望ましく、かつ効果的な結果を達成できるようにするためのメカニズムは存在していない。
以前は日本も、日本の大企業の自由を効果的に抑制し、組織化された資本主義を促進することで、こうした戦略的失敗を犯す危険性を軽減させてきた。日本政府は、ある程度、産業の方向性を統制し、大規模な企業グループの行動を監視する政策をとっていた。しかし、近年では、日本国家の大企業に対する統制力は衰え、したがって、経済の意思決定に対する支配力も弱まっている。こうした国家の統制力の衰退により、日本経済は、日本の多国籍企業の活動に対し、かつてないほど脆弱な状態に晒されている。
【 繁栄から衰退へ 】
日本の戦後の経済成長はまさに奇跡であった。1945年、第二次世界大戦によって日本の社会/産業の基盤となる設備は壊滅状態で、産業資本、金融資本、外貨、すべてが不足していた。しかし、そのわずか数年後には日本はほぼすべての主要経済指標において、主要国を追い越している(表1)。1956~1973年の日本のGDPの年間平均成長率と生産性は、米国およびイギリスのほぼ3倍であり、ドイツおよびフランスの2倍である。
1970年代の石油ショック以降も、日本経済の発展ぶりは、他の先進国を大きく上回っていた。日本の相対的高成長はいつまでも続くように思われ、1980年代になると、日本のGDPは世界第2位となった。
1990年代に状況は一変する。1991年以降、日本経済は2度の景気後退を含む多数の経済危機に直面し、その結果、日本の経済成長率は相対的に低下した。日本の現在の景気低迷がなかなか終わりを見ないのは、戦後まもない頃には強みであった産業組織に関係していると考える。
表1 経済指標の比較(1956~1998年) (単位:%)
国 GDP平均 労働者1人当たりの インフレ
(平均年間成長率) 雇用増加率 生産高増加率 率 失業率
1956~73年
日本 9.4 1.4 8.0 5.3 1.3
米国 3.6 1.6 1.9 3.3 4.8
ドイツ* 4.8 0.5 4.3 3.9 0.8
フランス 5.4 0.5 4.8 5.3 1.7
イギリス 3.1 0.3 2.8 4.5 1.9
1974~91年
日本 3.8 1.1 2.7 4.9 2.3
米国 2.5 1.8 0.7 6.1 7.0
ドイツ 2.4 0.4 2.0 3.5 5.8
フランス 2.4 0.3 2.1 8.0 7.5
イギリス 1.8 0.4 1.4 10.0 7.0
1992~98年
日本 2.4 0.3 2.1 0.7 3.1
米国 4.6 1.6 3.0 0.2 5.9
ドイツ 3.0 -0.5 3.5 2.5 9.8
フランス 3.2 0.2 3.0 1.7 11.8
イギリス 4.0 0.4 2.6 3.0 7.8
*注) 1991年までは西ドイツのみ
出所: OECD Historical Statistics, Paris.
A. Graham and A. Seldon, Government and Economies in the Post-War World, Economic Policies and Comparative Performance 1945-1985, London: Routledge.
【 日本の多国籍企業の成長 】
日本の戦後の高度成長期の基盤を築く上で、日本の産業組織の独特な形態に加えて、戦後の産業政策を監督するという通産省の役割が大きく貢献した。通産省の影響力の中で重要なのはその管理能力であり、中でも最も重要だったのが、直接投資の申請に対する認可であった。通産省は、そうした管理能力を持つことによって、日本の変化する産業構造の方向性を統制すると同時に、大企業の戦略的利害に対して安定した対抗勢力を保持することができた。しかし、時が経つにつれて、日本の大企業は、世界的企業になることを目指して通産省に挑戦し始め、最終的に日本政府に対して直接投資への規制を弱めるよう働きかけた。通産省の影響力が衰えた結果、大企業に多くの力と自由が与えられ、日本経済全体が、多国籍企業の活動に対しより開放的になった。1971年以降、すべての対外直接投資が投資額の制約なしに自動的に認可されるようになり、投資に対する規制緩和の締めくくりとして1980年の外国為替規制の撤廃により、国際的な資本移動が自由化された。
日本の多国籍企業が世界経済における主要メンバーになった裏には、日本の産業のグローバル化が寄与したことは間違いない。世界の多国籍企業トップ100社に、日本企業は17社含まれ、その17社は世界経済全体の外国資産のうち15.7%を所有し、割合は米国に次ぐ世界第2位である。17社の詳細については、海外資産の保有額の順に、表2に示す。業種は機械から商社まで多岐にわたる。日本の第1位はトヨタ自動車でり、トヨタ自動車は世界第6位の多国籍企業である。しかし、生産の国際化の度合いで見ると、国外に約60%の資産を有する本田技研工業がトヨタ自動車を上回る。
表2 日本の上位多国籍企業の対外資産
(10億ドル)および社員数(人)
企業名 資産 売上 社員数 順位
海外 総資産 海外 総売上 海外 総数 全多国籍
トヨタ 41.8 105.0 50.4 88.5 — 159,035 6
日産 26.5 57.6 27.8 49.7 — 137,201 17
ソニー — 48.2 40.3 51.1 — 173,000 21
三菱商事 21.9 67.1 41.5 120.4 — 8,401 22
本田技研 21.5 36.5 31.5 45.4 — 109,400 24
三井物産 17.9 55.5 52.3 132.6 — 10,944 35
伊藤忠 16.7 56.8 48.7 117.7 2,600 8,878 39
日商岩井 16.6 40.4 32.3 75.5 2,068 6,398 40
住友商事 15.4 43.0 15.1 95.2 — 8,694 44
松下電器 12.2 62.7 23.6 59.7 — 275,962 55
日立製作所 12.0 76.6 19.8 63.8 58,000 331,494 56
丸紅 11.6 55.9 38.5 103.3 2,827 8,868 58
富士通 11.2 38.8 14.1 37.7 — 180,000 59
三菱自動車 9.1 25.1 10.9 28.3 19,600 75,300 70
ブリヂストン 7.2 13.3 9.8 16.7 — 13,049 93
キャノン 7.0 22.0 14.6 21.2 41,211 78,767 96
東芝 6.8 44.9 14.6 41.3 — 186,000 98
注) —-は不明
出所: UNCTAD (1999).
日本の多国籍企業の世界市場における占有率は、1960年代末期以降、大幅に拡大した。例えば1966年、世界の自動車メーカー上位10社のうち日本企業はトヨタ自動車だけで、市場占有率は世界の2.4%であった。しかし1996年までに、トヨタ自動車は世界第3位になり、市場占有率はほぼ4倍の9.4%に増加した。さらに上位10社に、日産(5.4%)、本田技研工業(4.0%)、三菱自動車(3.3%)も加わった。本田技研工業の市場占有率は、1966年以降、実に20倍に膨らみ、今やオートバイでは世界第一のメーカーである。さらに、タイ、マレーシア、インドネシア、台湾、中国などのアジア市場では、これら日本の自動車メーカーの寡占体制はさらに明白であり、国によっては合計で90%の市場を占有している。電気製品分野、特にその中の各製品分野においても同様の傾向が見られる。例えば、ソニーは音響/ビデオ機器で世界第1位、富士通はメインフレーム・コンピュータではトップ3に含まれる。
これらの製品市場で大きく占有率を伸ばした多国籍企業は、今や世界各国の政府や労働者と交渉を行う上でも、より有利な立場にある。海外からの投資が増えれば、各国政府は政治的な見返りを期待でき、また労働者は雇用増を期待するため、日本の多国籍企業は有利な立場を利用して、かつての「分割統治」の戦略をとることができる。すなわち第一段階では、投資先選定で他地区を選ぶ可能性をちらつかせ、受入先政府から多額の補助金を引き出すことができる。これこそ最近トヨタ自動車が、最終的にフランス北部のランスを工場建設地に決定する前に、イギリス、フランス両政府をうまく対抗させながらとった戦略である。第二に、すでにある海外生産拠点の他地区への移設をほのめかすことで、労働者の立場を弱め、賃金削減を受入れさせることもできる。失業率が高く、低賃金の地域に新しい生産拠点を移すことで、日本の多国籍企業はアジア、ヨーロッパ、北アメリカの3つの地域で、国際的な賃金競争をうまく利用している。