今回は、貧困者の増大で、国連がグローバル化は失敗だと結論付けているという事実とともに、グローバル化がなぜ進展したかを分析する記事をお送りします。全体主義に反対を唱える学者として日本でも人気の高いハイエクが、イギリスにおけるグローバル化の進展を後押ししたと、この記事は指摘しています。1970年代当時、ハイエクらが唱えた計画経済や社会主義への反対が、技術発展によって可能になったグローバル化とともに、財界人の利益を守るのに好都合な理論的裏付けを提供したのです。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
数字が示す経済のグローバル化の失敗
『ジャパン・タイムズ』紙 2000年7月6日
ウィリアム・パフ
グローバル化は、国際社会に発展と進歩をもたらす経済理論ではないと告げる時がきた。グローバル化は失敗に帰した。
6月末、ジュネーブで開催された国連特別総会は、グローバル化が始まって以来、貧困や貧富の差、不安が世界で増大したと結論付けた。今日、絶対的貧困状態にある人の数は5年前の10億人から12億人に増加した。貧困が増加したという主張は、グローバル主義を批判する者たちの言ではない。世界銀行、IMF、OECD、そして国連が共同で作成した報告書の結論である。30ヵ国以上の最貧国では、国民一人当たりの実質所得が過去35年間減少している。過去5年間に貧困率が低減した地域はアジアだけである。南米では経済発展と同時に貧富の差が拡大している。これは世界的な現象でもある。現在、先進国と最貧国の間には74倍の貧富の差が存在する。世界で最も金持ちの3人が所有する富の合計は、人口6億人を抱える後発発展途上国のGNPの合計を上回る。
グローバル主義は貧困者に持続的な経済成長をもたらすと考えられていたが、実際には貧困はさらに深刻化しており、グローバル主義は経済成長などもたらしていない。グローバル化という現象は技術発展の産物であり、通信網の世界的統合や、リアルタイムの金融取引、世界規模での製造が可能になったために起こった。こうした技術発展は政治的、社会的には中立であるが、問題はそれがどのように使われるかである。
グローバル化のイデオロギーのもとでは、通信や金融、製造基盤といった資源は規制緩和された市場の手に委ねられるべきだとされ、同時に、市場の活動は社会的、政治的に多大な利益をもたらすと考えられる。過去数年間に起きたことは、経済の性質そのものに起因する客観的力によるものでも、避けられない技術発展によるものでもなかった。それは先進国の政府(おもに米国政府)が、誠実を装いながら国益、とりわけ財界で影響力を持つ支持者の利益を意図的に狙う政策によるものだった。
市場の力が当然国民の利益を推し進めるという信念は、1970年代から始まったイギリスと米国の少数派の作家や理論家の偏狭な熱意に端を発し、それは経済分析よりも、むしろ、いわゆる大きな政府に対する政治的敵意から派生した。
この運動の先頭に立つ知的元祖は、フリードリヒ・フォン・ハイエクだった。彼の自由市場に関する主張は、経済分野を政府が規制することは基本的に独裁政治に結び付くというもので、それは彼の最も有名な著書『隷従への道』という表題にも表れている。
この信念は明らかに彼のオーストリアでの政治体験に端を発しており、1920年代、1930年代のソ連および、ハイエクの生まれ故郷である中央ヨーロッパに台頭した全体主義政治に対する嫌悪が根源にある。中央集権型経済は、ソ連やナチスドイツでは独裁政治と完全に結び付いていたが、同時期のスカンジナビア諸国の社会民主主義国家やフランクリン・ルーズベルトのニューディール政策、または戦後の西欧諸国の中央集権化された計画経済構造には、そうした独裁政治との関連性はまったく存在しない。
ハイエクの主張は、ケインズの国際金融モデルが失敗し、マーガレット・サッチャーが政権に就いた1979年当時の、衰退する福祉国家、イギリスで特に反響が大きかった。ベトナム戦争時代の米国の経済政策の影響とブレトンウッズ体制の崩壊で、インフレが加速化していた時である。ケインズ派の考え方とは対照的なハイエクの主張は、イギリスや米国の財界から当然の支持を受け、特に金融界はそれを歓迎した。そしてその実業界や金融界が、サッチャー政権とその後継者の経済政策や政治の形成に影響を与えたのである。
米国では、大きな政府を好ましく思わない歴史的な経緯があったため、ハイエクの主張やそれに基づくイギリスの政策に見る先例が、レーガン、ブッシュ、クリントン政権が企業の要求に従ってとる政策を、もっともらしく正当化した。
クリントンは政権に就くまで経済政策などほとんど念頭になかったが、金融界の支持者たちに自由貿易と国際的な規制緩和を優先課題とするよう説きつけられた。そして都合よく、通信技術も同時期に発展したのである。
このあとどうなったかは、彼らがいうように、もはや過去のことだ。今こそその過去を再考し、悲惨な行き過ぎた行為を正すよう努力する時である。