今回は、このOur Worldでも何度か紹介している米国主導の地球規模通信傍受ネットワーク「エシュロン」について再度取り上げます。以下の記事は、クリントンの政策によって、CIAやNSAの役割が米国企業の世界競争を後押しすることに変化し、そのために米国の政府機関が民間企業の通信傍受を積極的に行っていると記しています。実例が多数紹介されていますので、是非お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
新しい冷戦: 米国は自国の利益のためにいかに同盟国を監視しているか
『デイリー・ヨミウリ』紙 2000年7月9日
ダンカン・キャンベル/ポール・ラシュマー
これは新たな冷戦である。ベルリンの壁崩壊後、規模縮小を迫られた米国の諜報機関は、世界市場の中で米国企業を助けるために外国企業を監視するという新しい役割を見つけた。
『インディペンデント』紙日曜版が入手した文書は、中央情報局(CIA)と国家安全保障局(NSA)がいかにしてこの新しい経済戦争に没頭し始めたかを明らかにしている。これは政権に就いた当時のクリントン政府が、米国企業の海外での契約獲得競争を助ける「積極的支援策」をとったことで後押しされ、イギリスやヨーロッパなどの企業を対象に行った盗聴活動では、契約金額が数十億ドルにのぼるものも含まれた。
米国のスパイ活動にとって重要な道具が、エシュロンというコードネームがついた世界盗聴システムであり、この言葉はすでにサイバー空間時代のビッグブラザー(オーウェルの小説に登場する独裁者)を連想させるようになった。米国が管理し一部をイギリスが運営する、世界を網羅するスパイシステムは衛星で送られる電話、ファクス、電子メールを盗聴するものだ。米国の諜報機関は、こうした民間の重要な交信情報を、外国政府と欧州企業間のやり取りまですべて傍受することによって、米企業の大口契約獲得を援助してきた。
事業取引に関する通信傍受から得られる効果は図り知れない、とイギリスのNATOの元コンピュータ専門家、ブライアン・グラッドウェル博士はいう。「250年前、公海にいた海賊と同じだといえよう。当時でさえ、政府は海賊行為をやらせている張本人が自分達だということを決して認めなかったが、陰ではどこの政府も海賊を雇っていた。現在のサイバー空間に当てはめれば、政府が行う情報の海賊行為といえる。米国政府など、政府がまず商業情報の盗聴をやめない限り、世界的な電子商取引など不可能である」と彼はいう。
イギリスは最高秘密盗聴機関であるGCHQを通じてエシュロンを運営しており、そのためにブレア政権は欧州諸国の審判を受けることになった。7月初旬にストラスブルグとベルリンで開催された欧州議会で、米国が競争相手を出し抜くために行っている電子スパイ行為についての調査が要求されたのである。エシュロンはすでに2年前から論議を呼んでおり、その驚くべき力が徐々に明らかになってきている。
しかし、今回の論争の発端は90年代初期にさかのぼる。米国の政治家と諜報機関の首脳陣は、冷戦の終結により手持ち無沙汰になった大規模な米国諜報機関の標的を、同盟国の経済活動に方向転換させると決定した時である。その対象は、従来から行われてきた国際貿易だけではなく、共産主義崩壊によって生まれた新たな好機や、米国商務省の高官がBEM(Big Emerging Market)と呼ぶ中国、ブラジル、インドネシアなどの巨大新興市場とされた。
クリントン政権の新しい政策が最も驚くべき効果を示したのは、おそらく、1994年1月に、エアバス機や兵器、航空機、保守に関する60億ドル相当の契約を結びにフランスのバラデュール首相がリヤドを訪問したが、契約を結べずに帰国した時であろう。後に掲載された『バルチモア・サン』紙の記事によれば、「NSAは、商業通信衛星から、ヨーロッパのコンソーシアムであるエアバス社とサウジアラビアの国営航空会社および政府の間で交わされたすべてのファクスや電話を傍受した。NSAはエアバス社の使いの者がサウジアラビアの政府高官に賄賂を提供しようとしているのを突き止め、その情報をボーイング社の入札を後押ししていた米国の政府高官に渡した」という。そしてクリントン政権がサウジアラビア側に影響を与えた結果、契約は米ボーイング社に渡ったのである。
さらに、米国諜報機関は、ブラジルと米国企業との契約においても決定的な役割を果たした。1994年NSAは、アマゾン熱帯雨林用の14億ドルの監視システムについて、フランスのトムソン-CSF 社とブラジル政府の電話交渉を傍受した。トムソン-CSF 社は監視システムの選定を行っていたブラジル政府高官に賄賂を送ったとされている。ただし最終的にブラジルと契約を結んだのは米レイセオン社であった。後にレイセオン社は「このプロジェクトにおいて米商務省が米産業界を懸命に後押ししてくれた」と発表している。
これらは今日までに米国政府内の「支援センター」が公表した何百もの成功例の中の数例にすぎない。同センターは、CIAやNSAが契約取得の決め手となったことは明らかにしないものの、イギリス、ヨーロッパ、日本の競争相手を打ち負かしたと自慢げに語ることは多い。
米国がイギリスの競合企業を打ち破った例では、フィリピン、マラウイ、ペルー、チュニジア、レバノンといった国々での、発電所、プラント建設、通信設備の契約がある。インドについては、ボンベイ近郊に建設予定の7億ワットの発電所をめぐるイギリス企業の戦略をCIAが突き止め、1995年1月、4億ドルのこの契約はエンロン、GE、ベクテルといった米国企業の手に渡った。1995年には、米ゼネラル・エレクトリック・パワーシステムズ社が、チュニジアに1億2,000万ドルの工場を建設する契約を手にした。米国の企業支援センターは、「フランス、ドイツ、イタリア、イギリス企業との熾烈な競争に打ち勝った」と豪語している。
『インディペンデント』紙が入手した文書や情報によると、米諜報機関による米企業の援助が決定したのは1993年、クリントンの大統領就任直後だという。クリントンは、民主党の主要な資金調達役を政権の重要なポストに就かせた上で(その中には後に米商務省長官となったロン・ブラウン氏も含まれていた)、政府の支援が国益につながる場合には、世界競争における米国企業の入札を積極的に支援するという政策を開始した。そしてこの政策が打ち出されるやいなや、鉱山局からCIA、NSAにいたるすべての政府省庁が、米国に好景気をもたらすために米企業に契約をとらせる後押しを開始したのである。そしてクリントン政権が「公平な競争基盤を築く」と称したこの新政策には、米企業の商売のために使う秘密情報の収集、受信、受け渡しを行うことが含まれていたのである。
『インディペンデント』紙が入手した3つの秘密情報収集報告書の内容は、経済的なものであった。その1つは、インドのマドラス近郊に建設予定の原子力発電所向けの融資に関するもので、フランスとデリーにあるパリ国立銀行の間で交された交信記録の詳細だった。2つ目は、フランス政府の外交文書を含むOPECに関する交渉記録であった。
1997年の報告書では、イスラマバードと北京にいるパキスタンの高官同士が交わした電話とファクスの内容が明らかにされ、中国に駐在する高官が今後は外交用郵袋で文書を送るように指示されたことを残念なことだとしている。報告書は、「もしこの指示が遵守されれば、われわれの監視能力は著しく制限される」と警告している。すべての報告書は「最高機密書類」に分類されていることから、情報入手のために国家機密に対する監視が行われたことが示唆されている。
クリントンが開始した貿易促進政策の中で中心的役割を果たしたのは商務省内にある支援センターであり、商務省の一部である貿易促進調整委員会によって運営されている。機密扱いを解かれた貿易促進調整委員会の1994年以降の議事録によれば、米企業に契約を獲得させるためにCIAが果たした役割は、外国政府の賄賂やロビー活動を突き止めるだけにとどまらないことを示している。インドネシアに関する一連の会議では、16人の政府官僚に情報が回った。うち5人はCIAの高官であり、その内3人は商務省内の「政府支援局」に勤務していた。また、5人のうちの1人、ロバート・ビーマーはCIA本部の職員だった。
この政府支援局は、商務省内にある警備の厳重な事務所にある。職員は最高機密情報を扱うことが許されたCIAの高官で、諜報機関と直接やり取りすることができる。最近まで諜報関連局と呼ばれていた部署である。
1993年に設立された米諜報機関改革委員会のメンバーであったロック・K・ジョンソンによれば、商務省、財務省および国務省は、情報源を明らかにせず米国企業に情報を渡しているという。「商務省には、米国企業にいつどんな情報を渡すべきかという規定は何もない」という。
例えば、米国企業が外国企業に契約を奪われそうだと米国政府高官が知ると、商務省の担当者がその企業の経営トップに電話をして、「もう少し入札内容を良くした方がよい」と告げるのだとジョンソンは語り、情報は渡すがあからさまには行わない、と付け加えた。
1994年の下院諜報委員会への報告書では、「この分野(産業スパイ)の関係者は、主に、国際取引を求める米国企業に不利になるような政府間のロビー活動に関して、米国政策立案者へ警告することに焦点を当てている。1986年以降、海外で米企業と競合関係にある国内企業を守ろうと、外国政府が積極的なロビー活動を行う事例が約250件見つかった」と報告書にあり、クリントン政権が発足してからは、72件、300億ドルにのぼる契約が、諜報機関の調査対象になっているという。
『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙の3月の記事、「なぜ同盟国を監視するのか」で、元CIA長官ジェームス・ウルシーは、CIAがヨーロッパ企業を監視する理由は1つだけだと記している。「ヨーロッパの技術の大部分は盗むに値しない。にもかかわらずなぜスパイするかといえば、ヨーロッパ政府はすぐ賄賂を使うからだ。ヨーロッパ製品は米国製品に比べて値段が高いか技術的に劣っているか、あるいはその両方だ」と彼はいう。
それでも、CIAに支えられた米国政府の支援によって米国が獲得した取引の中には、最悪の汚職が含まれていた。1994年、クリントン大統領はわずか1日で、インドネシアと米企業間の400億ドル相当の契約を承認した。その中には、ジャバ島パイトンの26億ドルの発電所の契約が含まれていた。契約が承認された時、米国は、スハルト大統領の娘の1人がこの取引に加わっており、1億5,000万ドル以上のプロジェクトの利権を手にしていることを知っていた。
今年5月、CIAとNSAの長官たちが米議会の諜報委員会に出席した。CIAの長官ジョージ・テネットは委員会でこう述べている。「産業スパイといわれることについて、米国企業の利益促進のために情報を収集しているという捉え方は絶対に間違っている。米国のビジネス上の利益のために、外国企業を標的にしているわけではない。もしそうだとしたら、どこで境界線を引くのか。どの企業を支援すればいいのか、大企業か、小企業か、それとも全部か。たちまち窮地に陥るだろう」