No.404 持続しない米国経済(前編)

今回は、日本在住の経済ジャーナリスト、エーモン・フィングルトンの記事をお送りします。「いかに産業のソフト化、脱工業化が進んだとしても、製造業には大きな可能性がある。高度な技術に裏打ちされた新しい製造業に脱皮できるかどうかが、世界経済の勝者になるための鍵である」というのがフィングルトンの主張であり、製造業を空洞化させ、貿易赤字を増大させている米国の経済力は危機に晒されていると警告しています。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

持続しない米国経済(前編)

『アメリカン・プロスペクト』 2000年8月14日号
エーモン・フィングルトン

 最近の統計水準からすると、2000年4月発表の悲惨な貿易統計にもほっとする点があった。輸入がわずかに減少したため、1999年8月以来初めて貿易赤字が減少に転じたからである。

 良い知らせはここまでで、あとは悪いことばかりである。2000年4月の304億ドルという貿易赤字は、過去最高を記録した3月の306億ドルをわずかに下回っただけの、過去2番目に最悪の数字である。さらにこの4月の減少は春先に石油価格が数週間だけ下落したためであり、今後は続かないことは明らかである。貿易赤字の増加基調は依然として懸念されるべきであり、誰もが気づいている以上に深刻なのである。

 いったいどれだけ深刻なのか。2000年4月の貿易赤字は、前年同月比60%増である。石油価格がこれ以上上昇しなくても、米国の経常収支赤字〔貿易赤字を広く捉えたものであり、貿易収支(商品取引収支)に、貿易外収支(サービス取引収支)、移転収支(贈与や賠償金など対価を伴わない収支)を合せたもの〕は今年中にGDPの4.5%になる見通しである。米国の貿易状況が極めてひどいとされた1980年代の最悪の年に比べても、その当時でさえ経常収支赤字のGDP比は3.6%であった。

 衝撃的なほどひどい貿易赤字だといわれた1971年と1972年の額に比べても、今日の状況は最悪である。1970年代初期、貿易赤字増加傾向があまりに深刻であることから、1971年8月にニクソン政権は、ドルと金の兌換停止という歴史的、かつ屈辱的な意思決定を余儀なくされた(ニクソン政権がこの決定を行った理由は、1つには、ドルと他の通貨の間で変動相場制をとれば、ドルの価値が下がり輸出安、輸入高になるため、経常収支赤字が減ると見込んだからであった)。ただし、その「恐ろしいほど」巨額と考えられていた1970年代初期の経常収支の赤字でさえ、GDP比で見ると1971年は0.1%、1972年は0.5%と、今の4.5%に比べれば取るに足りないものであった。

 それに対し、現在これだけ貿易赤字、経常収支赤字の規模が拡大していながら、米国民にほとんど動揺は見られない。従来の考え方では、巨額の貿易赤字を抱える国は、輸入代金が支払えなくなると見られていた。輸入代金を払うためには他国から借金が必要となり、借金には金利の支払いが伴う。利払い分を賄うためにも収入増が求められ、このためにさらに輸出を増やす必要が出てくる。これによって最終的に自国通貨の価値が下がることになる。

 しかし、好景気に有頂天の今日の米国は、「貿易赤字はもはや問題ではなくなった」と考えている。かつて、この考え方に賛同したのは過激なグローバル主義者だけであった。例えば、それは長い間『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙の新保守派の社説が得意とする話題であったし、最も端的にそれを表しているのがマッキンゼー社の元ディレクター、大前研一の1993年の論評であろう。「カリフォルニアとテキサスの間の貿易不均衡を心配する人はいないのに、なぜ日米間の不均衡となると懸念されるのか」と大前氏は記している。こうした論説ゆえに、マイケル・ルイスは、大前氏のことを、「過激なグローバリスト」と呼んだ。しかし、最近では、『ニューヨーク・タイムズ』紙や『ワシントン・ポスト』紙などでさえ、増加する貿易赤字をどうでもよいことのように扱っている。すなわち、大前氏のような考え方がすでに主流になったのである。

 米国の巨額の貿易赤字が問題ではない、というのは本当に正しいのだろうか。とんでもない。マイナスの影響は無数にある。事実、米国政府が輸出増と輸入減によって貿易の流れを急速に変えることができなければ、世界第一位の経済国という米国の地位も長くはない、といっても過言ではないだろう。

【 競争力の低下 】

 もちろんこのような主張は、インターネットで勢いづく米国が期待を上回る前代未聞の経済発展の新時代に世界を導くという、一般的な見方をする人たちを怒らせるかもしれない。しかし皮肉なのは、米国が脱工業化社会になるのと同じ速度で貿易赤字が急増している点である。なぜなら脱工業化のビジネスでは輸出はほとんど増えず、それゆえ経常収支を含む国際収支も改善されないからである。

 あの巨大企業、マイクロソフトでさえ輸出にはそれほど貢献していない。同社の総売上に占める輸出収入の割合は、通常25%未満である。それに比べて、米国が誇る製造業、例えば、航空宇宙産業の輸出割合は、総生産高の50%に近い。日本の製造大手の中には、総生産高の80%を輸出しているところもある。マイクロソフトは、誰もが採用するPCのオペレーティング・システムで長い間世界市場を独占しているにもかかわらず、同社の輸出割合が低いのは極めて残念なことである。重要かつ世界的なビジネス分野でマイクロソフトほど、大きな市場占有率を確立できた企業はほとんどないのだから。

 しかし、マイクロソフトの輸出割合の低さは、それほど驚くべきことではない。マイクロソフトの例は、脱工業化ビジネスの海外市場における弱さを示す典型的な例である。まずマイクロソフトのような脱工業化ビジネスの多くは、海外市場における海賊行為に悩まされる。また、文化的な障害も国際収支改善に対する貢献を制限する要因になる。例えば、ワープロソフトを海外市場で販売するには、その市場に完全に適合させる必要がある。通常そうした適合作業は市場のある所で行われ、米国本社へ送金される売上は大きく減少する。

 マイクロソフトの輸出がわずかだとすれば、他の脱工業化ビジネスの輸出などないに等しい。アメリカオンライン、ヤフー!、eベイなど、米国の国際収支に事実上まったく貢献していない。しかし、脱工業化ビジネスの中で最も輸出貢献度が低いのは金融サービス分野である。米国の金融サービス会社の中には、海外市場に参入し、すでに1世紀以上を経ているところも多いが、海外経験が長いから輸出が多いというわけではない。メリルリンチを例にとると、同社の総売上の約4分の1は国外からのものだが、その内輸出として数えられるものはごくわずかである。というのもメリルリンチのビジネスは古典的なサービス業であり、一般に現地の事務所を通じて地元の顧客にサービスを提供しているからである。こうしたことを考えると、輸出が多い年でさえ同社の売上のうち米国の国際収支に貢献しているのは5%未満に過ぎない。

 脱工業化のもう1つの側面として、かつての世界に冠たる米国の製造業の多くが、衰退の一途を辿り続けていることが挙げられる。マッキンゼー・グローバル・インスティチュートから米国のエレクトロニクス産業、航空宇宙産業まで様々な既得権益は、製造業の競争力の衰退ぶりを隠そうと手を尽してきた。彼らは、米国の製造業がこれほど強かったことはないという偽りの主張を数多く提示しているが、国際貿易における米国の地位を見ればそれが嘘であることは一目瞭然である。米国は今や、米国より賃金の高い国からの輸入割合を増やしている(最新の統計で米国よりも賃金が高いスイス、ドイツ、デンマーク、スウェーデン、オーストリアはすべて、米国への輸出を増やしている)。これは重要なことである。これまで、底抜けに楽天家のグローバリストは、米国の貿易赤字は主に、米国より賃金の低い国からの輸出に起因すると説明してきた。そして、それらの輸入品は米国で製造するより低賃金国から輸入した方が安いという主張の元になっていた。しかし、米国の輸入工業製品の中で高賃金国からの輸入が増えているとすれば、こうした高賃金国の製造メーカーの方が米国のメーカーより生産性が高い、すなわちより優れた製品をより効率良く作っているということを意味するのである。

[Reprinted with permission from The American Prospect Volume 11 Number 18 August 14 Copyright 2000. The American Prospect, P.O. Box 772, Boston, MA 02102-0772. All rights reserved.]