今回は、イギリスの製造業に関する分析記事をお送りします。今や製造業の時代は終わったという見方が主流のようですが、製造業がなくなることはあり得ず、むしろ自動車や鉄鋼などの生産増に見られるように、製造業は依然として成長分野であると著者のウィル・ハットン氏は指摘しています。特に先端技術に付随して、製造業でも新たな革新が行われ、古い製品が改良、小型化されています。そんな中、この分野を滅亡に追いやるのは、イギリスの金融の利権であり、政府であるとハットン氏は分析しています。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
イギリスの製造業を滅亡させたのは誰か
『オブザーバー』紙 2000年5月7日
ウィル・ハットン
物作りという技術が、なぜオールドエコノミーと呼ばれる、遺産的活動と考えられるようになってしまったのか。「これからは情報技術、知識、サービスだ。これらの分野は雇用と進歩をもたらす。鉄鋼や自動車といった産業は無視していい。それは過去のものだ」という記述をいたるところで目にする。
今回、こうした主張が再浮上したのは、ロンドン東部にあるダゲナム工場で大型解雇が予定され、イギリスの古い鉄鋼会社コーラスがランワーンの工場を閉鎖したがっているという噂がある中、イギリスの2つの協会がロングブリッジの自動車工場の操業を継続させようとしているためである。高い為替レートには見切りをつけ、将来に目を向けるために製造に対する愛着を捨て去ることができれば、というのが大勢の主張である。どうにもできない分野を政府の補助金で支援し、為替レートを操作した1970年代に逆行するようなことだけはしてはならない。なすべきことは、脱工業化の知識主導型経済には製造分野が入り込む余地はほとんどなく、残念ながらそれに伴う雇用の喪失は避けられないと認めることだという。
この新しいグローバルな市場では、世界規模の企業が最もコストの安いところに生産拠点を移動する。鉄鋼、化学製品、繊維など工業製品のほとんどは、どこで製造されようと製品としては同じであり、その生産手法や基本技術は周知のものだ。競争上の優位性は、安い資本で、多くは低開発諸国に作られた生産拠点で低賃金労働者を使うことであり、商標や品質、先進技術ではない。製造業における従業員数は長年減少し続け、先進国で新しい職が創出されるのは急速に拡大するサービス分野においてである。製造業は生産拠点を自由に移動しているが、いずれにしてもイギリスがその優位を占めたことはなかった。イギリスはもっとも痛みの少ない方法で労働者をブルーカラーの製造業の職から新しい分野へ移動させなければいけない。
確かにこの主張には真実も含まれているが、極めて片寄ったイデオロギー的な現実の見方である。確かに最近はサービス分野の雇用増加率が最も大きいが、製造業が役に立っていないという意味ではない。1992年以降、最も急速に増加した職は理髪店や美容院の経営者で、1992年に1万5,000人であったのが7万人以上に増えた。電話セールスマンの数は3倍以上に増えて10万人弱、ソフトウェア技術者は1992年より2倍以上増えて18万1,000人になった。
コンピュータ・システムの管理者も急増し、最新の数字は19万2,000人で今も増え続けている。この他に急増する分野として、運転助手(雇用増加率第2位)、航空管制官、精神科医、保母、社会福祉専門員と挙げていくとイギリスで増えている職の全体像がある程度つかめるはずだ。確かにサービス分野が多いが、雇用増加率上位20位のうち4つは、コンピュータや電子商取引に結び付いたエンジニアリングの分野である。
製造業が消滅するという考えは今や新しい常識のようになっているが、実際にはまだ死に絶えたわけではない。事実、18ヵ月前までの4年間、生産性が劇的な向上を見せたにもかかわらず、製造業の雇用は毎年増加し、累計で25万人も増えている。技術革新が続けば製造業が雇用創出の中心的役割を担う可能性は低くなるかもしれないが、これまでもそうであったように、ポンドの価値が極端に高くなるまでは製造業に従事する労働者の数を維持し続けてきた。
これは驚くに値しない。英国の金融/商業の中心地シティおよび製造業を批判するメディアのほとんどは、最新の製造業がいかなるものか、製造プロセスがいかに革新されているかをほとんど知らない。技術集約型の新興産業を中心に斜陽産業は変貌を遂げている。例えば、連続鋳造と電気アーク溶接のプロセスを結び付けた手法は、鉄鋼生産をますます少ない労働とエネルギーで行えるように変えた。鉄鋼を使って多くの自動車や船舶が作られ、事務所が建てられていると考えるとこれは偉大な成長産業である。
Our World 「持続しない米国経済(前編/後編)」(No.404~No.405)で紹介した記事の著者、エーモン・フィングルトンが、時機を得た挑発的な内容の新著『製造業が国を救う』(早川書房)で述べているように、まったく新しい産業や分野のすぐ隣で、驚くべきほど多数の旧来製品の改良品が誕生している。携帯電話、レーザー、マイクロプロセッサー、ロボット、音声認識システムなどすべてがさらに改良、製造され、小型化されていく。工業製品の価値や知識部分が増大しているのは確かだが、人類がサイバー空間という実体のない世界で生活するというのは真実ではない。
たとえこの記事を電子メールで新聞社に送っても、床屋に行ったりコールセンターに電話をかけるなど、さまざまなサービス産業を利用する。また自動車を運転し、携帯電話を使い、パソコンを使って記事を書く。これらはすべて製造されたものであり、こうして毎年より多くの製品が必要とされる。結局、我々は製造ブームの真っ只中にいるのである。
ただし、もっと重要なことは、知識および情報経済の強力な台頭と、高度で最先端の製造技術の間には複雑な関係が存在し、最先端技術の製造には低次元技術を伴う製造が不可欠だということである。
また、最先端技術の製造は簡単に拠点を動かせない。米国、オランダ、ドイツ、フランス、日本、スイスなどの大規模な製造会社は、新しいアイデアを生み出す研究所や大学に近い本国で新技術や製品開発を行う。スイスは、先端技術製造の分野で首位を維持し、貿易黒字を抱え、国民1人当たりの所得の成長率は世界第一位である。製造業は高賃金と高度なスキルを意味するのだ。
いかなることがあってもすべての製造工場を操業し続けるべきだというつもりはない。なぜなら、例えば冒頭で紹介したロングブリッジの工場は古い技術に依存し、長期的な生き残りはおそらく不可能であろう。しかしここでいいたいのは、製造業は死んではいない、ということである。むしろここで強調したいのは、イギリスには、製造分野におけるイギリスの役割を維持するための金融、科学、教育の制度がないということであり、イギリスのブレア首相率いる新しい労働党がポンド高の抑制において無力なことからも、金融の利権よりも製造を優先させようとする意向が存在しないということである。
イギリスのバイヤー貿易大臣は、昨秋、「知識銀行」の創設を打ち出したが、先端技術を使った製造を支援する制度を構築するという最初の部分で政府高官からの反対にあった。過去1世紀の間金融の利権を守り続けてきた大蔵省は、今回もそれを覆すことになりかねない制度上の革新をつぶしたのである。
これがイギリスの現状である。先進国であれば、どこにでもドライヤーがあり、コンピュータが作られているというのに、イギリスは今や床屋とソフトウェア技術者の国になりつつある。これは必然的な成り行きではない。イギリス人が自ら選択した行動であり、既得権益を持つ金融市場が残りの経済に押し付けている政策である。これまでもそうであったし、今もそれは変わらない。だからといってイギリスの製造業は死んだのではない。むしろ殺されたのである。