No.408 バイオ技術の世紀に向かうことの代償

今回は、環境保護主義者として知られる米国の評論家ジェレミー・リフキンの記事をお送りします。ヒトゲノムの解読に加え、日本でも国産のクローン豚が誕生し、またイギリスでは人のクローン胚培養研究を解禁する法改正の準備が始まるなど、バイオ技術は目まぐるしく進展しています。技術の進歩そのものは良いことでも、そういった技術をどの分野に適用すべきかを、今こそ、広く活発に議論する時期であるとリフキンは指摘しています。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

バイオ技術の世紀に向かうことの代償

『ロサンゼルス・タイムズ』紙 1998年6月1日
ジェレミー・リフキン

 過去40年以上にわたり発展を続けた情報科学と生命科学は、バイオ技術世紀の基盤となる1つの強力な技術的、経済的勢力として融合されつつある。新しいグローバル経済の原材料となる膨大な遺伝子情報の解読、管理、編成には、コンピュータがますます欠かせなくなっている。

 バイオ技術世紀は、植物や動物を遺伝子工学で作ることによって飢餓に苦しむ人々に食物が行きわたり、遺伝子的に生み出されたエネルギーや繊維で商業が活発になり、再生可能な社会を構築すると約束している。加えて、特効薬や遺伝子療法でより健康な子供が生まれ、人類の苦痛が取り除かれ、寿命が延びるという。しかしこれには、どんな代償が伴うのかという厄介な疑問が残っている。

 この新しい、遺伝子を利用した商業活動は、従来のいかなる経済革命よりも多くの問題を提起する。クローンやキメラ(2つ以上の異なる遺伝子を持つ組織が一個体を形成)、遺伝形質転換などの技術で動物が人工的に作り出されるということは、自然界が消滅し、生物産業の世界にとって代わることを意味するのであろうか。少数の生物科学関連企業に全世界の遺伝子に対する知的所有権を与えればどうなるのか。遺伝子操作によって好みの赤ん坊が作られたり、遺伝子型で人が識別、種別、あるいは差別される世界で暮らすということはどういうことなのか。より「完璧な」人間を設計しようとすることには、どのようなリスクが伴うのであろうか。

 過去20年以上、私はこの新しいバイオ技術革命の数多い側面に対して懸念を表明してきた。そのため多くの人から、技術に反対なのかと問われた。しかし問題は技術に賛成か反対かではなく、どのような種類の技術を支持するかである。技術を考える上でバイオ技術革命は良い例である。バイオ技術世紀には、前提条件のまったく異なる2つの技術的なアプローチが出現している。

 農業を例にその技術的アプローチを説明しよう。分子生物学者は、除草剤、害虫、バクテリア、カビに対する耐性を強化するために、農作物の生物学情報に新種の非食物の遺伝子を組み込んでいる。彼らは、こうした遺伝子組み換え食品の遺伝子は隔離状態に置かれると考えているが、遺伝子組み換え食品が大量に生物圏に放出されれば、遺伝子的な汚染が発生し、取り返しのつかない被害をもたらすと懸念する環境保護論者が増えている。

 一方で多くの生態学者が新しい遺伝子データを利用して、環境要因が植物中の遺伝子の形質発現および突然変異にどのような影響を与えているかの理解を深めようとしている。彼らは遺伝子組み換え食物ではなく、高度な有機農法のアプローチを支持している。有機農法とは、総合的害虫管理(害虫と作物の生態的研究に基づき、農薬使用を最小限に抑え、天敵や不妊化法などを応用した害虫管理)や輪作、有機肥料、他の生態系との適合性を考えた持続可能な農法に依存するものである。

 同様に医療の分野でも、遺伝子治療を研究対象とする多くの分子生物学者が、病気で苦しむ患者に、改良遺伝子を組み込んでいる。しかし、もう一方では予防医学により科学的なアプローチを適用させたいとの希望から、遺伝子の突然変異と環境誘因との関係を研究するために、新しい豊富な遺伝子情報を利用する研究者もいる。彼らは、人の健康維持を目的に新しい遺伝子科学を利用して、食事、運動などの環境要因が病気にどう関係しているかの理解を深めようとしている。

 つまり、この新しい遺伝子工学の利用において、種の進化の青写真そのものに過激な変更を加えるという極端なアプローチと、既存の種と環境の間により統合的かつ持続可能な関係を築こうという柔軟なアプローチの2つがとられているということである。2つのアプローチが互いを強化する関係にあるため、両方とも必要だと主張する人もいる。実際には、商業市場は、収益が最も期待できるという明白な理由から、前者の極端なアプローチを好む。有機食品や予防医療の製品やサービスの市場は拡大しているが、バイオ技術の農業や治療医薬への投資額の方がはるかに多い。

 この状況を変えることは可能だが、それには、科学やその適用について我々の考え方を大幅に変更する必要がある。生態学および予防医学におけるバイオ技術の発展を考えると、そうした転換を想像するのも難くないはずである。

 バイオ技術分野の主役達にとって、これだけ有望視されている遺伝子工学が拒絶されるなど想像もできないかもしれない。しかし核エネルギーのことを思い起こして欲しい。最大のエネルギー源になると考えられていた核エネルギーも、今ではそのコストと環境への影響から多くの国で部分的、あるいは全面的に拒絶されている。遺伝子工学についても、社会は全面的ではなく、一部分だけを取り入れる選択が可能なのである。例えば、遺伝子スクリーニングを適切な安全基準のもとで行えば、身体障害の発症を予知するために、特に初期の治療で予防できる場合には効果があると確固たる主張ができる。しかし、精液や卵子、胎児の細胞に矯正的変更を加えるような遺伝子治療を利用することは、後の世代の進化に影響があるため非常に危険である。

 これは、科学の利用そのものを受入れるか否かの問題ではない。次世代にどのようなバイオ技術を選択するかの問題である。

 できる限り多くの選択肢を残しておくべきである。様々なバイオ技術の適用分野の中から選択を迫られた時には、できる限り過激でなく保守的で、なおかつ環境や社会、経済の混乱を最小限に抑えると思われるアプローチをとることが最善である。「まずは害のないものから」というのは、医療分野ではすでに鉄則である。

 今こそ、バイオ技術の世紀に対する2つの技術的アプローチのうち、どちらが我々の価値観および感覚を反映しているか、広く活発に議論する時なのである。