No.419 ロシアの危機的状況の原因:改革派がロシア経済にしたこと

今週はロシア経済の危機的状況を分析したロシアの新聞記事をお送りします。西側からの援助を引き出そうと米国やIMFが提示する経済改革の処方箋に従った結果、ロシアがどのような状況に陥ったかを見ることは、米国に盲目的に従う日本の将来を考える上でも参考になると思います。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

ロシアの危機的状況の原因: 
改革派がロシア経済にしたこと

Nezavisimaya Gazeta, 2000年9月23日
レオニド・プロンスキー

 なぜロシアの生産高は増加ではなく減少しているのであろうか。西側からの援助不足ということを除くと答えは1つしかない。それは需要不足である。国家において十分な需要がありながら生産が減少することはあり得ない。

 需要とは通貨供給量を意味する。ではロシアでは通貨供給量が不足しているのであろうか。

 ロシアの通貨供給量は1992年以降、数百倍にも増加した。しかし、この巨額の需要増はロシアの工業や農業にはまったく影響を及ぼさなかった。それどころか、工業や農業に対する需要は半減し、それに伴い生産高も約半分まで落ち込んだ。では誰が、あるいはどの分野が通貨供給量増加を手にしたのであろうか。

 通貨供給量増加分は、製品貿易および外貨取引の分野に流出した。通貨供給量の増大に伴う需要の膨張により、製品貿易および通貨取引が、長期にわたり急激に増加し、両分野にも真の急成長がもたらされた(経営層にはさらに多くの資金が流れた)。近年のロシア改革期において、貿易および金融部門の雇用者数は50%以上増加したが、それ以外の分野では経営層を除き、すべてにおいて雇用数が減少している。ロシアの全民間消費の50%以上を外国製消費財が占め、さらにロシア国民の貯蓄の85%はドルの購入に向けられた。

 外国製品およびドルに対する需要増により、ロシアの国内生産が減少する一方で、輸入品およびドルの販売が開始、増加した。ロシア国民が外国製品とドルの購入を止め、国内製品およびルーブルに切り替えない限り、国内生産には資金が回らず、需要不足の状況が続くであろう。

 新たに発行されるルーブルが輸入およびドル取引に主に流れていることは、インフレの要因にもなっている。日用品の価格は急騰している。それにもかかわらず、1998年8月の経済危機直後を除き、経済改革開始以降ずっと、価格が上昇する一方の輸入品から低価格の国産品に需要が移ることはまったくなかった。なぜだろうか。

 ロシアの需要を分析すれば、その答えはすぐにわかる。1992年、ロシアの国民所得の分配率は従業員が約70%に対し、雇用主(所有者)および管理者(工場の監督者)は約16%であった。この分配率は、先進国あるいは、いわゆる文明諸国とほぼ同じであり、平均的な割合だった。しかし、93年には雇用主(所有者)や管理者の取り分が25%、94年は40%、95年は50%と年々増加した。逆に従業員の取り分は95年に39%まで減少した。

 現在、ロシアでは従業員およびその扶養者を合わせた国民所得の取り分は約50%となっている。一方、ロシアの人口の約15~20%にあたる雇用主および管理者層が残り半分の国民所得を手にしている。(また人口の約10%にあたる若い高額所得者が国民所得の30%を手にしているのに対し、最下位の所得層は2.4%の国民所得しか配分されていない。)

 こうした所得配分の格差によって、大半の国民は必要最低限の食料品しか消費できず、かつ国産品を購入している。一方、社会の最上位層は、主に輸入された高級品を購入している。このような状況下では、輸入品の価格がいかに上昇しようとも、国内メーカーは輸入品に代わる品質のものが生産できないことから、富裕層は国産品では満足せず、そのため需要が国産品へ転換しない。支配階級が外国製品やドルの購入を止め、国産品やルーブルを買わない限り、またはロシア製品の主な消費者である従業員の国内所得の分配率を増やさない限り、ロシアの国内生産に対する需要や資金不足が改善されることはないであろう。こうした2つの変化が見られない限り、海外からの援助なしにロシア経済が成長することがないのは言うまでもない。

 上記に述べたことと、1999年に始まったロシア経済の成長という事実は矛盾しているかのように見える。専門家は、その成長が、1998年8月のルーブル切り下げによってもたらされたと説明するが、筆者は真の理由は他にあると考える。昨年破裂した金融投機バブルの被害者たちの貧困化および破綻が、メディアが中流階級と呼ぶ人々を直撃し、ドルや輸入品から国産品への転換を余儀なくさせたからである。彼らが国産品を消費し始めたのは輸入品が高騰したからではなく、職を失ったためである。賃金削減があったとしても、中流階級の人々が職を維持できていたならば、安いロシア製品ではなく、外国製のヨーグルトやたとえ小額でもドルを購入し続けていたであろう。そして、国内生産の増加も見られなかったはずである。

 しかし、1998年8月に起きたバブル破裂の影響はすでに完全に消えたようである。好運な石油価格の高騰により、中流階級は復活した。すぐに輸入品やドルを買い始めることができ、そしてロシアの産業は再び景気後退に陥るであろう。

 内需を押し上げ、国内生産を増やすための、より確実で長期的な方法はないのであろうか。2つの方法が考えられる。1つは自然に任せる方法、もう1つは強制的な方法である。現在、我々が、誤解と自由主義者の意思により従っているのは前者であり、ロシアの国内産業がいずれロシア市場で西側の競争相手を打ち負かすようになるのを待つことである。実際にそうなれば、ロシア国民の需要は自然と国産品に向かうであろう。しかし、需要を奪われているロシアの国内産業は、国内市場での競争に勝つどころか、生き残ることさえままならない状況にあり、西側からの投資が必要不可欠である。こうした「自然の成り行き」はあり得ない。

 もう1方の強制的な方法は、貿易および通貨取引を国家が完全に統制、独占するものである。1992年にロシアが市場主義へ移行した当初は、こうした国家の独占体制のもとで行われた。

 自由主義による改革は、価格の自由化を行えば自然な構造調整が行われるという考え方に基づいている。ロシアの自由主義者たちは確かにそう考えた。価格は、需要が下がる一歩手前の所まで押し上げられることになる。こうして企業は利益を生み急速に成長し始めるが、需要を十分に引き付けられない企業は淘汰されていく。これにより、計画経済から正当な市場経済へと経済全体が構造調整されると思われた。

 ロシアの自由主義者が、独占、管理者の権力、貿易や外貨取引を国家の統制により抑制していたならば、ロシアは今のような破綻を避けることができたかもしれない。しかし、彼らは完全な自由を許した。その結果、共産主義の時代よりもさらに過酷な大改革が余儀なくされた。原料の輸出業者、独占的な管理者、貿易や通貨取引者は価格を大幅に釣り上げた。その結果、これらの分野がほぼすべての需要増を飲み込んでしまった。原料分野以外のロシアの工業分野のすべて、そして農業分野はその半分が需要を失った。ロシアは、西側の独占体制に対し、原材料の提供国となり下がった。

 ガイダル(ロシアの政治家。蔵相を経て92年首相代行となりエリツィンら改革派を支えるが、同年末保守派の圧力で辞任。93年第一副首相に返り咲いたが翌年辞任)の改革の失敗は、価格を自由化したことではなく、西側の競合相手に市場を明け渡し、貿易に関する統制を解いてしまったことにある。統制を復活させない限りロシアの産業力を取り戻すことはできないであろう。結局、ロシアだけが、ロシアの産業復活を必要としている。

 ロシアの産業は発展以前に、まず存続させる必要がある。しかし、それは国内生産されたものを買う人々がいてこそ可能である。ロシア人なら国産品を買おうではないか。