No.427 西側のグローバル化攻勢は失敗に終わる

今回はプラハで行われたIMFおよび世界銀行の年次総会に関して、パリ在住のコラムニスト、ウィリアム・パフが書いた論評をお送りします。シアトルやワシントンの時と同様に、この年次総会でもグローバル化反対のデモが大挙したことに対して、パフは「すでにグローバル化は失敗に終わった」と記しています。また、この記事のグローバル化に対する定義にはまったくの同感であり、私がOur Worldシリーズで指摘してきた見方と同じです。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

西側のグローバル化攻勢は失敗に終わる

『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』 紙
2000年9月29日
ウィリアム・パフ

 カール・マルクスはかつて、悲劇は二度目になると道化芝居と化す危険性があると述べたが、プラハで行われたグローバル化反対運動にもその危険性がある。大義が人々に知れわたると、支持する大義の意味合いを理解している人々よりも、街中のドラマを好む人々を引き付け、それによって大義は俗化し、単なるスローガンと化す。IMFと世界銀行の年次総会が始まると、プラハには看板や垂れ幕が掲げられた。そこに書かれていたメッセージでもっとも不適切なものは「革命が1つの解決策」である。

 マルクスは、「革命」は中産階級的な概念で、貧困者や弱者など盲目的な反乱しか知らない悲惨な大衆に無理やり押し付けられたものだと例証した。革命は開放、進歩、より良い世界などを意味するとされるが、これらはすべて中産階級の概念であり、通常は幻想に終わる。

 昨年12月のシアトル、また約半年前のワシントンと同様、プラハはIMFや世銀を威嚇するデモの参加者であふれた。しかし彼らが理解していないことは、すでに大体において戦いに勝っているということである。世銀の総裁、ジェームズ・ウォルフェンソンは年次総会の冒頭で、「我々の挑戦は、グローバル化を好機と拡張のための道具にすることである」と語った。

 グローバル化とは、西側の規範である国家の経済管理、規制緩和、市場開放を押し付け、多国籍企業による地元の工業や農業の乗っ取りを後押しするという過激な政策であり、クリントン政権の第一期目に始まった。

 グローバル化は最初、劇的な普及を遂げた後、一連の敗北に直面した。1つ目はアジアの経済危機、そして2つ目が1年半前のOECDの多角的投資協定プロジェクトを巡る戦いである。多角的投資協定を巡る戦いではOECDが混乱の中撤退し、プロジェクトを放棄して終わった。この協定が成立していたら、政府が企業の事業活動に与える労働や環境などに関する制約を取り除くよう訴える権利が企業に与えられていたはずである。

 次の敗北はシアトルで、反対デモを通じてその意思が示された。その後の敗北はこうしたグローバル化を促進する組織内部や、世論の中に見られる。グローバル化はもはや無敵の西側の正統派モデルではない。プラハでの議題は、重債務貧困国の負債軽減、石油高騰に対抗するための集団措置(ただしこれは1年前に比べ石油生産を減らしている石油会社に対する措置ではないようだ)、開発重視などであった。

 融資政策に関するワシントンのコンセンサスには実際問題として欠陥があり、社会的、政治的に有害となることが多いとわかったため、IMFと世銀も内部分裂状態にある。貧困国における所得格差は改善せず、米国とイギリスでは拡大している。したがって、世界の経済政策に対する識者の統一見解も崩壊した。2年前のアジアの経済危機は、グローバル化の恩恵として強く宣伝されてきた成長増を事実上、すべて消し去った。

 台湾、香港、韓国は危機的状況からすでに回復している。これらの地域はもともと、国家による保護主義政策と輸出主導型の成長が組み合わさり、強力な工業経済を作り出してきた。しかし、東南アジア諸国とインドネシアはまだ回復していない。1990年代のこれら諸国の成長は主に、資本市場の開放によってもたらされたが、その結果として外国人投資家に搾取され、国内産業も弱体化させられた。これこそがグローバル化の真髄である。中国はグローバル化を拒み、またマレーシアはIMFの危機管理について公然と挑戦したがために、危機を生き延びることができた。

 米国の貿易開発協議会は、この経験から学び、アジア経済諸国に対し、国内の開発、貯蓄率、さらに賃金引き上げや公共支出の増加を通じた内需拡大に集中すべきとアドバイスするようになったが、これらはIMFの教義とは正反対の政策である。

 IMFと世銀の年次総会では、チェコ共和国のハベル大統領が、彼がユーロ・アメリカンと称するワシントンのコンセンサスに傾倒する諸国に、自国の良識を再吟味するよう呼びかけた。現在、世界の文明化の方向性を決定しているのは最も裕福で先進的な国家であるのだから、そうした国々はその結果に対しても責任を持つべきであるとハベルは述べた。

 再評価が必要なのは、経済および開発政策だけではない。「現代の文明化が拠り所としている価値体系を再構築する必要があると思う」とハベルは語った。

 これは最も重要な問題である。グローバル化の価値観はひたすら物質主義である。グローバル化の主唱者は、進歩をすべて富の蓄積の観点から定義する。経済活動や産業、人類の活動、すなわち人類を定義するその活動の最終目標は、企業の投資家たちに見返りを与えることだとされ、すべての利益がそこから流れるといわれている。

 私利的なイデオロギーであったものが経済原則の地位にまで高められたのである。グローバル化促進の基盤として国際経済の規制緩和と統合が必要だといわれたのはごく最近であり、いずれ経済の歴史として消えていくことになるであろう。

 プラハの会議はグローバル化がその信用を失い、歴史の彼方に消えていく1つの過程に過ぎなかった。革命など必要なかったのである。