No.428 過去の隠蔽は日本の専売特許ではない

今回は、昭和天皇の軍国主義への関与を取り上げた一橋大学教授ハーバート・ビックスの著書に対する日本人の無関心ぶりについて、多摩大学学長グレゴリー・クラークの論評をお送りします。私自身は、戦争において、どの国が最も残虐かを問うのは無意味だと考えており、日本がとりわけ残虐であったわけではないとするクラーク氏の見解に賛成です。また自国の行動を棚に上げ、他国には謝罪を求める英米の偽善ぶりは、自分の母国でありながら恥ずかしくなります。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

過去の隠蔽は日本の専売特許ではない

多摩大学学長 グレゴリー・クラーク
『ジャパン・タイムズ』紙 2000年11月6日

 日本の軍国主義に昭和天皇が関与していたことを初めて克明に記した、米国の学者ハーバート・ビックスの著書『Hirohito and the Making of Modern Japan』が話題に上っているが、評論家に取りざたされているのは、この新事実に対する日本人の関心が低いことである。1971年のデイビッド・バーガミニの著書、『Japan’s Imperial Conspiracy』でも同様の指摘が多くなされたが、その本も当時日本ではまったく注目されなかった。

 日本の元指導者が戦争犯罪者であったという西洋人の告発に、日本人は関心を寄せるべきなのだろうか。評論家は、日本が戦時中の罪を認めたがらないことを、ドイツがナチの犯罪を進んで認める態度とよく比較する。

 しかし、多くの日本人が認めるように、日本はドイツとは違う。日本が当初目指したことは、西洋の列強の植民地に匹敵する植民地帝国をアジアに築くことだった。中国での戦争が泥沼化し、残虐行為に発展したのは想定外の事態だったと見ることもできる。米国や西洋の列強が日本の大国化を妬み日本経済を封鎖した結果、日本は真珠湾攻撃を余儀なくさせられ太平洋戦争の勃発につながった。それから4年後、日本が降伏したのはその悪行を認めたからではなく、日本国民がいかに勇敢であろうが犠牲を払おうが、米国の物資調達能力には太刀打ちできないと判断したからである。日本人の戦争に関するこうした態度は、広島の原爆に対する被害者意識や1945年のソ連による攻撃に対する悲痛な思いによく表れている。日本政府が批判を和らげるために公式に認めているように、戦争が侵略的なものであったならば日本がその戦争に負けるのは当然であり、その終結を早めるために行われたことは歓迎されるべきである。しかし、歓迎という言葉が、日本人の口から聞かれることはほとんどない。特に、広島、長崎に対する原爆投下とソ連による攻撃に関しては、その傾向が強いようだ。

 しかし、それは別としても、西洋の評論家に戦前、戦後の自国の侵略や残虐行為を棚に上げ、日本を批判する権利が本当にあるのかという日本人もいる。戦後のインドネシアにおけるオランダ人、インドシナやアルジェリアにおけるフランス人、インドシナの米国やオーストラリア人の行為は、東南アジアにおける日本の行為と同様だったはずである。しかし、これら諸国の政府が謝罪や償いを行おうという強い意向を示したことがあったであろうか。むしろ強硬論者たちの多くは、依然として残虐行為を正当化しようとしている。

 ベトナム戦争たけなわの頃、当時自民党政策研究委員会の委員長であった大平正芳は、日本が中国で犯したのと同じ過ちを米国はベトナムで犯したと発言した。当時、オーストラリア政府は、オーストラリアによるベトナム介入を日本や他のアジア諸国が強く支持していると主張していたため、私は大平の言葉を引用して豪議会に日本の状況を報告し、再検討を求めた。オーストラリア政府からの回答は、大平は主要な政治家ではないというものであった。大平はその後すぐ日本の首相になったが、大平の件はおろか、ベトナムの過ちを認めない豪政府にそのことはいわなかった。

 エルサルバドル内戦に対する米国の介入について、詳細調査に基づいて作られたBBCドキュメンタリー番組は、中国での日本軍の行為をも上回る米国の残虐行為について否定できない証拠を突きつけた。ゲリラ領土内のエルサルバドル村落でしばしば起こる大虐殺では、養子センターで高値で売れるという理由で、遅まきながら幼い子の命だけは助けられるようになった。現在、米国家庭には、生存する少数のゲリラの両親から養子を返すようにいわれるのではないかと怯えながら暮らす家族もいる。よくいわれる中国の人権侵害や日本の従軍慰安婦問題を指摘する米国の評論家は、米国がいたるところで関与する中南米で、多くは子供や女性の犠牲者が、慰安婦や中国の反体制派よりもさらに多くの苦しみを強いられていることについて、長年、関心を持ってきたが、このエルサルバドルの状況にも同様の関心を示しているようである。

 最近行われたコソボの地方選挙では、強硬派のコソボ解放軍の指導者ハシム・タシに対し、アルバニア系穏健独立派コソボ民主同盟のイブラヒム・ルゴバ党首が圧勝した。しかし、西側の政策立案者や評論家は誰一人として、このことが示唆する内容を認めようとしない。すなわち、西側は端からこのルゴバがユーゴの悪魔たちに迎合し、コソボ選挙民を代表しない弱虫だと見なしていたが、彼をもっと重視していればコソボ問題の妥協は簡単に達成され、1999年のNATOのセルビアに対する残酷な空爆や、NATOが今直面しているコソボにおける泥沼化は避けられたであろうということである。

 爆撃を好むこうした人々にとって、自分たちがいかに残忍であろうと、また非道徳的であろうと、謝罪などあり得ない。彼らにとって謝罪とは、自分たちではなく相手側に繰り返し要求するものだからである。

 ドイツ人がかつてそうであったように、日本は依然として謝罪を表明すべきだとされている。しかし、日本が残虐かどうかは別として、日本の太平洋戦争は、ドイツでいえば、ヒトラーの時よりも1914~18年の第一次世界大戦に類似している。現在、ほとんどの客観的歴史家の見方は、第一次世界大戦後すべての責めを敗戦国ドイツに負わせるという過ちが、復讐を決意したヒトラーと国粋主義的な右翼の台頭につながったという点で一致している。同じことが日本でも起こり得るだろうか。

 日本の声高な国粋主義者が出している発行部数の少ない刊行物を多種見てみれば、中国や北朝鮮、進歩的日本のメディア、衰退する社会主義者といった、予想通りの対象への嫌悪が例外なく含まれていることに気づくであろう。また、戦前の植民地主義、戦後の戦犯の裁判、最近のアジア経済危機や米国による日本経済の侵食、米英メディアの日本報道に表れる終わりのない偏見や虚偽など、あらゆる点に見られる西側による不等な扱いに対しても、ほぼ同じくらい誌面が割かれている。特に広島の原爆は、白人アングロ・サクソンの日本人に対する人種差別の最たるものだとされている。

 これまで日本の国粋主義者は、日本に対する実際の、あるいは想像上の悪行を利用して、平和的な日本人を悪性の軍国主義へと駆り立てることができた。右翼団体関係者との交際疑惑により辞任した中川秀直元官房長官にまつわる最近のスキャンダルから、今日、国粋主義者が、政権にある保守派といかに近しい関係にあるかに思い至るべきである。日本も米国も、より客観的な見方をする必要がある。

グレゴリー・クラーク氏
1936年(昭和11年)英国生まれ。豪州移住。英オックスフォード大学修士課程修了後、豪外務省入り。昭和44年、豪州紙東京支局長。54年上智大学教授を経て平成7年多摩大学学長。