今回は、AP通信より、日本企業による中国進出の増加を描いた記事をお送りします。国内消費の低迷で日本企業の海外進出に拍車がかかっているようですが、日本の企業が国内の雇用を減らし、海外の安い労働力の調達を進めていけば、日本の国内経済はさらに悪化することになります。日本の国内産業の空洞化を阻止するためにも、また国民の収入を安定させ国内需要を上げるためにも、この悪循環を今のうちに断ち切らなければならないと私は考えます。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
日本企業の中国への進出
AP通信 2000年11月12日
エレイン・カーテンバック
低層の工場が周囲を取り囲む、薄汚く混沌とした中国南部のこの都市が、日本にあるような高品質の精密機械を生産する中心拠点とは思えない。しかし、今年、その都市、東莞(中国広東省珠江三角洲の東部にある県)に変化が起きつつある。かつては中国への投資を避けていた日本企業が、コピー機やCDプレイヤー、プリンターなどの生産をここで開始したからである。日本よりもかなり先に中国に進出していた台湾や香港の競合会社をまねて、日本企業は、中国人の生産水準が日本には及ばないかもしれないとの懸念を持ちつつ、低賃金の中国人労働者を何千人も雇用し始めた。
保守的な日本企業のこうした方向転換は、従来型ビジネス慣行の消滅につながっている世界的な潮流に加わることを意味する。国内市場の縮小に直面するミノルタ、キャノン、三洋電機といった日本企業は人件費削減のため、ついにこの世界的な動きに追随し、消費者の近くに生産拠点を移している。
この日本企業の中国進出を反映して、2000年上期の日本の対中貿易は前年同期比で30%増となり、過去最高の390億ドルを記録したと日本政府は報告している。
「中国への投資について、日本人は当初、他国企業の動向を見守っていた方が得策だと考えていた。しかし、ようやく彼らは目を覚ました」と述べるのは、日本企業の東莞工業地区への誘致を働きかけるため東京に駐在する張氏である。
日本の製造業者は長年、中国のビジネス環境がどうなるかわからないために、中国南部へ手放しで投資することは避け、大規模な国有企業との合弁事業のみに投資を集中させてきた。しかし、日本企業も最近ではそうした対応をとれなくなっている。景気後退からなかなか抜け出せない日本で、国内の消費需要低迷の中、日本企業が生き残るためには、中国や他のアジア市場への依存度を上げざるを得なくなっている。そして、そのことは、コスト削減と納期の短縮のために、海外の消費者やサプライヤーの近くに製造拠点を移転させなければならないことを意味する。
日本企業はこれまでコスト削減の方法として、系列内の下請け業者に減価を要求して下請けを締め付けてきたが、もうこれ以上締め付ける余地がないことに気づいた。加えて、労働基準法や慣習に手厚く保護されている、わがままで高賃金の日本人労働者は、今日の熾烈な競争が求める変化の激しい24時間体制の生産には不向きである。
それとは対照的に、東莞の労働者は、ほとんどが貧しい田舎に住む若い女性であり、平均の月給は約1万円と、日本人に比べてほんのわずかである。ここでは労働者は24時間体制で働くことが可能なのに対し、日本人の女性労働者は夜間勤務を法律で禁じられ、また男性労働者も組み立て作業に要求される単純な繰り返し業務をやりたがらない。
「日本の製造業者は海外に拠点を移さない限り生き残ることはできない。多くの日本企業にとって海外生産はもはや当たり前になっている」と、日本貿易振興会香港事務所の所長、黒田氏は語る。
日本の技術と投資が有効に組み合わさることで、アジアの競争環境が変化し始めた。
日本企業は中国に何十年も前から進出しているが、米国やヨーロッパの企業に比べるとその動きは慎重だった。しかし、今では高品質製品で知られる日本企業が、コスト削減のために台湾の部品業者や安い中国の労働者を使っており、それが、韓国や急成長する東南アジア諸国に困難な状況をもたらしている。
「他のアジア諸国は日本とどう戦ったらよいのか、また新しい戦略を考えなければならない」とモルガンスタンレー・ディーンウィッター香港事務所のチーフエコノミスト、シエ氏は述べる。
香港から約96キロ北の広東省球江三角州にある人口400万人の東莞は、外資誘致において香港の手ごわい競争相手となりつつある。かつては農村だった東莞は、中国が1980年代初頭に外資の参入を認めると、香港に代わってこの地域の主要製造拠点になった。
当初、玩具や繊維、低価格の電気製品などを扱う華僑の製造業者によって開発された東莞は、労働集約型製品からより高度な製品の生産へ転換することを目指している。
東莞の政府はより多くの投資を引き付けるために、電気、水、通信などの公共サービスを改善した。「東莞を未整備で遅れた町と思われるかもしれないが、この古い町、東莞を、これから新しく作り変える予定である」と、最近日本から訪れるようになったビジネスマンたちを前に市長は語った。
東莞は確かに発展してはいるものの、日本の経営者は依然として労働力の熟練度を懸念する。「私が一番心配なのは労働者の技能と管理能力である。当社は、非常に緻密な作業を要求するからである」と、投資を決めかねている東京の化学製品会社、健正堂の顧問、山上氏はいう。
すでに中国での生産を開始した日本企業も、中国に投資をしたものの、最も高度な製品の生産は日本国内に残している。「低価格、低技術の製品の生産は海外に移したが、最も高度な製品は依然として日本や他の地域で生産している」と述べるのは、香港にある日本の産業用測定機器のメーカー、トプコン・オプティカルの上級セールスマネジャー、西川氏である。
東莞に投資した日本企業の数は273社であり、台湾企業9,000社、香港企業3,800社には遠く及ばない。しかしそれを除けば、投資額ベースでは日本の投資額は東莞への外国投資全体の40%に相当する。
東莞が世界経済に組み込まれるに従い、東アジアの製造業者のサプライチェーンは複雑に絡み合っていく。
日本株式会社の将来の戦略は、製品の開発は日本で、設計は台湾で、生産は中国でということになるかもしれないと、ベンチャー・キャピタルのウォルシン・インベストメント・ストラテジーズ・エンタープライズ(住友商事の関連会社)の代表、高崎氏は語る。「日本だけに依存してはいられないことが理解されたところである。中国、台湾、米国と協力する必要がある。協力の三角形が必要なのである」