No.434 3つの冷戦(2)

前回に引き続き、チャルマーズ・ジョンソンの論文をお送りします。今回は、東アジアにおける冷戦の分析です。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

3つの冷戦(2)

日本政策研究所論文 2000年12月号
チャルマーズ・ジョンソン

【 第二の冷戦:東アジア 】

 米国の近年の外交政策における最大の失敗は、中国の革命を理解せず、それにうまく対応できなかったことである。この失敗は第二次世界大戦に端を発し、今日も後を引いている。日本降伏直後の1945年夏、中国が内乱に翻弄される中、共産党の勝利がほぼ明らかになってから、米国は中国の力の増大を懸念し、東アジアにおける米国の覇権、ひいては、米国主導の世界資本主義体制確立へ向けた冷戦時の秘密プロジェクトに、新生中国が潜在的な脅威になるという妄想にとらわれてきた。ニクソン大統領が中国との対話を始め、対ソ連に向けて米中関係を確立した1971年以降の20年間を除いては、米国の東アジアにおける冷戦政策は中国に対して敵対的であった。今日、中国は他の東アジア諸国に追いつくことを目指して経済政策の方向転換を図っているが、米国は依然として中国の経済発展から利益を得、またその発展に影響を与えようとする一方で、中国を敵国に想定した巨大な軍隊を維持し、東アジアの安定を維持するのはこの米軍配備だと主張するという、どっちつかずの政策をとっている。

 東アジアにおける戦後の米国帝国主義の主要構成要素は、すべて米国の中国への執着に起因している。その要素は次のようなものを含む。

(1) 戦争直後の日本の民主化運動を中止し、代わって日本を東アジアにおける米国の軍事戦略のための主要基地にすることを決定。この政策によって日本は中国という伝統的市場を失うことになったため、米国は日本が経済的な生存能力を取り戻せるよう極めて好条件で自国市場を日本に開放しなければならなかった。1960年、日本の米国大使館は国務省に次のように報告している。「米国は、政治および安全保障分野における日米関係の前提条件として、日本の公平かつ正当な市場占有率を認める経済政策をとった。そしてそれが日本の輸出の大幅拡大につながり、今日の経済的繁栄を可能にしたのである」。この政策は今日も続いている。日本と韓国に10万人の米軍を駐留させる代わりに、日本は米国経済へのアクセスと、米国から日本市場への販売や投資に対して保護主義的障壁を設けることを特別に許可されていると考えられる。その結果が、日本の過剰生産能力と、米国製造業の空洞化、さらに過去最高の日米貿易不均衡なのである。
(2) 1949年10月、中華人民共和国が樹立された時、米国は国際的慣例にならって新政権を認めるべきか、それとも米国内の反応やマッカーシズムによる反共の高まりに応え、台湾に亡命中の蒋介石政権を依然として中国政府と見なすべきか、決断することができなかった。ジェームズ・L・ペックが著書で述べているように、米国がこのジレンマから逃れたのは、1950年6月25日の朝鮮戦争の勃発であった。米国は国連の承認を得て朝鮮戦争に介入したが、同時に中国共産党による台湾支配を阻止する一方的な行動をとったため、これが今日、太平洋地域における国際関係に最も不安定な問題を作り出した。それから20年間、米国は台湾政権を正当な中国政府と見なし、常任理事国として台湾を支持し、中国本土とは完全に通商を停止した。そして、中国革命については、米国の主張に相反する証拠が数多くあるにもかかわらず、ソ連の帝国主義の徴候を呈しているとしてきた。米国は、蒋介石の例にならって、その後も台湾、韓国、南ベトナム、フィリピン、タイ、インドネシアなどに軍事独裁者を送り込み、資金を提供し、保護してきた。米国が選んだ独裁者は、みな反共産主義者であった。蒋介石や東欧のソ連の衛星国の多くの指導者のように、これらの独裁者のほとんどは不正を働き、残虐で無能だった。東アジアで米国が民主主義を推し進めた国はない。韓国や台湾に遅まきながら民主主義が登場したのは、ますます不人気な米国が支援する政権に対する国内の抗議運動からだった。
(3) 米国は、朝鮮半島では直接、ベトナムでは間接的に中国と非情な戦争を行い、毛沢東の「人民による戦争」理論が正しくないことを証明しようとした。ベトナム戦争は米国の有権者を分裂させ、帝国主義的な暴漢という悪評を米国にもたらした。しかし、もっとも重要なことは、これらの戦争が米国のヨーロッパ以外の外交政策にある特徴を与えたことである。それは、地域の状況を理解しようとするのではなく、世界的な共産主義の野望、逆反乱、海外における内部防衛、自由世界、虜囚国といった抽象的な決まり文句を使い、米軍や過度の暴力を多用し、不都合な政府を倒したり、国民には不人気でも親米的な政権を支援するための秘密工作が行われるようになったことである(イラン、グアテマラ、日本、ピッグス湾、コンゴ、韓国、南ベトナム、ドミニカ共和国、フィリピン、インドネシア、チリ、アンゴラ、ニカラグア、ソマリア、ハイチなどが代表的)。ソビエト連邦が消滅するまでには、この手法は米国の伝統的な外交、海外援助、そして米国を模範にして他の諸国に投影させる従来のやり方に取って代わったのである。
(4) ヨーロッパの冷戦の基盤は全体主義と民主主義との対立であり、そこでの悪役はソ連であった。東アジアにおける冷戦の基盤は、戦前のヨーロッパ、米国、日本の植民地主義からの解放へ向けた闘争であり、この闘争における悪役は米国だった。東アジアにおける反乱のほとんどは、国民による国家主義に主導されたものだと知りながら、米国は、それをあくまでもモスクワから指令を受けた共産主義者主導の運動であると主張し続けた。こうした近視眼的な見方に立った米国は、第二次世界大戦中、東アジアの植民地から日本軍によって追い出されたヨーロッパの列強が、東アジアを再植民地化しようとするのを助けるという致命的な過ちを犯した。韓国においてさえ、傀儡政権の樹立にあたり、日本の植民地主義者に協力した多数の韓国人を米国は助けている。しかし、これまでこうした米国の政策が成功した国は一つもなかった。ベトナム戦争は米国のイデオロギー的な厳格さゆえ、米国内の革命につながりかねない状況をもたらした。外交政策の失敗の悪影響が本国に逆流した最たる例である。依然として分断されたままの韓国を除くと、反植民地的な国家主義がいたるところで勝利を収めている東アジアでは、米国が長い間、こうした国家主義勢力を評価してこなかったために、米国の東アジアに対する動機に不信感が持たれている。

 ソ連が崩壊した時、米国は当初、東アジアに対する帝国主義的支配をいくらか緩めた方がいいと考えたようである。1992年、米国はフィリピンのスービック湾にあった海外最大の海軍基地を撤退させると同時に、東アジアに配備されている軍隊をわずかながら縮小した。また日本に対する外交政策も、米軍基地の強化ではなく、両国の不均衡な経済関係を重視する政策へと転換させた。米国が反共の砦として日本に作った一党支配体制が1993年に崩壊しても、米国はそれを助けようとはしなかった。しかし、それにもかかわらず、ソ連が崩壊するや否や、米国の戦略家たちは、1989年に天安門事件の反乱者に対して中国政府が弾圧をしたこともあり、中国への中傷を始め、中国がソ連に代わる脅威となったために米国が世界的覇権を維持する必要があると、米国民に訴え始めた。

 1995年までに、米国は、完全に帝国主義的眼識を取り戻した。国防総省ジョセフ・ナイの1995年のレポートは、日本と韓国への米兵10万人の永久配備を正当と認め、またフィリピンとは、米軍のフィリピンへの再派遣を許可する「訪問米軍の地位に関する協定」を新たに締結した。一方、日本では自民党が与党に返り咲き、国内の不況にもかかわらず、あるいはそれゆえに、過去最大の対米黒字を再び記録し始めた。タイ、韓国、インドネシアで始まった1997年のアジア経済危機は、米国からの経済のアドバイスや圧力に従うことが、いかに危険かを露呈した。このことはさらに、東南アジア諸国連合(ASEAN)とASEAN地域フォーラム(ARF)が、外部の介入なしに東アジアの問題に対処できるという多国間組織としての信頼を失うことになった。中国に対して関与と封じ込めのどちらの政策をとるべきかについて、米国内では依然として議論が続いているにもかかわらず、米国はアジア太平洋地域に完全に戻り、帝国維持のためにこの地域にコミットしている。

 この地域において冷戦後の米国の帝国主義における主な鍵となったのは、中国と北朝鮮という残存する2つの共産主義国の脅威を執拗に誇張することであった。例えば、1999年5月、米議会は、カリフォルニア州ニューポート・ビーチ出身の共和党議員、クリストファー・コックスにちなんでコックス・レポートと呼ばれる報告書を発表した。コックスは、米国の最も高度な熱核兵器7基に関する機密データが中国によって盗み出されたと主張した。コックスによれば、盗まれた情報は、核兵器研究所の機密コンピュータの情報である可能性が最も高く、核弾頭の設計に不可欠といわれるコンピュータ・コードが含まれていたという。『ニューヨーク・タイムズ』紙を筆頭に、マスメディアはこのレポートを大々的に取り上げ、ニューメキシコのロスアラモス国立研究所でスパイ捜査が開始された。『ニューヨーク・タイムズ』紙の社説には、「コックス委員会は、この厳しい捜査に非常に貴重な貢献をした」と結んでいる。

 このスパイは台湾系の米国人科学者、ウェンホー・リーであることが間もなく判明した。政府当局は、リーにローゼンバーグ夫妻(米国の共産主義者の夫妻。ソ連に原爆に関する秘密情報を流した容疑で告発され、死刑判決を受け、処刑された)のように死刑を仄めかすことで自白を促し、フランスがドレフュスを悪魔島に流し終身禁固刑に処した時と同様の条件でニューメキシコの留置所に監禁した。ただし、この裁判は結局、証拠不十分でリーを有罪にできずに終わっている。エネルギー省とFBIがリーを容疑者にしたのは、フランスがユダヤ人のドレフュスに罪をなすりつけたのと同様、人種差別の可能性が高い。FBIの諜報員が、連邦裁判所の裁判官にリーに不利になる虚偽の証言をしたと認めると、米国政府は裁判所に司法取引を求め、リーに一部の訴因について罪を認めさせた上で釈放させた。

 この事件の当初、『ロサンゼルス・タイムズ』紙のジャーナリスト、ロバート・シェールは、ドレフュス事件で人権擁護のために当局を弾劾した作家ゾラよろしく、次のように記している。「中国の脅威が存在するのは、国家の安全保障に対する懸念を利用する政治家の心と、最も厳しい警告を報道してピューリッツア賞を受賞した『ニューヨーク・タイムズ』紙の中だけである」。1年以上たった後、『ニューヨーク・タイムズ』紙でさえ、自分たちのとった行動を弁明し、「ダウンロードされたデータには、米国の核弾頭に関する最も重要な情報が含まれ、これが敵対国の手に渡れば世界の力の均衡が変わり得ると政府高官が主張したため、その言葉に惑わされた」と記した。中国は今も米国のマッカーシズムを煽っているようである。

 米国が誇張する、東アジアのもう一つの軍事的脅威は北朝鮮である。国防総省は、北朝鮮が核兵器と長距離ミサイルを開発しているという主張によって、米国の国家ミサイル防衛の必要性を説明してきた。しかし、北朝鮮にその能力があることを裏付ける証拠は、何度も覆されている。例えば、1998~99年、パトリック・ヒューズ中将は、国防情報局の長官を務めていた時、北朝鮮が秘密裏に地下原子炉を建設中であることを示唆する極秘情報を米議会のメンバーに流した。しかし、米国側が北朝鮮に圧力を与え、ヒューズが原子炉の設置場所と特定した箇所を調査すると、そこにはいかなる機械も置かれていないどころか、原子炉を設置するには狭すぎるということが判明した。2000年5月に米国がこの場所を再び調査したが、やはりそこは空っぽだった。

 さらに米国政府にとって不面目だったのは、1999年11月、コロラド州ソーントン所在のスペース・イメージング社が、民間の偵察衛星アイコノスから、北朝鮮のミサイル発射場所とされる箇所の写真を撮影した時である。アイコノスは、軍事用監視衛星に匹敵する地表1メートルまでの高い解像力を持つ。アイコノスから撮影された写真を見た米国科学連盟は、「この施設は、満足できるミサイル・システムの開発に必要な広範なテスト・プログラムの実行を支援するためのものではなく、また多くの点でそれが不可能なことは明らかだ」と断言した。そして1988年に完成したこの北朝鮮の基地は注目には値せず、考え得る最小限の実験施設であるとも述べた。さらに、アイコノスの写真によって、当時、韓国から随時送られていた北朝鮮に関する情報にも疑いが持たれた。北朝鮮から韓国への亡命者の1人が、この実験地区付近からすべての農村が排除されたと語ったとされたが、新たに撮影された写真には依然として村が写っていたからである。

 こうした例が多数あるにもかかわらず、米議会は、東アジアの冷戦が終わった可能性を認めようとしない。南北首脳会談で和平へ向けた一歩をすでに踏み出した後の7月27日に、何でも誇張するクリストファー・コックスが委員長を務める下院政策委員は、東アジアの状況に関するレポートを発行した。その冒頭は、次のようなものである。「北朝鮮は単なる独裁国家ではない。韓国人を半世紀にわたり苦しめ、また人類史上、最も完全な全体主義と軍国化を達成した、極めて奇怪な専制国家である。今日、北朝鮮は経済的崩壊寸前にあるものの、米国およびその世界中の同盟国の国益に最も大きな脅威を与えている国の1つである」

 しかし、長い目で見た場合にこうしたプロパガンダよりもさらに不吉なことは、国防総省が、南北朝鮮がたとえ統一されたとしても、米国はここに軍隊を維持し続けるつもりだと、あらゆる機会に発言していることである。韓国の防衛費は朝鮮を大きく上回り、また人口は北朝鮮の2倍、経済的豊かさでは少なくとも25倍であることを考えると、米軍が韓国を防衛する必要がないことは明らかである。中国に警戒させているのは、むしろ米軍の存在そのものであり、米国が東アジア地域に帝国主義的住処を残そうとしているのではないかと思われている。

 またもっと危険なことに、米国は、台湾との軍事関係を広範にわたりさらに強化し始めた。1996年、台湾の一方的な独立宣言を阻止するため、台湾の選挙前夜に中国が軍事的威嚇を行った。クリントン政権は国防総省に対し、1979年以降の政権が許さなかった、中国専門記者であるジム・マンいうところの「一種の戦略的対話」を台湾の軍隊と始めることを許可したのである。

 米国の武器輸出にとって、台湾は最も裕福な顧客であり、台湾海峡での実際の戦闘脅威を効果的に中和させる、中国への報復能力をすでに有している。真の危険性は、政治的な計算間違いを犯せば、戦争が勃発し得るということである。中国は繰り返し、台湾を武力で併合したくはないと述べてきた。同時に、国際法のいかなる原則や前例に照らし合わせても、中国の領土の一部である台湾を一方的に分離させることを中国が許すことはできない。50年前の大失敗ゆえに、米国は台湾問題を解決することができないでいる。何らかの解決策を得るには、現状を維持しながら、ただ単に時が過ぎるのを待つしかない。残念ながら、米国の帝国主義的なてらいが、こうした慎重な成り行きの障害となっている。

[著者の許可を得て、翻訳・転載]