21世紀最初のコラムは、5回にわけて「IT革命は本物か」と題する小論をお送りします。
IT革命は本物か(1)
ここのところ、政府やマスコミは「IT革命」を大きく取り上げ、eビジネス、電子政府など、eのつく言葉を乱用している。情報通信関連の製品やサービスを製造、販売している業界内でこうした流行り言葉が出ることはこれまでにもあった。特に情報業界はいくつもの新しい概念や言葉を生み出してはそれを広めてきたからである。MIS(経営情報システム)、EIS(役員情報システム)、SIS(戦略的情報システム)、IRM(情報資源管理)などがその代表例である。しかし、強引な売り込みは、政治であれば民主主義、宗教であれば布教、経済学であれば使うためでなく利益を出すための生産や交易のように、古来から行われてきたことである。
しかし、いま流行りのIT革命に見られる誇大広告は、それが情報通信のメーカーや販売会社に限定されていないだけに質が悪い。森首相自らがこの「IT革命」を後押しするために多額の税金を注ぎ込み、日本経済をその革命へいざなおうとしている。金融機関は預金や保険金、年金を、まだ実証されてもいない、いわゆるニューエコノミーの中心にある新興IT企業の株式に投資している。
IT革命やニューエコノミーに見られる誇大広告は、1980年代の日本に見られた財テクブームを彷彿とさせる。この財テクブームにより、何百兆円もの資金が、土地や株式、外貨を対象とした投機や高級絵画の購入などに向けられた。当時は、どんなに実体からかけ離れた価格でも値上りし続けるとされ、一攫千金も夢ではないと信じ込まれた。実体を見抜いていなければならなかった政治家や金融機関は、515平方キロメートルしかない東京の地価が、米国全土(937万平方キロメートル)のそれを上回っている事実を、地価バブルの狂乱が一瞬のうちに崩壊する危険性をはらんでいるという警告として国民に伝えるのではなく、日本の繁栄の証として自慢げに語っていたのである。自分達よりもよくわかっているであろうと国民が信頼を寄せていた政治家や専門家は、自己の利益を優先させ、いつまでも「ただ儲け」ができると国民に信じ込ませたのである。
1980年代後半の財テクブームから10年たった今も、日本は金融バブル崩壊の後遺症に苦しんでいる。失業率、倒産件数、倒産に起因する負債、経済苦による自殺件数、犯罪率、麻薬中毒など、どれを見ても戦後最悪を記録している。しかし、金融バブルから何かを学んだとは思えない。なぜならば、財テクブームの時と同じように、実体のないところにITバブルが膨らんでいるからである。金融バブル崩壊で病んだ日本経済は、ITに投資すれば傷が癒えるとばかりに国家予算、つまり税金を投入している。そしてIT投資を増やしさえすれば、土地や株式、外貨への投機が1980年代後半に約束したように、大きな利益が獲得できるとされている。現在、IT革命について書かれている記事の多くは、ITを財テクに代えるだけで、1980年代後半に書かれた「財テク」の記事とほぼ同じようなものになるだろう。
20世紀最後の10年間は、財テクバブル崩壊の後片付けに追われ、金融機関はどこも財テク投機で失った資産価値を取り戻そうと必死になった。21世紀最初の10年間が、ITバブル崩壊の後片付けのために、日本のあらゆる産業に属する企業が、IT投資で失った資金の回収に追われることがないよう願うばかりである。
【 ITとは何か 】
人類はその歴史において、経済財を生産するために人間や動物のエネルギーを使ってきた。産業革命が広まった1830年代頃から、それに加えて動力源として化石燃料が使われるようになった。これにITを当てはめて考えてみると、ITは商品やサービスの生産に人間や動物以外のエネルギーを適用するための最新の動力源の一つだということになる。ITの唯一の価値は人間の生産性を向上させることにあり、製品やサービスの生産能力やその他の有益な仕事を行う力を押し上げるものに過ぎない。
ITを、生産性を上げるための他の動力源やツールと比較してみると、ITの影響を「革命」と呼ぶのがばかげていることに気づくはずである。例えば、電球が出現する前は、日が暮れれば勉強したり働いたりすることはできなかった。電球がなければ画面を裏から照らし出すことができずにコンピュータさえ使えないのである。それでも電球の出現は「電球革命」などといわれただろうか。ITと電球のどちらかを選べといわれれば、どちらを選択するだろうか。またエレベーターとIT、精密機械とITとを比較したらどうだろうか。
IT革命という言葉が出始めたのはコンピュータを電話回線につなぎ、音声だけではなくデータも送れるようになってからである。それまでは誰もIT革命などといわなかった。では電話そのものの出現と、また電話回線でデータも送れるようになった時とを比べて、生産性増加に与えた影響はどちらが大きかっただろうか。電話が音声とデータ送信のどちらか一方しか使えないとしたら、どちらを選ぶであろうか。
ITは産業革命の流れを汲む最新の動力源、あるいはツールに過ぎない。つまり生産性向上のためのツールの一つなのである。これを効果的に使えば、確かにITは生産性向上に役立つ。しかしこれを革命と呼び、特別視するのはばかげている。
ITを革命と呼ぶのは危険である。森首相をはじめとする日本の指導者たちは、彼らがバラ色に描くIT革命で日本の景気が浮揚すると断言しているが、彼らはそれを信じるほど、愚かではないはずだ。彼らが実際に行っていることは、贔屓のITサプライヤーを税金で援助し、その見返りとして政治献金を期待することであり、ITに税金を注ぎ込むことを正当化するために、IT革命と景気回復を結びつけているとしか思えないのである。こうした税金の無駄遣いは今に始まったことではないが、これでは日本の景気が回復するはずがない。
日本の情報通信産業の実質国内生産額は、郵政省の資料によれば、1990年は80.6兆円、1995年は96.3兆円、1998年は112.9兆円と順調に伸びている。しかし、年間伸び率はわずか数パーセントで、全産業に占める割合は12.5%である。これを一挙に倍増、3倍増することは不可能であり、たとえ倍増したとしても、全産業に占める生産額は25%にしかならない。それにもかかわらず、一国の首相が真の経済問題に対処せず、また戦後最悪の不況が大恐慌にならないよう食い止める策もとらずに、「IT革命」などというまやかしに夢中になっているのである。
もう1つ危険なことは、人をだまそうとすれば必ずそれに惑わされる人がいる点である。実際、国民や国民の預金を預かる金融機関の中には、健全な資金運用よりもリスクの高いIT株への投資に走り、貴重な貯蓄を目減りさせたところもある。
これら多くの企業が、貴重な資金やその他の資源の多くを投資したり、投資先を見誤ったりしたのも、ITが生産性向上のツールの一つに過ぎないにもかかわらず、その誇大広告に惑わされたためである。今流行のeビジネスでさえ、アマゾン・ドット・コムに代表されるように利益を出しているところはほとんどない。アマゾン・ドット・コムは、書籍販売を中心に行うWebサイトだが、インターネットを媒介にしてより広い母集団の顧客からより低コストで注文を受けることが可能になり、顧客は簡単に本の注文ができると同時に、アマゾン・ドット・コム側は絶版本や手に入りにくい本、注文数が少ない本を、従来の書店よりも早く、低コストで見つけることができるようになった。しかし、アマゾン・ドット・コムは依然として、従来の書店に共通する、受注処理や本の在庫、出荷、請求、入金処理を行わなければならず、それには費用がかかる。さらに書店以外の企業全般に共通する、従業員の採用、教育、人事管理、事務所の清掃、備品の購入、帳簿管理といった作業も行わなければならない。それは、音楽CD、コンピュータ、あるいはその他いかなる商品群を取扱商品に加えたとしても必ず発生する作業なのである。アマゾン・ドット・コムが赤字続きなのは、同社がeビジネスというよりも従来型の本の再販業者に近いためなのである。eビジネスそのものを目標に据えるという間違いに陥る企業はすべて、アマゾン・ドット・コムのように、あるいは他の多くのドット・コム企業のように、赤字を出すことになるだろう。
IT製品やサービスを提供している企業の社長として、私は特に、このIT革命のバブル崩壊後、必ずや起こるであろう反発を懸念している。お客様がITに投資するのは、確実に投資コストを上回る利益が得られるとわかっているからではなく、そうなるだろうと信じているからである。またお客様が弊社からソフトウェア製品やそれに付随するサービスを購入して下さるのも、必ず価格を上回る価値が得られるとわかっているからではなく、弊社を信じ、また宣伝を信用して下さるからである。情報産業やメディアが情報技術について過大広告をすればするほど、お客様も商品やサービスに過剰な期待を抱き、結果として提供側はその過剰な期待を満たせない可能性が高くなる。過剰な売り込みや誇大広告は、実体のないバブルを作り出し、そのバブルは、いかなるバブルもそうであるように、必ず崩壊する運命にある。そうなれば、IT製品やサービスが価格に見合う価値を提供するという利用者側の信用や信頼は失墜する。ドット・コム株のバブルがはじけ、新規株式発行が極めて難しくなったのと同様に、われわれ情報産業にとっても、商品やサービスの販売がますます難しくなってしまうであろう。