No.439 IT革命は本物か(4)

前回に引き続き、「IT革命は本物か」と題する小論の第4弾をお送りします

 

IT革命は本物か(4)

 

 

【 国民の幸福と成功のための生産性向上 】

ITの持つ唯一の価値は、生産性を向上させる能力にある。しかし、今の経済管理の仕方では生産性はすでに過剰な状態にある。重要な点は、IT投資や生産性の増減ではなく、ITやその他の生産性向上ツールの進歩から真の利益を得るために、経済の考え方あるいは経済管理の仕方を変えることにある。

まずは我々の経済に対する考え方を改めるべきである。資本管理者の利益拡大のために経済を管理するというアングロ・サクソン流の考え方を捨て、過去1200年以上にわたりうまく作用し、日本に生活水準向上をもたらした高度経済成長期の基盤となった考え方を取り戻すべきである。日本の伝統的な考え方とは、国家の目標は国民の幸福であり、企業の役割は、国民の幸せに寄与する製品やサービス、雇用の提供にあるというものだった。経済のために国民を犠牲にすべきだという愚かな考え方は捨て、経済は国民を幸福にするための道具に過ぎないという考え方を取り戻すべきである。

国民の幸福を高め、需要と供給の均衡を取り戻し、失業や倒産、それに付随する社会問題を減らし、生産性向上に見合うだけの需要を増やす方法が、少なくとも4つあると私は考える。その4つの方法、すなわち正しい税制政策の復活、社会消費の増加、労働時間の短縮、教育の向上について、以下にそれぞれ説明する。

1. 正しい税制政策の復活

製品やサービスの供給が需要を大きく上回っている1つの理由は、最近の税制政策が、それらを購入したくてもできない国民層を拡大させているためである。最近の税政は収入の大部分を消費に回す低所得者層や零細企業の所得を減らし、収入の多くを消費よりも貯蓄に回す富裕者層や大企業の所得を増やしているからである。すなわち、日本の税制政策が、日本経済全体の86%を占める民間消費を抑制しているのである。

政府が富裕者や権力者の税金を引き下げ、貧困者や弱者の税金を引き上げると同時に、税収不足を借金で補填し、公的債務を史上最高、先進国中最大の規模に積み上げていくに従い、日本経済は衰退していった。1950年代から1970年代の日本の高度経済成長期は、儒教の教育を受けた先達によって成し遂げられたものであり、彼らは、弱者を守るのは強者の義務と考えていた。この時代、個人の所得税は極めて累進的であり、法人税収の個人所得税収比は96%であった。相続税も極めて高く、消費税はゼロで、公的債務もGDPの5%未満に抑えられていた。しかし、儒教の教えを受けた先達が引退し、戦後教育を受けた利己的な二世、三世が後を継ぐと、個人の所得税の累進性は弱まり、法人税収の所得税収比は69%に下がった(実際、大企業は税金をほとんど払っておらず、払っていたとしても最低の税率である)。消費税も導入され、現在2年毎に増税する計画が発表されている。さらに所得税の最低税率を引き上げる一方で、相続税の最高税率を引き下げることも計画されている。その結果として、日本の国と地方の長期債務の合計は2001年度末には666兆円(GDPの128.5%)に達しようとしている。

こうした近視眼的、かつ利己的な政策によって日本経済は衰退の一途をたどっている。前述のように、日本経済の60%は個人消費に依存し、さらに民間消費向け研究開発、製品やサービスの製造、流通のための資本形成26%を加えると、86%が民間消費に依存している。したがって、富裕層しか買えない高級品は別として、あらゆる商品の価格を消費税で3%、あるいは5%引き上げれば民間需要が減退することは、自明の理であろう。そして自民党はそれを行ったのである。1989年に3%の消費税が導入されると日本の景気は停滞し始め、また橋本首相のもとで94年にそれが5%に引き上げられると景気はさらに悪化した。

日本でも他の国同様、低所得者層は所得のほとんどを消費に向け、高額所得者はその一部しか消費しない。

世帯の年収 消費支出が年収に占める割合
1,450,000円 130%
2,260,000円 100%
3,730,000円 78%
6,210,000円 58%
9,470,000円 52%
11,060,000円 48%
20,780,000円 33%

高額所得家庭に減税し、同時に、低額所得家庭の所得税および消費税のいずれか、または両方を増税すれば消費が減退することは明らかだったはずだが、日本では実際この通りの政策がとられ、当然の結果がもたらされたのである。個人消費が日本経済の86%を支えていることを考えると、現在の日本の経済苦の主な原因が愚かな税制政策にあったことは明白である。

日本の税制政策が税負担を富裕者や権力者から貧困者や弱者に転嫁させると同時に、その税金で賄われる、いわゆる福祉の受益者も、貧困者や弱者から富裕者や強者に移行している。例えば、高齢者の医療費負担を増やす一方で、銀行や保険会社の博打の補填を公的資金で行っている。福祉に依存しているのは、高額所得家庭ではなく低額所得家庭であるため、社会福祉を削減すれば、消費はさらに冷え込むと同時に、景気がさらに悪化するのは確実である。

日本は、消費税を廃止し、所得税の累進性を以前のように高めると同時に、法人税率を高度経済成長期のレベルに引き上げ、相続税の引き下げを中止すべきである。個人も企業も、所得が多ければ多いほど、消費する割合が低く、残りを貯蓄に回している。国民および企業のほとんどは、銀行やその他の金融機関に貯蓄を行っている。需要と供給の均衡が保たれている経済では、金融機関は大半の貯蓄を企業の設備投資向けに融資する。しかし、供給が需要を大幅に超えている経済では、企業が設備投資を行えば余剰在庫が増えてしまう。そのため金融機関は自分たちの運営費を稼ぐために他の投資先を探さなければならない。1985年ごろから、金融機関は国民や企業から預かった預金を、株や債券、外貨、土地、デリバティブなどを対象とする投機に向け始めた。これは一種の博打であり、他の博打同様、勝者がいれば、敗者もいる。勝者は預金者のお金を元手に行った博打の配当を自分の利益とし、一方の敗者は、博打ですった預金者の預金を税金で補填してくれるよう政府に泣きつく。政府にこの時与えられる選択肢は、金融機関を正直に、かつうまく規制してこなかったことを、これら金融機関の顧客に対し認めるか、あるいは国民をだまし、博打のつけを税金で、すなわち公的債務の増加により支払うかのどちらかである。もちろん正直で有能な政府であれば、預金者からの文書による承諾なしに預金を博打に使うことを禁止して、銀行や金融機関を規制しようとするに違いない。しかし、日本政府は、さらなる規制の緩和を行い、銀行の預金、保険金だけではなく、年金までも投機に使うことを許し、勝者が利益を自分のものとし、敗者には博打のつけを税金と公的債務で払うことを認めている。このようなことを食い止めるための1つの解決策は、高額所得者に増税し預金能力を奪うことで、金融機関の博打を阻止することである。これによって、高額所得者からの税収が増えるだけでなく、政府が公的資金で補填しなければならない金融機関の博打のつけもなくなるため、一挙両得で、次の社会消費の財源を増やすことが可能となるのである。

2. 社会消費の増加

政府は、愚かでかつ不毛な景気浮揚策と、政治献金と天下り先の提供者である大企業や金融機関への公的資金を使った援助により、国と地方の長期債務を2000年度末には642兆円にも積み上げた。これは生まれたばかりの赤ん坊も含めた全国民1人当たりに換算すると516万円、納税者1人当たりでは1,612.5万円にもなる。2000年、政府は全税収の44%に当たる22兆円を、国家債務の返済(利払い費も含む)に費やした。

日本経済を立て直すどころか、財政赤字により公的債務を増やし、さらに景気を悪化させている。日本が、国債費(国債の償還費および利払い費)に、税収の44%も費やしているということは、医療、教育、福祉、防衛、警察などその他の公的サービスに使える費用は、残りの56%しか残っていないということだ。もし、この22兆円を国債費に費やさずにすめば(政府の借金のほとんどは法人税をまったく支払わない金融機関の救済に使われた)、日本政府はその22兆円を医療、教育、福祉、防衛などの政府が提供すべきサービスに充てることができるのである。そうなればまず国民がこれらのサービスを享受することができ、国民の幸福に寄与したはずである。さらに、22兆円分GDPが増え、2000年度の名目GDPは535兆円となり、年間成長率4.3%が達成されたかもしれない。それが実現すれば、企業や労働者の製品やサービス需要が高まり、供給過剰の状態が解消されたかもしれない。GDPの4.3%成長により、製品やサービス需要が22兆円分増加すれば、企業倒産や失業、それに伴う社会問題も改善されたであろう。

日本の国民1人当たりの消費額は、他の先進国よりも50%、米国より20%も高いが、GDPに占める社会消費の割合は他の先進国のわずか半分に過ぎない。日本は脱亜入欧のスローガンのもと、西欧諸国に必死に追いつこうとした過程で、伝統的な社会性向や社会的慣行を失い、個人主義の国になってしまった。人口に比した物の数は世界一多いかもしれないが、先進国の中で、日本ほど、大気や水が汚れている国が他にあるだろうか。通勤時間は1~2時間が当たり前、高齢者や弱者救済のための社会保障は不十分で、景観は乱れ、食糧自給率は北朝鮮並み、さらに海外からの攻撃にも無防備である。こんな国が日本以外にあるだろうか。

なぜ日本は、物質的には満たされているものの、精神的、社会的、知的、体力的には満たされない成金人間で溢れた国になってしまったのだろうか。

日本の社会消費は、GDPのわずか9%である。国民の生活に不可欠な大気や水、食糧やエネルギー、交通や通信基盤の維持や改善、歴史および文化的遺産の保護、高齢者や弱者、失業者の救済、国防などは、個人では準備できないものであり、社会全体でしか賄えないものである。こうした社会消費に他の先進国ではGDPの18%を充てているが、日本はわずか9%しか費やしていないのが現状である。

日本の社会消費を他の先進国並みにGDPの18%に引き上げれば、国民の幸福にどれだけ寄与するか計り知れない。GDPの9%は約46兆円である。社会消費を46兆円増やせば、かつて1950年代から1970年代に民間部門で見られた高度経済成長期並みの奇跡を公的部門で作り出すことも不可能ではない。そうなれば、ITや他の技術をすべて駆使しても生産性向上が追いつかない状況が生まれるであろう。

財源についても心配はいらない。先進諸国の税収は、平均でGDPの38%に相当するが、日本は29%である。他の先進国並みに国民が税金を払うようになれば、社会的水準を他の先進国レベルに引き上げられるだけでなく、経済成長を達成し、現在日本経済を苦しめている需給ギャップを埋めると同時に、ITやその他の技術が提供する生産性向上を有効活用できるようになるであろう。

そのために必要なのが、国民の幸福のために正直かつ有能に奉仕することを誠実に念願する政府である。国民の役目は、それを政府に要求し、そうした政治家を選ぶべく選挙に関心を持つことしかない。