No.446 新しい政策でいかに致命的な7つの薬が出現したか(後編)

今回も前回に引き続き、かつては安全性を重視して慎重さを誇っていた米国食品医薬品局(FDA)が、医薬品の認可をより迅速に行うようになった結果、多数の死者を出す新薬が米国で投与されたと報じる、『ロサンゼルス・タイムズ』紙の調査記事をお送りします。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

新しい政策でいかに致命的な7つの薬が出現したか(後編)

『ロサンゼルス・タイムズ』紙 2000年12月20日
デイビッド・ウィルマン

【 AIDSの影響 】

 FDAの変化に拍車をかけたのは、1988年、AIDS活動家がメリーランド州ロックビルにあるFDA本局の周りで行ったデモだった。彼らは死に直面したAIDS患者に一縷の望みを提供する試薬の認可をすぐに行うよう求めたのである。

 FDAは新薬の認可申請の検討に通常2年以上かけていた。製薬業界はこのデモを、規制を緩めて多くの新薬を迅速に市場に送り出すチャンスと捉えた。製薬会社とそのロビイストは自分たちに有利な立場を要求した。足かせがなくなれば、製薬会社はより多くの治療法をもっと早く見つけ開発することができると主張した。高まった政治的な圧力にFDAは屈服し始めた。1991年までに、FDA幹部は議会に対し、認可過程を大幅に迅速化していると報告した。製薬会社はより大胆になり、さらに圧力を強めた。生命に影響があるか、または重篤な疾患用の薬の審査過程を通常より迅速にするよう提案したのである。「製薬会社はFDAと議会に対し、この『重篤』という言葉を楯に圧力をかけた」と1991年、FDA局長デイビッド・A・ケスラーの首席補佐官であったジェフリー・A・ネズビットはいう。「彼らの主張は、“AIDSと癌は当然だとして、アルツハイマー治療薬も開発されている。これも重篤だ”というように、次から次へと病名を増やし始め、重篤の対象を広げ始めたのだ」

 AIDS危機が細く開いた規制当局の扉は、「重篤」というどうとでも解釈される1つの言葉の乱用によって大きく開かれることになった。

【 はびこる新秩序 】

 1992年、ケスラーは人命に関わる、あるいは重篤な疾病向けの新薬の認可を迅速にするため、FDAに自由裁量権を与える規定を発表した。同年、民主党が多数派を占める議会は処方薬(FDA)利用料条例を承認し、ブッシュ大統領がそれに署名した。これによって、FDAには6ヵ月から1年以内に新薬審査を終えるという目標が掲げられることになった。製薬会社は現在FDAに対し、新薬の認可申請ごとに使用料30万9,647ドルを支払っている。

 クリントン政権は政府再生プロジェクトで、この動きに便乗した。ゴア副大統領を筆頭としたこのプロジェクトはFDAに対し、2000年1月までに、国民に重要な新薬を提供するのにかかる時間を平均で1年間短縮するよう求めた。1995年3月16日、クリントンは講演で「この目的は過去の政府を追い払うことだ」と述べた。

 FDAで薬を評価する医師、薬理学者、薬剤師、生物統計学者といった、新薬の安全性や効能を精査する人々の間にも新秩序が確立された。

 新薬の審査は国民の目が届くことのない、メリーランドのルート355沿いに並ぶ安全な建物内で行れている。漆黒の建物の調度類はお役所的で、また廊下や3階の食堂には窓もない。審査官は、トラック何台分もの科学文書を審査する。審査官は教育レベルが高く、何も知らず彼らの専門知識に依存する米国の病人たちのため最善を尽くそうと高い意欲を持つ者も中にはいる。審査官の中に、UCバークレーとハーバードの公衆衛生大学院で学位を取った後、1995年にFDAに着任した生物統計学者、マイケル・エラショフがいる。

 「最初の薬品を審査し終わった時、自分が何か価値のあることをしていると感じられた。1人の審査官の貢献がどれほど大きな変化をもたらし得るかということがわかった」とエラショフはいう。彼の父も祖父も統計学者だった。昨年、彼はグラクソウェルカム社が開発した感冒薬Relenzaの審査を任された。彼は認可に反対した。「米国民のインフルエンザ治療薬としての効き目が認められなかったし、感染を弱めることも、予防の効能も認められなかった」とエラショフは記し、効果がまったくないのに、多くの患者がリスクにさらされることになるだろうと付け加えた。

 FDA諮問委員会はこの審査結果を認め、2月24日に13対4で認可反対の投票を行った。投票後、FDAの上層部はエラショフを激しく叱責し、彼を別の感冒薬の審査からはずし、諮問委員会への報告も必要ないと伝えた。そしてRelenzaを安全で効果のある感冒薬として認可したのである。

【 制度の中でなくなった信頼 】

 エラショフと他のFDA審査官はここに強力なメッセージを見た。「認可見送りはFDAの上層部に問題を起こすことがわかった。それは多分、彼らにとっては認可を見送る意義以上に重大な問題なのだろう。FDAで働く前は、物事が適切に行われていると思っていた。しかしこれで、処方薬に対して私が寄せていた大きな信頼は消えた」とエラショフは述べている。2000年8月にエラショフはFDAを辞めている。

 「ゲームに参加するか、のけ者になるか」だというのはFDA勤続19年の医師、ジョン・L・ゲリグイアンである。彼は問題を起こした糖尿病薬Rezulinの認可に反対した。「担当官は“この薬を認可すべきだろうか”とはいわない。“どうやってこの薬を認可させようか”というのだ」

 FDAで11年医療担当者として働き、1997年に退職した医師のルドルフ・M・ウィドマークは、「もし薬に対する懸念を示せば、それが内部過程全体に波及し、困難で骨が折れることになる。なぜ認可に踏み切らないのかを上司に説明しなければならない。審査官にどれだけ圧力がかかっているか、想像もできないだろう」

 この重圧のために、1999年組合代表が行った新薬審査官の新しい雇用契約交渉の折、その代表は、まず審査官たちが行う作業の「科学的完全性」と呼ぶものを擁護しなければならなかった。

 「審査官は窮地に陥った。FDA当局の要望に合わせなければいけないという圧力を受けたのだ」というのは、1998年に審査官を代表して組合支部を作った、FDAの医療担当官、ロバート・S・K・ヤングである。「教育、訓練レベルの高い審査官に高給を払っていながら、彼らに仕事をさせないのだ」

 新薬の申請には膨大な医学データが添付され、電話帳千冊分以上になることもある。審査官はこの資料を6~12ヵ月で熟読する一方、他の仕事もこなさねばならない。「問題は詳細な部分にあるにも関らず、詳細を見る時間はもはやない」と、FDAの科学調査部門を2000年に退職したベテラン薬剤学者、ガーストン・D・ターナーはいう。「いつまでにレポートを完成させなければいけないとわかっていたら、何とかするしかない。FDA幹部が求めるのはそれだけだ。そして、それが私のとても心配していることだ」

【 FDAは審査官に記録的速度を要求した 】

 1994年、FDAの目標は新薬の審査の55%を時間通りに終わらせることだった。しかし、実際の達成率は95%だった。95年の目標は70%で実際は98%、96年は目標80%で、終えた審査は100%だった。97年、98年は目標が90%で実際は100%だった。93年から99年に、FDAは新しい分子的存在とされる232の薬を認可した。それ以前の7年間に認可した1,163に比べると、42%増である。FDA内では認可終了の目標期限すなわち締切日と見なされるようになった。FDA当局は審査官とその上司に対し、迅速に審査を終わらせ薬を認可するよう、容赦ない圧力をかけた。「目標期限は真剣に受け止められた。FDAがその目標をすべて満たすとは誰も思っていなかったと思う」と、1995~1999年にFDA副局長を務めたウィリアム・B・シュルツはいう。彼は議会の事務弁護士として1992年に使用料条例を作る手助けをしたが、「薬を認可しても認可しなくても目標達成にはなる。しかし、議会が本当に望んでいるのは審査ではなく認可だと主張する者がいた。これが危険につながる本当の原因だ」という。

 実際、FDA医局の1999年年次レポートは、評価目標について「法的期限」としている。医局長ウッドコックは、その後に出たFDA会報でこう述べている。「使用料を受け取る代わりに、FDAは審査の目標期限を守ることを約束することになる。FDAは目標以上を達成しており、これからもそれを期待する。基本的に、認可される新薬の数は2倍になり、審査時間は半分になった」

 使用料収入によって、FDAはより多くの医薬品の審査官を雇えるようになった。使用料のなかった1992年には162人だったが、1999年には236人の医療担当官が新薬を審査している。

 それでも2000年秋のFDAの出版物でウッドコックは、大量の作業量と厳しい期限目標による労働環境の悪化が、職員の退職率増加につながった」と認めている。1998年のFDA進捗報告書には、同局の薬剤師の作業について、「目標期限ぎりぎりまで終わらない審査があまりに多いことから、制度そのものが軋み始めていると示唆される」と記されている。

 局長ケスラーの元補佐官ネズビットは「以前は時間切れなどなかったのに、今はいつも時間切れになる。それが人々の行動も変えた」という。

 『ロサンゼルス・タイムズ』紙が取材した数十人のFDA担当官も同様に見ている。「絶対に期限に間に合わせよという圧力がものすごい。その圧力は単に評価を終わらせるだけではなく、認可すべしというものだ」と、1990年代を通してFDAの代謝内分泌薬部門の長を務めた65歳のソロモン・ソベルはいう。

 大きく変わったのはこの7年だというのは、現在製薬会社のコンサルタントで、元FDAの法律部門職員として議会の仕事を手伝ったキャサリン・ホルコムである。「歴史的にFDAは“規制せよ、厳しくあれ、法を守らせよ、1つの間違いもないように”というアプローチをとってきた。それが今では協力的な役割に甘んじている」

 製薬会社との馴れ合いは、FDAの18の諮問委員会の潜在的な利害の対立によって続いている。FDA諮問委員会は、薬の認可、回収をFDAに推薦する点において極めて影響力が大きい。FDAは薬品の審査にあたって製薬会社のために、諮問委員会のコンサルタントおよび研究員を大幅に増員させることができる。『ロサンゼルス・タイムズ』紙の調べでは、LotronexやPosicorなど、最近回収されたいくつかの薬がそうであった。

 年商1千億ドルの製薬会社の影響力を疑う者はまずいない。過去10年間に、製薬会社は主要政党および大統領、議員候補者に4,400万ドルの献金をしている。新薬を認可しないと製薬会社の怒りを買い、仕返しに使用料条例の更新を議会に拒否されることをFDA上層部は恐れていると、FDA審査官は語った。これがFDAの運営をおかしくし、その仕事を危ういものにしたのかもしれない。

 現在、製薬会社からの献金によって、FDAの医薬品の審査費用の約50%が賄われている。そしてFDA幹部は、使用料条例を2007年まで更新するよう議会を説得することが現在の最優先事項だという。

 たとえ使用料条例が更新されたとしても、FDAが、使用料収入を新薬の審査以外に使用することは禁じられている。実際、認可前審査の予算はこれまで増えたものの、処方後の薬の安全性を審査する予算は増えなかった。

 ペンシルバニア大学の疫学部長のブライアン・L・ストームは、「まったく話にならない。薬で人命が奪われていることを知ろうともせず、早く薬を市場に出せなどとどうしていえるのか。このことは政府の政策優先事項が何であるかを象徴的に物語っている」と語る。

 被害や死亡を含めて、処方薬に起因する副作用が毎年25万件以上報告されている。それらの報告は医師などからの任意報告に頼っている。ストームら専門家は、それは全体の1~10%にしかならないと見ている。この副作用の減少を文書にまとめたストームは、「薬の副作用を報告しても医師にはまったくメリットがないため、報告されている数は実際より大幅に下回っている」という。

 そしてたとえ死亡例が報告されても、製薬会社は、死因を元々の疾病を含む他の要因だとして薬の副作用を一貫して否定することが、さまざまな記録や取材で明らかになっている。

 確かに、処方薬の安全性を脅かす要因は多数存在する。製薬会社の臨床研究、FDAの規制、処方するかどうかの医師の判断、手書きの処方箋、患者が指示通りに薬を飲むか、などこれらのうち1つが欠けただけでも、致命的な過失となる。

 FDAが一度薬を認可すると、製薬会社はできるだけ多くのシェアを獲得しようと巨額の宣伝費を投じるのが普通である。専門家によれば、これが公衆衛生上の危険を増大させるという。「積極的な宣伝で多くの人の目に触れると、問題が見つかる前に被害者が出る」と元FDA諮問委員で、ジョージタウン大学の薬理学部長のレイモンド・L・ウースレィはいう。

 重篤な副作用が出ても、FDA幹部は容器ラベルの注意書きを利用すれば、「リスク管理」ができると主張した。しかし、医師や患者が細かい字がたくさん書かれたラベルの注意書きを読んだか、また従ったかどうかを知る術をFDAは何も持たない。

 FDAは安全上の未解決の問題に対して、製品が認可された後、製薬会社に調査を依頼することが多い。しかし、調査は実施されないことが多く、1996年には保健福祉省の検察官は、もし販売後の調査が相当な注意を払って行われなければ、FDAは薬品を回収させることができると発表した。

 この発表があってから、認可後の安全調査を完了しなかった製薬会社の薬を、FDAは1つも回収していない。2000年12月末になっても、どの程度の頻度で調査が行われているか未だ把握していないことをFDA幹部は認めている。

 この結果がもたらしたものの1つは、医師と患者により大きなリスクを引き渡したことだ。例えばウッドコックとその部下は、イギリスでは1997年12月にRezulinが回収されたにも関らず、米国市場ではその後2年半も同薬を容認し続けた。FDAは薬を使っている患者には頻繁な検査を勧めたが、検査をすればRezulinによって引き起こされる肝不全を予防できるという科学的保証はない。「FDAは要求される肝機能検査の回数を増やし続けた。これは明らかにFDAを守るため、メーカーを守るためであり、責任を患者と医師に押し付けるためだ。もし患者が肝臓病を発病しても、検査を受けていなければ、非難されるべきはメーカーでもFDAでもなく、ほかの誰かだ」というのはバンダービルト大学医学部教授で元FDA諮問委員のアラスター・J・J・ウッドだ。

【 業界の保証 】

 増える医薬品の認可を米国人は何も恐れることはないと業界側はいう。「安全でない薬が市場に出回り、残っているなどということはない」と、1999年に製薬業界とFDAの科学者に対し、全米薬品調査製造の科学規制部門長であるバート・A・スピカーは述べた。

 しかし2年間の取材で、FDAの元および現専門家から、安全性や効能が確認されないまま薬が認可された例を何度も耳にした。また重要な情報が薬の注意書きから削除されたこともあるという。例えば、エラショフは、1997年に承認された腎臓移植時の免疫抑制剤、Prografの注意書きを見て驚いた。(肝臓移植患者に対するPrografの使用は1994年に認可されていた。)注意書きには、Prografは米国での腎臓移植412例の調査で効能が証明されていると書かれている。しかし、同社が欧州で行った448例の調査結果については何も触れていなかった。

◆ 効能 ◆

 認可された新薬数は審査時間が短縮するとともに増えている。

  新薬数 審査時間中位(月)
1986~92年 539 24.5ヵ月
1993~99年 639 16.2ヵ月

出所: FDA(『ロサンゼルス・タイムズ』紙、ジャネット・ルンドブラド調査)

◆ 隠された警告 ◆

 Posicorとある別の薬を併用すると、不整脈を起こす危険性がある。Posicorの注意書きの中でこのことが書かれているのは278行目である。

出所: 『1998年医師の卓上参考書』(『ロサンゼルス・タイムズ』紙、ジャネット・ルンドブラド調査)

◆ 副作用 ◆

 薬による副作用として医療専門家、消費者、製薬会社からFDAに報告された件数は、1993~99年で89%増加した。

  副作用
1993年 136,836件
1999年 258,125件

出所: FDA(『ロサンゼルス・タイムズ』紙、ジャネット・ルンドブラド調査)