今回は、カリフォルニア州の大停電に関する西部邁氏の記事をお送りします。なぜ停電が起きたのか、また航空や運輸業界の規制緩和で同じ結果を経験していながらなぜ電力自由化で同じ轍を踏むことになったのか、マーケット・メカニズム信仰を強く受けた米国人心理が鋭く分析されています。またこの例を見ても、構造改革、規制緩和、競争促進の大合唱をやめない規制緩和論者を痛烈に批判しています。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
加州の大停電
西部邁(『発言者』3月号)
米国カリフォルニア州でブラック・アウト(大停電)が生じている。その州は、日本列島を収容できるくらいに大きい。だから、北方や東方に向かえば、冬場の寒気もなかなかのものなのだ。高度技術や高度情報を誇る文明州の住民は、突如として凍てつく暗闇の中に放り込まれたのであるから、さぞかし驚いたことであろう。
だが射手としては、加州の住民には失礼千万と承知しつつも、少々笑わずにはおれない。なぜといって、その大停電の原因は「電力自由化」にあるのだからである。電力事業に規制撤廃=自由化=市場化をほどこして、電力に対する需要と供給をマーケット・メカニズム(市場機構)に委ねたことの結果がこの大停電である。アメリカン・デモクラシーの原則論でいえば、それは加州住民の選択した結果といってよい。要するに、自分の蒔いた種、といったことなのである。
公益に強くかかわる事業を安直に自由化することの危険は、70年代から80年代にかけての航空や運輸における規制緩和の失敗で、本当はわかられていたことなのだ。つまり、過当競争が起こって中小企業がつぶれ、それで独占・寡占の体制ができあがったあとで、価格が引き上げられる。失業者の増大と価格水準の上昇、それがそうした業界における規制緩和の結果なのであった。そうなのだとわかっているのに電力事業においても同じ轍を踏んだのはなぜか。それは、マーケット・メカニズムへの信仰がアメリカ人の心理に固着したセルフディフェンス・メカニズム(自己防衛機制)になっているからだとしかいいようがない。つまり、自分を心理的葛藤から守るためには、何はともあれ、自由化を叫び立てていればよいということである。
電力事業が企業の利潤動機に委ねられれば、場合によっては、利潤確保のために電力供給が削減され、その間に、発電・配電の設備の維持や補修もなおざりにされる。また経営不振に陥った電力会社には、他州からの電力購入もままならぬ、といった有り様になる。そういう場合が現に加州において発生し、それで大停電となった次第である。それで遅きに失したとはいえ、電力はやはり公共当局が責任をもって供給すべし、という意見が加州住民の間に広がっているという。
アメリカの猿真似をして「電力の自由化」を主張していた日本の規制緩和論者たちは、今頃、どんな顔をしていることであろう。もちろん、知らぬ顔の半兵衛を決め込むばかりか、蛙の面にションベンの風情で、相も変わらず構造改革=規制緩和=競争促進を提唱しているのである。そうであればこそ当方も、汝らのオツムの光が消えていることはカリフォルニアの大停電によってすでに実証されているといいつのりたくなるわけだ。
そもそも市場をメカニズムとみなす見方それ自体のうちにごまかしが含まれていることに気づくべきではないのか。メカニズム=機構というのは機械類にふさわしい言葉である。機械ならざるものとしての人間は、所与の制度の下で、その心理や行動の在り方を変えていくのである。つまり住民の生活を破壊してでも損失が増えるのを抑えるために電力供給を減らす、その意味で利潤を物神と崇める、それが資本「主義」の制度なのである。
[著者の許可を得て転載]