今回はここでも何度か取り上げたNTTの独占に関して、『日経ビジネス』誌に東京大学の石黒一憲氏とKDDIエムサット(旧 KDDモバイルから2001年4月付けで社名変更)の会長、後藤豊氏の論説が掲載されましたので、私のコメントとともにご紹介します。
NTT叩きでITは強くならない
東京大学法学部教授 石黒一憲
『日経ビジネス』誌 2001年1月15日号
石黒: いま日本電信電話(NTT)ほど叩きがいのある会社はないらしい。
日本の情報技術(IT)革命を阻んでいるのはNTTの割高な通信料金である。既存の銅線を使って高速インターネット接続を実現するデジタル加入者線(DSL)事業者たちの活動を邪魔している。持ち株会社の傘下に置かれたグループ企業間に競争原理が働いていない…。新電電各社だけでなく、公正取引委員会、規制改革委員会、市場原理主義に立つ経済学者、マスコミ、そしてNTT擁護の守旧派と見られたくない旧郵政省(現総務省)までが歩調を揃え、NTTを諸悪の根源と非難する。そして、問題解決のための方策をこう授けてくれる。接続料金をもっと下げろ。電柱や共同溝、光ファイバー網を開放しろ。グループを完全分割せよ。
巨大企業による独占が新規参入を妨げ、公正な競争を阻害している――俗耳に入りやすい議論だが、果たしてNTTをバラバラにして弱体化すれば、日本のIT革命は進むのか。そんなことはあり得ない。逆に、日本全国の通信のブロードバンド(広帯域)化・光化は遅れるばかりであり、米国を追い抜くことなど不可能だ。
コメント: 通信分野で日本が米国を追い抜くことは、必要でも好ましくもない。日本の通信業者が米国の通信業者と競争する必要があるのだろうか。日本の通信業者は、日本の企業や国民に、米国の業者は米国に通信サービスを提供することに集中すべきである。そうすれば両者が競合することなどないはずだ。日本が通信で米国を追い抜けば、どんな利益が得られるのだろうか。また米国を追い越せなければどんな不利益を被るというのか。
石黒: NTT悪玉論には大事な視点が欠落している。その1つが日本の通信技術を誰が担うのかという問題だ。NTT悪玉論者は認めたがらないが、NTTの研究開発力は世界最高峰にある。1本の光ファイバーの中に数十の光信号を流すNTTの波長分割多重(WDM)技術は米国市場をも席巻しているし、そのほか多くの分野でNTTの技術力は世界をリードしている。それと比べれば、新電電の技術力はゼロに等しい。
コメント: AT&T分割後の現在、NTTの研究開発力が世界最高峰にあることは、見識ある米国人なら誰もが認めるであろうし、また分割前のAT&Tの研究開発力は世界一であったことも、ほとんどの日本人が認めるはずだ。米国が規制緩和、民営化、完全な自由競争で失敗しているというのに、なぜ日本はそれに学ばず、闇雲に米国を真似ようとするのであろう。
石黒: ある新電電の社長は「技術は買えばよい」というが、自前の技術がなければクロスライセンスで他社技術を入手することさえかなわず、巨額のカネを積むしかない。これは直接、通信コストに跳ね返る。NTTの弱体化と技術の乏しい新電電への大幅なシェアの移行は、日本の通信技術を空洞化させ、国民的な損失を生む。
コメント: NTTの研究開発力がこれだけ高いのは、日本政府が過当競争からNTTを保護してきたからであり、また博打好きの株主を満足させることを最優先する必要がなかったからである。日本政府がその保護を弱めれば弱めるほど、NTTは研究開発重視から株主重視に切り替え、短期的利益を追求せざるを得なくなるだろう。
石黒: 米国の狙いはまさにここにある。
コメント: 同感である。昨年の米国大統領選挙の選挙資金約600億円は、そのほとんどが米国の大企業から提供された。企業は、自分たちが当選させた大統領には、当然企業の利益を満たすことを期待している。その1つが、米企業の競争相手である、NTTなど外国企業を弱体化させることなのである。
石黒: NTT接続料を巡る日米摩擦は2000年7月、2年間で約20%の接続料下げという政治的妥協で決着した。
コメント: なぜ日本人はこれほど弱腰で、国内の通信接続料を外国政府に決めさせるのであろうか。日本人は自国を自分たちの力で治める自信がないのだろうか。自尊心はないのか。これだけ内政干渉を許す国が他にあるだろうか。
石黒: 米国政府はNTTの接続料が米国の8倍に上ると主張したが、これは米国のごく一部の都市における、かつ極めて対象の限られた最も安い接続料金との比較でしかなかった。コスト算定の手法として米国政府が押しつけた「長期増分費用方式」も、しょせん経済学のモデルの中でのものであり、現実への適用には問題が多い。ともかく、米国が断固として接続料にこだわったのは、NTTの研究開発費の、そしてブロードバンド化・光化の原資である接続料収入を削減させるためだ。NTTの設備投資額が大きすぎるという主張も、日本の通信ネットワークの高度化をこれ以上加速させたくないという米国政府の本音の表れである。
コメント: 米国企業にはNTTのように巨額の設備投資を行えるだけの余裕がないからである。なぜならば貪欲になる一方の株主を満足させるために、常に利益を増やさなければならないのだ。
石黒: 1997年12月に米国に先駆けてネットワークの全国デジタル化を終え、2005年に光ファイバー網の設置完了を目指すNTTは、米国にとってインターネット時代の覇権を脅かす存在だ。日本は世界最強の情報通信網を構築する絶好の位置にいながら、それを周回遅れと錯覚するから奇妙な議論が横行する。「つなぎ」の技術であるDSLを持ち上げ、光ファイバーは要らないなどという向きには、米DSL業者の株価を調べてみることを勧める。コバッド・コミュニケーションズをはじめとするDSL業者の株価はここ数ヵ月で急落し、今や1ドル前後という惨状だ。これを一体どう説明するのか。
今こそ光ファイバーを基軸とする日本のITの技術基盤をいかに強化するかを論ずべきなのに、それがNTTの弱体化のみを目的としたかのような議論にすり替わっているのは問題である。情けなくなるほど不毛で非生産的な議論をいつまで続けるつもりなのか。
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NTTの完全分割なくしてITの発展なし
KDDモバイル会長 後藤豊
『日経ビジネス』誌 2001年2月12日号
後藤: 石黒氏の主張は時代錯誤に基づく、まず結論在りきの論説だ。こうも守旧的なノスタルジアは単なるアンチテーゼとして楽しむしかない。
石黒氏は、日本電信電話(NTT)の完全分割は「世界の最高峰にある」NTTの研究開発力を弱体化し、「国民的な損失を生む」と主張する。そして、それこそが「米国の狙い」だという。だが、NTTにすべてを任せ、競争なき独善を放置したまま日本の通信ネットワークは高度化するのか…。
断言する。そんなことはあり得ない。私はトヨタ自動車とKDDIという異なる組織で技術開発を経験した。激烈な国際競争を繰り広げる業界と独占的な事業者が市場を支配する業界。その双方を知る者として、どのような環境から競争力のある技術が生まれるのかを論じたい。
コメント: 熾烈な競争が起きるのは、供給が需要を超えたときだけである。供給と需要が均衡を保っていれば供給されている財やサービスが需要を満たすだけで、過当競争に陥ることはない。過当競争とは、特定分野の利益を求めて資源がそこに集中することであり、その一方で真の需要がある他の分野で資源が足りず需要が満たされない状況がもたらされる、不均衡で病んだ経済の象徴なのである。そのような不均衡は、通常、規制が欠如している場合に起こる。利益を追求する企業は、最も多くの利益が得られると思われる分野に集中しそこで競争が生じるが、利益がそれほど多く見込めない分野は無視してしまうからだ。適切な規制とは、供給過剰分野の競争を抑制し、その分供給不足の分野に資源を振り向ける仕組みでもある。
今日の日本には、供給が不足している分野がたくさんある。政府の政策によって、自分の力で軍事攻撃から自国を守ることさえできない。また、いわゆる先進国の中で、食糧自給率、エネルギー自給率が日本ほど低い国はない。公的債務残高も先進国中最大である。日本の労働者は鮨詰め状態の列車で長距離通勤を強いられ、空気や水も汚れている。さらに魚の捕りすぎで近海には魚がいなくなり、環境保護国の周辺まで行って漁業をしなければならない。すでに供給が足りている通信分野でさらに競争を促進するよりも、供給が足りないこうした分野に資源を振り向けるべきではないのか。
後藤氏の出身である自動車業界こそ、規制不足に起因する過当競争で資源が無駄に使われている好例である。過去20年間、グローバル化を急激に推し進めた結果、もはや各国政府には規制不可能な、世界的規模の自動車業界が作り出された。より多くのマーケットシェアと株主の最大の利益を求める自動車メーカーは、過剰投資を行い、生産能力が過剰な状態にある。限られた自動車需要をめぐり、熾烈かつ無駄な競争を繰り広げている。その結果が無数の倒産や合併、過剰な生産および流通設備の閉鎖、何十万人もの失業である。こうした純粋な無駄は、自動車業界の規制によって避けられたことであり、避けるべきであった。結局、自由競争は自動車業界に独占を生み出しただけであった。過当競争によって、ほとんどの自動車メーカーは倒産や買収に追い込まれ、今や少数の多国籍企業だけが自動車業界を独占している。
昨年末から、規制緩和がもたらしたカリフォルニア州の電力危機に関して盛んに報道がなされている。利益追求のための自由競争ができるよう電力会社を電力供給の義務から開放したことで、電力会社に設備投資削減を促し、それが深刻な電力不足につながったのである。
同じく、米国航空業界では、規制緩和により航空会社は売上増のために定員以上の予約を受け付けるようになった。予約が重なった場合、後の便に予約変更してくれる乗客を探さなければならず、それが出発、到着時刻の遅延につながり、利用者はもはや確実な旅程を立てられなくなっている。航空業界の規制緩和は、一定の空間により多くの乗客を詰め込むことや、株主の利益増加のためにより多い航空券の販売を奨励することになり、それが原因で死亡事故まで起きている。航空業界の規制緩和は、最初は競争を促進したかもしれないが、結局、ユナイテッド航空とアメリカン航空の独占状態をもたらした。両航空会社は、競合がある路線については価格を割引き、逆に競合がない路線については料金を上乗せする方法をとっている。すなわち規制緩和の犠牲になったのは消費者だといえる。
金融業界の規制緩和も同様である。規制のなされていない銀行は、いつの時代も過失や不正行為を行うことで知られている。預金者の財産をつぶし、経済全体に大混乱を引き起こすのが常である。金融機関が信用できたのは、1929年の大恐慌の後、フランクリン・ルーズベルトのニューディール政策支持者が金融機関を厳しく規制し始めてから、レーガンやサッチャーが1980年代初頭に金融業界を規制緩和するまでの間だけであった。
コンピュータ業界でも同じことがいえる。規制を受けなかった日本のコンピュータ・メーカーは全世界の市場から利益を絞り取れるようにと、外国製のOS(マイクロソフトやUnixなど)をPCに採用した。しかし、もともと英語圏向けに作られたWindowsなどのOSは日本人には使いにくかったために、日本ではPCやインターネットは2年ぐらい前までそれほど普及しなかった。日本で情報の電子化やインターネットの利用が爆発的に広まったのは、政府の規制下にあったNTTが、日本人に自然で使いやすいOS、トロンを採用したiモードのサービスを開始してからである。
後藤: 確かに要素技術に限っていえば、NTTの研究開発力は世界のトップレベルを維持している。だが、どんな技術にも代替技術が必ず存在し、NTTといえども、その選択を絶対に間違えないなどということはあり得ない。
コメント: NTTが選択を間違えるかもしれないというのは仮説であり、それがNTTの完全分割を進める理由にはなり得ない。株主の利益拡大に必死な企業でも、同じように選択を間違える可能性があるし、消費者よりも株主に最善なことを選ぶ可能性もある。
後藤: 視点の異なる事業者間の命懸けの競争によって、それぞれの技術が磨き込まれ、コストが削減されていく。その果実をユーザーが自らの用途と利便性に応じて選択し、最も競争力を持った技術が生き残り補強されていく。こうした他の業界では当たり前のメカニズムが、NTTが独占支配する通信業界では働き難い。
コメント: これまでの歴史を顧みると、規制のないところで行われる命懸けの競争は、強者が弱者を駆逐した後に、独占あるいは独占に近い市場がもたらされ、それによって消費者は選択肢が奪われ、搾取されるのが常である。もし例外があったら、教えていただきたい。
後藤: 要素技術を持っていても、NTTには、それをタイムリーに実用化したり、コストダウンしていく動機に乏しい。例えば、光ファイバーへの固執から、NTTは長い間デジタル加入者線(DSL)サービスを遠ざけてきた。その結果、日本の通信のブロードバンド(広帯域)化は大きく後れをとった。石黒氏の指摘通り、米国のDSL業者の株価は低迷しているが、DSLという適材が適所に使われることで全体として高速インターネット通信のコスト引き下げに貢献した事実までは否定できないはずだ。
コメント: DSLと光ファイバーのどちらが優れているかは私にはわからないが、素人考えでいえることは、人口密度が米国の13倍ある日本では、光ファイバーの敷設が米国よりも現実的ではないかということだ。単に米国を模倣するのではなく、日本の状況に最も適した解決策を探すことも可能なのではないだろうか。
後藤: 光ファイバーの波長多重分割(WDM)技術にしても、NTTは商用化において米国企業や新電電に先を越されている。伝送効率の高いWDMの導入がNTT自らと、お抱えの通信機器メーカーの売り上げ減につながらないよう、商用化を意識的に遅らせたとしか考えられない。
日本の通信技術を担うのは独りNTTではなく、新電電や電子機器メーカー、ネットベンチャーなどを含めた日本の通信技術者全体だ。真にNTTの研究開発部門が「世界最高峰」にあるなら、それを分離独立させたとしても、各社から研究委託が殺到し、十分に事業として独り立ちできるはずだ。その方が、多くの競合する技術とサービスが市場での淘汰に晒されて進化してゆき、国民の利益につながるはずである。
コメント: AT&T分割後、米国の電話会社の研究開発力は分割前と同じ高水準を維持できているだろうか、また事業として十分独り立ちできたであろうか。私はそうは思わない。
後藤: 石黒氏の主張は、日本の自動車会社の競争を政策的に制限しようとした過去の誤りに何も学んでいない議論であり、民を見下した統制の論理だ。あらゆるネットワークが国際的にIP(インターネットの通信手順)化され、その上で、予想を超える速度で新たなサービスやコンテンツが提供されている時代には全く通用しない議論ともいえる。
コメント: 自動車会社に関する前述の私のコメントを参照されたい。
後藤: 情報技術(IT)の開発の速度を上げるには競争参加者を増やし、各々の立場と視点と発想で競い合うことが何にも増して重要である。その意味で、NTT完全分割による実力派プレーヤーの増加は大いに推奨されるべきである。
石黒氏はNTT完全分割を「不毛で非生産的な議論」と批判する。ならばいう。これこそ「不毛で頑迷な構造改革への抵抗」でしかない。
コメント: 私には後藤氏が、レーガン、サッチャー、自民党が唱えた自由競争のスローガンをオウム返しに繰り返しているとしか思えない。それのみならず後藤氏の主張がさらに注意を要するのは、KDDIや他の通信業者はNTTが提供するすべてのビジネスで競合したがっているのではなく、最も利益が高い分野に限って自由競争を欲している、ということである。KDDIや他の新電電は、地方や利益率の低い利用者へのサービスとその責任をNTTに押し付け、大都市や儲けの多い利用者のみにサービスを提供したいということである。