今回はイギリスの日曜紙『オブザーバー』の編集長、ウィル・ハットンの記事をお送りします。私が年頭より警鐘を鳴らしてきたITブームについて、ヤフーを例に論じるとともに、短期的利益を求める株式市場に支えられた米国企業には、技術面における指導的役割は維持できないと警告しています。ITの普及、それによって可能になる生産性向上は、米国に限らずどこの国でも再現可能だが、それをただ単に模倣するのは間違っているとも指摘しています。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
将来を握るのは米国ではなくヨーロッパである
『オブザーバー』紙 2001年3月11日
ウィル・ハットン
新技術の先端を担う国家は、教育制度と社会福祉制度が充実した国家になるであろう。
6年前、創設者自ら趣味に過ぎないと公言していたヤフーだが、今やマイクロソフトやアップル同様、新しい情報経済および米国の技術的指導力を象徴する世界的なブランドになった。米国人が情報技術革命で成し遂げたことは、米国以外の国では実現し得なかったであろう。革新、技術的大胆さ、金融危機にひるまない態度をすべて兼ね備えることは、他の国にとっては羨望の的でしかない。インターネットのポータルサイトあるいはサーチエンジンとして誰もが一度はヤフーを使ったことがあるはずだ。
しかし3月初め、その大御所ヤフーでさえ、墓場行きあるいは瀕死のドットコム、IT企業の仲間入りをし、ドットコム革命はその耐久力および持続可能性に対し本質的な疑問が持たれるようになった。ヤフーの広告収入の伸びは頭打ちとなり、株価が下落したため、CEOは辞任に追い込まれた。しかし、誰が後任として、同社を破綻に追い込むという仕事を引き受けるだろうか。ヤフーの株価は最高値220ドルを記録したが、現在その10分の1で取引されている。
米国の制度から新しいものが誕生しているのは確かだが、それを手にするのも米国である。ヨーロッパ人はおそらく、米国のことをむやみに信用するのを少し慎み、ヨーロッパ独自の経済的、社会的モデルにもっと自信を持つべきなのであろう。なぜなら、ヤフーは決してハイテク・ブームから生まれた泡の1つではなく、まさしくその中核的存在だったからである。年間の広告収入が10億ドルを上回る同社が、利益を生めないはずがなかった。ヤフーには資金が潤沢にあり、不況を生き残るIT企業があるとすれば、それはヤフーであるはずだった。しかし、その存続能力は見かけだけの幻想であることが証明された。ヤフーがビジネスとして成り立ったのはハイテク株の急騰があったからであり、それがヤフーに資金をもたらすと同時に、株価急騰で潤ったドットコム企業からの広告依頼が売上増に拍車をかけた。しかし、このハイテク株の急騰は、その周りに集まった企業すべてに深刻な構造的欠陥を残すことになった。
なぜなら、これらの企業は「欲」だけでつながり組織として成り立っていたからである。ヤフーの場合、創設者が金持ちになったことが、同じく一財産築きたいと願う人々を引き付けた。それは同社の幹部が、従来の給与ベースで報酬を受け取るのではなく、ストック・オプションを選択していることにも表れている。しかし、株価が下がればストック・オプションなど何の価値もなく、一攫千金どころか、破綻していく企業においては日々の貧しさと疲労が現実である。退職者が跡を絶たないが、代わりの社員も見つからない。
創設者とて同じである。一財産を築いた彼らは持株をさっさと売却した。またその購入者は、まるで椅子取りゲームのように、株価膨張時にもっと愚かな人間にそれを押し付けたいと考えていた。まさにカジノ状態の株式市場ではこうした取引が常であるものの、ドットコム革命がこの株売買の問題をより鮮明に浮かび上がらせた。ヤフーの株主がヤフー株を保有している平均日数はわずか7日間である。ヤフーの次期CEOが、痛みを伴うリストラ支援を期待して同社に肩入れしてくれる株主基盤を望んでいるとすれば、そのCEOは考え直す必要がある。ヤフーの運命は明らかである。大幅な縮小、遅かれ早かれ株譲渡による買収、そして最終的な解体である。
こうした過程は近年激しさを増したものの、30年前からずっと米国に存在し、米国の技術的首位の座を沈下させ、生産性向上を遅らせてきた。ほんの10年前、米国の書店は、米国産業の衰退に関する書籍であふれ、また日曜朝の報道番組では多数の専門家が得意の解決策を提示していた。クリントンが「わからないのか、問題は経済だ」のスローガンで92年の大統領選に勝利したのも、このような停滞ムードをうまく利用したからだった。
ニューエコノミーの出現、長期的な株価上昇、記録的雇用増など、ヨーロッパを大きく上回る好況ぶりが、米国に関するそれまでの見方を一変させた。しかし、以前の見解の方が、最近の異常なまでの熱狂ぶりよりも現実に近いことに、間もなく気付くことになるだろう。ただし、勘違いしないでほしい。私はこのコラムをデル社製のラップトップとマイクロソフト・ワードを使って書いている。私自身、米国の技術にかなり負っていると意識している。さらに、情報と通信の革命が変革をもたらすことも確信している。ただし、私が受け入れられないのは、この革命を生み出した米国の制度そのものがそれを最もうまく搾取できるということ、またヨーロッパがその制度のすべてを模倣すべきだという考え方である。
ウォール街の支援で世界的優位を確立したIT分野と投資銀行はさておき、米国の技術的および市場での指導的立場は、1980年代後半同様、依然薄っぺらなままである。航空宇宙、薬品、自動車、テレビ、ラジオ、石油化学、造船、工作機械、土木工学、ガラスなど、米国が技術的首位を失った分野を挙げればきりがない。その原因は、ヤフー同様、株式市場が短期的な利益を追求し、それに伴う短期的展望しか持たなかったゆえ、技術革新能力が弱まったためである。
米国は、英、仏、独、スペインの企業連合であるエアバス社が機体の広い次世代超大型旅客機を製造できるのは、政府援助のお蔭だとヨーロッパ諸国を非難したがるが、実際には、ウォール街こそボーイング社に対して考えられないほどの支援、すなわち100億ドルもの開発援助を行っている。
しかし、これでもまだ読者は納得せず、米国の生産性増加および記録的雇用創出についてはどう説明するのかと尋ねるだろう。筆者は分別を失っているわけではない。米国の新規雇用はほぼすべてが女性の仕事である。社会的性革命が米国でやっと頂点に達し、その結果、女性の社会進出が男性に匹敵するまでに激増した。それを曲解し、労働市場の柔軟性による経済的成功と結び付けているのである。同じ性革命がヨーロッパでも始まり、雇用が大幅に増加すると見られる。現に、フランスではすでに増加し始めた。
生産性増加の優位性も幻想である。1990年代、米国の生産性増加率はフランスおよびドイツとほぼ同じだった。1990年代後半に急増したものの、それは、他の国に模倣が不可能な構造的発達というよりは、長期的好景気がその頂点に達した結果だと間もなく証明されるだろう。それがITに起因する以上、他の国にも広まるのは確実であり、事実、デンマークでもスウェーデンでも、インターネットの普及率が高まっている。ITはどの国にも浸透する技術であり、したがってその変革能力はいたるところで見られるようになる。
技術でトップに立つのはむしろ、携帯電話の分野ですでに首位を誇る北欧諸国であろう。これらの国々には優れた教育制度および、危険をいとわない労働者のために手厚い社会保障制度がある。と同時に、事業部門や金融部門の最優良企業が株式市場をビジネスの中核に据えないよう厳格に規制し、これが長期的な投資を促している。イギリスやヨーロッパに小米国を建設するかのような月並みな施策より、これこそが、イギリスの大蔵大臣が今回の予算で示した生産性革命への道筋である。
米国の模倣が可能であったとしても、それを実践するのは誤りである。ニューエコノミー活用に優位性を持つのは、皮肉なことにその発祥の地ではなく、ヨーロッパである。
この現実が、ユーロやEUに関する議論を変えていくだろう。つまり、再びヨーロッパの時代が来るということだ。