No.465 勉強し過ぎの日本の学生にもっと太陽を?

今回は、日本の教育改革を取り上げた『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事をお送りします。自民党政府は来年度より、完全学校週5日制への移行を始めとした教育改革に着手しますが、私は日本の教育問題は、儒教、仏教、神道、日本の古典といった道徳や価値観を教えなくなったことがその根底にあると考えます。平安時代から昭和の終戦まで、日本の教育の基本はこの道徳にありました。自分で考え判断を下せる独立した国民を育てるためには、善悪の区別を教えなければならず、これが倫理・道徳教育でした。

 しかし、戦後の日本の教育は、奴隷を育てるための教育に変わりました。奴隷を育てるには、命令に従って権力者が期待することだけを行うよう教えれば良かったのです。そのために戦後の日本人は、父親の背中を見るのではなく、口うるさい教育ママの命令に従うことがよしとされてきたのです。

 戦後教育によって育ったのは、自民党が支配しやすい従順な国民でした。日本人は今、自民党、日本の経済団体、米国によって組織される権力連合の支配や搾取をおとなしく聞き入れ、それに疑問を持つことさえありません。日本人は大量製造に適した従順な労働者であり、大量流通のための従順な消費者でしかないのです。意気地のない、軟弱な奴隷になってしまったかのようです。

 最近の統計によれば、日本の子供たちは国語や算数といった学力だけでなく、体力も低下しているといいます。週5日制への移行や授業時間の削減は間違っていると思うし、さらに変えるべきなのは、学校で子供たちが受ける教育の質を高めることだと私は思います。そしてそれは、道徳や社会の義務を教えることなのです。

 今日本でこういうことをいうと、右翼だとか国粋主義といったレッテルを貼られますが、それは間違いであって、自分たちの社会は自分たちで作り上げるのだということを教えなければいけないのです。その上で、子供たちに読書や分析、考えることや学ぶこと、体を動かすことの楽しさを教えるのです。戦前の倫理・道徳に行き過ぎがあったのであれば、それを踏まえた上で、平安時代から終戦まで日本が行っていた教育がもたらした、強みと弱みの両方を注意深く研究することが重要だと思います。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

勉強し過ぎの日本の学生にもっと太陽を?

『ニューヨーク・タイムズ』紙 2001年2月25日
ハワード・フレンチ

 中学1年生の財津大地は、多くの時間を勉強に割かなければならないため、残されたわずかな余暇はお気に入りの趣味に没頭する。それはインターネットで旅客機を調べることとテニスだ。それでも、13歳の大地には、日本の文部科学省が計画している授業時間数の削減は恐ろしい考えに思える。「今の日本人の学力はあまり高くなく、低下すらしているみたいだ。僕は日本の将来が心配だ」。紺色の学生服に身を包み、教科書を詰め込んだ重い学生カバンを持ち、多くの土曜日も含む週日、東京都心にある中学に通う少年はこういう。「自由な時間が増えることに特に関心はない。週末も授業があった方がむしろ良いと思う」

 日本が30年来でもっとも劇的な教育改革を行うことによって、好むと好まざるとにかかわらず、財津の時間割は大きく変わろうとしている。2002年度からの学習指導要領改定は、勤勉で有名な日本の学生たちの学習課題をさらに増やすのではなく、余暇の時間を増やそうというものだ。

 この改定はニューヨークやカリフォルニア、その他米国の都市における最近の傾向とはまったく逆をいくものである。米国では、子供たちをトラブルに巻き込まないために、また学習を助けるために、1日および年間の授業時間の延長が検討されている。

 現在米国で検討されている、授業時間の延長、選択科目より必修科目の重視、制服、創造性よりも秩序の奨励こそ、過去数十年間に日本の学校で確立されてきた教育制度である。そして米国の学校がこのような制度に向け試験的に動き出した今、日本はその制度解体を検討している。

 その理由は、秩序と力のない学校制度は、第二次世界大戦後、国家復興のために日本が必要とした従順で規律ある労働者を作り出すことに優れていても、将来のために必要な問題解決者や革新者を作ることができないことに対して、懸念が高まっているからだという。

 過去10年以上の間、日本経済は停滞している。だからこそ日本の競争力を高めるためにも教育改革が必要なのだという。しかし、幾分逆説的に思えるのは、中退や少年犯罪、日本でも広まる若者の学力低下に対して、社会不安が極めて高まっている中、何百万人もの学生たちの選択科目や学校以外の自由時間を増やそうとしている点である。

 この理由から週5日制に反対する父母がおり、学習内容を推定約3割削減すれば、アジアや西欧の競合相手に対抗できなくなると懸念する父母も多い。

 「ニューヨーク市が採用しようとする方向の方が正しいと思う。日本がなぜ変えるのかわからない」と大地の母親はいい、文部科学省は、学生を皆同じレベルまで下げることによって、小学校から高校まで見られる競争をなくそうとしているのではないかとさえ憶測する。

 文部科学省の官僚たちは教育改革を検討する際に、学生たちの不満や学力の低下を意識したという。しかし、最大の要因は、勉強のし過ぎで学生たちが疲労困憊し、日本に最も必要な創造性や個々人の独創性といった資質が破壊されている点だともいう。

 「子供に、ただ勉強を強いる現在の日本の教育制度は失敗だった」と文部科学省の官僚である寺脇研は述べ、日本とニューヨーク市などの目指す方向が逆であることについては、日本の教育改革は日本の文化や歴史に合わせたもので、米国と比較すべきではないと一蹴する。

 「終わりなき勉強というやり方も、過去においては上手くいった。当時は学生数も多く、戦後の復興期だったし、競争も熾烈だった。しかし、もはやそうではない。少子化が進み、競争も昔ほど激しくはない。もっと勉強しろというやり方だけではもはや通用しない。我々が目指しているアプローチは、より自由時間を増やそうというものだ。スポーツや読書の機会を与え、自分の興味があることをするための自由時間や精神的な自由を与えることだ。いい換えると、学校に残って皆に同じ勉強を強制するのではなく、もっと考える時間を与えたいのだ」

 慶応大学経済学部教授の戸瀬信之は、日本の教育制度批判の先鋒である。しかし、政府が予定している学習指導要領改定には反対で、それによってさらに学力が低下すると懸念する。戸瀬は約2年前から有名大学の学生に基本的な数学のテストを行い、ショックを受けている。なぜなら多くの学生が、小学生レベルの算数の問題さえ解けなかったからである。この結果の報告に、日本全体が驚いたという。戸瀬は日本の伝統的な詰め込み教育を遡り、この学力低下の原因が、20年以上前の高校の選択科目制導入により授業が楽になったことにあると突き止めた。

 数学のテスト成績において、数学が必修科目である中学生レベルでは、日本の学生は世界最高レベルだが、選択科目になる高校では中位に落ちると戸瀬はいう。

 「今日本で起きていることは、ずっと以前に米国で起きたことだ」。学力低下が国家的危機と警告した、1980年代初期の米国の白書を引き合いに出し、「日米には多くの類似点が見られる。違うのは20年の時間差だけだ」と戸瀬はいう。

 「20年前の米国の教育はセルフサービスのレストランのようだった。というのも、高校生は自分の勉強したい科目を自由に選べたからである。そのため数学や化学のような難しい科目は選ばれなくなった。今の日本の学校と全く同じ制度だ。日本は、学生の自由時間を増やす必要はない。むしろ減らすべきだ」と戸瀬はいう。

 しかし中学校レベルでは、予定されている学習指導要領改訂だけで日本の教育を変えられるかという点には疑問を抱いているにしろ、多くの教育者は変更に熱心なようである。

 財津大地が通う文京区立第六中学校校長、岩谷栄子は、「この教育改革は、戦後の日本人の生き方に対する後悔の表れのようなものである」という。日本で最も権威ある大学、東京大学の斜め前にある同中学は、生徒総数約270人で、年代物の校舎は色鮮やかに塗られている。「戦後、国家復興のために重視され過ぎた教育は、詰め込みに傾倒し機械的になり、人々は自分で考える必要がなくなった。最近、日本人は創造的な思索や問題解決の能力に欠けていると感じている」

 しかし、この考え方は、放課後に子供を塾通いさせる父母が多いことを無視している。どんなに官僚たちが生徒の自由時間を増やす計画を立てても、不安にかられる父母は、これからも子供を塾に通わせるだろうし、仲間に遅れをとりたくない学生の多くは塾に行きたがるだろう。大地の母親も息子を週に3回塾に通わせている。時々家庭教師もくる。このために毎月約5万円かかるが、それは必要経費だという。「必要はないかもしれないが、よその親が子供を塾にやれば、うちもということになる」と大地の母はいう。「正直いって嫌気もさすが、皆がそうでなければどうすることもできない。どうにかしたいと思うけれど、何も変えられない。そして結局は、自分のことだけ考えていれば良いという気持ちになる」