No.467 市場はいかに我々を愚かにしたか

 今回は、イギリスの新聞『オブザーバー』紙より、ウィル・ハットンの記事をお送りします。彼は、株式市場を金融制度に結びつけて金融制度にまで自由経済の原則を当てはめた結果が、現在の日米不況の原因だと指摘しています。またこの状況は、1930年代の不況を彷彿させるものであり、イギリスや米国では、銀行破綻により一般市民が職や貯蓄を失った教訓を忘れ去ってしまったために起きたものだとしています。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

市場はいかに我々を愚かにしたか

『オブザーバー』紙 2001年3月18日
ウィル・ハットン

 4兆ドルといえば莫大な金額である。それはイギリスとフランス両国の年間生産高の合計に相当する。また過去12ヵ月間に、米国人投資家がハイテク企業への株式投資で失った金額(他の分野での損失は含まない)に等しい。

 脆弱な米国経済の成功物語は、すべて狂ったような株式ブームに起因したことであり、タクシー運転手までがドット・コム株に投資し、大金持ちになったつもりで巨額の負債を積み上げていった。今彼らに残っているのは多くの米国人同様、負債と紙切れ同然の株券だけである。

 米国の金融危機は、日本のそれに匹敵する。日本の巨大な金融バブルは10年前に崩壊し、日本はまだその後処理に追われている。日本の金融機関は最大44兆円の不良債権を抱えているとされるが、自分たちの資金は他の銀行の株式に投資しているため、その株価の下落によって金融危機を乗り切る能力を欠いている。すなわち、日本の金融機関は二重苦にあり、厳密にいえばすでにその多くが破綻状態にあるといえる。日本は主要国の中で、戦後初めて国家債務の価値を切り下げる国になるかもしれないという宮澤財務大臣の発言を慎重に検討すると、日本の金融制度は崩壊寸前にあると考えなければならない。世界にとって災厄は1つでも十分過ぎるのに、それが2つ同時に起これば不注意だけではすまされない。

 前財務長官のラリー・サマーズは、戦後の不況も十分痛みを伴うものであったが、現在の状況はむしろ1930年までの大恐慌を不気味にも彷彿させる状況だと述べている。日本と米国は違う方法で、極めて重大な間違いを犯した。両国ともにその株式市場をあまりにも密接に金融制度全体に結びつけた結果、19世紀、あるいは20世紀初頭の不況をあれほど質の悪いものにした元凶を復活させてしまった。戦後の不況に比べ、日米の不況が2倍も長引いたのは、銀行と株式市場の崩壊が同時に起きたためである。

 イギリスでは、銀行の倒産が何を意味するのか、誰もが共有する記憶として残っていない。しかし、1880年代までは大手銀行でも破綻することがあり、それによって地元経済は混乱に陥った。企業は信用貸し付けが得られなくなり、労働者や消費者は貯蓄を失った。米国も同じく生々しい金融破綻を経験した。ニューヨーク株式市場は、すでに19世紀半ばには国家の主要な存在になり、その値動きが米国経済全体に影響を与えるようになった。銀行はその商売の拠点である市や町のように確固たるものではなく、1つの銀行が破綻するとボーリングのピンのように次々に破綻した。工業化と都市化がヨーロッパや米国で加速化する中、企業は突然融資が受けられなくなって投資資金を失い、労働者も突然解雇された。1930年代の不況は、株式市場と銀行が招いた経済破綻の最終章であったといえる。

 その後50年間の成功は、こうした粗野な勢力が自由主義および社会民主主義の政治家によって抑えられ達成されたものである。銀行の規制、信用統制、国家介入によって金融制度が確立し、一方で社会保障制度が一般労働者をリスクから守り、それが労働者に購買力を与え、需要の安定につながった。

 しかし、金融に自由市場の経済原理をあてはめたことによって、株式市場の乱高下や銀行の野放図な貸し出しといった「不合理な動き」がどのような影響をもたらすのかが忘れ去られ、規制が作られた元々の理由も忘れられてしまった。無知な右派政治家や新米の御用学者、さらにそのスポンサーである投資家たちは、規制緩和と自由化を求めてロビイ活動を強め、統制は徐々に取り除かれていった。米国では、ルーズベルト支持派によってニューディール政策で行われた金融改革は、米国金融機関の競争力の足かせだとして、1980年代、1990年代に渡って取り除かれた。現在、米国の金融機関は19世紀と同様の自由をすべて手にし、当時と同様に野蛮な資本主義へと我々を引き戻してしまった。

 私の勘では、世界はこれから恐ろしい教訓を学ぶことになるのではないだろうか。つまり、保守派の理論家が間違いで、自由主義のケインズ学派の理論が正しかったということである。情報技術革命はニューエコノミーを作ったかもしれないが、過去にも類似した現象はある。株式市場からの資金調達がなければ、ITがこれだけ急速に軌道に乗ることはなかったであろう。しかし、ITは元々熱狂的で不合理な投資家グループに、新たなITの金脈を追い求めさせることで、彼らをさらに愚かで投機的な群れに変えたのである。

 さらに、銀行と株式市場の間の垣根が徐々に崩れ、金融規制が非常に難しくなった原因の一つがITであった。銀行はより大規模になったが、19世紀当時のように株式市場の損失に晒されやすくなったのも事実である。規制を効果的にするには、洗練性、迅速性、国際性を備えたものでなければならなかったが、今の環境で、そうした規制を実現し得る中道左派連合を作るのは難しい。

 こうして今のような状況ができあがった。米国は、1920年代のような株式市場の好況で、戒めを忘れて株の投機を行い、貯蓄分配に大きな格差がもたらされた。米国人はいいカモとなり、見たこともないほど巨額な個人負債を積み上げていった。さらに悪いことには、簡単に利益が得られる見込みから、株式の所有と投機活動が誰でも自由にできるという新たな人民主義が生まれ、一方で、金融を抑制、規制する傾向にある進歩的政治学は、国民の利益に反する考え方だという汚名を着せられた。

 株式市場の影響が金融制度全体に及ぶ状態で、株式市場バブルがはじければ、必ず痛みを伴う。広範な経済の潤滑油である一般の貸し出しが、株式市場の動きから悪影響を受けるようになる。この点、まさに日本がそうである。日本の株価下落による損失があまりに大きいため、金利の引き下げや減税といった政治的介入は、戦争直後の不況期に比べてはるかに効果が低い。米国は市場構造が確立されているため、日本よりも急速かつ過激に調整が行われるであろうが、一方でそれは、不況になればより深刻な問題が起こるということでもある。

 ヨーロッパも蚊帳の外というわけにはいかないであろうが、ヨーロッパ諸国では、イギリスを除けば、金融制度における株式市場の役割はずっと小さいために、日米よりもはるかに頑健である。加えて、無知な米国人批評家やイギリスの追随者からの砲火を浴びてふらついたこともあったが、それでもヨーロッパは孤立を保つため規制構造を堅持してきた。その事実に気づく人が増えれば、EUは安全地帯と見られるようになるであろう。そしてイギリスは、経済活動をカジノの副産物と見なさない共同体の一員であることを喜ぶことになるであろう。