No.469 日本のデフレの原因

今回は日本のデフレの原因を分析し、それに対する解決策を改めて提言したいと思います。

日本のデフレの原因

経済学を勉強すればするほど、ほとんどの経済学者が御用学者であり、彼らの著述のほとんどが、一部の人間による大多数の搾取を正当化しようとする単なるプロパガンダか、あるいはその搾取を隠そうとするカムフラージュに思えて仕方がない。1990年以降の日本経済について書かれた不明瞭な論説を1つずつ分析していくと、日本の経済問題の原因がくっきりと浮かび上がってくる。

日本は今、デフレに苦しんでいる。デフレとは価格の下落であり、日本の卸売物価指数および消費者物価指数はここ数年、低下している。(1995年=100)

消費者          総合卸売
年 物価指数  前年比  物価指数    前年比
1983  83.8    -       121.4       -
1985  87.4    1.7     119.7       -1.4
1990  93.5    2.8     108.5        2.2
1991  96.5    3.0     107.8        -0.7
1992  98.1    1.6     106.1        -1.7
1993  99.4    1.3     103.0        -3.1
1994  100.1    0.7     101.0       -2.0
1995  100.0   -0.1     100.0       -1.0
1996  100.1    0.1     100.1       0.1
1997  101.9    1.8     101.6       1.5
1998  102.5    0.6      100.0      -1.6
1999  102.2   -0.3      96.7       -3.3
2000  101.5    -0.7      96.6      -0.1

(出所:日本銀行、総務省)

デフレの原因は供給の過剰以外にはない。デフレ、すなわち企業が価格を下げるのは、値下げ前の価格ではすべての製品が売りさばけないと判断したときだけである。値下げしなくても売れる見込みがあれば、企業が価格を下げるはずがない。さらに供給過剰とは、単純に、消費し切れないほどの物が作られていることに他ならない。

供給過剰の原因は、政府が公表している国内総生産(GDP)の内訳を分析すればすぐにわかる。1955年以降、GDPの内訳は以下の通り、ほぼ一貫している。

個人消費    60%
民間資本形成  30%
社会消費     9%
純輸出      1%

グローバル化を始めとする、経済学に関する妄言に洗脳された読者は、上記の数字を見て日本の純輸出(輸出-輸入)が過去45年間を通してGDP全体のわずか1%に過ぎないことに驚かれるかもしれない。しかし、1955年以来、日本は国内総生産の99%を国内で消費している。日本の経済成長とともに輸出が増えたことは間違いないが、それと同時に輸入も増えているからである。

日本の生産が過剰だからといって、それを輸出で売りさばくことはできない。なぜなら輸出を増やせば、その分輸入増を求める海外からの圧力が高まるからである。例えば乗用車の輸出を増やせば自動車部品の輸入増を、またテレビゲームの輸出を増やせばりんごや米の輸入増を求められるといった具合だ。

上記GDPの内訳にある民間資本形成の目的は、製品やサービスの生産能力を増大させることにある。企業が資本形成を行うのは、それによって増えた生産能力で作られる物がすべて売れると考えられる時だけである。生産能力増大のための民間資本形成は、厳密には民間消費、社会消費および輸出向けの3つに分けられる。したがって民間資本形成の中から民間消費分だけを割出すには以下のような数式になる。そして、個人消費60%に、民間資本形成のうち個人消費に使われた26%を加算した合計86%が、日本のGDPの中で個人消費に向けられた分であるといえる。

60%(個人消費)
30%(民間資本形成)X  ——————    =26%
60%(個人消費)+10%(社会消費+輸出)

したがって、国内生産高の成長率が民間消費のそれを上回れば、供給が過剰になるという結果がもたらされる。そしてそれが現在の日本の状況なのである。1965年から2000年までの国民1人当たりのGDP(私はこれが生産性を示す最良の指標であると考える)は12倍にも増えた。それに比べて、同時期の勤労者年間現金給与総額の伸びは9倍にとどまっている。換言すると、1965年以降、国民1人当たりの生産性の伸びは、勤労者の購買力の伸びを33%上回っているということである。さらには、日本企業は生産性増加分の75%しか勤労者に報いていないといえる。これからいえることは、企業の貪欲さゆえ、日本の勤労者の収入が生産性増加に追いついておらず、それゆえ彼らの購買力が増えず、日本経済麻痺の原因である供給過剰が起こっているということである。

家計の     国民1人
勤労者の年間 1965年  可処分 1965年 あたりの 1965年
年 現金給与総額 との比較 所得  との比較 生産性 との比較
1965  472,320   1    59,557  1   343,562  1
1970  908,040   2   103,634  2    725,979  2
1975 2,126,556   5   215,509  4   1,361,101  4
1980 3,160,632   7   305,549  5   2,097,613  6
1986 3,924,492   8   379,520  6   2,789,209  8
1990 3,953,316   8   440,539  7   3,550,419  10
1995 4,350,120   9   482,174  8   3,881,315  11
1996 4,389,720   9   488,537  8   4,016,367  12
1997 4,460,040   9   497,036  8   4,089,886  12
1998 4,397,772   9   495,887  8   4,078,197  12
1999 4,244,148   9   483,910  8   4,045,673  12
2000 4,265,688   9   472,823  8   4,038,637  12

(出所:総務省)

同じことが、家計の可処分所得からもいえる。1965年以降、国民1人当たりの生産性は12倍に増加したのに、家計の可処分所得の伸びは8倍にとどまっている。すなわち家庭の可処分所得の伸びは国民1人当たりの生産性の伸びの3分の2でしかない。結局、作ったものを消費する能力(購買力)が生産性の伸びに追いついていない。それが何につながるかというと、供給過剰、そしてデフレなのである。

政府、メディア、御用学者らは1990年以降の日本の不況を利用して、自分達や富裕者、大企業に対する優遇措置を正当化してきた。中でも大企業は、政治献金で政治家を、天下り先で官僚を、広告費で全国メディアを、研究費で経済学者を買収し、その見返りを得てきた。日本経済を立て直すには、このように不況に乗じて私利私欲を満たそうとする政府、メディア、経済学者ではなく、真に経済の立て直しを願う正直な政府、メディア、経済学者が登場しない限り不可能である。

日本経済を麻痺させているデフレの原因は供給過剰にあり、それを解決するには、その原因をきちんと把握でき、それを解決したいと本心から願う有能で正直な政府が必要であると、私はこれまでずっと主張してきた。そして、正直な政府としてとるべき解決策もきちんと提示してきた。すでにお読みいただいている読者には申し訳ないが、問題提起だけで解決策の提示がないという批判を数多くいただくので、あえてここでもう一度解決策を提示させていただく。

【 日本は正しい税制政策を復活すべき 】

<法人税の増税>

第一に、政府は、平成になって行った破滅的な税制政策をすべて撤回すべきである。平成になってから日本政府は、所得に占める消費の割合が極めて低い高額所得者や大企業の税を減らし、その一方で、所得の大部分を消費に回す勤労者やその家庭に対する税を引き上げてきた。その結果、高度成長期は96%であった法人税収の個人所得税収比は、1990年代になると67%にまで落ち込んでいる。しかし、企業にいくら減税をしても景気は良くならない。なぜなら、企業は減税によっていくら収入が増えても、それを消費や投資には使わないからである。企業が消費するものはすべて課税対象となる法人所得の削減になるため、法人税を減らしたからといって消費増にはつながらない。さらにどれだけ多くの投資資金があろうとも、企業は生産したものが売れる見込みがない限り生産能力を拡大することはないだろう。特にすでに供給過剰で苦しむ日本では、いくら法人税を削減したとしても投資は刺激されない。実際、法人税減税で唯一刺激されたのは、株や土地、デリバティブによる博打と、政治家や官僚、メディア、御用学者たちの買収だけである。

法人税減税分の使い道を間違っていることが、日本にとって極めて致命的な結果をもたらしている。企業は減税分を投資や消費に回さずに博打に投じたからである。博打の勝者はそれを自分の懐に入れ、敗者は政治家や官僚を買収し、自分たちの博打のつけを公的資金で補填させるとともに、メディアや経済学者を雇っては博打の補填という公的資金の言語道断な使い道を正当化させてきた。日本政府は、法人税率を高度成長の最盛期のレベルまで戻すことで、企業が株やデリバティブ、外貨などの博打で無駄にしている資金を、あるいは正直な政府に不可欠な世論の高まりを抑制し政府の腐敗につながっている資金を、すべて徴税することができるのである。

<消費税廃止および高額所得者に対する増税>

法人税減税が社会を腐敗させたのに加え、高額所得者の最高税率の引き下げ、さらには消費税の導入と引き上げが、日本経済を破滅に導いた原因の一つである。他の国同様、日本でも低額所得者層は所得のほとんどを消費に向け、高額所得者はその一部しか消費しない。

世帯の年収    消費支出が
年収に占める割合
1,450,000円     130%
2,260,000円     100%
3,730,000円     78%
6,210,000円     58%
9,470,000円     52%
11,060,000円     48%
20,780,000円     33%

高額所得家庭に減税し、同時に、低額所得家庭の所得税および消費税のいずれか、または両方を増税すれば消費が減退することは明らかだったはずである。しかし、愚かにも日本政府はこの政策をとり、現在、当然の結果がもたらされている。前述のように、個人消費が日本経済の86%を支えていることを考えると、現在の日本の経済苦の主な原因が、愚かな税制政策にあったことは明白である。

日本政府は、税負担を富裕者や権力者から貧困者や弱者に転嫁させるとともに、税金で賄われている福祉の受益者も、貧困者や弱者から富裕者や強者に移行させた。例えば、高齢者の医療費は負担増とし、その一方で銀行や保険会社の博打の補填を公的資金で行っている。福祉に依存しているのは、高額所得家庭ではなく低額所得家庭である。その社会福祉を削減すれば消費はさらに冷え込む。景気が悪化するのは当然である。

日本は、消費税を廃止し、所得税の累進性を以前のように高めると同時に、法人税率を高度経済成長期のレベルに引き上げ、相続税の引き下げを中止すべきである。個人も企業も所得が多ければ多いほど消費の割合が低く、残りは貯蓄に回す傾向にある。国民や企業のほとんどは、銀行やその他の金融機関に貯蓄を行っている。需要と供給の均衡が保たれている経済では、金融機関は大半の貯蓄を企業の設備投資向けに融資する。しかし、供給が需要を大幅に超えている経済では、企業が設備投資を行えばさらに余剰在庫が増えてしまう。そのため金融機関は自分たちの運営費を稼ぐために別の投資先を探さなければならない。1985年ごろから、金融機関は国民や企業から預かった預金を、株や債券、外貨、土地、デリバティブなどを対象とする投機に向け始めた。もちろん正直で有能な政府であれば、預金者の文書による承諾なしにその預金を博打に使うことを禁止し、銀行や金融機関を規制しようとするに違いない。しかし、日本政府はさらなる規制の緩和を行い、銀行の預金、保険金だけではなく、年金までも投機に使うことを許し、勝者は利益を自分のものとし、敗者には博打のつけを税金と公的債務で払うことを認めている。これを食い止める解決策の一つは、高額所得者に増税してその預金能力を奪い、金融機関の博打を阻止することである。これによって、高額所得者からの税収が増えるだけでなく、政府が公的資金で補填しなければならない金融機関の博打のつけもなくなるため、一挙両得で、社会消費の財源を増やすことが可能となるのである。

結論として、正直で有能な政府が、デフレの原因である過剰生産と過少消費の不均衡を是正させるためにとるべき措置は、平成になってから行った税制の破壊的な変更を撤回することなのである。

そして、適正な税制政策の復活により増えた税収の使い道として、1.社会消費の増加、2.労働時間の短縮、3.教育の充実、などが行われるべきだと私は考える。