私の友人から次のような内容の電子メールが送られてきました。
「スミス氏の1日は、朝6時の目覚し時計(日本製)の音で始まる。コーヒーメーカー(中国製)でコーヒーを作っている間に、電気剃刀(香港製)でひげをそる。ワイシャツ(スリランカ製)とジーンズ(シンガポール製)を着て、フライパン(インド製)で目玉焼きを作り食事を済ませると、ラジオ(インド製)の時報に時計(台湾製)を合わせ、車(ドイツ製)に乗って職探しに出かける。そしてまた実りのない1日が終わり、帰宅すると、ワイン(フランス製)を飲みながらテレビ(インドネシア製)を見て、なぜ米国には高給の働き口がないのだろうと考えるのだという」 さて、これを読んだ日本の読者は、これは米国の話で日本にはまったく関係ないと思われたのではないでしょうか。しかし、残念なことに日本も同じ道を辿っているようです。日本でも近頃、日本製のテレビをほとんど見かけないという記事を読みました。
今回はグローバル化について、その真の目的が企業の利益増にあり、貧困層の底上げや雇用増は建前上の目的に過ぎないと指摘する記事を紹介します。日本でも規制緩和が声高に叫ばれていますが、グローバル化の行き着く先はゴーストタウンであることに気付いていただきたいと思います。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
グローバル化が残すゴーストタウン
『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙 2001年4月26日
マイケル・ケリー
4月20日からケベックで開かれた米州首脳会議の混乱を狙った労働組合の雇われ者やスターバックスの無政府主義者について、グローバリストの博識者、トーマス・L・フリードマンは公然と嫌悪感を示し、『ニューヨーク・タイムズ』紙の社説に、「この反グローバル化運動は大部分が善意であるにしても、無知に起因する行動であり、悪意を持つ有識者によって先導されたものである」と記した。
フリードマンは、無知で悪意ある反グローバル主義者は、貿易を地球規模に拡大することが世界の貧困者たちを貧困から救い出す唯一の道であり、商業だけでなく道徳的にも望ましいということを理解していないという。フリードマンの評価は、彼がグローバル化の主流派の声を代弁する立場にあることからも重要である。グローバル化への批判が高まる中、形成されてきた主流派の見解は、グローバル化が素晴らしいのは先進国に富をもたらすだけでなく、恵まれない国々の間にも富と自由を広めるからだというものである。
ケベックで4月20日、ブッシュ大統領は彼が理解している知識を次のようにまとめた。「米国内に住む人々だけでなく、米国の国境を行き来する商業にも我々は自由を求める。自由で開かれた貿易は、新しい雇用と所得を作り出す。それはすべての人々の生活を向上させ、市場の力を利用して貧しい人々のニーズを満たすことにつながる。自由貿易は、自由という習慣の強化になる」。この主張はそれ自体正しい。
フリードマンが、『ニューヨーク・タイムズ』紙で自由貿易についてシリーズで取り上げたように、自由な商業がもたらす恩恵は決して気前が良いものではない。しかし、貿易によって確かに新たな雇用が生まれる。低賃金で長時間労働という搾取工場における職であっても働き口であることに変わりはない。そして、歴史が示すように自由貿易の後には自由がもたらされてきた。
しかし、こうした主張は人々の注意を本質からそらすことになり、政治、経済、道徳に関する議論の主題からはずれている。ブッシュは米州自由貿易圏構想について、草稿なしの発言によって手の内を明かしてしまった。労働者の待遇と環境保護について最低基準を求める要求に対し、ブッシュは、協定には自由貿易の精神を壊す追加条項を含んではならないとして次のように述べた。「労働組合支持者の中に労働者保護に関心がある者がいることはわかっている。しかし、労働者保護をたてに、自由貿易協定を壊したくない」
ブッシュがうっかり漏らしたように、グローバル主義の目的は、規制の多い高賃金の先進国ではなく、規制の少ない低賃金の発展途上国で製品を製造することにより、企業により多くの金儲けをさせることにある。これこそがグローバル主義の存在理由であり、民主主義や富を広げることはその副産物なのだ。
そしてこれは3つのことを意味する。製造業の職は先進国から低開発国へ移転させなければならない、低開発国の労働者保護と環境基準は先進国のそれよりも低くなければならない、そして、その低開発国が発展すれば製造業の職はさらに発展度合いが低い国へと再び移転させなければならない、というものだ。
労働組合支持者は、グローバル化は究極的に製造業の雇用を海外へ移転させることになると理解している。これは結果的に、フリードマンがいうアフリカの人々に真の雇用をもたらすことになるかもしれない。しかしそれはまた、オハイオ州アクロンに住む人に職の喪失をもたらす結果にもなる。
それだけではない。全米で起きているように、工場が閉鎖されれば町全体が崩壊し、利益を生んでいた地域共同体が国の救貧院に変われば、米国にどれほど損害が出ることか。グローバル主義者は、何百万人もの雇用が奪われるという犠牲を無視している。
最終的に、グローバル化によって米国流の生き方とされるものが失われる結果となる。それは、高校を卒業したら、工場に就職し、車を買い、結婚し、家を購入し、子供たちを大学にやって定年後は年金でそこそこの暮らしをすることである。
世界規模の自由貿易は、長期的には、熱狂的支持者のいうようにすべての人により良いものをもたらすかもしれない。しかし、短期または中期的には、いかなる先進国においても、大きな利益を得るのはごく少数であり、一方で多くの人々が大きな痛みを被ることになる。これを理解していない人々は善意に基づいているのかもしれないが、グローバル主義がもたらすゴーストタウンの住民は、彼らをお粗末なほど無知だと思うにちがいない。