No.478 日本の所得税について

今回は、『エイジャン・パースペクティブ』誌より、日本の所得税に関する論文をお送りします。主に1999年の税制改革を取り上げたものですが、所得税の逆進性を高め、課税負担を高額所得者層から低所得者層に転嫁しようとする傾向はその後も続いており、むしろさらに強まっているといえます。所得税率が他国に比べて高すぎるため企業家精神を奪う、就労意欲を減退させる、さらには課税最低限が高すぎ、所得税を支払わない人が多いのは不公平であるという主張が日本ではよく聞かれますが、この論文によれば、それが事実ではないことが明らかです。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

『エイジャン・パースペクティブ』誌 Vol 24, No. 4, 2000
アンドリュー・デウィット

 日本の保守派および財界の指導者は、自分達の所得税負担が重すぎ、企業家精神を抑制しているとよく不満をもらす。日本の所得税の税率、課税最低限、および定義を他の国と比較してみると、これら保守派の不満には正当な理由がないことがわかる。それにもかかわらず、最近の税制改革によって日本の税制構造はさらに逆進化した。
ソーセージや法律がどのようにしてできるのか、知れば知るほど夜眠れなくなる。(ビスマルク)

 1999年2月23日の参議院予算委員会席上で、当時の宮沢蔵相は、自分は日本の所得税は社会主義国のそれに似ているとずっと思っていたと主張し、所得税および法人税の最高税率を戦後最低に引き下げた。彼の発言がとりわけ解せないのは、彼と自民党の仲間こそが日本の税制度を築いてきた中心人物だからである。そして少なくともごく最近まで、ほとんどの観測筋は、日本の税制はむしろ資本家に手ぬるいと見てきた。しかし、宮沢が使った「社会主義」という言葉は、分析に基づいてというよりは政治的理由からであり、所得の再分配を批判し、再び逆進的な税制改革を行うことを正当化するためだった。宮沢や同じような批判家から高まる声は、税制を巡る政治的駆け引きは、キャットフードの宣伝よろしく、売り込めば売り込むほど最終的に多くの人がそれを受け入れるだろうと見込んでいる。

 このようにして、日本における税制政策の策定は恐ろしいほど米英的な性質を帯び、公平さと経済的誘因のバランスを保つという理にかなった論理よりも、イデオロギー的な主張に左右されている。日本の税制論議にはもっともらしい発言が多いが、税制度そのものの特徴の多くは、多かれ少なかれ客観的な評価を行うことが可能である。例えば、他国との客観的な比較である。ここではそのアプローチに基づき、日本の所得税が極めて再分配効果が高いという神話を覆すために、1999年の税制改革以前の日本の所得税を簡単に振り返ってみる。そしてこの税制改革と政治的背景に触れ、日本の税制が向かう方向、その理由、考えられ得る影響についても論じる。

【 所得税の比較 】

 マーク・トウェインが「事実は曲げられないが、統計は融通が利く」といい放った時、彼は税制改革の提案書を見ていたのかもしれない。しかし、それでも統計を見れば、日本の財政制度の一般的な見方が正しいかどうか簡単に確認できるはずだ。例えば、表1を見ると、日本が再分配効果の高い国であるとはおよそいえない。当論文の執筆中、政府の歳入が最も広範囲に比較できるのは、1996年の統計だったため、それを用いた。日本のGDPにおける税収の割合は、大方の予測通り米国のそれに近く、他の先進工業国よりはずっと低かった。1996年は日本の経済成長が横ばいだったことを考慮しても、この見方は変わらない。すなわちこの統計だけを見ても、日本の課税による再分配が行き過ぎている証拠はほとんどないといえる。

表1 GDPにおける政府の一般歳入の割合(1996年)

日本      28.4%
フランス    45.7%
ドイツ     38.1%
イギリス    36.0%
米国      28.5%
(出所:OECD、Revenue Statistics 1965-1997)

 しかし、税収の内訳はどうか。税収の全体額よりも、その内訳が重要であることが多い。新自由主義の改革者たちは、日本の税収では所得税が占める割合があまりにも大きく、それが再分配を阻害し、働く者のやる気をそぐと指摘する。日本の税制が特異なものかどうかを調べるために、表2では、所得および利益からの税収が税収全体に占める割合を比較した。絶対額ではなく税収比で見ると、日本は所得および利益からの税収がフランスやドイツよりも高く、イギリスとほぼ同じ、米国よりはずっと低い。ここでも、日本の数字は、1996年の特別減税および低成長の影響で幾分過少評価されている。しかし、バブル経済のピーク時であった1990年を除くと、国税における日本の所得および利益税収の割合は一貫して米国よりも低い。

表2 国税収入における所得および利益税の割合(1996年)

日本      36.6%
フランス    18.0%
ドイツ     28.4%
イギリス    36.8%
米国      47.2%
(出所:OECD、Revenue Statistics 1965-1997)

 表3および表4は、これら国々の税制をより広範に見たものであり、所得、資産、支出といった主要課税対象を全税収比、GDP比で捉えたものである。日本は、ほとんどの歳入を、所得、利益、資産から得ており、財やサービスからの税収は少ないという近代の米英の財政の特徴を色濃く示している(イギリスが付加価値税を通じて消費への依存度が高いのは、サッチャー主義とEUの名残である)。一方、日本の社会保障関係の税金が高い点は、イギリスを除く他のヨーロッパ諸国に似ている。

表3 全税収における各税収の割合  (1996年)
    所得および 社会保障 賃金  資産  財・サービス その他
    利益
日本  36.6%   36.5%      11.3%   15.4%   0.2%
フランス18.0%   43.1%   2.3%  5.1%   27.3%   4.3%
ドイツ 28.4%   40.6%      3.0%   27.9%   0.0%
イギリス36.8%   17.3%      10.6%   35.2%   0.1%
米国  47.2%   24.7%      11.0%   17.2%
(出所:OECD、Revenue Statistics 1965-1997)

表4 GDPにおける各税収の割合  (1996年)
    所得および 社会保障 賃金  資産  財・サービス その他
    利益
日本  10.4%   10.4%       3.2%   4.4%   0.1%
フランス8.2%   19.7%   1.0%  2.3%   12.5%   2.0%
ドイツ 19.8%   15.5%       1.1%   10.6%   0.0%
イギリス13.2%    6.2%       3.8%   12.7%   0.0%
米国  13.5%    7.0%       3.1%    4.9%
(出所:OECD、Revenue Statistics 1965-1997)

【 個人の所得税 】

 日本の税金に特に問題があるわけでも、再分配効果が高いわけでもないことを全体として示すだけではなく、さらにその一歩先を検討するには、一般的な統計では足りない。なぜなら、それぞれの財政機能の重要な違いが見えないからである。例えば、個人所得税の構造は、国によって大きく異なる。中でも最も重要で明らかに違うのは、課税最低額と税率の2つである。

 宮沢のような優秀な改革者らは、日本の個人所得の課税最低額が極めて高いため、課税対象が狭められ、税負担が高額所得の勤労者に不当に押し付けられていると主張する。課税最低限とは所得税を支払わなくてもよい所得レベルを示すもので、それ未満の人は所得税の支払いを免除される。また、課税最低限より多くの所得を得ている人も、所得から最低額を控除して、課税対象額を算出する。表5は、1999年の妻と子供2人の家族を持つ給与所得者の所得税の課税最低額を示している。日本の課税最低限はイギリスよりもずっと高く、また米国よりも上回っているがフランスやドイツよりは低い。慶應義塾大学総合政策学部教授の竹中平蔵がいうように「旧共産圏でさえ見られないほど」日本の課税最低限が高いということは決してない。竹中氏の主張は、1998年の家族4人家庭の課税最低額491万円をもとにした発言であり、これは特別減税措置を反映した数字である。

表5 所得税の課税最低限の国際比較
(1999年、夫婦および子供2人の給与所得の場合)

日本          361.6万円
フランス        374.3万円
ドイツ         466.5万円
イギリス        124.8万円
米国          288.5万円
(出所:財務省)

 表6は、1999年の独身の給与所得者の課税最低限を比較したものである。ここでは、日本はヨーロッパ諸国よりも、英米両国に近い。

表6 所得税の課税最低限の国際比較
(1999年、独身の給与所得者の場合)

日本          110.7万円
フランス        170.9万円
ドイツ         145.0万円
イギリス         93.1万円
米国           94.5万円
(出所:財務省)

【 所得税率 】

 日本が実際に高かったのは所得税率である。1999年の税制改革まで1990年代の大半を通して、国の所得税は10%から50%まで5段階で徴収され、それに加えて住民税が5%から15%まで3段階で課されていた。したがって理論上は、高額所得の納税者は3,000万円を超える所得について65%の税金を支払っていた。

 しかし、日本の所得および利益に対する税金がそれほど高くないことを示した先の表を思い出していただきたい。このことは、税率と実効税負担が、多くの専門家がいうよりもはるかに複雑であることを示している。税負担は、税率や、個人の課税最低限だけではなく、課税対象となる所得の種類にも依存する。

 例えば、イギリスの所得税を考えて欲しい。イギリスの所得税構造はまったく単純で、最高税率40%から3階層で、地方税はない。所得税率そのものはそれほど高くないが、1996年のGDPに占める所得税収の割合は9.3%にのぼる。表7が示すように、同年の日本のGDP比、5.7%よりもずっと高い。その差は主にイギリスの課税最低限が低く、多くの貧しい労働者が所得税を支払っていること、さらには、平均的生産労働者の年収の1.8倍に対して最高税率が適用されているためである。日本で最高税率が適用されるのは、平均的生産労働者の年収の7倍からである。

 しかし、税収に大きな開きが出るのはこれだけが理由ではない。フランスは所得税率が6段階に分かれ、最高税率は54%である。イギリスと同じように、地方税はない。また最高税率が適用されるのは、平均的生産労働者の年間所得の2倍をわずかに上回る額である。フランスの最高税率はイギリスよりも14%も高いが、課税対象者はイギリスよりもずっと少ない。表5と6で示すように、フランスの基本控除額はイギリスよりも高く、日本よりも寛大である。表7にあるように、1996年の所得税収のGDP比がわずか6.4%であったのは、このためである。

表7 GDPにおける個人所得税収の割合(1996年)

日本          5.7%
フランス        6.4%
ドイツ         9.4%
イギリス        9.3%
米国          10.7%
(出所:OECD、Revenue Statistics 1965-1997)

 法的に決められた課税最低限および控除を除くと、フランスの所得税収が低い理由は、フランスの納税者についてよく知られる脱税による。この点については日本も同様であり、中小企業は総収入のうち40%、農民は60%を申告していないといわれている。こうした不公平感に加え、税率が高い階層に入るであろう高額所得者は、実際には、金利、配当金などの形で得る不労所得に対して、極めて低率の税しか支払っていない。この点について、リチャード・カッツは、「300万円までの預金金利は無税であり、複数口座への分散による脱税がはびこっている。実際、全預金口座の半分が無税である。300万円を超えると、金利に20%の税金がかかる」と記している。

 日本の所得税により再分配効果を持たせるべきか否かは、実験的課題ではなく、政治的課題である。しかし、比較の観点からいえば、日本を社会主義国と表現するのはいい過ぎである。実際、石弘光は広範な研究結果に基づき、次のように記している。「法定税率ではなく、実効税率からいえば、日本の所得税制の累進性はゆるやかであり、相対的にいって所得の再分配効果はほとんどない」。さらにいえば、石によるこの分析は、1990年代の大幅な税制改革の前になされたものである。

【 1999年の税制改革:社会主義はもうたくさん 】

 1999年度の日本の所得税減税の実施は、経済成長を刺激し、高額所得者と企業の動機付けを高めることを主に狙ったものだった。自民党とその連合政権は、減税が一部の人々を極端に優遇することを避けるため、課税最低限および扶養家族控除で調整を加えた。それがなければ、中間および低所得層は、すでに実施されていた特別減税がこの年終了することになっていたため、大幅な増税を経験するところだった。しかし、1999年の税制改革の最も重要な点は、自民党が最高税率を50%から37%に引き下げ、米国の連邦所得税の最高税率39.6%よりも下に引き下げたことである。また法人税の基本税率も、34.5%から30%に、中小法人の軽減税率も25%から22%に引き下げられ、中小、大企業にかかわらず適用される地方の事業税も11%から9.6%に減税された。大企業の実効法人税率は、1998年に49.98%から46.36%へ、1999年にはさらに40.87%へと急激に引き下げられている。実際、日本の個人所得税、法人税の税率は、戦後最低になった。

 これらすべてにより、1999年の税制改正で日本の所得税収は9兆円減少した。しかし、また巨額の公共事業予算が盛り込まれた1999年度予算に関する国会審議は、記録的短時間のうちに終わり、その逆進的側面についてはほとんど議論されなかった。これだけ静かに審議が終ったのは、ほとんどすべての利益団体および所得層が減税の対象になったから(あるいは少なくとも公共事業を受注したから)であり、すべての人に施しを与える予算の財源をどうやって捻出するかについて誰も触れなかった。しかし、特に財源については、財政当局の多くの人間を不安にさせた。

 日本の税制改革を推進している主要勢力には一連の企業ロビイ活動があり、さらに様々な出来事が圧力となって、すべての懸念を無視して税制改革を推進させることになった。経団連、経済同友会、その他の企業の利益団体は、平成不況の中、政策決定に大きな影響力を持った。彼らは一貫して、日本の個人所得、法人税体制に対して急激な減税を要求したが、大蔵省からの妨害に必ず遭遇し、緊縮財政を求められた。1997年になると、橋本政権が消費税および健康保険料を引き上げたため、日本経済は完全な不況へと突入した。1998年7月18日の参院選挙の自民党の大敗で、政治的思惑は大きな転換を遂げた。橋本首相はすぐ辞任に追い込まれ、官僚は税制政策の脇役へと押しやられ、供給側重視と消費志向が混ぜ合わさった減税が開始された。

 小渕政権への移行、確固とした行動を求める国内外からの要求に対する小渕の対応で、大規模かつ永続的な所得税減税に向けてはずみがついた。そして、新たな緊縮財政に向けた無責任な逆行か、あるいは徹底した意図的な大幅減税かという、両極端な選択肢しかないように間違って提示された。その結果、1998年12月半ばに発表された1999年度予算は、税制改革を望む新自由主義の要求が基盤にされた。財政当局の中で聞かれたことだが、経団連の役員の中には、自分たちの要求がほぼすべて満たされたことに驚き、皮肉にも、財政制度の健全性に懸念を示し始めた者さえいたという。

 個人の所得税減税により、次のような変化がもたらされた。1999年の年収200万円の納税者は19,625円が減税されて所得税支払額は87,875円になったのに対し、最高税率の引き下げにより、年収5,000万円の納税者はより大幅な減税となり、3,356,500円もの減税を受け、所得税支払額は19,401,500円になった。さらに、高額所得者に対する減税は連続して行われていたため、年収5,000万円の納税者の所得税額は、1987年に比べると918万円も少なくなった。

 表8は、税制改革後、夫婦および子2人の家庭が支払う所得税を各所得レベルで、各国と比較したものである。日本の所得税が、宮沢蔵相などが指摘しているように、税制改正後も再分配効果が高すぎるのかどうかがこの表からわかると思う。日本は、フランス同様、依然として所得税の低い国であり、所得額の高い、低いにかかわらず、他の諸国よりも所得税納税額が低い。先に示した表からも想像がつく通り、最低所得レベルに対する税率が最も低く、再分配の特徴が際立っているのはドイツである。

表8 給与収入階級別の所得税:個人住民税負担額の国際比較(2001年)
   夫婦および子供2人の場合(単位:万円)

給与収入 日本  フランス   ドイツ  イギリス   米国
5,000  1,839.8  2,059.8   2,291.3  1,887.9   1,913.0
4,000  1,364.8  1,557.6   1,779.6  1,487.9   1,463.7
3,000   889.8  1,055.4   1,267.8  1,087.9   1,010.8
1,000   85.9   123.3    249.8    287.9    201.9
700    31.9    53.6    124.7   167.9     97.4
500    11.5    24.5    53.2    91.8    54.0
(出所:財務省)
【 財源 】

 減税の結果、不況期にあった1999年度の日本の税収は47兆円にとどまった。これだけ税収が減ったのは1980年代初頭以来であり、その結果、赤字国債の発行額がGDP比約10%にも達した。財政赤字により、日本の国と地方を合わせた長期債務残高は、2000年3月末にGDP比約130%に達すると見られており、すでに高齢化社会や経済調整による負担増に直面している日本の財政制度にとって深刻な問題である。日本にとっての負担はこれだけではない。所得税の累進性が減ったため、経済成長率が最終的に大方の予測を上回ったとしても、所得税収の自然増は期待できない。しかし、赤字国債発行による莫大な赤字財政支出は、経済的、政治的理由から、永遠に継続できるものではない。ということは、支出の大幅削減か、大増税、あるいはその両方をある時点で行わなければならなくなるということだ。

 もちろん日本が支出を削減しようと思えば、それは十分可能だと主張する人は少なくない。政府職員の4分の1は削減できるという人もいるが、それは主に言葉だけのことであり、希望的観測に過ぎない。確かに、日本の近代史を見れば、日本という国が、緊縮経済のもとで社会経済的変化の負担を家庭の側に転嫁する能力が高いことがわかる。しかし、多くの比較研究が示すように、日本の公務員の人口比は先進国中最低である。さらに、人口統計からいって、人件費およびサービス支出はどちらかといえば上昇傾向にある。加えて、日本は、社会安全網や社会基盤を、価格保証や財政投融資などによる予算外の措置に依存してきたが、徐々にそれが変わりつつある。すなわち、高齢化社会以外にも財政を圧迫する要因があるということだ。

 高額所得層への増税を実施するのはいつでも可能だが、政治環境がそれを不可能にしているようだ。そして税制改革以前に戻れる見込みはない。というのも所得税はいったん減税してしまうと、増税は非常に困難だからである。さらに増税に反対する勢力が、政策立案者の中で力を強めている。彼らは組織力、資金力、さらには尽きることのない減税擁護論をうまく組み合わせている。グローバル化に対応し、企業家精神を増進させ、さらに考えられないかもしれないが労働意欲を高めるためには、財政上の公平さをなくす必要があるという論理がまことしやかに語られている。さらに彼らは、日本がすでに再分配が必要ないほどの平等を達成したと主張するだろう。これは、日本の所得格差が過去10年間に拡大し、ヨーロッパ諸国の格差を超え、米国ともそれほどかけ離れてはいないという証拠を無視する主張である。

 したがって、日本の財政当局は、将来、歳入増の要求を消費税増税および課税最低額引き下げにより満たさざるを得なくなると見て間違いない。こうした改革は逆累進性を高めることになるため政治的に困難ではあるが、反発を避けるために徐々に行えば実行可能である。消費税が経済に与える驚くべきマイナス効果、さらには1986年のレーガン支持者による税制改革教義とは正反対の、多くの低所得者が所得税を払わないのは非民主的であるというおかしな主張ゆえ、宮沢は課税最低額引き下げの方を選択するだろう。

【 野党はいつも通り曖昧 】

 民主党が宮沢らと同様の考え方をしていることからも、所得税の課税最低限引き下げの可能性は高いと思われる。2000年6月25日に行われた総選挙戦の前に、鳩山由紀夫率いる民主党は、中間所得層および高額所得層のサラリーマンに訴えるのが、最も多くの支持者の獲得につながると考えた。そこで、民主党の政綱は、貧困者を犠牲にするものとなったのだ。

 鳩山は、党内の元社会党員から大きな反対を受けたが、国家債務の返済と中流階級へのわずかな利益還元を目指すために、課税最低限引き下げによる低所得者層からの税収増加などの税制改革を急ごしらえした。これは選挙中に、宮沢から著しい賞賛を受けた。しかし、一方で森総理の一連の失言から関心をそらしたい自民党員から、皮肉にも政治的攻撃を受けた。亀井などの自民党の重鎮が、弱者を痛めつけようとする民主党として描くことに成功すると、鳩山は立場を変え、家族手当の形で低所得者層に税収を還元すると発表した。しかし、すぐに立場を変えたことから、その真意は疑わしい。両主要政党は、増税という強硬な政治が始まれば、まずは低所得者層の利益を犠牲にするであろう。

 低所得および中間所得層に税負担を転嫁することが公平かどうかを決めるのは、価値判断である。しかし、価値判断する上で忘れてならないのは、こうした人々はすでに社会保障税や、さらには日本の食糧費、住居費などを世界最高に押し上げている補助金や保護主義を通じた、逆進的な隠れた税金をかなり負担させられていることである。例えば、1998年、消費者1人から農業にわたった金額は日本では577ドルであったのに対し、欧州共同体では189ドル、米国では15ドルである。日本の財政体制の性質および規模が、高齢化、グローバル化、その他の圧力に応じて変化すれば、中間所得層、低所得層の税金を増税すべきなのかもしれない。しかし、結論は、英米両国だけに限って比較したり、累進的な社会保障負担といった選択肢を無視するのではなく、様々な選択肢を正直に評価して決めるべきである。しかし、残念ながら、日本の税金の公平さを強化する観点から組織化された野党を見る限り、これは起こりそうもない。