今回は、私のホームページを見たという米国人読者から送られたコメントに対する回答をお送りします。
読者:格差をなくすために相続税を重くしたいという考え方は、私にも理解できる。結局、相続人は遺産を受け取る代わりに何の価値も生み出していないからである。さらに、累進課税の考え方も受け入れられる。ただし、所得額にかかわらず、3分の1を越す所得税には同意できない。
回答: なぜ3分の1なのか。読者は所得の3分の2に相当する価値を自力で生み出していると本当に思っているのだろうか。例えば教育制度にどれだけ依存しているか。自分だけではなく、子供や従業員、消費者、さらには社会のほとんどの構成員が、生産物を作ったり、消費したり、市民として行動できるのは一重に教育のお蔭である。また、公共交通機関や通信設備がなかったらどうだろう。民営化されているとしても、建設当時は公的資金で作られたはずだ。また、国民の安全や治安を守る警察や自衛隊にかかる費用も考えてほしい。我々が収入を得られるのは、社会がこうしたものを提供してくれているからなのである。そう考えると、ほとんどの人が得る所得は、自身の努力というよりも、社会の恩恵によるところが大きいのである。また別の例えでは、人里離れた山奥や孤島で暮らしたら、またはエチオピアやバングラデシュ、東ティモール、ルワンダなどの発展途上国においてあなたの能力や才能を使い同じ労力で働いて、所得の3分の2を稼ぎ出せるだろうか。
米国の連邦、州、地方政府の巨額の公的債務について考えてみて欲しい。これは政治家が選挙公約で約束した有権者への見返りは提供したものの、それ相応の税負担を国民に課さなかったために生まれた赤字である。この負債を返済するには増税を行うか、あるいは自国通貨の価値を下げても不当なインフレを起こすかのどちらかしかない。
読者:所得税の徴収は、所得だけではなく労働時間にも課金されることになる。所得を生み出すには、それだけの時間も必要だからである。その意味で課税は一種の奴隷制度を意味する。例えば25%の所得税であれば、25%の労役を我々から奪い、それを他者に提供するのである。
回答: それを問題視する前に、労働で生まれるわずかな価値に比べ、先にも説明した教育、交通、通信、防衛、治安、司法などの公的サービスや設備が与える価値がどれだけ大きいかを考えるべきである。その意味で課税は奴隷制度などでは決してなく、我々が所得を得るために必要とする公的サービスや設備に対する応分の負担と捉えるべきである。
読者:所得の3分の1までであれば税金を収めることを厭わないが、50%以上などもってのほかであり、そうなると我々はまさに政府の奴隷そのものだ。米国の所得税率は現在、最高税率が39.6%、最低が15.0%であるが、それでもかなり累進的であると思える。
回答: 米国の税制度はまったく累進的ではない。それを証明するために、ここでは以下の3点を指摘する。
1. 米国の社会保障税は被雇用者と雇用主で折半され、現在の税率は収入にかかわらず一律12.4%である。また、その上限は6万5,400ドル(1997年時点)である。すなわち低所得者に重く、高額所得者にとっては軽い、極めて逆進的な税金である。
2. 米国人は消費するほとんどの物に対して消費税を支払わなければならない。所得に占める消費の割合は高額所得者よりも低額所得者の方がはるかに高くなる。このことから消費税負担は低所得者の方がより重くなる。
3. 米国の税法は非常に複雑なため、金持ちは専門の会計士などを雇い、大幅な節税が可能である。しかし、その余裕のない人々は専門家を雇うことができず、納税額を減らすことなどできない。この点でも米国の税制は逆進的である。
米国の税制の逆進性については様々な文献で取り上げられており、税制の逆進性と社会的病弊の相関関係を指摘するものも多い。例えば、このOur Worldシリーズでも取り上げた、ラビ・バトラの分析があるので、 No.382(「逆進税」)を参照されたい。
読者:正規分布で考えれば、良きにつけ悪しきにつけ最も極端なことを行うのは、その分布の両端に属する人間である。私自身は、インテルの会長アンディ・グローブ、クレイコンピュータの設計者シーモア・クレイ、ウォル・マートの創業者サム・ウォルトンといった人物が現れて、莫大な価値と雇用を生み出せる国に住みたいと願う。しかし残念ながら、それは同時にドナルド・トランプやビル・ゲイツといった私利私欲を貪る人間をも生み出す。犯罪を犯す小悪党も同様だ。ただし後者のグループの出現は、共和党員が中絶や避妊を嫌わなければ簡単に防げたことだと思う。生活保護を受ける女性に避妊手術を受けさせることができれば、犯罪者の温床の多くは作り出されずに済んだはずだ。
回答: 私が累進課税の方が良いと思うのは、次の理由からである。
1. 哲学的、倫理的に考えて、所得や富は個人の勤勉よりもむしろ運によるところが大きいと私は信じている。人が生まれながらにして持つ精神力、体力、家柄、人種、財力は同じではない。すなわち生まれつき成功の可能性が高い人もいれば、低い人もいる。そうした中で所得税の累進性、さらには巨額の遺産の没収を狙った相続税は、人が生まれながらにして持つ競争上の不公平を最小にする手段だと考える。累進課税はゴルフや競馬のハンディキャップのようなものであり、また競争を促進するために、NFL、NBA、メジャーリーグなどのプロのスポーツチームが資金力に応じた独占を禁じるのと同じことである。
2. 累進課税は、民主主義を保護することになる。なぜなら世論に影響を与えるメディアや、法の策定、施行を行う政治家や官僚を買収するための資金を奪うことで、民主主義のプロセスを腐敗させる気を起こさせなくするからだ。
3. 累進課税は、景気後退や不況の原因となりやすい所得格差を是正することで、経済の保護にもつながる。ここでなぜ私がそう考えるかを説明したい。
(1) 経済がうまく機能するのは、需要と供給が均衡しているときである。需要が供給を超えれば、インフレが起こり、所得や富の価値が減る。供給が需要を超えれば、企業は過剰在庫を売りさばくために価格を引き下げ、低い売上でも利益を確保するために人件費やその他のコストを削減し、生き残りのために熾烈な競争を繰り広げる。その結果、経済はデフレや景気後退となり、大恐慌になることさえある。
(2) 人が生産するものはすべて誰かの所得になる。すなわち、企業の収入はすべて、取引業者への支払いや社員の給与、銀行への利払い、建物の賃貸料、株主利益などとして支払われる。それを社会全体として考えると、年間の総生産(GDPやGNP)はすべて賃金や賃貸料、利子、利益として支払われ、社会の構成員が受け取る年間収入と等しくなる。
(3) 社会の構成員が自分の欲するものをすべて消費できるよう所得がうまく分配されていれば、社会が生産するものはすべて消費され、供給が需要を上回ることはない。しかし、一部の人が消費し切れない所得を手にし、一方で所得が足りずに消費ができない人々が生まれれば、社会が生産するものをすべて消費することはできない。所得が過剰な人はすべての所得を消費しきれず、また所得が足りない人は消費したくてもできないため、供給が需要を上回るだろう。こうなるとデフレや景気後退は避けられず、時には恐慌に陥ることさえある。実際、1920年代に税の累進性を弱めた米国、また過去30年間に米国の例にならった諸国では、すべてこうした状況になっている。
読者:恐らく貴殿は情け深い人なので、バブルの崩壊に直面した仲間の苦しみを楽しむことはできないのだろう。しかし、少なくとも自分の予言が的中することには満足を覚えるに違いない。実際、これからどこに行き着くのかを見守るのは興味深いことである。
私の予測では米国は社会主義に向かっているのではないかと思う。偵察機EP3の乗組員の帰還に際し、職務以外のことは何も行わなかったにもかかわらず、米国民が示した英雄を迎えるような歓迎ぶりに、米国社会の根幹の腐敗や社会の軟化が見て取れる。米軍も弱体化しており、練兵係軍曹が新兵に怒鳴ることや、弱い兵隊を侮辱することは禁じられている。また、米国は犠牲者を出すことを恐れている。米国人は、自分の感情、人生の不公平さ、いかに自分が犠牲になっているかについて不平をもらし、誰かが問題を解決すべきだと指摘するとともに、高校中退、5人の子持ちで、良い仕事が見つからないと文句ばかり並べ立てている。「他人の痛みがわかる」人を選挙で選んだはずだったというが、政治家は父親ではない。甘えるのもいいかげんにしろ、というものである。
D.H.ロレンスはかつて、「米国の本質は強く、他に類がなく、禁欲主義的で、すごいやつだ」と述べたが、それは過去のことである。現在は、柔和で、か弱く、泣き言ばかりの弱虫になった。今後、米国は、武器を保持する権利に対し持っていた信念を失うことになるであろう。多くの人は、銃が犯罪に使われることではなく、金属そのものを恐れている。壁にかけられた刀を見て、わめきたてる人がいるだろうか。さらに、米国はスポーツや他のいかなるものに対しても競争心を失っている。誰もが勝者であり、誰もが同様に素晴らしいのだという考え方に甘んじている。
私は、最終的に人の意見は、その人格によって決まると考える。私は最近の米国に見られる、感情をそのまま表現する傾向に嫌気を覚える。また、その行き着く先であろう社会主義的将来を嫌悪する。貴殿は、仲間意識の傾向や、「不屈の精神」的アプローチが弱まるのを歓迎するに違いない。どちらが正しいか証明されるかどうかはわからない。我々の立場はそれぞれの好みによるところが極めて大きい。これから世界がどちらに向かっていくかを見守るしかないようだ。
回答: 確かに私はヨーロッパの福祉国家に見られるような社会民主主義の考え方を好む。ただしこの読者がいうような米国の弱体化が、社会主義的将来を暗示しているとは考えていない。私が社会民主主義を好むのは、社会的公正さが確保された社会こそ、最大多数の国民が幸福に暮らせる社会だと考えるからである。