No.488 責任転嫁された沖縄女性暴行事件

今回は、OWメモ『沖縄でまた女性暴行事件』(No.481)の筆者であるシーラ・A・ジョンソン女史の寄稿の続編をお送りします。確かに、沖縄の米軍基地問題に焦点が当てられるのはこのような事件が起こった時であり、沖縄の問題を本土の人々が身近なこととして捉えていないことに問題があると思います。前回の沖縄問題に関する記事についての読者からの感想も、身近に沖縄出身の友人がいるという方からでした。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

『ジャパン・タイムズ』紙 2001年8月2日
シーラ・A・ジョンソン

 今年6月末に沖縄の駐車場で強姦されたとする若い女性を、日本の週刊誌が非難しているという報道に、私は驚きはしなかったが、ひどく困惑した。田中真紀子外務大臣でさえ、被害者がそんな夜遅くに米兵がたむろするバーで飲酒していたことを非難したという。

 女性が強姦されたと主張した場合、米国でもごく最近までそのような扱いを受けるのが通例だった。被害者は警察から無礼な尋問をされ、肉体的な取調べを受けることもしばしばで、裁判所での証言の際には過去の性体験を詳しく述べさせられた。犯人は決して有罪にはならない、あるいは被害者が受ける屈辱がその男に与えられる懲罰に値しないとわかっているような状況では、多くの女性が、強姦されても警察に通報しないのは当然であろう。

 今回の沖縄女性暴行事件について、私は7月8日付け『ジャパン・タイムズ』紙に寄稿し、それが他の多くの米国新聞に転載された。その寄稿に対し米軍兵士から、女性である私個人に宛てて、私を罵倒する手紙が非常に数多く送られてきた。ある手紙は、人前で車のボンネットの上で性交を楽しむ日本女性が実際にいることを知らない私を、世間知らずで古臭い人間だと言い放った。また別の手紙は、交際している米兵がもし変なことをしたら刑務所送りにできる力を沖縄女性は持っていると認識すべきだと書いたことに対して、激しく非難してきた。また他の手紙は、あたかもそれによって米国人が罪から開放されるかのように、沖縄県民や日本人男性も強姦をするのではないかとし、私にそれに対する反論を求めてきた。

 私はこれらの手紙の大部分に個人的に返信をしたが、同じような指摘が日本で公になされ、被害者の方が非難されているとは知らなかった。しかし、他人の性的嗜好をとやかく言うことはできないが、複数の男性の目の前で駐車場に停まっている車の上で合意の上の性交が行われることはまずないだろうというのが私の見解である。

 さらに、日本女性の多くが男性にコンドームの使用を望んでいることを知っており、この空軍軍曹ティモシー・ウッドランドが、彼の言う通り合意の上で性交をしていたにしては、避妊をした形跡はない。

 私が強調したいのは、女性がバーで酒を飲んでいるからといって強姦されることを望んでいるわけではない、という点である。しかし、多くの米軍兵士がそう思っているようである。ある手紙は、彼女を、自分の名も思い出せない、ミニスカートをはいた小さな「イエローキャブ」と記していた。沖縄に行けば、「イエローキャブ」が何を意味するのかすぐわかる。この小柄で派手な浮気女の多くは、ビッグマックと一緒にフライドポテトを注文することから先のことは全然考えられないのだから、私が彼女らを買いかぶりすぎているというのだ。

 また別の者はこう書いてきた。「私がこれまでにデートした、または友達として知っている日本の女の子は、人前でセックスすることに興味があると言っていた」。彼は、米軍基地周辺のバーに頻繁に出入りする沖縄の女の子は「Night Owl(夜更かしをする人の意)」と呼ばれているという。

 これらの手紙は性差別主義的で露骨だが、議論のために、彼らの主張の一部は正しいと仮定してみよう。そう考えたとき、それは米軍の56年間にわたる沖縄駐留によって、沖縄の環境だけではなく、沖縄のモラルをも低下させたのだといえる。本土の日本人が、自分たちの妻や娘たちから遠く離れた沖縄に、米軍基地の大半が置かれているため安心しているのも無理はない。

 沖縄駐留の米軍基地が犯している真の罪は、数人の兵士による強姦や醜い事故などにあるのではない。真の罪は、これらの基地が沖縄本島の5分の1を占め、危険な化学物質による汚染をもたらし、まともな都市開発計画を妨げていることにある。また、沖縄県民が繰り返し基地の縮小、あるいは他地域への移転を試みながら、それがことごとく日米両政府に妨害されてきたことにある。

 7月23日、米国務長官のコリン・パウエルは「米軍のプレゼンスを沖縄から取り除くことはできない」といった。彼は米軍がそこにいられるのは、日本人のお情けによってだということを忘れている。もし日本人が、フィリピンが1992年に行ったように米国へ撤退要求を突きつければ、米国はそれに従う以外ないのだ。

 しかし、日本政府がそうする可能性は低い。なぜならそれは間違いなく日米安保条約の解消につながり、それによって世界における日本の役割の再定義、さらにはおそらく日本国憲法第9条の改正が伴うからである。

 ブッシュ政権は現在日本政府に改憲を迫っているが、それが日本における米軍プレゼンスに、どのような結果をもたらすかをよく考えていないことは確かである。

 私に手紙をよこした何人かも同様の指摘をしており、もし米国が沖縄基地を手放せば、ただ日本人がそこを利用することになることは明らかである。これは疑いようもない真実である。嘉手納のような広大な空軍基地が水田に戻される可能性は少ない。広大な住宅は沖縄の民間人用となり、贅沢なゴルフ場、遊び場、映画館、その他基地が開発したものは、沖縄の観光産業を伸ばすために活用されるだろう。

 もしパウエル国務長官が正しく、米軍基地が沖縄に駐留し続けるのであれば、1960年以来改定されていない日米地位協定の内容は再吟味されるべきであろう。この協定があったために、強姦事件のウッドランド容疑者の引き渡しが1週間遅れたからである。

 1993年に改正された独米地位協定のもとでは、米軍と基地は基本的にドイツの法律下に置かれる。これは、いかなる米軍容疑者をもドイツ警察が逮捕できるというだけでなく、許可も随行員もなく、ドイツ警察が米軍基地内に入れることを意味する。沖縄では、地元当局者は事前許可なしには、たとえ汚染や化学物質の漏洩を調べるためでも、米軍基地への立ち入りは許されない。

 沖縄県民の不満が募り、そのモラルが低下したのは、これらの問題に対して嘆願、抗議デモ、そして県民投票をしたにもかかわらず、基地の状況が一向に改善しないのを目にしてきたからである。米国人が頭越しに東京の中央政府と交渉を行い、米国も日本政府も、基地は国家問題であって、地方の問題ではないと主張する。日本本土の国民と政府に、沖縄県民の問題を自分たちの問題として取り上げてもらうには、いったいどうすればよいのだろうか。

 残念だが、もう一度悲劇が起きなければだめであろう。1956年6月30日、米軍機が沖縄に墜落し、11人の小学生が死亡し121人が負傷した。校舎の一部と、近隣25世帯の家屋が被災した。学校や住宅と基地が隣り合っていることを考えれば、このような事故が繰り返し起きることは避けられないであろう。

 もう1つ、もっと背筋の凍る予測もある。日本国民を奮起させるだろうそれは、民間航空機の事故である。沖縄上空および周囲の空域は、米軍飛行管制塔の管理下にある。彼らの設備は老朽化しており、軍用機と多数の民間機の交通量に対処するには訓練が不十分だといわれている。計器の故障によって、米軍用機が観光客を満載した日本の民間機の飛行経路に送り込まれることも想像に難くない。たとえどんなに執拗に米国が謝罪しようとも、こうした事故が起これば、日本人の怒りをなだめることはできないであろう。