今回のOur Worldは、今週と来週の2回にわけて、月刊誌「Voice」(PHP研究所)11月号に掲載された私の記事をお送りします。これは同誌から、小泉政権が進めている構造改革についての意見を求められ、それをまとめたものですが、私の提案が、現在政府がとろうとしている方策はもちろん、多くのエコノミストや財界トップの考えとも、完全に異なるものであることは十分承知しています。それらをかんがみたうえで、あえて、私はこのような提案をしています。現在のシステムに手を加えることは、そのシステムから多くの利益を得ている権力者たちからの反対を受けることは目に見えているからです。しかし、国民の幸福を基準にせずに、経済のために国の政策をとり続けるのであれば、日本という国の将来が暗澹たるものとなることが明らかなことも事実なのです。皆様からのご意見をお待ちしております。
【生産の99%は国内で消費しなければならない】
なぜ日本に構造改革が必要なのか。その理由としていわれているのは、世界的な大競争時代のなかで日本だけが乗り遅れ、このままでは日本の経済が衰退してしまうということである。
私から見ると、日本人がやろうとしていることは実に愚かとしかいいようがない。たとえば、隣の人が高いビルから飛び降りたとき、自分が飛び降りていないのを「遅れている」というだろうか。あるいは、隣の人が馬鹿なことをやっていたら、自分も馬鹿にならないと「遅れている」のか。おそらく日本人は、自分がやってきたことが正しいかどうかの判断ができないから、周囲と同じことをやらなければ「遅れている」と思ってしまうのではないか。
日本人はすぐに国際競争力という言葉を出す。それ自体がそもそもの誤りである。なぜならば、まず第一に、日本のGDPの99%は国内経済であり、国際部門は1%でしかない。政府が発表するGDPを分析すればわかることだが、その60%は国内の個人消費、30%は設備投資などの先行投資、9%が政府部門の社会消費、そして残り1%が輸出から輸入を引いた純輸出である。
この純輸出が国際部分だが、これを分解すると、10%が輸出、9%が輸入となる。輸出を中心とする会社からすれば、円安になるほうが輸出しやすい。円安になれば経済の10%はうまくいくわけである。しかし、輸入の9%は不利になる。となると円安の効果は経済全体の1%にしかならない。にもかかわらず、政府は必死で円安へ誘導しようとする。それもやはり「国際競争力」のためである。
国内消費の観点からいえば、いまデフレによってモノが余っている状態であり、個人消費が伸びないといわれている。10%が輸出であるならば国内で製造した9割を国内で消費すればよいのかというと、そうではない。輸出をすればするほど輸入の要求は強くなる。たとえば自動車を海外に売るほど、農産物の輸入規制の撤廃が求められることになり、コメやオレンジを買わなければいけなくなる。
結局、99%は国内で消費しなければならないのである。この現状を踏まえると、「国際競争」に固執する必要はないことがわかる。重要なのは国際部分ではなく、99%を占める国内経済である。そのくらいのことは誰でもわかるはずなのだが、なぜ日本は国際部分にこだわるのか。
その理由の一つは、輸出の52%を上位30社が占めていることに関係すると思われる。この上位30社は財界を握っており、政治献金によって政治を握っている。また、広告でマスメディアを握っている。したがって、財界も政治もメディアも、この30社のためになることしかいわないのではないか。
輸出が重要だといわれる理由としてはもう一つ、日本は多くの資源を輸入しなければならず、輸入をカバーするためには輸出が必要だという見方がある。確かに日本には石油をはじめ輸入が不可欠なものもあるだろう。しかし、今年と昨年の輸入額38兆円の内訳を見てみると、輸入する必要がないものもかなりある。
たとえば食料品である。食料品を輸入すれば自給率は低下し、国の独立性が損なわれる。したがって、食料品は輸入するよりも自給率を向上させることを考えるべきである。オレンジが入ってこなくてもミカンを食べればいいし、パパイヤがなくても日本のブドウを食べればいい。パンの代わりにコメを食べる。これが国の独立性を確保することにもなる。
私が見たところ、日本の現在の輸入のうち必要だと思われるものは4割程度しかない。6割は余計な輸入である。とすれば、現在の輸入はGDPの9%であるから、本来ならばGDPの3.6%程度の輸入で足りる。輸出が輸入をカバーするために必要だとするのならば、輸出は4~5%しか要らないという話になる。
つまり、正常な経済になれば国際部分は1%よりもさらに少なくてよいのである。国際化であるとかグローバリゼーションを強調するのは、上位30社が儲けるための詐欺だと考えたほうがよいのではないか。
【談合、終身雇用、年功序列でも生産性は高い】
仮に国際競争力が必要だという前提に立った場合でも、いま日本政府がやろうとしている構造改革は誤りといわざるをえない。
もし日本がほかの国と比較して生産性が低い国であるならば、日本独特の終身雇用や年功序列、談合といったものに原因があると考えられるから、それを排除しようというのも納得できる。では、実際に日本の競争力は低いのか。世界で一人当たりの生産性がもっとも高いのは日本である(一人当たりのGDP)。談合や終身雇用、年功序列、政府規制を行っている国の生産性が他の国よりも高いのである。この構造を改革するということは、日本の生産性を低くすることにほかならない。
いまいわれている日本経済の問題点の一つに、中小企業がバタバタと倒産していることがある。なぜ倒産するのかというと、中小企業にお金が回らないからであり、それは銀行が貸さないからである。
銀行の貸し渋りが顕著になったのは、金融を国際化すべきだといってビッグバンをやってからである。これはデータを見ても明らかで、今年7月は、ビッグバン直後の98年7月より72兆円も貸し出しが減少している。ビッグバン以降、日本の銀行は国内の企業に融資をせずに海外に投資するか、海外で株や通貨の売買をしたり、デリバティブを買ったりしている。日本の銀行は日本人の貯蓄を日本人のために使わずに、海外に持ち出して自分たちだけが儲けているのである。これは当時首相だった橋本龍太郎氏の政策による。
いま銀行が困っているというのはまったくのウソである。銀行は日本国内に入れる資金を減らして海外で稼いでいる。その結果として、国内の経済を低迷させているのが実態である。
いま下落し続ける株価を支えるためにさまざまな策が検討されているが、日本人の収入は株から得ているのか、それとも賃金から得ているのか。大多数の日本人は賃金が収入源のはずである。にもかかわらず、なぜ政府は株にこだわるのか。
結局、政府は日本経済をよくするとか、日本人全体のためではなく、一部の利害関係者のために構造改革をしようとしているだけなのである。たとえば、金持ちの税金を低くして、消費税を増やそうとしている。企業が社員のクビを切るのを奨励している。GDPの6割が国民の消費であるのだから、消費税を増やせば増やすほど、国民が失業して所得は減少し、経済が悪くなるのは当たり前である。
不良債権処理にしても、銀行がでたらめな貸付をして失敗したら国民のお金でカバーしている。失敗したら本来つぶれるべきなのに、失敗の責任は問われない。いまいわれている自由競争や市場原理の本当の意味は、自由に競争して勝ったときには自分の儲け、失敗したら国民の負担にするということである。一般の中小企業や個人が、バクチをしすぎて負債を抱えたときに、銀行にいってお金を貸してくれといっても貸してもらえるはずがない。しかし、銀行が政府にいえば貸してもらえるのである。
もし、日本経済全体のためには銀行をつぶせないから国の資金を入れるというのであれば、銀行員に高い給料や年金を払うべきではない。郵便貯金と同じように国有企業とすべきだろう。ところが、銀行はたくさんの天下り先を財務省に提供しているうえ、政治家にはいちばんの政治資金を提供しているから、絶対にそうはならない。つまり特別扱いされる銀行は、財務省と政治家が裏で支えていると解釈できるのではないだろうか。
【許可を得て転載】