今回は、同時テロ事件直後に書かれた分析をお送りします。インドに住む小説家、アルンダティ・ロイによる記事です。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
2001年9月29日 『ガーディアン』紙
アルンダティ・ロイ
9月11日の国防総省および世界貿易センタービルへの考えられない自爆攻撃の後、米国のニュース番組の司会者は、「この事件ほど善悪がはっきりしていることはない。我々の知らない人間によって、我々の知っている人々が虐殺されたのである。しかも、それに嘲笑的な快楽を感じて」といって泣き崩れた。
問題はここにある。テレビにあまり登場しないがため、よく知りもしない人々を相手に、米国が戦争を開始した点である。米国政府は相手をきちんと特定する前に、あるいは敵がどのような相手かを理解する前に、突然公に困惑するような説明つきで、反テロの国際的連帯を作り上げ、陸・海・空軍を動員すると同時に、メディアを味方につけ、戦争を開始した。
ただしいったん戦争を開始すれば、敵と戦わずして戻ってくることはできない。もし敵が見つからなければ、激怒する米国人のために敵を仕立て上げなければならない。いったん戦争が始まれば、それ自体が戦争へ向けた勢いや論理、理屈を生み出し、そのうちに一体なぜ戦争を開始したのかという本来の目的を見失うことになる。
我々が今、目にしているのは、世界最強の国が反射的かつ怒りにまかせて、新種の戦争を戦わねばならないという「生来の性向」に向かっている光景である。しかし突然、自国の防衛ということになれば、米国の最新鋭の軍艦や巡航ミサイル、F-16ジェット機は、時代遅れの無用の長物でしかない。核弾頭も、もはや何の抑止力にもならない。新世紀の戦争の武器はカッターや折りたたみ式小型ナイフ、激しい怒りである。怒りは税関の目にも荷物チェックをも引っかからず、すり抜けてしまう。
米国は誰と戦っているのか。9月20日、FBIはハイジャック犯人の身元を特定することはできないと発表したが、同日、ブッシュ大統領は「ハイジャックの犯人が誰なのか、またどの政府が彼らを支援しているのか、我々はきちんと把握している」と述べた。FBIや米国民が知らないことを大統領は知っているということのようだ。
9月20日、ブッシュ大統領は米議会で、米国の敵は自由の敵であると発言した。「米国民はなぜ彼らが自分たちを憎むのかと尋ねるが、それは彼らが我々の自由を憎んでいるからだ。信仰の自由、言論の自由、投票や集会の自由、個人の意見を尊重する自由を憎んでいるからだ」とブッシュは答えた。米国民はここであえて2つのことを信じるよう求められている。1つは、政府が敵だという相手を自分たちの敵だと信じること。ただし政府の主張を裏付ける確固たる証拠は何もない。もう1つは敵の動機が、政府の説明通りだと信じること。ただし、これについても証拠はない。
米国政府は戦略的、軍事的、経済的理由から、攻撃に晒されているのは、米国の自由および民主主義に対するコミットメント、さらに米国式生活であると国民に信じ込ませることが必要不可欠である。悲しみや怒りがこれほど激しい今なら、そう信じ込ませるのもたやすいことである。しかし、それが真実であったとしても、なぜ自由の女神ではなく、米国の経済と軍事の象徴である世界貿易センタービルと国防総省が標的にされたのかを考えてみてもよいだろう。今回のテロにつながった陰鬱な怒りの根源は、米国の自由や民主主義にあるのではなく、それとはまったく逆のものに対する米国政府のこれまでのコミットメントや支持にあるとは考えられないだろうか。例えば、米国政府が国外でこれまで行ってきた軍事、経済テロ、反乱行為、軍事的独裁、信仰の制限、想像もつかない虐殺などである。一般の米国人にとって、特に家族や知人を失ったばかりの米国人にとって、涙であふれる目で世界に目をやり、自分たちとは無関係に思えることに直面するのは難しいに違いない。しかし、それは無関係などではなく、これから起こることの前兆である。前兆に気付いていれば驚きはないはずだ。言い古されたことだが、我が身から出るものはいずれ我が身に降りかかるということである。米国民は、これほど嫌われているのは自分たちなのではなく、政府の政策であることに気づくべきである。一般の米国民は、自分自身や偉大な音楽家、小説家、俳優、スポーツマンや映画が世界中で歓迎されていることを信じて疑わない。同時テロ以降、消防士や救助隊、一般の会社員などが示した勇気や慈悲に、すべての人が心を動かされた。
今回の事件に対する米国の悲しみはあまりに大きく、広く共有されている。その苦悩を調整するよう求めるのは非常に残酷である。しかし、ここでなぜこのテロ事件が起きたのかを理解しようとせずに、世界の悲しみに代わって、米国だけの悲しみを押し付け、その復讐を求めるのは愚かである。なぜならば、そうなると我々も厳しい質問をし、激しい言葉を吐かざるを得なくなるからである。自分たちの苦痛とタイミングの悪さゆえ、我々は嫌われ、無視され、おそらく最終的には抹殺されることになるだろう。
世界はおそらく、なぜハイジャックの犯人が米国の主要な建物に飛行機を衝突させたのか、その動機を知ることはないであろう。攻撃は栄光のためではない。遺書も政治的メッセージも残されていなかった。さらにいまだどの組織もこの攻撃への関与を認めていない。我々が知っていることは、自分たちの行動に対する彼等の信念が、生きたいという人間の本能や、記憶にとどめてもらいたいという願いを超越したということだけだ。それはまるで、彼らの怒りの大きさをその行動で印象づけているかのようだ。彼らが行ったことは、我々が知っていた世界に1つの風穴をあけた。情報が不足している時、政治家、政治評論家、また私のような文筆家は、その行動に、自分の目的や見解を加える。こうしたテロが起きた政治的環境を推測したり、分析したりすること自体は良いことにつながる。
しかし戦争は不意に出現する。そのため、言い残したことがなんであれ、早急に述べなければならない。米国が反テロの国際連帯の指揮をとる前に、また他の国に、まるで神の使命であるかのように不朽の自由作戦(当初、無限の正義作戦と呼んでいたが、アラーだけが無限の正義を与えると信じるイスラム教徒への侮辱となることから改名された)に積極的に参加するよう誘う(威圧する)前に、いくつかの点を明確にすべきである。無限の正義(不朽の自由)作戦は誰のための作戦なのか。これは、米国のテロに対する戦争なのか、テロ一般に対する戦争なのか。ここで復讐の原因となっているのは何なのか。それは、約7,000人の命と、マンハッタンの500万平方フィートにわたるオフィススペースの壊滅、国防総省の一部破壊、何十万人もの失われた職、航空会社の倒産、ニューヨーク株式市場の下落に対する報復なのか。それともそれ以上のものなのか。1996年、当時のオルブライト国務長官は、米国の経済制裁の結果、イラクの子供たち50万人が死亡している事実についてどのように感じるかについてテレビで質問を受けた際、「極めて困難な選択だが、すべてを考慮するとそれだけの犠牲を強いるに値する」と答えた。オルブライトはこうした発言をしても国務長官の職を失うことなく、世界を訪問し、米国政府の見解および野望を伝え続けた。イラクへの制裁も、子供たちの死も、今なお続いている。
そこで我々はこう説明する。文明と野蛮、あるいは罪のない人の虐殺(もしくは文明の衝突)と付帯的損害(軍事行動によって民間人が受ける人的および物的被害)というあいまいな違いであると。無限の正義というのは詭弁であり綿密な計算でもある。いったい何人のイラク人が死ねば世界はよい場所になるのか。また死亡した米国人1人に対して、アフガニスタン人を何人殺せばよいのか。1人の男に対して、何人の女、子供が死ねばよいのか。投資銀行家1人に対して何人のムジャヘディン(イスラム教徒ゲリラ)が何人死ねばよいのか。我々が催眠術にかけられている間に不朽の自由作戦が世界中のテレビ画面に映し出される。世界の超大国連合は、世界で最も貧しく、荒廃し、戦争で打ちひしがれた国、アフガニスタンに近づいている。アフガニスタンを支配するタリバン政府は、9月11日の攻撃の首謀者とされているオサマビン・ラーデンをかくまっているからだという。
唯一アフガンで付帯的価値と考えられるのは、その国民だけである。(その中には50万人の不具の孤児も含まれている。遠く離れた交通手段のない村に義足を空中投下すると、びっこを引いた人々が殺到するという話もある。)アフガニスタン経済は荒廃している。事実、侵攻軍にとって問題は、軍事地図にかけるような従来の座標や道標がないことである。大都市も高速道路も、工業地帯も、浄水所も何もない。さらに農場は巨大な墓地と化していた。地方には地雷が埋められており、その数は最新の推定で1,000万個にのぼる。アフガンに侵攻するために米軍は、まず地雷を取り除き、道路を敷設する必要がある。
米国からの攻撃を恐れて、100万人の市民が家を離れ、パキスタンとアフガニスタンの国境に移動した。国連の推定では、緊急援助を必要としているアフガニスタンの国民が約800万人いると見られている。食料や援助組織は物資が底をつくと退去を命じられ、BBCは、現代で最悪の人道的災難が起こり始めたと報じている。これが新世紀の無限の正義である。民間人は殺されるのを待つか、餓死するかのどちらかである。
米国では、アフガニスタンを爆撃し石器時代に戻してしまえ、といった荒っぽい発言が聞かれる。アフガニスタンは以前から存在していたことを誰か報じて欲しい。さらに慰めがあるとすれば、米国はこの国を独自のやり方でかなり支援してきたということだ。米国民にはアフガニスタンがどこにあるのかもはっきりしないかもしれないが(同国の地図が大売れだそうだ)、米国政府とアフガニスタンは旧友である。
1979年、ソ連がアフガニスタンに侵攻した後、CIAとパキスタンのISI(インター・サービス・インテリジェンス)はCIA史上最大の秘密工作を開始した。彼らの目的はアフガニスタンのソ連に対する反抗を利用し、それをイスラム教の聖戦まで拡大し、ソ連邦内のイスラム国家をソ連に敵対させることで、最終的にはソ連の存続を危うくすることにあった。この秘密工作が開始された時、ソ連におけるベトナム戦争化を意味したが実際にはそれ以上となった。長年の間にISIを通じて、CIAは米国の代理戦争の兵士として、イスラム国家40ヵ国から約10万人の過激な戦士ムジャヘディンを雇った。このイスラム戦士たちは、彼らの聖戦が実際には米国の代理戦争であることに気づいていなかった。(皮肉なのは、米国も同様に、これが将来、彼らが自国に反旗を翻すことになるとは思ってもいなかった点にある。)
1989年、10年間にわたる戦闘で血を流したロシアは撤退し、後には瓦礫と化した文明だけが残った。
アフガニスタンでは内戦が続いた。聖戦はチェチニア、コソボ、そして最終的にはカシミールに波及した。資金や武器を注ぎ込み続けたCIAの負担は莫大になったが、さらに多くの資金を必要とした。イスラム戦士は農民にアヘンを栽培し革命税として納めるよう命じた。ISIはアフガニスタンに、ヘロイン研究所を何百ヵ所も設立した。CIAの到着から2年以内に、パキスタンとアフガニスタンの国境地帯は世界最大のヘロイン生産地となり、米国への世界最大の供給地にもなった。1,000億ドルから2,000億ドルといわれているヘロインの年間収益は兵士の訓練および装備に回された。
1995年当時は、危険で強硬な原理主義者のほんの一部に過ぎなかったタリバンが、内乱を通じて、アフガニスタンの政権を勝ち取った。タリバンを資金援助したのはCIAの昔の仲間であるISIであり、パキスタンの多くの政党が支援した。そしてタリバンは恐怖政治を開始した。最初の犠牲者となったのは自国民であり、特に女性である。女子校を閉鎖し、政府の仕事から女性を締め出し、シャリーアと呼ばれる法律を施行した。この法律のもとでは、不品行とされる女性は石打の刑に処され、また不義を犯した未亡人は生き埋めにされる。タリバン政権の人権に関する記録を見ると、戦争になろうが、国民の命が危険に晒されようが、タリバン政権が怖気づくことはほとんどないであろう。
またタリバンが米国の脅威に屈することがあったとしても、アフガニスタンを再度滅ぼすために、ロシアと米国が手を携えるということ以上の皮肉があるだろうか。問題はすでに崩壊しているものをさらに崩壊することができるかということである。アフガニスタンをさらに爆撃したとしても、瓦礫をひっくり返し、古い墓を掘り起こし、死者の平穏を乱すだけである。
アフガニスタンの荒廃した光景は、ソ連の共産主義が墓場と化したこと、さらには米国支配による一極世界へ向けた出発点を意味した。さらにこれでやはり米国支配の新資本主義と企業によるグローバル化のお膳立てもできあがった。そして今度、アフガニスタンは、米国のためにこの戦争を戦い、勝利した、あのいかがわしい兵士たちの墓場になろうとしている。
米国にとって信用できる同盟相手とは誰なのか。パキスタンも莫大な被害を受けた。米国政府は、パキスタンに民主主義の概念が根付くのを阻む軍事独裁者を積極的に支援した。CIAが来る前、パキスタンにはアヘンの小さな市場が辺鄙なところに1つあるだけだった。1979から1985年に、ヘロイン中毒の数はゼロから150万人に増えた。9月11日以前でさえ、国境近くのテントで暮らすアフガン難民の数はすでに300万人に達していた。パキスタン経済はずたずたである。宗派争い、グローバル化の構造調整プログラム、麻薬支配などによって粉々に引き裂かれている。ソ連との戦いの準備のため設立されたテロリスト養成センターおよびイスラムの高等教育施設が、国全体を竜の歯のように覆い、パキスタン内に、極めて人気のある意見を持った原理主義者たちを送り出している。パキスタン政府が長年にわたり支援し、資金援助してきたタリバンは、パキスタンの政党と実質的、戦略的同盟関係を結んでいる。
現在、米国政府は、パキスタンに対し、長年にわたり影で育ててきたお気に入りのタリバンを失脚させるよう依頼している。米国への支持を表明したムシャラフ大統領は、これが内戦に等しいことに十分気づくであろう。
インドは、その地理的位置と過去の指導者のビジョンのお陰もあって、今のところ、この偉大なゲームに参加せずにすんでいる。インドが引きずり込まれるようなことがあれば、米国の民主主義は生き残り得ないであろう。今日、何人かが恐怖の中で目にしているように、インド政府は米国に対し、パキスタンではなく、インドに拠点を置くよう懇願している。パキスタンのみすぼらしい運命をリングサイドで観戦しておきながら、インドがそれを望むことはおかしいどころか、考えられない。脆弱な経済と複雑な社会基盤を持つ第三世界は、一時的であろうが、永続的であろうが、米国のような超大国を自国内に引き込むことは、風除けからレンガを投げ込まれるのを奨励するようなものであることにもう気付いてもよいだろう。
不朽の自由作戦は、表面上は米国人の今の生活様式を守るための戦いであるとされている。おそらく最終的には完全に自由を貶めることになるだろう。これにより世界中により多くの怒りと恐怖が巻き散らされる。一般の米国人にとって、恐ろしく不確実な環境での生活を意味する。自分の子供は学校で安全なのだろうか。地下鉄で神経ガスをまかれたら、映画館に爆弾を投げ込まれたらどうすればよいのか。愛する人は今晩帰宅するのか。天然痘や腺ペスト、炭疽菌といった生物戦争の可能性についても警告が出されている。農薬散布の飛行機でこれらをまかれたら致命的である。じわじわ攻撃されるよりも、核爆弾で一挙に絶滅させられた方がまだましかもしれない。
米国に限らず、世界中の政府は、戦時中であることを理由に、市民の自由を奪い、言論の自由を否定し、労働者をレイオフし、少数民族を攻撃し、他の公的支出を削減しては軍事費を増大させるであろう。しかし、その目的は何なのか。ブッシュ大統領は世界を聖人で埋めることができないのと同様、世界から悪人を完全に取り除くことはできない。米国政府が暴力と抑圧でテロを駆逐できるなどと考えること自体ばかげている。テロは徴候であり、疾病そのものではない。テロには国境はなく、コーラやペプシ、ナイキ同様、多国籍組織である。したがって問題になるとまず思われるのは、目的を果たせば、よりよい条件を求めてどこにでも「工場」を移動させることができる、ということである。まさに多国籍企業と同じように。
テロという現象は、なくなりはしないであろう。しかし、それを封じ込めようと思うなら、まず最初に、米国が少なくとも他の国や人間とこの地球を共有していることを認めることである。テレビで報道されることはないかもしれないが、他の諸国や国民にも、愛も悲しみも、物語や歌も不幸もあり、特に同じ権利も有することをどうかわかって欲しい。しかし、米国のラムズフェルド国防長官は、この新しい戦争で何を勝利と呼ぶかとの質問に対して、米国がこれまで通り米国流の生活を続けられることを世界に認めさせることができれば、それを勝利と呼ぶだろうと答えた。
9月11日の同時テロは、極めて間違った方向に進んだ世界からの、恐ろしい警告だった。そのメッセージはビンラーデンにより書かれ(誰がそれを証明できるだろう)、彼の特使によって運ばれたものかもしれないが、米国が起こした戦争の犠牲者の亡霊によって署名が加えられた可能性は十分ある。韓国、ベトナム、カンボジアで命を失った何百万人もの犠牲者、1982年、米国が支援するイスラエルがレバノンに侵攻した際に殺された17,500人の犠牲者、砂漠の嵐作戦で死んだ20万人のイラク人、ヨルダン川西岸地区のイスラエルとの紛争で死んだ何千人ものパレスチナ人の亡霊である。ユーゴスラビア、ソマリア、ハイチ、チリ、ニカラグア、エルサルバドル、ドミニカ共和国では、米国政府が支援、訓練し、資金援助し、武器も供与したテロリスト、独裁者、虐殺者によって、何百万人もの人々が殺された。なお、ここで挙げた例はほんの一部に過ぎない。
多くの戦争や紛争に巻き込まれてきた国から見れば米国民は極めて恵まれている。9月11日の攻撃は、ここ100年間で米国本土に対して行われた2度目の攻撃に過ぎなかった。最初は真珠湾であった。真珠湾の報復は長い道のりだったが、広島と長崎で終結した。今回はいかなる恐怖が起こるのか、世界は固唾を飲んで見守っている。
オサマ・ビンラーデンが存在しなかったらどうなるのかと誰かがいった。米国は彼を作り出さなければならない。しかし、ある意味で、彼をもともと作り出したのは米国である。ビンラーデンはCIAがアフガニスタンで活動を開始した時に、アフガニスタンへ移動した聖戦のための戦士の1人であった。ビンラーデンはCIAによって作り出されたにもかかわらず、FBIに追われるという特異性を持つ。同時テロから2週間以内に、ビンラーデンは容疑者から最重要容疑者となり、確かな証拠がないにもかかわらず、「生死にかかわらず指名手配」とされた。
すべてを総合して考えると、ビンラーデンと9月11日の同時テロを結びつける証拠(法廷での吟味に耐えられるもの)を用意するのは不可能である。これまでに彼を有罪とする最も強い証拠は、ビンラーデンが同時テロの犯人を批判していない、ということくらいである。
ビンラーデンの拠点や生活状態を考えれば、彼が自ら攻撃を計画し、実行せずとも、持株会社に対するCEOの立場のように、テロを煽動する結果になった、ということは十分考えられる。米国からのビンラーデン引渡し要求に対するタリバンの反応はごく当たり前であり、「証拠があれば、引き渡す」というものである。それに対するブッシュ大統領の答えは「交渉の余地なし」だった。
(CEOの引渡しについていえば、インドは米国のウォーレン・アンダーソンの引渡しを求めることができるだろうか。彼は、1984年、インド、ボパールのユニオンカーバイドのガス漏れで16,000人の死者が出た時、ユニオンカーバイドの会長であった。必要な証拠をすべて集めたので彼を引き渡してくれと、インドが米国に要求できるのだろうか。)
実際、オサマ・ビンラーデンは誰なのか。いったい何者なのか。彼は米国にとっては家庭の秘密に等しい。彼は、米国大統領の、暗い分身なのである。この残忍な双子のかたわれは美しく、洗練されているとされる。彼は、米国の外交政策の後に取り残された荒廃した世界から形成された。米国の外交政策とはすなわち武力外交、核弾頭、卑しくも言葉に表された「完全支配」、米国人以外の命に対する冷淡な無視、野蛮な軍事介入、専制・独裁政権に対する支持、イナゴの群れのように貧しい国の経済に食いつく無慈悲な経済政策などである。その略奪的な多国籍企業は、我々が息する空気や足にしている地面、さらには飲み水や思考までをも奪い取っている。しかしその家族の秘密が暴露された今、双子は互いに1つになり、見分けがつかなくなっている。拳銃や爆弾、金や麻薬が両者の間を行き交っている。(米国のヘリコプターを迎え撃つであろうスティンガー・ミサイルは、CIAが供与したものである。米国の麻薬中毒者が使うヘロインはアフガニスタン産である。ブッシュ政権は最近、麻薬撲滅運動のため、アフガニスタンに4,300万ドルの援助を行った。)
ブッシュとビンラーデンは互いに同じ表現を使い始めた。両者は、神を引き合いに出しては、過去1000年にわたり使われている、善悪に関するあいまいな表現で、互いを「蛇の頭」と呼び合っている。また両者は明らかに政治犯罪を冒している。また二人とも危険な武器を持つ。一方はうんざりするほど強力な核弾頭を、またもう一方は、まったくどうしようもできないほど見事で破壊的な力を持っている。火の玉とアイスピック、棍棒と斧のような違いである。忘れてはならない重要なことは、両者ともに相手に取って代わられることを絶対に認めないということだ。
ブッシュ大統領の世界に対する最後通牒は、「我々の味方でなければ、敵ということだ」と生意気で傲慢な言葉だった。これは人々が自ら望み、必要とし、またそうすべきであると考える選択ではない。