No.502 顔のないテロと付帯的損害

今回は、ニューヨーク在住の音楽家、坂本龍一氏より、氏の運営しているWebサイトにテロ事件についてのコメントを依頼され用意した原稿をお送りします。(氏のページには紙幅の関係で一部だけを送りました。)

 自分にはまったく存在を確認できない飛行機や船から爆弾やミサイルが降ってきて、その犠牲になったり、その危険に晒される恐怖を想像できるだろうか。そうした爆弾やミサイルによって民間人の命を奪うことを「顔のないテロ」という以外、何と表現できよう。

 米国の法律によれば、テロとは、「非戦闘員を標的とし、計画的かつ政治的動機に基づき行われる暴力行為」と定義される。

 その定義に米国の行動を照らし合わせて考えてみて欲しい。まず日本に対して、米国政府は、1945年、太平洋戦争を米軍の犠牲を最小限にかつ最短で終結させたいという政治目的から、日本の都市を計画的に空爆した。それ以降も米国は計画的、かつ政治的動機から、20ヵ国以上の国々を爆撃し、何百万人もの民間人の命を奪っている。

 こう考えると、米国は自国の法定義に照らし合わせても、これまでで最大のテロリストということができる。

 これまで米国が行った、政治的動機に基づく、かつ計画的な非戦闘員に対する爆撃が、世界のあるいはそこに住む人々の安寧や幸福につながったことがあっただろうか。
 私が第一に望むことは、米国が、「顔のないテロ」と呼ぶ自国に向けられたテロの犠牲者に対するのと同じだけ、他の諸国に対して行った爆撃やミサイル攻撃の「付帯的損害」(軍事行動によって民間人が受ける人的および物的被害)に対しても懸念や配慮を示してほしいということだ。

 私の第二の願いは、米国の建国の父たちが掲げた理想から、米国人がいかに遠く離れてしまったかということに米国民自身に気付いてほしいということだ。ニクソン、カーター、レーガン、クリントン、ブッシュといった最近の米国の大統領が示した行動や言葉は、ジョージ・ワシントンやベンジャミン・フランクリン、トマス・ジェファーソン、ジェームズ・マディソンといった米国建国当初の大統領のそれとは対極にある。その1つの結果が、世界で最も愛され、尊敬される国家から、最も憎まれ蔑まれる国への転落であると私は考える。

 テロを止めさせる最善の方法は、過去最大のテロ国家である米国が「顔のないテロリスト」の立場を自ら捨てることである。少なくとも、米国やその同盟国が報復を受けることになるような行動や発言を慎むべきである。