No.505 グローバル化という名の戦争(1)

今回から3回にわたり、オーストラリア国立大学の教師、マイケル・マッキンレーが2001年2月23日に、イリノイ州シカゴで開かれた国際論協会第42回年次大会で発表した論文の抄訳をお送りします。この論文は、新しい貧富の差の特質およびその規模について触れるとともに、グローバル化が理論も実践も、大きな戦争に匹敵する破壊力を持つと述べています。なお、英文で全文をお読みになりたい方は、下記のURLをご参照下さい。

http://www.isanet.org/archive/McKinley_Triage.html (原文タイトル:”Triage: A Survey of the New Inequality as Combat Zone” 選択:戦闘地域としての新たな格差の調査)  皆様からのご意見をお待ちしております。

グローバル化という名の戦争(1)
マイケル・マッキンレー
 
新たな貧富の差

 新しい貧富の差は世界的に見られ、他の点では豊かな国のすべての階級を、さらには国全体、大陸全体を、回復の見込みのない貧困と困窮に追い込んでいる。

 深刻な貧富の差に関する情報は数多くあるが、情報が増えれば増えるほど、それを改善できる立場にある人の意欲は減退し、現実には、10億人といわれる裕福な人々が世界の貧困者人口50億人のニーズに対応するかどうかについては、その場しのぎのことを行う以上に真剣に取り組むだろうという、信頼できる予測がなされる根拠はまったくない。

 また、アフリカやラテンアメリカにおける国際通貨基金(IMF)や世界銀行のプログラムや政策で起きた悲惨な経済的失敗および人道的不幸の歴史から見ても、さらにはWTOの組織的保護のもと、略奪的資本主義の必然性によって経済がグローバル化しているという現実から考えても、この新たな貧富の差を改善するために必要な、先例のない徹底的な富の再分配がなされることは期待できない。IMFの元専務理事カムデシュが、一代の犠牲を必要とするかもしれない「第二世代の改革」を起こす時は近いと発言したことからも、望みはほとんどないことがわかる。なぜなら、彼がやりたかった政治経済的な考え方や行動によって、アフリカやラテンアメリカの荒廃が慢性化していることを彼は熟知していたし、アジアの急な金融危機が一番最近の先進国によるコントロールに対しての反発であることをよく知っていながら、1998年、第二世代の改革を提案したからである。

グローバル化は人間と社会に対する企業の戦争である

 したがって、新たな攻撃を行うという意図が存在していたことを承知していたことは少なくとも明らかだった。そしてその攻撃とは、以下に示す調査結果が示すように、一つの例外を除いて大きな戦争で行われる攻撃と見分けがつかない。その例外とは、したたかな戦略では、可能であれば複数の戦場で一度に戦うことを避けるのだが、この作戦の特徴は複数戦線どころかあらゆる戦場において、その地域の重要度に応じて激しい戦いが繰り広げられている点である。

 経済のグローバル化の理論と実践が、少なくとも大戦と同様の破壊力を持つという主張の根拠を立証するためには、関連のある状況やトレンド、起こりうる結果という観点から世界を検討する必要がある。もちろんそれらの多くは、冷戦後にグローバル化という言葉が流行する前に、グローバル化の勢力の結果としてもたらされている。それを洗い出すことにより、明白かつはっきりと理解できる、グローバル化という実践としての理論が世界に埋め込まれていることが明らかになるだろう。

 この洗い出しで明らかにされるのは、苦痛を伴ってきた世界のトレンドや手段、さらに全体的な状況である。主な犠牲者は民族、国家、社会、地域、そしてそれらを支え、様々な表現で個々人の生活に意義を与えてきた考え方である。それらに取って代わったのが、「合理的に行動する経済人」という中心的イデオロギーであり、自由な選択の中で決断するというよりも、意義のある関係や相互依存のない、単純化された不変の世界にただ反応する貪欲で孤立した個人という考え方である。

 しかし、これに平行して第二段階の攻撃を行ったのが第三次産業革命であり、これを煽ったのが発明と人類の工夫、構築と蓄積への普遍的野望であり、攻撃の触媒となったのは「コンピュータ」であった。コンピュータは、コミュニケーション、生産、マーケティング、流通のあらゆるレベルにおいてだけではなく、概念、管理、行政といった機能でもますます人間に取って代わっている。政府は存在し続けるが、その権力は再配分されている。国家が放棄した特定の政治経済的任務は、グローバル化のための、説明責任を持たない組織の保留権限となった。その代表的な組織が、世界貿易機関(WTO)、世界銀行、IMFである。これらの組織は今やアフリカの約30ヵ国の経済に対して、事実上の政府の役割を果たしている。さらに、北米自由貿易協定(NAFTA)などの無数の条約が自由貿易の原則に則って作られている。

 明確な価値観、消費パターン、社会構造、国家の形態を組み入れた、いわゆる「新資本主義」は、社会に独特な破壊的結果をもたらした。それは世界の政治経済に危機的状況として多数表れている。我々は過去における資本主義の初期段階、カール・ポランニー(経済人類学者、1886-1964)の第一期に逆戻りした。そこでは国家が現実の経済活動から手を引き、規制のない世界経済の動きに国家経済を順応させる役割になり下がる。ここで「規制のない」ということは、資本や財やサービスの動きを規制する国家の特権を放棄することを意味するが、労働者は特定の地域に留まったままであり、伝統的な国家の国境内に居住することに変わりない。この質的な変化を以下に続く議論を読み進む上で心に留めておいていただきたい。国際貿易は新しい現象ではないが、国家が主役の競争経済を含む資本主義的な政治世界から、国家は競争し合う政治的独立体であるものの、従属的な参加者に過ぎなくなった資本主義的な経済世界への転換である。それを理解した上で、経済のグローバル化という戦争は革命の性質を持つ。企業資本によって、またはその利益のために政府を動かす統治制度に国家は変質したのである。したがって、世界の主要経済の参加者が新資本主義は不可欠であり、人類の社会的、政治的、経済的生活を組織するための原則として受け入れるべきものであると信じていることが、戦争の原因となっている。

 この時点で、民族、国家、社会、地域だけではなく、国民国家の経済の概念や現実も犠牲者リストに含まれてくる。これは国民国家の経済が、急速に指示対象のない概念になりつつあるという事実のためである。ロバート・ライシュが1991年に書いたように、「金、技術、工場、設備といったほとんどすべての生産要因は簡単に国境を越えて移動できるため、米国企業、米国資本、米国製品、米国の技術という概念はもとより、米国経済という考え方自体、無意味になりつつある。同様の変化が他の国にも影響を与えている」

 経済のグローバル化の必要性を国家が正式に認めてしまえば、国家が多国籍(グローバル)企業を統制することは事実上不可能となる。なぜなら認めた時点で、国家はそれまで保持していた企業に対する統制能力を事実上すべて譲り渡したのと同然だからである。実際、この展開によって導き出された究極の商業組織は、仮想企業として知られている。この機転のきく企業は広く分散し、神経系の結節種や、脳に遠く離れた数多くの節が結ばれているのと似ているが、肉体のような中心となる実体はない。このことは、多国籍企業上位500社を見れば簡単に理解できる。この500社が製造品の輸出全体の33%、製品貿易の75%、技術や経営のサービス貿易の80%を占め、さらにこの数字は一貫して増加傾向にある。

 こうした点から考えると、企業内貿易といった現象やそれが事実を曲げていることも簡単に理解できる。つまりほとんどの国では、自国の企業ではない多国籍企業の子会社や関連部門が、すべての経済活動の4分の1を占めているということである。米国を例に取ると、企業が本社と子会社、あるいは関連部門と行う取引が、全輸入の40~50%、あるいは全輸出の35~40%を占めている。したがって、国家経済という言葉が無意味であることを理解するためには、企業の閉ざされた社内経路を移動する物品と、自由市場で取引されていている物品とを明確に区別する必要がある。現在、この企業内取引がすべて国家間の貿易統計に含められている。しかし実際の売り手と買い手と、どの国との貿易かということはますます無意味になりつつある。国家間の貿易は、多国籍企業が独自に計画する多様な生産戦略によって左右される傾向が強まっており、国家間の比較優位性や自国政府の経済政策が与える影響はますます弱まっている。

 したがって、企業が国家経済を変えうる能力を持つことで、逃げ場のないこの制度の中で企業は裁決の全権を付与されたことになる。こうして、国家政府の権力はグローバル企業とその利害のために奉仕する機関の間で再分配されたといえるかもしれない。

 しかし、この例は国家に対する企業の力を示唆しているに過ぎない。ここで欠けているのは、金融資本の正しい認識であり、金融資本こそグローバル化の基本的な仕組みであると見る人もいる。こうした見方を説明するためには、第一にその規模、第二に製品やサービス貿易と金融資本との関係を見る必要がある。次に、その両方へのアプローチとして、従来のお金に対する政府の統制の消滅に関する詳細な観察をいくつか行うことも考えられる。外貨取引がわずかしか行われていなかった1950年代と、国際的な資金の電子的移動が製品やサービスの取引額を圧倒的に上回った1990年代初頭との比較がその1つである。1990年代初期、一日の製品/サービス貿易は200~300億ドルであったのに対し、一日の外貨取引額は2兆ドルであった。別の言い方をすると、1996年の世界の年間GNPにあたる約23兆ドルが、ニューヨークの光ファイバー・ネットワークを通じて10~12日ごとに取引されていたということだ。さらにこれらの取引はわずか約50の銀行ともっと少ない数の証券会社によって行われている。

 米国では、1980~1994年の14年間に1兆5,000億ドルが海外に流出して外国株に投資され、対外投資が16倍に増加する一方で、国内企業、すなわち国内の雇用向けの資本は大幅に削減された。

 政府に対する企業の力の増大を示す象徴的な発言として、シティコープの元会長は、世界中のトレーディング・ルームにある20万台のモニターの前で為替トレーダーがネットワークを通じて下す評価は、まるで通貨を発行する政府の金融/財政政策に対する世界からの国民投票のようだと述べている。彼は、市場が6ヵ月間にわたってフランスから資本逃避をしたことによって、フランスのミッテラン大統領に社会主義的価値観を思いとどまらせ、うまく社会主義的政策を取り消させたという。

 世界的な投機家陣営に譲歩せざるを得なかったのはフランスだけではなく、途上国ではメキシコやマレーシアも経験していおり、また米国やEU、スウェーデン、スペインといった先進国も同様の経験をしている。

 国家経済に重要な影響を与えていることから、ウィリアム・グレイダーは、1996年、最終的評価にも匹敵する結論として次のように述べた。

 「先進国経済において、ほとんどの国の政府は自国の多国籍企業を儲けさせようとするセールスマンに成り下がった。それがすべての人の助けとなる根本的な繁栄を提供するものと期待してのことである。この戦略がうまくいかないことを最も端的に示す証拠は、最も豊かな国の労働市場の状況を見れば明らかであり、大量の失業、あるいは実質賃金(名目賃金をインフレ率にあわせて調整したもの)の低下、またはその両方の結果がもたらされている。さらにそれほど明確ではないが、主要政府が窮地にあることも悪化する財政状況に表れており、ほとんどの国が、増加し続ける、永遠に存在するようにさえ思える財政赤字と累積する国家債務に脅かされている。裕福な国家が財政危機に陥るのは、一様に同じ原理、すなわち毎年経済成長が期待はずれとなり、公的義務を果たすために必要な税収が得られず、先進国の資本主義の厳しい状況を改善できないためである」

 政府が企業に権限を委譲することを可能にしたのはコンピュータが「お金の神経回路網」を作ったためであり、さらに国家の法制度が特に金融資本の利益のために作られることよって助長された。第三の産業革命の衝撃と、国家そのものの役割がほぼ逆転したことがこれで確認できる。

 この判断を少し修正する必要があるのならばWTOであろう。WTOの条約が22,000ページ以上、重さ約18キロということからも、管轄下にある事柄に関してWTOが独立した機関であることを示しており、実際、正式に国連と同様の「法人格」を持つとされている。WTOは3人の専門家からなる秘密の専門委員会を通じて権力を行使し、加盟国が他の加盟国の法律が貿易の妨げになっていると提訴すると、この委員会のメンバーがその加盟国の法律を検討する。WTOの委員会は、その土地や地方、国の環境や消費者保護、労働者の健康や安全、食料の安全、工場閉鎖規定、外資所有の規制といった規格に対して、すべて非関税障壁だとして異議申し立てをするかもしれない。そうなると加盟国は自国の法律を変更するか、さもなければ自国の標準がWTOの設定した標準より高ければ制裁を受けることになる。WTO経由でEUに提訴された米国の法律の中には、海洋哺乳動物保護法、核不拡散条約、カリフォルニア州の安全飲料水/有害物質施行法などがある。ほかの争議と同じく、これらについて委員会の前で証言するどころか、個人でも組織でも、会議に参加することすらできない。

 WTOはグローバル貿易を規制する障壁を撤廃するための手段と考えられているが、この経済面の政府に説明責任を持たせる民主的な法規制がそれに合わせていないことには、大企業支配の世界経済政府を正式に認めることにもなる。そのためにWTOは実際に統治している国家が監視ができないような状況で、国家政府が手放した権力を一手に集めている。

 この譲歩と奪取により得た権力体制が拡大するにつれて、その付帯的損害のリストも増えていく。国家の政治的組織が第一の標的であったために、民主主義は当然ながら衰退する。国家を超越した世界資本に権力が集中したことによって追いやられた国家政府は、国内資本の要求によっても弱体化し、規制緩和や民営化に応じ、たとえ社会の最も弱者のためであっても、その保護や国家の介入手段を失っている。その結果として多国籍企業はその目標である利益追求と企業支配を自由に行ってきた。多国籍企業の数は1970年の7,000社から1991年には約35,000社に増え、わずか300社が推定で世界の生産的資産の4分の1を所有し、またそのうちの200社が世界の経済活動の4分の1以上を占め、同一企業内の貿易が世界貿易の3分の1を占めている。実際、世界の経済組織の上位100のうち47は企業であり、その47企業がそれぞれ130ヵ国の合計を上回る富を所有する。また世界の富裕者の上位358人の正味資産は合計7,500億ドルで、これは世界人口の下位45%の資産の合計に等しい。

 米国では、従順で(共謀者でもある)政府と、不正直な所得申告制度のおかげで、1993年には、2億5,000万ドルを超える資産を持つ企業の40%が法人税をまったく、あるいは支払ったとしても10万ドル未満しか支払っていないという事実があり、企業は制約のない富の取得を続ける。米国で活動している外資系多国籍企業はさらに税の支払いは低く、71%の企業が法人税をまったく支払わず、法人税を支払っている企業の平均税率は法人所得のわずか0.6%である。多くの国、中でも米国の税基盤はこうした企業による脱税と歩調を合わせて一貫して減少している。そのため1950年代には、法人税収は連邦政府の全所得税収入(法人税を含む)の23%を占めていたが、1991年には9.2%まで減少した。これによって必須な公的サービスのための税負担が企業から社会の他のメンバーに転嫁されたのである。

 世界企業勢は、その野望において絶対主義的である。多国籍企業は政府を従属させたあと、労働組合が対抗しないようにその崩壊に努めた。その攻撃は上下両方向から効果的に行われた。下からは、三段階で行われた。(1)企業は自動化と安価な海外の労働力によって生産コスト削減の機会を得て、大量の労働者をレイオフする。(2)これによってレイオフを恐れるか、または実際に失業中だが働き口を必死にもとめる大量の労働者が生まれる。彼らは、賃金の凍結や削減を受け入れ、労働組合があった1960年代や1970年代には聞かれなかった労働環境にも甘んずる。(3)最終的に、労働組合が労働者の利益を守ったり、推し進めることはできないことを見て取る。こうして短期間に労働組合は、ホッブズの労働市場で生き残るためには足かせになると思われるようになる。今日、米国では民間部門の労働人口のうち、団体交渉のために組織化されているのはわずか12%となっている。これは1930年代半ばのニューディール政策による労働改革以来、最低の数字である。

 労働者への攻撃は世界的規模で増えている。1995年、労働組合の権利のうち、団体交渉権と集会の自由の2点を調査したところ、過去最高の98ヵ国で違反が見つかり、嫌がらせや解雇から、労働者の権利を施行しようとしたとして4,300人が逮捕、528人が殺され、またその他乱暴など様々な不当行為が行われ、わずか過去3年間にそういった労働者の権利を侵害した件数は65%も増加した。

 労働者を物品として扱うことは、個人の利益追求の原理に支配された生活が圧倒的になった状況の最も直接的な結果であり、最も端的な表現でもある。これは言い換えると、構成の原則として、個人の利益よりも地域社会の調和や思いやりを優先するという反対の価値観を侵食することに他ならない。したがって民主主義の消失は、環境保護や社会的な思いやり、平等、人類の団結、地域の安定、個人や家庭の安全、民間および政府の長期的計画や投資、職場の尊厳、共同で消費される製品やサービス、文化的多様性といった広大な人類の価値観の衰退という症状を必然的にもたらす。

 さらに、こうした人類の利益の減少は、最も影響を受けた人々の急激な無力化となってあらわれ、そうした人々が増えるにしたがい「政治離れ」が定着していく。人々は政治指導者に幻滅し、政治に嫌気をさし、政治と腐敗を結び付け、政治家以外にとって政治はまったく意味がないと感じるようになる。日常生活における人々の状況を決定するものが、自分たちの統制できないところにいってしまうため、人々は空虚な疎外感に取り残される。