前回に引き続き、オーストラリア国立大学の教師、マイケル・マッキンレーが2001年2月23日に、イリノイ州シカゴで開かれた国際論協会第42回年次大会で発表した論文の抄訳をお送りします。この論文は、新しい貧富の差の特質およびその規模について触れるとともに、グローバル化が理論も実践も、大きな戦争に匹敵する破壊力を持つと述べています。なお、英文で全文をお読みになりたい方は、下記のURLをご参照下さい。
http://www.isanet.org/archive/McKinley_Triage.html (原文タイトル:”Triage: A Survey of the New Inequality as Combat Zone” 選択:戦闘地域としての新たな格差の調査) 皆様からのご意見をお待ちしております。
グローバル化という名の戦争(3)
マイケル・マッキンレー
戦争犯罪、戦争犯罪者、そして戦争捕虜
規制緩和、労働組合の衰退、富の不均衡、職の喪失、資本の移動、賃金と労働条件の悪化といった病理は、安全保障と関係する。米国において、裕福でより権力を持つ人々は、この状況が自分たちの安全保障の脅威になることを認識している。この問題を敏感に観察している1人、ジョン・ケネス・ガルブレイスは、階級闘争の性質に大きな変化が現われている先進工業社会における「新弁証法」として書いている。彼によれば、従来の資本家と労働者の争いは、より適切な、持てる者と持たざる者という対立に取って代わられているという。持てる者とは、現在、専門職に就いているもの、学術界、文化界、娯楽産業、不労所得層、退職者などで、権力を持ち、実業界において裕福でありながら、なおかつ政治的権力を持つ者であり、不景気や社会が十分な雇用を創出できないことを「自分以外の者が被る災難」と見ている人々である。これらの「快適で豊かな層と、比較的または特に貧しい層」の対立が、現在、そして将来における政治的および社会的敵対者となるであろう。
この2つの層はほとんど伝統的といえる行動パターンでその役割を演じている。ヨーロッパ、特にドイツ、イタリア、ロシア、フランスでは、救済の希望が見えない経済的混乱がもたらした不満によって、攻撃的なネオ・ファシストのような政治運動という形で起きている。しかし米国ではそれが下層階級と中流階級でギャング団を結成するという事態となり、あるときには13万人もの読み書きのできない無職の十代の若者たちがロサンゼルスの下層階級ギャング団のメンバーとなり、また比較的裕福なウエストチェスター郡では70以上の中流階級のギャング団が出現した。
米国では刑務所人口が倍増し、民間の警備員の数は公務員である警察官より73%も多く、当面警察官の2倍の速さで増えていくと予想される。新しいハイテク地球村のすぐ外には、貧困に絶望した人々が数多く暮らし、彼らの多くは犯罪に足を踏み入れ、広大な犯罪の下位文化を形成する。ある調査によると、賃金の不均衡が5%広がった1979年~1988年の間に、自動車泥棒(2.2%)、窃盗 (2.0%)、強盗(1.0%)、不動産犯罪(4.2%)、加重暴行(3.1%)、暴力犯罪(2.1%)、殺人(4.2%)が同じように増加している。1987年から1993年には、長期失業者と貧困の犠牲者は、生きるためにますます犯罪に手を染めるようになり、万引き、コンビニ強盗、銀行強盗、商店強盗、暴力犯罪が18%から50%の幅で増加した。
これらの病理は一般市民に大きな不安をもたらし、現在300万人~400万人の米国人が塀に囲まれた住宅地域に住んでいる。1992年の1年間に、16%以上の米国の家主は自宅に電子警備システムを取り付けた。米国の郊外では、建築に「見えない建築物(ステルスビルディング)」という概念を取り入れている。それは鉄とコンクリートで作られ、12フィートの塀に囲まれ、警備カメラで監視された「民間の要塞」で、「内装にはお金をかけても、見た目は気味が悪いくらい地味にしたもの」だという。
付帯的損害:環境
地球に不調をもたらす道具の1つが新しい技術である。それは超人的な能力であり、第三次産業革命以前の技術と比較して、より速く、より多くの生産を行うことによって失業をもたらしている。しかしこれは同時に膨大な量の原材料を必要とし、また膨大な量の産業副産物となる熱と廃棄物を生み出す。世界全体でこれが環境に負担をかけ、地球温暖化と環境汚染という形で現われている。これらは地球上で安全に暮らすために、別の問題にもつながる。ここでの問題は、多くの人間にとって技術がよりよい生活をもたらす手段となるということではなく、環境が適応できる許容を超えるほどに消費がなされることによって環境が破壊されたときに起きる論理である。
ここで明らかなのは人間の数が急増する一方で、生物多様性が損なわれ、多くの生き物が絶滅の危機にあるという現実である。地球人口は現在の60億人から2050年には100億人になるとされており、すでに多く消費されている天然資源の需要はさらに高まる。すでに1980年時点で、哺乳類の12%、鳥類の11%が完全に絶滅する危機にあった。
絶滅と緊密に関係するのは、資源伐採による森林破壊である。生物多様性を支える生息地の規模とそこでの生物の関係を調べた調査によると、生息地のもとの広さの10分の1が消失すると、生物の数は約半分に減少するという。この調査結果に、熱帯雨林に地球の生物の種族の大部分がいるということ、そして熱帯雨林の消失が10分の1に近づいていること、そしてそれ以外にも絶滅の要因があることを考慮すると、2020年~2050年には熱帯雨林の生物の20~50%が絶滅することになるであろう。
人類がこれからも熱帯雨林を破壊し続けると、これまで人類を保護してきた熱帯雨林の消失によって、人類は微生物の危険に晒されるようになる。まずこの問題の規模の大きさは、年間5,000万エーカー、1日に14万エーカーという勢いで熱帯雨林が破壊されていることから理解されるだろう。また、この強欲な伐採が解き放す病原体によってもそれがわかるであろう(クリミアーコンゴ、エボラ、ラッサ、リフトバレー、チクングンヤ、キャサヌルフォレストブレインウイルス、ネイムレスサンパウロ、オニョンヨン、シムリキ、HIVなど数多くある)。これらの動物原性感染症を起こすウイルスは、それに対する防衛機構を持たない生物に接触するとそこに入り込み、死亡率は90%にも上る。
生態系が破壊されると、多くの生物は絶滅し、残った少数の生物が急増する。被害を受けた生態系の病原体は、淘汰の危機に晒される。病原体は適用性があるため、変化に反応して突然変異して寄主の動植物を転々としていく。人間が森に入って伐採すると、病原菌が飛び出し、ねずみ、虫、ダニなど、寄主を経由して人間に到達する。これが熱帯雨林の復讐である。
自然に悪意があるわけではない。品種改良、肥料、灌漑、除草剤などによって穀物の大増産が行われた緑の革命は、今、反革命となって現われている。米環境保護局はいま、米国農業を、汚染源を特定できない最大の公害として指定し、一方で、使われている農薬の多くは第二次大戦中に人間を殺すためにナチの研究所で開発された物質をもとにしているという事実にもかかわらず、現在、収穫後の虫による被害が1945年の2倍に増えている。1992年には500種以上の耐性害虫、100種の植物病原体、55の雑草が存在している。しかし、農薬は本来保護しなければならない農産物に、致命的な影響を与え続け、中毒によって年間2,500万人が被害を受け、第三世界のある場所によっては主要な病気よりも多くの死者を出している。
さらにこのことは、きれいで新鮮な水といった資源に対して重要な意味を持つ。そして、そういった新鮮な水は地球全体の水資源のわずか3%しかない。新鮮な水は極めて重要であり、途上国の死因の80%が水に関連しているだけでなく、水そのものが健康の基盤であり、貧困との戦いの原因となっている。しかし、そのような水を手にすることさえ、地球における不均衡な分配によって危機に晒されている。世界の40%にあたる20億人はまったく水へのアクセスがなく、80ヵ国で水が不足している。産業界と人口の急増から、水力発電への需要はこれからも続き、21年ごとに2倍になるとされる。このことならびに地球経済がさらに急速に成長する傾向にある事実を考えるとナイル川、リオグランデ、インダス川、ブラマプトラ川、ヨルダン川、チグリス・ユーフラテス川、ガンジス川といった世界の水源地での国際的緊張が高まる徴候が見られる。またこのことは、途上国による、また途上国へのエネルギー供給という問題につながる。川にダムができると、伝統的な居住形態や土地の使い方が破壊され、水の環境全体も破壊されるからである。
石油も有害な影響を環境に及ぼすとされるが、生態学の原則に当てはめると、原子力発電のコスト、リスク、廃棄処理の問題をこれ以上悪化させることはできない。さらに、石油供給を維持するために戦争などのとんでもない手段が簡単に使われるために、風力、太陽熱、地熱のような新しいエネルギー資源が近い将来に使えるようになるという期待もできない。ここでいう近い将来というのは、温室効果ガス、二酸化炭素の存在期間である100年から200年、または石油資源の存在期間の最高で300年を指す。そしてどんな資源を使おうとも、エネルギー利用によって地球温暖化がもたらされるのである。
グローバル化は戦争であることを理解する
現在の、または深刻化する大災害を検分しても、政策立案者が「新資本主義」に固執し、他のことを考えられないでいることがまだ信じられないのであれば、それに固執していることを示す次の2つの例(大西洋の両側に1つずつ存在する)から理解できるであろう。途上国または第三世界への略奪があたかも不十分であるかのように、ローレンス・サマーズ(世界銀行からのちに米国財務長官になり現在ハーバード大学学長)はこう述べている。「低賃金諸国に有害廃棄物を捨てるのは、これらの国では所得の損失と環境破壊の可能性が低いからだ」。また、イギリスの環境相のデントン男爵夫人はこう言った。「投資奨励をさまたげるアイルランドの公正雇用法は撤回すべきだ」。アイルランドが米国より33%、ドイツより60%も低い賃金率であるというのに、それではまだ奨励が足りない、というのだろうか。
経済のグローバル化を理解する方法はたくさんあるが、それを暴力革命の形として理解すると、ある程度の社会的公正さがわかる。したがって、前述では経済のグローバル化によって荒廃した結果がいたるところに見られる見本として米国の実情を紹介するために、第三世界と米国の状況を取り入れた。グレイダーは次のように述べている。「グローバル経済はすべての社会を、経済的利害の衝突する、いくつもの新しい陣営に分断する。それはすべての国の社会的結集力を維持する能力を低下させる。これは国家で国民を結束させるのは人々が政治の重要性を共有することだという仮説を無効にする」。
しかし、世界には隔たりがあることを考えれば、政治の重要性を共有することという仮説を無効にするものは、国家内の紛争を激化する以上のことである。それは世界中で、富と特権の中で暮らす人と、グローバル化され死と困窮にある多くの人々が日々共存するということである。このことは、経済のグローバル化というプロセスのもたらす、避けられない結果であるということは、その受益者の大半がわずかながらも理解している。
理解の欠如は、グローバル化を戦争だと考えればわかるであろう。これまでの記述から、そう考えることは話の飛躍にはならないであろう。グローバル化された世界の病理は、兵器の衝突として定義される時代のものと同じなのである。20世紀の正規の戦争で一億人が殺されたとしたら、1982年以降の構造調整プログラムによって年間500万人以上の子供たちが死亡していることを比較してもよいのではないか。別の言い方をすると、世銀やIMFが構造調整プログラムを行っていなければ、核兵器による虐殺もなしにアフリカにここまでの破壊と死をもたらすことはなかったのではないだろうか。または、レスター・ソローの見解をとれば、革命も軍事的敗退も、それに伴う占領もなくして、アメリカほどひどい富の不均衡を経験している国はないのである。人類にこれほどの大きな悲劇をもたらすものは、暗喩でも直喩でも表すことはできず、戦争そのものであるという以外にはないのである。
こう考えると、いかなる問題探求も、米国の経済支配、そしてその後の衰退がいかに再生のために戦略につながったかを理解することから始めなければならない。再生にあたる戦略は、戦争と経済を融合しただけでなく、クラウゼヴィッツの有名な言葉を引用すれば、戦争、すなわち経済は、「我々の意志を遂行するために我々の敵を従わせるための暴力行為なのである」ということを理解することである。