No.509 インターネットの真の影響について

今週は、経営学の理論家であり、実践家としても知られる、ピーター・ドラッカーのインタビュー記事をお送りします。インターネットが重要なのはその経済に占める規模にあるのではなく、我々の生活に与える影響にあるという点は、私もドラッカーと同じ意見です。またコンピュータやインターネットでできることは、人間がこれまで行ってきたことに過ぎず、人間ができないことは、コンピュータにもできないというドラッカーの見方は、我々が技術を利用する上で忘れてはならないことだと思います。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

Business 2.0 2001年10月号
エリック・ションフェルド

Q: インターネットバブルの崩壊には驚かれましたか?
ドラッカー:  驚いたのは2年早くバブルが崩壊しなかったこと。1999年1月、私はすべての友人に、バブルは崩壊寸前だと思うから株から手を引くようにと警告した。しかし、それから1年あるいはそれ以上バブルが続いた。なぜか。それは、大衆心理は規模と重要性を錯覚しがちだからである。この2つはまったく別物である。インターネットは大きな重要性を持つが、経済的規模は小さいのだ。

 一例を挙げると、インターネットよりも人類の想像力に大きな影響を及ぼしたものに映画がある。映画が登場して、人類は初めて世界を網羅するコミュニケーション手段を手にした。また、読み書きのできない人や貧しい人は、映画で初めて世界を知った。一方、電話や電報は先進国を除いてエリート集団のごく少数グループのものだった。しかし、もし今日映画産業がなくなっても経済的に大きな打撃を受けるのはハリウッドとボンベイくらいだろう。世界で映画作りに従事する人は何人いるだろう。百万人にも満たないのではないか。

 すなわち規模イコールその功績という認識は誤りなのだ。インターネットバブルの時代、インターネットは重要、だから利益を出すに違いないといわれた。しかしそうではない。今後インターネットが事業として、または業界として利益を出すものとなるかどうかは疑わしい。しかしその影響力は信じられないほど大きい。医療の歴史でも同じことがいえる。

Q: どんなふうに?
ドラッカー:  19世紀、医療にもっとも影響を及ぼしたものは麻酔でも消毒でもなく、体温計だ。母親が子供の熱を測ったり、自分の具合を調べるための体温計、それが近代医療を作った。温度計自体の科学的価値はゼロに等しく、温度計は17世紀からあった。しかし、体温を測るようになってから科学に大きな影響を及ぼした。したがって、影響力と規模との間に相関関係はないのである。

 インターネットの話に戻ると、世界のどこかの学生が、自分の論文を書いてくれるようメールで頼んでこない日は3日とない。“Dear Professor”とか、“Mr. Drucker”で始まるそれらのメールには、月曜日の朝までに経営について論文を書かなければならないが代わりに書いてくれないか、といったことが書いてある。たいていは、どこから送られてきたかは書かれていない。またあらゆる言語で来る。私はすぐにそれらをごみ箱に移すが、彼らもわかっている。でも何のリスクもないので、とりあえず私に送ってみよう、というところだろう。

Q: インターネットの影響を示す例で重要なものは?
ドラッカー:  インターネットで重要なのは、距離がなくなることだ。その始まりは1820年代、イギリスの鉄道である。鉄道の影響はインターネットより大きく、また普及も早かった。鉄道の発明者は最初その可能性に気づかなかった。彼らはリバプールとマンチェスターという短距離の路線を作った。重要性を最初に認識したのはロスチャイルドで、ウイーンからプラハに長距離線を初めて建設した。オーストリアの大臣が皇帝のところへ行った時、(皇帝はロスチャイルドを嫌っていたが、建設計画を承認しなければならなかった)皇帝はただ笑って、「これでとうとう無一文になるな。ウイーンからプラハにはすでに週3便、駅馬車があるがいつも空っぽだ」。しかし鉄道は初日からいっぱいだった。

 しかしインターネットが何に最適なのか、まだわかっていないと思ったほうがいい。汽船は最初に作られた帆船から大した改良はされなかった。19世紀末まで、世界の海洋輸送のほとんどは帆船で行われていた。帆船がなくなったのは船乗りになるのに数年かかったのに、汽船の釜に石炭を投げ込むのは10分で覚えられたからだ。帆船がなくなったのは帆船の船乗りはなかなか集まらなかったのに対し、汽船の乗組員は未熟練労働者でも良かったためだ。汽船では熟練労働者は数人[y1]いればいいが、帆の出し入れは熟練を要する。そこに鉄道が、これまでなかった可動性を地上にもたらしたのだ。

 今日、インターネットはコミュニケーションの距離を取り除いた。私の顧客の大手金融サービス会社は電話顧客サービスの85%を米国中西部からインドのバンガロールに移転した。インドには高い教育を受けた英語を話す女性が数多くいる。彼女たちは学校で米語のアクセントを習得するため、ミルウォーキーから電話しても誰と話しているかわからない。定型の質問でなければ、ボタンを押して米国の担当者につなげばいい。顧客にとってコールセンターがどこにあるかは関係ない。インドに移転するのは、賃金格差だけではない。米国でそんな退屈な仕事をする人を雇えないからだ。

 インターネットの文化的影響は経済的なものよりはるかに大きい。重要なのはこれら半先進国の中流階級に大きな影響を及ぼすことだ。彼らは自分たちをその国の経済の一部と考えずに、世界の先進国経済の一部だと考える。これが次の展開かもしれない。心理的にグローバル化された中流階級の出現だ。

 インターネットは新しいコミュニティも作り出す。素材やプラスチックの接着を専門とする技術者にとって、彼のコミュニティは世界中に広がる数百人の技術者で、日々コンタクトをとれる。ここでは経済的影響はおそらくあまり重要ではなく、社会的影響がもっとも重要なのだ

Q: ニューエコノミーでほんとに目新しいことはあるのか?
ドラッカー:  景気循環がなくなる徴候はまったくない。消費者の行動や流通に大きな変化があったが、それは情報技術によるものではない。経済の観点から見てインターネットはもう一つの流通チャネルにすぎない。顧客はインターネットを使って車を買うのではなく、どの車を買わないかを決めている。今、顧客は欲しくないものを明確にしてからディーラーへいく。インターネットは新しい流通チャネルかもしれず、そういう意味で各チャネルで異なるビジネスになるだろう。インターネット上では、あなたは顧客にモノを売るセールスマンではなく、客のためにバイヤーになる必要があるのかもしれない。GMが発表したのは、まさにそれだ。競合の車も含めて、顧客にぴったりの車を見つけ、適切なディーラーを探してあげるという。

Q: それで儲かるのか?
ドラッカー:  そうせざるをえないのかもしれない。会社がつぶれないというおきてはない。反対に人間が作るものはすべて、いつかは滅びるという法則がある。25年以上も成功し続けるということは企業にとってまれなのだ。企業が不滅だという考えはウォール街の誤解である。インターネットの重要な影響は経済ではなく、心理的なものだ。インターネットはオールド・エコノミーをさらに広げるものなのだ。

Q: インターネット以外の技術の重要性については?
ドラッカー:  インターネットは、BtoBにおいてこれまでのトレンドを更に加速させていく。1920年代、シアーズとマークス&スペンサーは供給の流通を管理していた。トヨタはこれをまねた。GMは今、自動車サプライヤーのためのオークション市場をフォードとダイムラークライスラーと協業で行っている。これは新しいアイデアではない。ドイツ人は大昔にやっていた。トヨタのスタイルはこれと反対に独占的サプライヤーの方向にいく。それはシアーズとマークス&スペンサーのモデルの延長だ。そして第3のモデル、アウトソーシングモデルも出てくるだろう。製造をコントロールしつつ、それをアウトソースする。2つか3つのサプライヤーしか持たないが、それらを情報技術で接続する必要がある。

 情報技術は新しいやり方に対応しているにすぎない。商売にはいつも良い情報システムがあった。例えば会計システムは最高の情報システムだ。コンピュータがない時代から、翌月の第一月曜日には月次報告書が必ずできていた。繰り返すが、情報がもたらす真の影響は経済ではない。だからバブルは崩壊した。ビジネスとしての情報産業は頭うちだ。コンピュータによる総生産高はどれくらいだろうか。世界の製造分野においてそれはわずかなものに過ぎないだろうし、これからもそうだろう。

Q: しかし、コンピュータはビジネスの効率化に重要だったのでは?
ドラッカー:  ドラッカー:インターネットは大部分の商売でこれまでやってきたことのための記録システムを作ったに過ぎない。帳面に書いていたものをコンピュータでするようになったが会計には変わりはない。コンピュータが出る前から数理モデルがあった。ベクトル分析、ボルツマン方程式といった1890年代のものだ。また輸送をうまく采配するモデルもあった。シアーズは店舗展開を始めた1920年代に出荷と在庫のバランスをとり、どこに保管するかといったモデルを開発している。

 シアーズのCEOになったロバート・ウッド将官はパナマ運河およびヨーロッパの米軍基地で補給局長を勤めた人物で、輸送と供給の数学モデルを開発したのが彼だった。だからシアーズは彼を雇ったのだ。シアーズが通信販売だけをしていたらそのための倉庫があれば良かった。しかし急に800もの店舗展開をすることになり、製品の輸送が一番の問題になるとシアーズの創設者は認識したのだ。

 当時ロジスティックスをわかっていたのは米軍だけだった。今の水準からすれば極めて原始的ではあったが、それは当時コンピュータがなかったからではない。彼の数学モデルは原始的だったが、彼には多くの経験があり、800店舗のための在庫を采配するのは彼にしかできないことだった。そして最低のコストでシアーズは輸送を行えるようなった。ウッドは論理システムを開発し、この中で使われる変数は最小限に抑えられた。コンピュータなしでこれをやり遂げたのだ。これがシステム分析の秘訣だ。コンピュータがあればシステム分析なしにこれができるように見えるが、もしそれをすればぶざまに失敗するだろう。システム分析をしなければ、データは論理的にはならず、むしろ1つの論理も存在しないのだ。

 コンピュータは愚鈍だ。1つ以上の論理システムを扱うことができない。コンピュータにわかるのは1か0だけだ。システム分析はあなたがしなければならず、あなたのすべてのデータに対して1つのロジックを出す。一方で人間の心は同時にいくつもの論理システムに対処できる。何かを見ながら、記号論理学やアリストテレス論理学やコンピュータ論理の基礎となったホワイトヘッドやラッセル論理を見ることもできるのだ。

 コンピュータは私たちがこれまでできなかったことは何もできない。私たちがやっていたことをずっと速くやるだけだ。そして論理の明白さを求めるために私たちは厳密でなければならない。いい加減だとコンピュータは動かない。ロジックは了解も納得もしない。人間はレトリックが必要だがコンピュータはそれができない。昔IBMの社内教育をしていたが、教えたことで最も重要なことの一つが、コンピュータに対してはいい加減であってはならないということだった。まずデータを正しくしなければならない。人間の心なら改ざんも認知も謎解きも得意だ。

 つまり基本的に、インターネットはそのコンピュータができることに依存しており、系統立てたり、明瞭にする必要があるが、これまでできなかったことができるようになるわけではない。また絶対にできないこともある。先週、ヨーロッパで初期のコンピュータユーザーの1社だった、ある消費者向け商品の販売会社と、サプライヤーの選定方法について話したのだが、彼らはこういった。「一番大切なのはその人物が信用できるかどうかだ」。なぜそれが重要かを尋ねると、「どんなものであれ危機に直面したとき、頼れるのはサプライヤーだからだ」。ここで、短期的な儲けしか見ていないサプライヤーと、長期的な関係を見ているサプライヤーでは大きな差が出る。これは昔から変わらないことだ。この判断を行うことはコンピュータではできないことだ。