今回は『ハーバード・ビジネス・レビュー』誌(2001年3月号:英語版)に掲載されたマイケル・ポーターの論文「戦略とインターネット(Strategy and Internet)」を読んで感じた私の感想を、論文を抜粋しながらご紹介します。
自由市場:理論と実際
1990年頃から日本は、米国が熱心に勧める数々の経済課題を採用してきた。その課題とは、民営化、規制緩和、グローバル化、ダウンサイジング、さらには国民の福祉を削減すする一方での企業への福祉増加、高額所得者に対する減税と低所得者層に対する増税などである。
こうした経済課題が提唱される背景には、民営化や競争市場、国際貿易を促進することが最終的には消費者にとって最適な福祉とすべての人の生活水準の向上を実現するという考え方、さらには自由市場に対する政府の規制や介入は利益よりも害をもたらすという信仰にも似た強い信念が存在する。
英米流の市場理論は、いくつかの相互に関連する前提に基づく。消費者は「完全な情報」を保持し、完全な競争、すなわち多数の供給者が存在し、どの供給者からでも自由に購入できる。参入障壁は低く、誰もがいかなるビジネスをも自由に開始できる。生産者は市場を独占できず、価格を一方的に決めることもできない。つまり価格は供給と需要との関係で決まり、政府のような第三者による直接的な価格規制はほとんどない。自由市場では、生産要素は流動的であり、資本、労働、消費者は自分たちが受ける見返りが気に入らなければどこへでも自由に移動できる。企業には利益拡大という1つの目標しかなく、一方消費者は、最適な価格で最も満足できる商品を求めることにより、自分たちの幸福を合理的に向上させるという目標を追及する。社会的な代償や利益、例えば公害や健康などは、直接的な市場取引の価格に完全には反映されない(ロバート・カッター、Everything for Sale”より抜粋)。
自由市場には上記のような前提があると考えられているが、これらが実世界で前提として成り立たないのであれば、市場理論はまったく価値はなく、「民営化や競争市場、国際貿易を促進することが最終的には消費者にとって最適な福祉と、すべての人の生活水準の向上を実現する」、あるいは「自由市場に対する政府の規制や介入は利益よりも害をもたらす」という信念には、まったく裏づけがないことになる。
これらの仮定が成り立たないこと、さらにこの理論や理論から導き出される政策提案が無効であることは、ハーバード大学のマイケル・E・ポーターの論文を読めば明らかである。マイケル・E・ポーターは、競争戦略や国際競争力の権威であり、これまでに16冊の著書と多数の論文を発表している。 1983年には、レーガン政権の産業競争力委員会の委員に任命され、戦略委員会の議長を務めた。そして現在も米国議会、行政、国際機関における経済政策について中心的役割を果たし、米国政府の顧問を務めている。
以下に、『ハーバード・ビジネス・レビュー』誌(2001年3月号:英語版)に掲載された、ポーターの典型的な論文、「戦略とインターネット(Strategy and the Internet)」の一部とそれに対する私見を紹介する。ポーターは、他の企業と競争する必要性をなくすために、競争の優位性を確立することを提唱する。しかし、競争の優位性を確立すること自体が、自由競争市場の理論の基盤となっている前提や、その理論に基づくすべての政策提案を否定することになると私は考える。
論文の冒頭で、ポーターはインターネットに関する間違った判断について、競争の優位性を低め、競争の基盤を品質、機能やサービスから価格に転換したことにより、いかなる企業にも利益を上げるのを困難にしたという点を批判している。
さらに、ポーターは次のように記している。「我々は根本的な質問について考えてみるべきである。インターネットが生む経済的利益は誰が手にすることになるのか。すべての価値は顧客にいってしまうのか、それとも企業がその一部を手にすることができるのか。インターネットが業界構造に与える影響はどうか。インターネットは利益のパイを拡大するのか、それとも縮小するのか。戦略に与える影響は何か。インターネットは、競争相手に対する企業の持続的な優位性獲得の能力を押し上げるのか、それとも引き下げるのか」。ポーターは、顧客ではなく企業がインターネットのもたらす利益の大半を手にするべきだと信じている。また競走における持続的な優位性の獲得能力を高めるために、インターネットを利用すべきだとも考えている。すなわちポーターの主張は、市場理論やそこから生まれる政策提案を否定するものである。
またポーターは次のようにも記している。「インターネットは必ずしもありがたいものではない。業界全体の収益性を低下させる方向に業界構造を変える傾向があるからである。さらに商慣行に公平性をもたらし、企業運営上の持続可能な優位性を確立する能力を奪うからである」。ポーターにとっては、公平な競争というのは望ましいことではなく、自由競争を抑制する優位性こそが重要なのである。
「新しい業界であろうが古い業界であろうが、その構造が魅力的かどうかは、競争に関する5つの根本的要素によって決まる。すなわち、競争の熾烈さ、新規参入者に対する障壁、代替製品やサービスの脅威、売り手の交渉力、買い手の交渉力である。これらの要素が組み合わさって、製品やサービス、技術、あるいは競争を介して生まれる経済的価値が、企業側と、もう一方の顧客、供給会社、販売代理店、代替者、潜在的新規参入者の間でいかに分配されるかが決まるのである」
ここでポーターが業界構造の魅力として挙げていることは、自由競争市場の信奉者が売り込んでいる内容とまったく逆である。企業間の競争が激しければ激しいほど、社会が最も利益を手にし、競争が少なければ企業が最も得をする、さらに参入障壁が高ければ高いほど、社会が利益を得、参入障壁が低ければ低いほど企業が得をする。代替製品やサービスの脅威が大きいほど社会にとっては良いことであり、代替の脅威が低ければ逆に企業に都合が良い。買い手と売り手の交渉力が強ければ強いほど社会が得をし、交渉力が弱ければ一部の強い買い手と売り手が得をする。
「インターネットが生み出した傾向のほとんどが企業にとってはマイナスとなる。インターネットの技術は、製品や供給者に関する情報へのアクセスを提供し、買い手の交渉力を高める。インターネットは、既存の営業戦力や既存チャネルへのアクセスの必要性を弱め、新規参入障壁を低くする。インターネットはニーズに対応したり、必要機能を果たすための新しいアプローチを提供するため、代替を提供する。インターネットは皆に開放されたシステムであるため、独占的立場を維持することをより困難にする。インターネットの利用は、市場の地理的境界を拡大し、より多くの企業を競争に参入させる。またインターネット技術は、変動原価を削減し、費用構造を固定にする傾向があるため、企業は破滅的な価格競争に加わることを余儀なくされる」
上記で、ポーターは、インターネットがもたらした影響を、企業にとってマイナスであるとして紹介している点に注目して欲しい。上記のような変化は、自由競争市場が政府による計画経済や規制よりも社会にとって良いとする理論の前提であり、それをポーターは企業にとって好ましくないとしている。
(1) ポーターは、インターネットが買い手や売り手により多くの情報を提供することを良くないと考えているが、自由市場の理論では、買い手も売り手も完全に情報を入手しているということが前提ではなかったか。
(2) インターネットが新規業者に対する参入障壁を低くする点を批判しているが、自由市場の理論では、参入障壁はなく、競争は無制限というのが前提ではなかったか。
(3) インターネットが代替を増やす点を批判しているが、自由市場の理論では、無制限ではないとしても代替が多数あるというのが前提ではなかったか。
(4) ポーターはインターネットによって独占的立場が弱まると批判的だが、自由市場理論ではそうした優位性は存在しないというのが前提ではなかったか。
(5) ポーターはインターネットにより競争相手が増えると批判しているが、自由市場理論では無数の競争相手を前提としていたはずである。
(6) ポーターはインターネットで価格競争が熾烈になると批判するが、自由市場理論では価格競争は無制限であることが前提だったはずである。
すなわちマイケル・ポーターは、自由競争市場の熱狂的信者が前提とし、それが現実となると主張していたのとはまったく逆のやり方でビジネスを運営することを提案しているのである。
マイケル・ポーターの論文はこの後も続くが、ここまででいかに市場理論の前提が実世界に適合していないかをご理解いただけたかと思う。それは、「競争戦略」を実践しているビジネスマンがこれらの前提が現実にならないように徹底しているからに他ならない。理論が無効であれば、民営化、規制緩和、グローバル化、ダウンサイジング、企業の福祉増大の一方で国民の福祉削減、金持ちの減税の一方で低所得者層に対する増税などといった政策もまったく価値がないといえる。”