No.511 ヴェルナー氏「聖域なき日銀改革を」への反論

『Voice』誌(2002年1月号:PHP研究所)に、『円の支配者』の著者であるリチャード・ヴェルナー氏と森永卓郎氏との対談記事が掲載されました。日本経済についてのヴェルナー氏の分析には敬意を表すものの、彼がこの対談のなかで提示している「日本の不良債権問題を処理する方法」については、まったく同意ができませんでした。今回はヴェルナー氏の発言とそれに対する私の考えを述べさせていただきます。途中、ニューヨーク在住のエコノミスト、マイケル・ハドソンのコメントも掲載しますので、あわせてお読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

ヴェルナー氏「聖域なき日銀改革を」への反論

【 ヴェルナー氏の意見 】
『Voice』誌(2002年1月号:PHP研究所)より抜粋転載

私は不良債権問題の処理については、基本的に2つの方法があると思っています。1つはアジア危機のときにIMFが採用したやり方、つまり国民の負担で処理して、その国の財産を外国の投資家に安く売ってしまう方法です。この方法だと銀行や企業は倒産のプレッシャーをかけられる。倒産させれば、資産価格は同時に下がります。不良債権もどんどん価値が下がる。そうすると例えば百だった貸し出しが十とかそれより安く買えるようになります。そのときに、これを安く買う大型のファンドがあります。ほとんどがアメリカのファンドで、裏にはウォール街の金融財閥がある。彼らがこの方法で百のものを十で買ったあと、中央銀行は景気をよくする政策をとるので、その価値が急激に上がる。日銀もこれをめざしているようです。

(・・・中略・・・)

しかし実はもう1つ、不良債権問題を処理する方法があります。国民に悪影響を与えず、その国の経済の財産を減らさずに逆に強くするようなやり方です。それは、中央銀行が銀行の不良債権に相当する額のお金を作って、銀行の不良債権を名目の価値で買い上げて中央銀行のものにするという方法です。この場合、一日、いや一秒で不良債権問題を完全に処理できます。

これで銀行の問題が完全になくなります。また、国民が悪影響を受けることもない。これは公的資金ではなく、中央銀行がやるというところが重要です。しかも、中央銀行は無からお金を作って不良債権を買うのですから、損をしません。例えば名目価値が百だったものが二十に下がっている場合、日銀はこれを百で買っても、日銀の資金調達コストはゼロですから、ゼロが二十になったということで、二十の利益になるわけです。

反論:  この提案はどういうことか考えてみよう。ここに小さな村があるとする。この小さな村は100坪の広さで、生産している物も、消費している物も、米だけである。毎年100キロの米が作られるとし、この村の通貨供給量は100円だとしよう。1キロの米の価値は通貨に換算すれば1円、または土地に換算すれば1坪分である。または、1円は米1キロか、土地1坪に相当し、土地1坪は米1キロか1円に相当するともいえる。今、中央銀行が通貨を25円鋳造し、通貨供給量を125円に増やしたとする。これで1円は米0.8キロ、または土地0.8坪の価値しかなくなり、米1キロは1.25円に、土地1坪は1.25円になるが、1坪は依然として米1キロ分に相当する。これがこの村人にどのような影響を及ぼすか考えてみよう。

1. 富を円で持つ者は、25円が増刷される前の80%の価値しかなくなるために、以前より貧しくなる。
2. 円で所得を得ている人の給料は20%の減少となる。
3. 米の生産者はお金に換算すると米1キロが1.25円に相当するため、以前よりも金持ちになる。しかし、土地に換算すると土地対米の割合は変わっていない。
4. 米の生産者は1キロが1.25円になるためお金に換算すると以前より金持ちになる。
5. 土地の所有者は1坪が1.25円になるため、お金に換算すると以前より金持ちになる。

つまり、円の供給量を増加させることは、富を円で持つ者から、富を米と土地で所有する者に移動させることであり、円で所得を得ている者から、米や土地(賃貸料)で所得を得ている者に所得を移すことである。本質的に、円の増加は、富や所得を労働者や消費者から、生産者や地主に移すことなのである。ヴェルナー氏の提案は、労働によって所得を得ている大部分の国民にとって公平だといえるであろうか。

さらに、この新しい25円で、中央銀行が土地を買ったとしよう。この25円があれば、買い手が見つからなかった土地を20坪買うことができる。これで恩恵を受けるのは地主だけであり、消費者や労働者、米の生産者を搾取したことになる。これは、この村で何かを生み出している広い意味での生産者の所得や富を、何も生み出していない地主に移動させているに過ぎないのではないのだろうか。

そして、中央銀行はこの土地をどうするだろうか。不公平を正すために、通貨供給量25円増による円の目減り割合に合わせて、円の所有者や円で所得を得ている人に20坪の土地を分配することもできる。すなわち、この村の生産者たちの所得や富で寄生虫たちから買った土地を、公平に分配することができる。しかし、日本というこの村で、日銀と呼ばれる中央銀行によって、これが本当に行われるだろうか。

ハドソン:  この例はお金が製品やサービスの購入のためだけに作られるというシカゴ学派の考え方に基づいている。実際には、中央銀行が通貨供給量を増やすのは債券、中でも主に国債の買い上げによる。しかし、資本市場での取引は他のものに移り変わっていくため、国債の買い上げによって創造された信用は株式市場にまで波及する。

したがって中央銀行が創り出した25円は、米の生産者が発行した株式の購入に使われることになるかもしれない。その場合、米の生産資産の所有権コストが上昇し、資産所有者は金持ちになる。(その結果、米の生産者は米の生産よりも、自分の土地で高層の高級リゾート設備を開発したいという誘惑にかられるかもしれない。そうなれば村の住民は飢えるだろうが、リゾート設備の所有者は米国のホテルチェーンにその資産を売却し、ドルを手にし、さらに金持ちになっていく。)

また、米の生産者の債権を購入したとすれば、金利が下がる。これによって株価収益率の上昇とともに、株価も上昇する。すなわち、ここでも富の所有者はさらに豊かになるが、経済全体として見た場合、実際の労働者、あるいは農業や工業の生産機能が助けられることはほとんどない。

反論:  不良債権処理として政府がすべきことは次のようなことだ。

1.  郵貯はそのままで民営化はしない。
2.  銀行に対して、不良債権を安く売り叩くよう圧力をかけるのをやめる。圧力をかけているのは米国の政府高官で、高官たちは、選挙で勝たせてくれたウォール街の寄生虫のためにそれをやっている。銀行に不良債権を安く売り叩くことを強制することは、すなわちそれらの債権を破格の価格で米国や他の金融海賊に売り渡すことになる。そればかりか、米国などの金融海賊が買収に使う資金は、日本国民がまさに売却を強いられている銀行に預けたお金である。なぜなら「金融ビッグバン」によって、日本国民が日本の銀行に貯蓄しているお金は、融資を求める日本企業に貸し出される代わりに、デリバティブその他の博打を行うために海外の金融海賊たちに貸し出されてしまっているからである。
3.  日本のすべての銀行に次の選択肢のいずれかを選ばせる。(a)金融ビッグバン以前の規制をすべて復活させ、政府による預金保護を継続するか、(b)政府の預金保護をすべて廃止し、現在の規制緩和を推し進めるかのいずれかである。

日本政府がレーガン大統領の愚挙をまねて規制を緩める一方で、預金の保証を継続してきたことは愚かなことであった。政府の預金保護があるために、たとえ損失を出したとしても税金が投入されることを知っていたから、ハイリターンを求める銀行にとってこの規制緩和は預金を博打に使うことを奨励し、利益が出れば懐へ、損失は税金でということに他ならなかった。銀行が政府の規制がいやなら、政府からの保証も受けるべきではない。

日本政府は、規制復活を受け入れない銀行には、すべての預金の保証を半年後から行わない、と即座に発表するべきである。
4.  日本の銀行に次の選択肢のいずれかを選ぶことができるようにする。

(1) 国際的に業務を行うことを選ぶのであれば、BISやその他の国際規制を受け入れる。
(2) 日本国内のみで業務を行うのであれば、まったくの国内規制だけを受け入れる。

5.  上記4段階を踏んだ後で、それでもまだ政府からの資金投入が必要な銀行に対してのみ、政府は公的資金を投入し、その代わりにその分の銀行の株を受け取る。つまり国有化である。公的資金に依存する銀行は、国営銀行になるべきである。