No.522 中国市場は“蜃気楼”?

今回は、中国に対して脅威を抱いている日本人が多いため、本当に中国は日本にとって脅威なのかについて、分析してみました。

中国市場は“蜃気楼”?

 

中国は巨大な潜在市場だと多くの人々が語り、特に日本人からそういう発言をよく聞く。ずっと長い間、中国は「眠れる獅子」と呼ばれ、まもなく日本や欧米製品の巨大な市場となる、あるいは世界平和に対する強大な軍事的脅威や、世界市場を低価格製品で席けんする経済の原動力になるといわれてきた。

しかし、私は、こういう発言をする人は中国に幻想を抱いているのではないかと思う。中国が近い将来、世界の名だたる工業国や消費市場に名を連ねることは決してない。むしろ、中国は自国の問題に専念するだろうというのが私の見方である。

意図的であろうとなかろうと、自国民に不利益をもたらしたり、言語道断な干渉で他の国家や国民を傷つけている日本や米国は、中国を見習った方がよいのではないかとさえ思う。

中国に対して人々が脅威や期待を抱く理由は、地球上の陸地の6%強に当たる960万平方キロメートルの国土に、約12億6千万の人々が住むという、その広大な規模にあるのかもしれない。しかし、それだけで中国が日本にとって巨大な市場になるとはいえない。中国の市場としての可能性を客観的にとらえてみよう。

日本の最大顧客は米国で、全輸出の30%が対米国であり、中国は日本にとって全輸出の8%を受け入れる第二位の市場である。確かに中国は広大な国土を有し、その面積は日本の25倍だが、米国に比べると1%大きいだけで、そこに米国の約5倍の人口を擁する。つまり人口密度は米国の5倍ということだ。

これだけ人口が過密であれば、国土利用や環境汚染といった面でも懸念すべき点が多く、経済拡大の余地はそれほどないといえる。さらに国民一人当たりの年間所得はわずか10万円強であり、日本の450万円、米国の420万円に比べると四十分の一未満である。

これは言い換えると、中国人は平均で一日279円で暮らしているということだ。そのような人々に日本企業はどうやって自動車やコンピューターやテレビ、携帯電話を売ろうというのか。また、日本の主要輸出相手国34ヵ国の国民の平均日給は約5千円で、中国より日給が低い国はインドネシア、インド、ベトナムだけである。

さらに国民一人当たりで換算すると、日本からの輸入は中国人の所得の2.9%に当たるが、米国人の場合は1.2%にすぎない。主要輸出相手国全体では1.6%である。これらの数字を見ても、どうして中国に今以上の大きな期待を抱くのか私にはわからない。中国市場は蜃気楼(しんきろう)のようなものだと私は思う。

中国沿海部の人々の所得は、農村部に比べてずっと高いという反論もあるだろう。しかし、沿海都市部の人口は全体の31%で所得は農村部の3.2倍だが、それでも一日531円にすぎない。

また、中国は「目覚めた」ばかりで、これから急速な成長が期待できるという人もいるだろう。しかし、電子レンジや冷蔵庫やコンピューターといった電化製品の大きな市場となるためには、電力消費を大幅に増加させる必要がある。

現在の中国人一人当たりの電力消費量は中国を除く世界平均の40%で、米国の十五分の一、日本の九分の一である。しかし、もし中国人が日本人並みに電力を消費するようになれば世界の消費量の76%、米国人と同じだけ消費すれば118%になる。

つまり、中国人すべてに冷暖房設備を完備させるだけの電力がこの地球にはないのである。中国がさまざまな製品を消費するためには所得増が不可欠である。それには国民の生産量を増加させる必要があり、工業用エネルギー消費量の増加が伴う。

中国人一人当たりの工業用エネルギー消費量は、中国を除く世界平均の約半分、日本の四分の一、米国の八分の一である。従って、もし中国が日本並みに工業用エネルギーを消費すれば、それだけで世界の55%、米国と同じだけ消費すれば105%にもなる。

これらのことから中国が近い将来、日本や米国のような工業生産国になるのは非現実的であるといえる。もし中国の生産と消費が日米並みになれば、環境汚染は地球規模で激増する。

現在、中国人一人当たりの二酸化炭素排出量は、中国以外の世界平均の70%、日本の30%、米国の10%である。もし中国が日本並みになれば二酸化炭素排出量は全世界の半分以上になるし、米国並みになれば単独で現排出量を上回ってしまう。

中国を巨大な潜在市場とみなす理由が、いくら調べても私にはわからない。すでに中国市場に参入した企業のうち、どれくらいの企業が本当に顧客を見いだしているのか。それとも彼らは中国に顧客を求める「ふり」をしつつ、実は日本の高賃金労働者を中国の低賃金労働者に置き換えているだけかもしれない。

つまり中国市場は、蜃気楼ではなく煙幕なのではないかと思うのである。