No.530 トロンと携帯電話

今回は、日本でなぜパソコンが普及しかったのかについて分析してみました。日本はソフトウェアの開発で遅れている、あるいはベンチャーキャピタルがないため技術発達が阻害されているという指摘もよく聞かれますが、それは本当なのでしょうか。これらの疑問について、携帯電話と日本の独自OSトロンを例に考察してみました。

トロンと携帯電話

 

今年四月の携帯電話の国内出荷台数は、昨年同月比36%減の三百十一万三千台となり、十一カ月連続で減少した。買い替え需要、新規加入者が頭打ちになった結果であろう。
日本で携帯電話の利用者が急増したのは、メールのやり取りやインターネット接続が手軽にできる端末を人々が求めていたからである。日本の一般家庭におけるパソコンの保有率は二〇〇〇年にアメリカと並び、今年はすでにアメリカを超えたと言われているが、日本人が欧米人のように、あるいはほかの家電製品のようにパソコンを使いこなしているかというとそうではない。それはパソコンがもともと日本人向きに作られておらず、日本人にとって使いにくいからである。

日本の独自技術
しかし、過去に日本人向きのパソコンが開発されるチャンスはあった。一九八五年に通産省主導で始まった「シグマ計画」の基本ソフトとして、日本の独自技術であるトロンが採用されていれば、日本人に使いやすいパソコンが日本のメーカーによって作られていたであろう。
だが、国家プロジェクトとしてシグマ計画を進めた当時の通産省は、日本のコンピューターメーカーが国内だけでなく海外でも売り上げを伸ばせるようにと、西洋の概念をもとにアメリカで開発されたUnixをOS(オペレーティングシステム)に採用したのである。
通産省は、日本国民よりも日本のコンピューターメーカーの売り上げを選んだのだ。その後、パソコンの基本ソフトとしてマイクロソフトのOSがUnixより普及していることを知った通産省は、UnixからマイクロソフトへOSを変更したが、やはりトロンを採用することはなかった。
「シグマ計画」はわずか五年後の一九九〇年に消滅し、日経コンピューターには「シグマ計画の総決算-二百五十億円と五年をかけた国家プロジェクトの失敗」と題した記事が掲載された。

かな入力を採用
一方、一九八五年に民営化された電電公社は、それまでの無線電話技術をもとに携帯電話サービスを開始した。無線電話は回線の敷設や保守が高価になる遠隔地の顧客のために開発された技術である。電電公社もNTTもドコモも、その第一の使命としたのは利用者へのサービスであって、メーカーをもうけさせることではなかった。その携帯電話に使われたOSがトロンである。
携帯電話はまた、パソコンのキーボードと違い、日本人が入力しやすいかな入力を採用し、入力したかなが漢字変換される。この携帯電話で、音声だけでなく電子データのやりとりが簡単にできるようになり、どの家電よりも急速に普及したのである。
しかし、成長というのは永遠に続くことはない。携帯電話にはこれからも改良がなされ、機器の性能やコンテンツは向上するだろうが、出荷台数が今までのような速度で伸びることはないだろう。
また、九九年二月のiモードのサービス開始からわずか一年八カ月で加入者が一千万人を突破するような爆発的増加が、英語圏市場で見られることもないかもしれない。なぜなら英語圏ではその媒体としてすでにパソコンが普及しており、また携帯電話での英語入力はひらがな入力のように自然ではないからである。
これら技術分野で日本人が誤認していることが二つある。一つは日本が欧米、特に米国に比べてソフトの開発面で遅れていると思っていることだが、これは間違いである。日本はロボットや工作機械などに組み込まれているソフトウエアで非常に優れた技術を有している。

2つの誤認あり
エレベーターやテレビ、冷蔵庫などの家電の多くが日本で作られたソフトによってより効率よく稼働し、さらに便利になっているが、そういうソフトは利用者が使うときには意識されないため目立たない。
一方、米国企業が得意なソフトは、マイクロソフトのウインドウズをはじめ、消費者がソフトとして意識して使用するためにその存在が目立つのである。
もう一つの誤認は、日本には米国のようなベンチャーキャピタルがないため、技術革新が阻害されているというものである。だが、もしそうなら、なぜ工作機械やロボットそのほかハイテク分野で優れた技術が開発できたのか。移動電話ほどの技術が生まれたのも、電電公社が長期的に利用者に恩恵をもたらす無線技術の開発に取り組んできたからである。
日本は米国のように短期的なもうけを狙ったり、軍事技術は得意ではないかもしれない。しかし日本の技術が遅れているというのはまったくの誤認であり、携帯電話の成功は日本の技術のすばらしさを示す最新の一例に過ぎない。
シグマ計画の消滅から十年以上たった今年六月三日、トロンの開発者である東京大学の坂村健教授は、トロンが日本の情報通信技術の進歩に多大の貢献をしたということで総務大臣表彰を受けた。組み込みOSとしてはトロンがウインドウズより普及しているという事実が、今回の表彰につながったという。